増発6話 キセル同盟

「まずやることは、左警察と右警察の統合。表向きで統合する必要はないから、代表者をひとりずつうちに引き入れるわ。適当な人はいる?」

 ケイハは端末画面を見ながら言った。画面には、京都一円に存在する表社会・裏社会の主要組織の一覧があった。シドウの所属する煙草密輸組織も名を連ねている。

「左のほうだと、東山というやつがいる。末端のろくでもない悪徳警察員で、よく金を渡して警察の情報をもらってる」

「使えそうね。仲間に引き込める?」

「それなりの地位を約束すればまず断らない。そういうやつだからな。右のほうは僕はあまり詳しくないが、うちの組織の西側担当者に聞いてみれば分かると思う」

「お願いするわ。私じゃ交渉は無理だから、あなたがいるととても助かる」

「わかった」

 彼は少し照れながらあごの髭を撫でた。立場上少しは威厳のある外見をしようと思って髭を伸ばしてみたのだが、どうにも落ち着かないし、ケイハには「野生の熊に似てきた」と言われる始末だ。

 故郷の村の支配者交代劇から2年が過ぎていた。村の階級社会はほとんど消滅し、ミミは元々二階の住民だった男と結婚し、しばらくして還暦を過ぎていた父が老衰で死んだ。母は葬式に戻って来いと強く言ってきたが、シドウは多忙を理由に帰らなかった。

 顔を見せづらいというのは勿論あった。だがそれ以上に本当に忙しかった。シドウはこの二年で、自分の所属する煙草密輸組織のボスとなっていた。それは彼の貢献のせいではなく、ケイハが行ったネット干渉の結果だった。高度にシステム化の進んだ組織においては、ネットの情報流通さえ制御できれば、任意の人間に地位を持たせることはそう難しくはなかった。

「仕事が一段落したら顔見せるよ」と母には言ったが、どこに一段落があるのか彼には全く想像がつかなかった。仕事の規模は加速度的に拡大していた。まず京都周辺のネットのほとんどのノードがケイハによって掌握され、続いて多くの組織のトップがケイハの関係者にすげ替えられ、さらに自動改札の挙動まである程度管理できるようになっていた。

「僕の頭じゃ分からないと思うけど、そのネット支配ってのはどういう事をやるんだ?」

 あるときシドウはケイハに聞いてみた。

「ふーむ」

 とケイハは椅子の背もたれをぐっと後ろに倒すと

「そもそもスイカネットがどういう仕組で情報をやりとりしてるか知ってる?」

「いいや」

「そりゃそうよ。私もほとんど分かってないもの」

 ケイハがしれっと言うので、シドウは目を丸くした。

「正確なところは誰も知らないわ。横浜駅が勝手に生成したもので、どこにもプロトコルが書いてないもの。ただ駅以前に存在したインターネットやJR統合知性体の仕様を、構造遺伝界が取り込んで複製したって事は確かね」

 ケイハの説明によると、この横浜駅のあちこちにはスイカネット・ノードと呼ばれる拠点が無数に存在する。この拠点が相互に接続して網目状になることでスイカネットを形成している。この「拠点」が物理的にどういう姿をしているかは誰にも分からない。駅構造の奥まった部分に埋め込まれているためだ。ただネットアクセスを通じて、間接的にその存在が知られているだけだ。

 ネットにアクセスして得られる情報はたいてい、その地点から最寄りのノードに蓄積されたデータということになる。ノード同士は通信によって内容を同期しているが、この通信の信頼性はきわめて低いため、データの更新は「多数決」であることが多い。つまり「A」と書かれたノードに接続された10個のノードのうち8個が「B」と言えば、このノードが「B」に書き換わるといった具合だ。

 このノード間通信に干渉を行って、特定ノードに流れ込む情報を全て「C」に書き換えれば、ネット上にありもしない「C」をノードに書き込むことが出来る。これを複数のノードに対して行えば、あとは多数決原理にしたがってネット全体で「C」が蔓延していく。

