第12話 山鳥アスカの過去

山鳥アスカは、時魔を研究している学者の父と、その父を優しく支える母と、双子の兄のヨウと、それはそれは幸せに暮らしていた。でもその幸せはアスカが6歳のころにすべて崩れ去った。もう、跡形もないほどに。


全てはアスカの父が研究所で事故に遭ったことから始まった。実験のために囚われていた時魔が暴れて、当時の最先端技術で作られた檻を破壊した。アスカの父は逃げ遅れて、その時魔の何らかの攻撃に当たって死んでしまった。どんな攻撃だったかは今も分かっていないが、時魔は殴るにせよ蹴るにせよ、人ひとりを死に至らしめることなど容易い。

事故は当時人が想像したより遥かにひどく、数多の死傷者で現場は混沌としていた。自宅で流れたニュースでそれを知ったアスカの母は悲しみで気が狂ってしまいそうだった。アスカとヨウはあまりにも幼く、死というものを理解していなかった。とにかく、目の前で泣き崩れる母を見ていることしか出来なかった。


葬式が終わって、事件の全貌が明らかになってもまだ、母は家事どころか会話もままならないほどに心が参っていた。アスカとヨウは祖母に面倒を見てもらうことが多くなり、一家は住んでいた小さなマンションの一室から、祖父母の家へ引っ越した。母は父と過ごしたその家を離れるのを嫌がったが、祖父母が無理やり連れていき、結局引っ越した。

ある日ヨウとアスカが二人で帰宅すると、祖父母は畑に出ていて、家には母しかいなかった。

「お母さん、ただいまぁ。」

異様な空気が漂っていた。禍々しい黒い空気だ。母のすすり泣く声が聞こえる気がした。その声は徐々に大きくなって、気のせいではないと分かった。

「お母さん!?」

アスカとヨウは靴を脱ぎ捨てて、ランドセルも投げ捨てた。居間へ走る。扉を開けて、居間の恐ろしい光景を、二人は見てしまった。

「……と、時魔……!」

母は窓際で床に手をついて泣き崩れていた。その後ろには時魔がいた。全てを凍らせそうな冷たい目をした時魔だった。時魔は二人に気づくと、目を大きく開いた。その目と目があってしまったアスカとヨウは動けなかった。押しつぶされそうな重圧が小さな体を包む。アスカは立っていられず、床にうずくまった。体力のあるヨウも耐えられなかった。横目で母を見ると、事故直後の時のように苦しんで泣いていた。

(あの時魔はお母さんの過去を、お父さんが死んだ時のことを思い出させているんだ…!)

なんて酷いことを…とアスカは思った。

(それ以上続けたらお母さんは…!)

もう、遅かった。高い叫び声を上げた母は、時が止まったかのように固まり、倒れた。

「……?!お、お母さん!」

アスカは寒気で体が硬直した。時魔による被害を受けた人の特徴や、そういう人への対処など、学校で教わったことを頭から無理やり引っ張りだそうとした。

(時魔によって精神的ダメージを受け、魂を奪われた人は、体が固まって動かなくなり一見気を失ったように見える。体のどこか一部か黒ずみ、そして全身に広がっていく。)

そこまで教科書の内容を思い出したアスカは、目に涙を溢れさせた。

「お…お母さん……。」

母の細くて真っ白な手に、黒いシミが出来ていた。シミは段々と広がっていた。母は時魔によって魂を奪われてしまったのだ。


母はその後、魂を奪われた人が入院する病院に搬送され、10年ほど経った今も目を覚ましていない。アスカとヨウは祖父母の元で今も暮らしている。稼ぎ頭がいないため、アスカとヨウはバイトをして生活費の足しにしている。アスカが週一の、さぼれるような部活を望んだのはバイトをするためだった。そしてアスカがよく時魔に狙われるのも、こんなにも悲惨な過去があるからだ。


アスカは思い出したくない過去を遡っていた。魔王は高らかに笑っている。魂は半分位削り取られた気がする。辛いという気持ちなど、もう無い。心が、痛い。遠のく意識の中、自分の悲鳴と、ヒカルが動いたことだけは分かった。

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