はじまり

 次に視界に飛び込んできたのは赤い女。


 真っ赤なワンピースを身にまとい、凄まじい勢いで落ちてくる赤い女。


 髪も服も、全てが上に向かってなびいている。


「えっ」


と、呟いたかどうかも分からない。


 次の瞬間、ドンッと言う大きな音と共に飛び散った赤い液体。


 パックリと割れた頭からはグチャグチャになった何かが流れ出している。


 まるで潰れたトマトのよう。


 赤いワンピースの女は、もう人とは呼べない哀れな姿でそこに転がっていた。


 その傍らには、明らかに巻き添えを食ったであろう女子高生の姿。


 この制服……うちの学校?


 恐る恐る倒れた女子高生の顔を覗き込む。






「………………私ぃ!?」






 思わず叫んだが……じゃあ、今コレを見ている私は……誰?






「……ハァ」


 私のすぐ横で聞こえた深いため息。


 振り返るとそこには、デニムパンツにTシャツというラフな格好の男がいた。


 見た目20代、混じり気のないサラサラな黒髪、明らかにモテそうな容姿のその男は、あろうことか空中に胡座あぐらをかいた状態でこちらを見ていた。


 そして、その男のすぐ後ろには、今私の目の前で潰れたばかりのトマト女。


 但し、死体ではなく、ちゃんと原型を留めた綺麗な状態で、その男に寄り添うようにして立っている。



 これって……何?



 私の混乱をよそに、男は冷淡な表情のままつまらなそうに口を歪め、ポリポリと頭を掻いた。


 明らかに不満げ。 

 私が一体何したって言うのよ!?


 そんな事よりも!


 私はこの足下に転がる可哀想過ぎる自分をいち早く救ってやりたい。

が、残念な事にそこに倒れたままの私は、指先の一本すらピクリともしない。


 たまらず手を伸ばす、が……すり抜ける。


 周囲には大勢の野次馬。


 地面に横たわるトマト女を見て泣き叫ぶ者、冷静に携帯電話でどこかに連絡を入れる者。


 中には、携帯でトマト女を何枚も何枚も撮影しまくっているアホまでいる。


 ホント最低!

 ホント悪趣味!!!


 一向に目覚める気配の無い私に、恐る恐る『大丈夫ですか?』と呼びかけてくれる優しいおじ様。


「いいえ、大丈夫ではありませんっ!」


 と必死で答えるが……勿論、こちらの浮遊する私については、全く見えていないご様子。


「無駄だよ」


 胡座男は覇気の無い低い声でそう言うと、


「……ハァ」


と更に深いため息をついた。






 あれ、この男。






 そう!

 私は、コイツを避けようとした。


 私がトマト女にかち合うほんの少し前の記憶を手繰り寄せていたその時、胡座男がまた口を開いた。


「時々いるんだよね?あんたみたいなアホが……」


って。


 この男は、何の前触れもなく初対面の私に対してそう暴言を吐いた。


「アホって……私はあなたを避けようとしたんじゃない!」


 イヤ違う!

 今論じるべきはそこじゃない。


 この訳の分からない状況を早く理解しなくては……。


「俺を避ける?お前馬鹿か!?とにかくお前はリストに載ってない。つぅか、あ~面倒臭ぇ、何で俺なんだよ?」


 男はコキコキと首を鳴らすと、胡座をといて立ち上がった。

 そして伸びを一つ。


 そして、空中で器用に浮きながら、尚もやる気無さそうに転がった二つの体を冷やかな目で見下ろす。


「面倒臭いって何よ?てか、この状況は何?説明して!」


 腰に手を当て、現状把握を求める私に、


「うるさいなぁ」


と呟き、


「とりあえず、お前は俺の管轄下に入った。よって俺に付いてくる以外道はない。以上」


と言い放ち、トマト女を連れて空中を歩き始めた。


 何が管轄下よ!

 偉そうにっ!!!




てか、もしかして私、死んだ?




 私は下に転がっているもう一人の自分を再度見下ろしてみる。


 おそらく飛び降り女の巻き添えをくったであろう私は、可哀想に息も絶え絶えのご様子。




「死んだの?」




 私の問い掛けに男は、


「だから、リストに載ってないって言ってるだろ!」


と苛立ちを隠さない。




 だからッ!リストって何よ?




 男は一度振り返ると、


「とにかく俺はこの女をうえに上げなくちゃならない。だからお前は黙って俺に付いて来るしかない」


 終始えばりんぼうなその男は、私に強めの手招きすると、トマト女のお腹の辺りから伸びてる黒い糸のようなモノを手繰り寄せた。




え?