 もちろんプロトコルは不明な上に、地域によって微妙に違うため、干渉は容易なことではない。だがケイハはそれを長年に渡って続けた結果、京都周辺のほとんどのノードは彼女の意思で書き換えられるまでになっていた。

 そして、ネットの支配さえ成功すれば、その上で動いている人間社会というものはいとも簡単に支配できるということをシドウは体験として知っていた。彼の故郷でミリエンの流通を支配していた一家族がいともたやすく独裁体制を確立したように。エキナカの人間は、駅の統治がなければあまりに無力なのだった。


 庚午かのえうま階層のケイハの家に出入りする人間は少しずつ増えていった。左と右の警察の代表者数人がここで話し合って警察組織としてのあり方を決め、その内容をネットを使って京都全体に送信する。裏社会の組織も大体これと似たような仕組みだ。最終的な決定権はケイハにあるという形式になっていたが、彼女自身が具体的な統治方法について口出しすることはほとんど無かった。

 母親代わりのモドリは、家にこもりがちだった娘に多くの人が訪ねてくるのを見て「あの子にも友達が増えてよかったねえ」と嬉しそうに言っていた。モドリはケイハが実際に何をしているのかはほとんど知らなかった。 このところ急速に老けこんできたので、京都一円の統治をしている、などと言ったら腰を抜かすだろうと思っての配慮だ。

 ケイハは父親と違って、他人と信頼ある人間関係を築くようなことにほとんど関心が無かった。というわけで、人当たりがよく表裏ともに人脈豊富なシドウが、この怪しげな組織のリーダーとなったケイハの第一の側近となっていた。

 10歳も年下の女に使われることや、組織の成熟に合わせるようにケイハの風貌も少女から大人へと成長していく事に、シドウは意識を持たなかったわけではない。けれども、この家を訪れる組織のメンバー達にとって、特に後から加わったメンバーによって、ケイハは神権政治時代の巫女のような神聖な存在となっていった。その支配領土は京都にとどまらず、徐々に周辺都市にも拡大していった。


「名前が欲しいんだけど」

 あるときケイハは言った。

「名前?」

「ええ。組織に名前が欲しいんだって。東山君と、あと何人かが言ってきてる。私はそういうの苦手だから、あなたが考えて」

 シドウは数秒考えて答えた。

「キセル同盟、でいいんじゃないかな」

「キセル?」

「うちの組で扱ってる商品。刻み煙草を吸うのに使う道具。こんな感じの。いや、たまたま今持ってたってだけなんだけどね」

 シドウは商品サンプルを一本取り出して見せた。

「綺麗なデザインね。いいわ、採用。キセル同盟」

 キセル同盟の存在を都市の住民たちが知ることは無かった。表向きはいまだに左警察と右警察という組織が管轄領域をしのぎあっていたが、今やその両者はともにケイハの支配下にあり、トラブルが起きるごとに同盟内の話し合いで決着していた。税金が二重に請求されるようなこともなくなった。こうして住民の生活は改善されていくのが分かった。経済指標も上を向き、下層の貧民たちも多くが仕事を手に入れ、活気があふれるようになった。

 自分たちは善政を行っている。そういう実感がシドウにはあった。あの村にいた支配者たちは、ただ採掘機械という装置で自分たちの特権的な地位を手に入れ、それを自分たちの欲のために使っていただけだった。

 しかしケイハ自身は、この支配者のなかの支配者は、都市の政治というものにはほとんど興味を持っていなかったようだった。ただ自分の技術でスイカネット・ノードの管理権を獲得していき、その範囲を広げることだけに関心を持っているようだった。シドウはそこに、目的なく拡大を続ける横浜駅と似たものを感じとるようになった。

 ある日、シドウはケイハから、大阪に出張するように指示を受けた。当地のネットノード獲得がほぼ完了したので、現地の警察と話をつけて、同盟に代表者をひとり出向させて欲しい。その際、適切な相手を選びたいので、その人選をシドウに一任したい、ということだった。

「分かった。明日すぐに出発するよ」

 といってシドウは大阪に向かった。

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