第6話

 ゴールデンウィークの最終日。明日から授業が再開するが、その前夜ともなれば構内に人などほとんどいない。

 私は斉藤くんのバイト上がりを待ち、部室に忘れ物をしたという方便で彼をここまで誘い出すことに成功していた。

 しかし最後まで黙っていることも不可能なので、斉藤くんが鍵を開けてくれたのを見計らい、本日の趣旨を伝えた。結果、彼は尻込みしだした。

「ダ、ダメだよ! ばれたら大変だって!」

「斉藤くん、君は運命の戦士だ。戦士がそんなことでどうする」

 私は部室の電気を灯し、声が漏れないよう扉を閉めた。

「運命の戦士ってなんなの? 聞いたこともないよ」

「ともあれ、これで晴れて君も共犯だ」

「共犯じゃないよ! 騙されて悪事の片棒を担がされたんだ!」

「シャルローズにそう申し開きするといい、うん」

 私は人生史上ベスト5に入る笑顔を友人に向けた。

「……ジマー」

「なにかな?」

「鬼!」

「なんとでも言うがいい。これはマイノリティの危機、生存競争なんだ!」

「どこをどう解釈すればそんな結論になるわけ?」

「バイト代も入ったことだし、帰りにラーメンを奢ろう。それでどうだい?」

「……味噌チャーシューじゃないと嫌だ」

「味噌チャーシュー大盛り」

 私と斉藤くんは固い握手を交わした。好奇心が人を人たらしめているのだ。

 書類が仕舞ってあるロッカーは一つしかない。迷わず開ける。

 私は携帯電話を取り出した。

「なにしてるの?」

「まずは撮影を」

 携帯電話のカメラで現場を撮影する。

「これで復元は完璧に出来る。物品の配置を記憶に頼るのは愚の骨頂である」

 ガサ入れ前の状況写真さえあれば多少散らかしても問題ない。状況を完璧に復元するのだから後日、不要な疑念を抱かれる心配もない。

「……手慣れてるね」

「な、なにを言っているのかね、ハト真似くん」

「ハトマメだって」

「おぉ、ついに自称するに至ったか」

「……うん、もう、なにも聞かないから」

 目的の書類はクリアファイルに入れて保存されていた。歴代の先輩たちのアンケートまである。どうやら、サークルに入った日順に整理されているようだった。それでも順番が入れ替わるのを防ぐため、私は机の上に用紙を並べていった。一枚の用紙に引き寄せられる斉藤くんを横目に、三雲女史のアンケート用紙を慎重に抜き出した。

 ほほう、本名は三雲夕璃華と筆記するのか。可憐な表記と美しい響きを持つ良い名である。悔しいがこれほど名が体を表わしている例を私は他に知らなかった。

 いかんいかん。そんなことに感心している場合ではない。血液型血液型ーっと。指先でその項目を探す。発見!


 血液型  O


 Oh?

 私は目を皿にした。

 しかし、確かにそこには彼女自身の手で書き込まれた「O」という文字が記されている。

 そんな。

 そんなはずがない。

 三雲女史に限って!

 私は目を大皿にしてもう一度アンケート用紙を見直した。

 よくよく見てみると、


 血液型  Q


 なんだとぉぉぉぉぉぉおおおおお!

 その「、」はなんだ、その不可思議千万な「点」は。

 Oの右下に小さくゴミのようにホツれ付いた「、」は。

 いかにもOですヅラしたこの虚偽記載は何なんだあああああぁぁぁあぁ!!

 そこまでして己が赤血球を否定したいか! 捏造したいか! 隠避したいか!

 思考が一気に突き抜けていったことにより脳内に一瞬の空白が生じた。虚無のような空白が私に別の考えをもたらした。

 ……彼女にはきっとトラウマがあるのだ。

 それこそ私がこれまで受けた精神的苦痛に十倍するような恐るべきものが。

 だから、彼女は何が何でも、どんな手を使っても己が血液型を隠し通そうとするのだ!

