第2話 退治

事件が起きたのは、温かいというより暑くなってきた立夏のころ。制服も夏服に替わるころだ。昔からそうだったけれど、あたしは時魔に狙われやすい。そしてその日も、一匹の時魔があたしに白羽の矢を立てた。


 先生は職員室にこもり、生徒は部活のために散り散りになっている放課後。あたしは星座研究部の部室である地学室に向かっていた。いつもより広く長く感じられる廊下を歩いていると、雲から顔を出した太陽の光が窓から差し込んで、あたしとあたしの後ろのの影を映し出した。その何かは大きさや形からして人間ではなかった。立ち止まってゆっくり振り向く。まるまるとした黒い胴体、その上にちょこんと乗っかる、黒いバケツをひっくり返したような頭、そしてひときわ目を引く黄色に光る目。見た限り頭がよさそうとはいえない間の抜けた風貌に、一瞬、新しいマスコットキャラクターか何かかと思った。しかし

「君の過去、おいしい?」

そのどこか不自然な合成音を耳にしたとき、逃げることしか頭に思い浮かばなかった。時魔に会ったらまず逃げる。全世界の幼稚園や小学校で、最初に言われることだ。


「時魔!出た!逃げよう!」

全速力で走ったために文章で話せなくなったあたしを、部活の三人は異星人を見るかのように眺めた。あたしには不必要に思われる沈黙が少し続いた後、ヒカルがいつもの本を伏せてゆっくり立ち上がった。

「行ってくる。」

ヒカルがそういうと、カサメは興味なさそうに頷き、ニコはいつもどおりにこやかに「行ってらっしゃい」と言った。あたしにはこの妙に落ち着いた状況を理解できなかった。


しばらくした後、あたしとヒカルはさっきの時魔の前にいた。

「なんでわざわざ会いに行くの?!」

「退治するため。」

ヒカルの頭にはちゃんと脳みそが詰まっているのだろうか。時魔を退治する方法は数百年前から研究されているのに、いまだに見つかっていないことは常識だ。だから「会ったら逃げろ」としか言われないのに。それなのに、あたしの目の前にいる、ただの一人の男子高校生が時魔を退治する?馬鹿はほっといて、あたしだけでも逃げるべきなのだろうか。

「逃げるなよ。時魔が倒されるところをよく見てろ。・・・あと、俺のこと馬鹿だと思っただろ。」

・・・見透かされていた。そこまで言われたら見届けてやる、と思ってしまうのはなぜなのだろう。人間とは不思議なものだ。

「わかった。逃げない。けど、もしあんたが時魔を倒せなかったらハーゲン○ッツおごってね。」

「じゃあ、倒せたらお前がおごれよ。」

うん、こういうのは高校生らしくて、なんだかいい気分だ。入学式に出席するよりずっと、高校生になったという感じがする。中学生でも賭けをするのだろうけれど。と、甘いことを考えている場合ではなかった。


 ヒカルの顔立ちが、瞬きと一緒に変化した。凛々しいというより、感情がなくなったような表情だ。人間はこういう表情もできるんだなと、なぜだか寒気を感じた。


 ヒカルはまず、時魔の周りを超高速でぐるりと一周まわった。それがなんの役に立つのかは全く見当がつかないけれど、邪魔をしてはいけない、と本能が感じ取っている。それにしても、速い。この速さは人の限界をとうに超しているのではないだろうか。

「ここにはない、ということは頭の方か。」

呟きが漏れる。ヒカルはいきなりピタリと止まったかと思うと、今度は急に、軽く一メートルは跳んだ。この一つ一つの動作が速くて超人的で、解説が追いつかない。

「・・・見つけた。」

あたしは思わず、ヒッと声をあげてしまった。普段無表情なヒカルが笑っている。その笑い方が、不気味だった。頭のおかしい殺人犯が、死体を前にして高らかに笑っているような、そんな恐ろしさがあった。あたしは生きて帰れるのだろうか。一瞬、考えてしまう。ヒカルは制服のズボンのポケットから紙切れを一枚すばやく取り出した。筆で流れるように書かれた文字は、日本語ではない。この間もヒカルが宙にいられるほど速い動きだった。時魔も目で追うことしかできない。そもそも、ヒカルに追いつけるほど速い動きなどできそうにないやつだ。

「・・・おまえも石にもどれ」

こう呟くと、ヒカルは紙切れを時魔の頭頂部にたたきつけた。全く「容赦」というものがなかった。

「グォォォ・・・・・・!」

時魔はうなりながら、手先と足先から崩れるように消えていく。黄色く光る目が、寿命の近い豆電球のように弱弱しく点滅する。そして、完全に、時魔が消えた。いや、完全ではない。床には黒く輝く宝石が不気味に光っている。これは、時魔のものだろう。


 あっけない。何百年も誰も倒せずにいた時魔が、一分とたたずに、たった一人に滅ぼされた・・・!

「見ていたか?時魔だってやられるんだ。」

あたしたちはこんなにあっけない消え方をするものに怯えていたのか。というより、なぜこいつは、〝倒せる〟と知っているのだろうか。

「約束どおりハーゲン○ッツだな。」

あの時魔に勝ってもニコリともしないこいつは、人間か・・・?


 あたしは自分を止められなかった。聞いてはいけないのかもしれない、と思いつつ、聞かないではいられなかった。

「あんたは・・・ヒカルは、何なの・・・?」

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