もしかしてコイツ。




 トマト女は、ふわふわと浮かぶ風船のように男の周りを浮遊している。


 そして彼女は、何の感情もないまま彼に連れられ、天を目指して登り始めた。


「ちょっと!待ちなさいってばぁ」


 私は可哀想な自分の体に再び目をやると、立ち去ろうとする男とソレを交互に見比べた。


 到着した救急車が、私の生死確認を行い、車へと運び込む。


 とりあえず……まだ生きているらしい。


 ひとまずホッと胸をなで下ろした時、グイと強めに体が引っ張られた。


 方向からいって、左斜め上。


 私はどうやらあの男に引っ張られているらしい。


 どうゆう事!?


「ねぇ!どうなってるのっ」


と叫ぶ私に、数十メートル上から男が不適な笑みを浮かべる。


「だから言ったろ。お前は俺に付いて来るしかないって」


と、ちょっと、否、かなり偉そうな言葉が投げつけられた。


なんかムカつく!


 どんどん天を目指して進む男に、無抵抗のまま引きずられる私。


 その姿はかなり無惨だけど、とにかく今はとりあえず、コイツの言う通り、コイツに着いて行くしか道はなさそうだ。


 私は遠ざかる現世にかなりの未練を残しつつ、仕方なく彼に引きずられ続けた。


 変な感じだった。


 空中歩行。


 幽体である自分に足があり、一歩踏み出す毎に面白いように空が近付く。


 この時程、自分が高所恐怖症で無かったことを感謝した日はない。


 みるみるうちに小さくなっていく現世。


 天に着いたら私、死ぬのかな?


 などと考えつつ、前を進む二人?に黙って付いて行く。


 少し離れてはクイと男に引っ張られ、急いで数歩駆け出す。


 あれからどれくらいの距離を登ったのだろうか?


 少し先に、周りとは明らかに違う一際明るい光が見えてきた。






どうやらアレが彼が言うところの『うえ』らしい。






 そこは空でもなく 雲の上でもなく、上に向かって上昇していくうちに、ぼんやりと現れた光の中にある一つの世界。


 一歩その世界に足を踏み入れれば、そこには重力が存在した


 地面があり、空もあり、草も生えている。


 これがいわゆる天国ってやつだろうか?


 近くにある木の枝にそっと触れてみる。


「……触れる」


 そう、幽体であるはずの私もココではシッカリとした実体として存在しているのだ。


 それはまるで、生きている時と全く変わらないように感じた。


 光の入口から続いていたのどかな風景が一転したのは、明らかに場違いな大扉が見えた時だった。


 その門は綺麗な景色の中に突如として現れた。


 暗い森の入り口にドーンと不気味に建てられた、高さ3メートル、幅2メートル程の鉄扉。


 男はその扉の前で立ち止まると、


「ハイ。上田有紀28歳。午後3時47分死亡。死因は飛び降り自殺ね」


 と言いながら、門の前に鎮座する黒スーツ、黒シャツ、黒ネクタイに黒の革靴をビシッと着こなした門番とも言うべき一人の男にトマト女を引き渡す。


 門番は例の黒い紐を男から受け取ると、手に持った台帳のような物に目を通し、


「確かに」


と低い声で言ってから、トマト女を自分の後ろにある重そうな鉄の扉の中にスルリと通した。


「で、リタ。そっちの女は?」


 門番は男を『リタ』と呼び、自分の持っている台帳をパラパラとめくって首を傾げる。


「あ~ないない、コイツだから」


 リタはそう言うと、私の方をチラリと振り返った。


「おまけって、おまけって何よ!大体ねぇ、誰のせいでこうなったと思ってんのっ!?」


 今まで黙って付いて来てやったけど、さすがに今の発言は聞き捨てならない。


 私は奴の脇腹にガツンと一発拳を叩き付けた。


 リタは一瞬『ウッ』と小さく声を漏らしたが、すぐに冷淡な目をこちらに向け、


「さっきからちょいちょい変な事言うけど、俺のせいって何?それ、どーゆう意味?」


と、不機嫌そうに私を睨み付ける。


「だからっ!あんたを避けなきゃ、私は微妙にあの自殺女にぶつからなかったんじゃないかと……」


 それは自信のある話ではないけど、でも、確率としてはスレスレ目撃者で済んだ可能性が高い……と思う。


「待てよ!じゃあ、お前はあの時点で俺が見えてたって言うのかよ?」


 そう叫びながら口を尖らすリタに、私はコクンと頷く。


「大体ねぇ、なんでそんなラフな格好してるわけ?いつもの黒スーツ着ててくれたら私、あなたを『人』とは認識しなかった」


 と言って近場にいた黒スーツの男を指差す。


 指刺された黒スーツの男と周囲にいた数人の黒スーツ達が驚いたようにこちらを振り返る。


「待て待て待て待て!えっ?」


 リタは少々混乱しているようだ。


 まぁ、それは私も同じなんだけど……。


 でも、私はこの黒スーツの男達を見て完璧に確信していた。


 彼達が一体何者なのか……という事を。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る