 私は反省した。

 B型の人がいない南米に届くくらい深い反省をした。

 私は何と言う自己中心的で、懲罰的で、偏執的な行動を取っていたのだろう、と。

「このさ……」

 斉藤くんが私の二の腕をちょんちょんとつつく。衝撃と虚無と反省に浸る私は現実に引き戻された。

「このさ……血液型の『D』ってなに?」

 斉藤くんはあろうことか、私のアンケート用紙を発見していた。

 私は斉藤くんから一ヶ月前に自分で記入したアンケート用紙を取り上げ、三雲女史のアンケート用紙ともども机の上に並べておいた用紙に混ぜ、クリアファイルに戻した。勿論、順番を間違えないよう細心の注意を怠らず。

「名前も微妙に違うよね……」

「ノープロブレム! 斉藤くん、引き上げるぞ」

 『木』を『本』にしたり、『二』を『一』にする程度、なにほどのことがあろう。『D』だって『B』を分解して片方だけ記載しただけのことだ。決して虚偽ではない、ほら、Dを縦に二つ並べて御覧なさい。

 見ようによっては『O』に見えることを期待したワケではない。

 そもそも私が嘘を吐くはずがないではないか。

 いや、よしんば私が嘘を吐いたとしよう。だからといって、誰が被害を蒙る?

 考えてもみて欲しい。私のすぐ隣にでもいないのであれば私の嘘で実害など蒙るわけがないのである。つまり実害なしだ。実害のない嘘など嘘ではない。つまり私は嘘吐きではないのである。間違いない。

 撮影しておいた写真と復元した現場を見比べる。誰もここで情報漏洩があったとは思うまい。私は満足して振り返った。

「さて、斉藤くん」

「?」

「そろそろ本音を語ってくれないかね? どうしてこのサークルに入ろうと思ったのか」

「ほ、本音? 意味が分からないな~」

「キャスリンのアンケートを随分と熱心に見ていたようだが?」

 横目で見たとき、斉藤くんがキャスリンの書類を食い入るように見ていたのを私は見逃さなかったのだ。

「そ、そ、そ……」

「そそそ?」

 私は人生史上ベスト3に入る笑みを浮かべ、ハトが豆鉄砲を喰らっているような表情を楽しんだ。

「そんなことないよ!」

 三雲女史の影に隠れてしまっているが、キャスリンもなかなかに可愛らしい容姿をしている。それをあのドタバタした酒宴の中でちゃんとチェックしていたのだから……斉藤くん、侮りがたし。

「そうだね、そんなことないね! 味噌チャーシューで良かったんだよね?」

 赤面する斉藤くんは沈黙した。







 哀れなシャルローズ。

 あれほどの隠蔽行為に勤しむのだ、想像するのも躊躇われる過去があるに違いない。それが私の至った心境であった。

 つまり、血液型原理主義者とのジハードも生存競争も勝利も何もかもが意味を失ったのだった。

 残ったのは虚しさと罪悪感だけであった。

 ムカつくも、モテないも、人間辞めろも、失敗作の標本も、すべてを水に流そうではないか。私は菩薩のような心で三雲女史を寛恕した。

 と、思うのはこちらの話であった。

 シャルローズは私の心理を忖度も斟酌もしない。

 ゴールデンウィーク明けの最初の稽古。

 私は台本の読み込み不足を叩かれ、己が演じる役のイメージも出来ていないとシャルローズにベコベコに凹まされていた。

「しっかりしてよ、まがりなりにも準主役なのよ!? こんなんじゃ、立ち稽古にならないじゃない!」

 三雲女史は嗜虐的な笑みを浮かべそんなことを言った。

 痛い目を見てもらう、という宣言はしっかりと生きていたのだ。私は己のお人好し具合に、性善説信徒ぶりに怒りすら覚えた。なぜ三雲女史に対して怒りを覚えないのかと問う者がいたら、私はこう答える!

 一度寛恕した手前それは出来ぬ相談だ! と。

 二十倍返しが恐いわけではない。

「まあまあ、そんなに責めなくても……立ち稽古で感じを掴むのだってアリなんだからさ」

 と先輩の一人が助け舟を出してくれた。

「先輩、お言葉ですが、彼には自覚が足りないんです。自分の役割の重要性を理解してないんです。わたしはそこを指摘しているんです」

「……うーん、一理あるなぁ~」

 と言いつつ先輩はゆっくりと私達から離れて行った。

「……………………………………………………」

 やはりこの世に神はいないのである。そんなことは元より知っている。知っていた。知っていたが、私は改めて絶望した。

「……と言うことで、ジマー、読み合わせからやり直しましょう」

「………………………………………………はい」

 私は気力を振り絞ってどうにか返事をした。

 読み合わせとは、台本を持ったまま実際にセリフを言うだけの練習だ。

 動作や表情も作らず、ただセリフのみを読み上げていく。初めて読み合わせをしたとき、簡単な練習だなぁと内心思っていたのだが、立ち稽古に移ったところで己の先見の明の欠如を痛感させられた次第である。

 舞台で台本を見ながら演技をする役者などいない。セリフを丸暗記するのが当たり前なのだ。三雲女史はすでにセリフが頭に入っていて、台本など持たずに稽古に臨んでいる。台本片手に演技の真似事をする私のような人間に苛立つのも仕方ないのかもしれない。

 稽古場の端に移動する。私は生徒よろしく椅子に座らされた。三雲女史は厳しい女教師よろしく私を見下ろす。

 見目麗しい三雲女史と二人だけで別メニュー。

 羨ましいと思う男は多かろう。

 代わってやる!

 いますぐ代わってやるから挙手してくれ!

 これが私の偽らざる心境であった。

「あのね」

 ため息混じりに三雲女史が切り出す。私は悪口雑言誹謗中傷に備えて身を竦めていたのだが、その意外な声音に片目だけ開けてちらりと三雲女史を見上げた。

「読み合わせって発音とかイントネーションとかのチェックだけじゃないの」

 敵意も害意もなく、諭すように話す三雲女史にはなんというか、若干の驚きというか新鮮さがあった。

「共演者の役作りを確認したり、自分の役作りの反応を見たり、そういう場でもあるの」

 私のようにお気楽にただセリフを読み上げるなど三雲女史にとっては迷惑この上なかったようだ。

「それは……大変失礼をば」

「自分の作り込んだ役と共演者が作り込んだ役がぶつかって、舞台の出来を一段引き上げる。それが役者の仕事であり、愉しみなの」

 三雲女史の表情が活き活きと輝いてきた。

「とにかく! 十亀さんがあなたを選んだ! 言いたいことはあるけど、適任じゃないとか、納得いかないとかあるけど、それは言わない!」

 思いっきり言うとうるがな。

「……だから行動で示して見せて」

 表情に似合わない低い声。誰がなんと言おうと、それは恫喝であった。




 稽古も終わり、みな一息ついている中、私は一人の先輩をつかまえ質問をしていた。

「んー? 配役の決め手?」

「はい」

「ブッチョの胸先三寸」

「……………………」

「って言うと語弊があるかな、でもね、ブッチョなりの思惑はあると思う」

 タオルで汗を拭う先輩はその思惑とやらを説明してくれた。

 先輩曰く『ヤマトイ国のヒメコ』にはブッチョの配慮が見え隠れするのだそうだ。全体的にセリフが少なく、動いていれば取り合えずそれらしく見えるようになっているのがその証拠だそうだ。

 素人の寄せ集めである一年生に抑えた演技やら、冗長饒舌なセリフ回しなど期待できない。だからアクションを混ぜて、お客さんを飽きさせず、演じる側にも適度の難易度を課す。そういったあれこれを練り込んで台本に仕上げたのだろう、と先輩は結論付けていた。

 言われてみれば、なるほど、立ち位置さえ間違わなければ、オロチの中の上級生の方が合わせてくれるから、こちらが些細なミスをしてもそれっぽいアクションに見える。

 先輩の推理はさらに踏み込んでゆく。

 ブッチョは伯楽というか、教育者というか、中々の策士なのだそうだ。

 ポテンシャルの高いキャスリンにはその魅力とも言うべき声が使えない、喋られない役を敢えて与え、演技そのものを追求するように仕向けている。

 三雲女史には主役としての重責を肌で感じてもらい、サークルの顔になってもらうべく仕向けている。

 斉藤くんにはその少しコミカルで情けない感じを十二分に活かせるオロチや状況に追い立てられるという役柄が与えられ、演技では意外に堂々としている七五三野くんは衛兵の威圧的なところを上手く演じれば今後の自信に繋がるよう仕向けられている。

「で、私には?」

「さぁ……?」

「?」

「それはアタシも分からない」

「……………………」

「ま、何事も経験よ、ジマくん」

 先輩は気楽に言ってくれた。

 私は先輩に解説の礼を言った。先輩は笑って稽古場を出て行った。

 考える。

 一体なにが仕向けられているのだろうか?

 とんと察しがつかなかった。

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