河童は一人では歩けない

 ――それから、三日後の午後三時。

「……君たちは、一体何なんだね?」

 城崎与四郎は、心底不愉快そうな表情を隠しもせずに、目の前に立つ二人――、八束結と南雲彰をじろりと睨めつけた。

「私はここの神主に用があるんだが」

「はい、存じております。『黒鯨の髭』の件ですよね」

 八束は、ぴんと背筋を伸ばした姿勢で、はきはきと答える。そんな八束とは対照的に、南雲はただそこに立っているだけでも精一杯という様子で、ゆらゆら揺れながらチョコを咀嚼している。

 あまりにも意味不明な組み合わせに、触れたらまずい二人組とでも思ったのかもしれない。不機嫌さは隠さないまでも、無理に押し通ろうとするでもなく、城崎はステッキで石畳をつく。

「君たちは警察官というお話だったが、こうして私を邪魔する以上、私に用があるのだろう。私が何か法に触れるようなことをしたとでも?」

「いえ、実は我々、今回は警察の仕事というわけではなく、神主である菊平亮介さんのお手伝いとして、ある調査をしていまして」

「調査、だと……?」

 ぴくり、と城崎の白い眉が上がった。僅かな変化を記憶に留めつつ、言葉を続ける。

「はい。こちらの神社に河童のミイラが奉納されていることは、城崎さんもご存知ですよね」

「もちろんだ。かつてこの町が妖のものと共存していた時代に贈られたというミイラであろう? ミイラそれ自体は全くの偽物ではあるが、それが河童の一族から贈られた、という点に関してはなかなか興味深い。それが何か?」

「はい。実は、こちらのミイラが行方不明になっていたのです」

 行方不明、という言葉に城崎は特に反応を示さなかった。「それがどうした」とばかりに片手でしゃくれた顎を撫ぜている。

「行方不明になったのは、十月二日。今から五日前です。実際にはその前の夜の時点で消えていたのかもしれませんが、その辺りの事実関係は不明です。神主さんは忽然と姿を消した河童の行方を知りたいと望み、古くからの友人である南雲さんに河童の捜索を依頼しました。わたしはそれのお手伝いをしています」

 お節介、と言った方が正しいのかもしれないが、それはこの際横に置いておく。

 八束の一挙一動を追うようにじっとこちらを見つめていた城崎は、数拍の後、深々溜息をつきながら、ゆるゆると首を横に振る。

「で、君は河童のミイラを私が盗んだと疑っているのか?」

「どうしてですか?」

「わざわざ私の前で喋るのだ。私が関係者であると疑っている他に、何か理由でもあるとでも?」

 八束は答えなかった。ただ、沈黙が肯定であるということは、城崎にもわかったのだろう。にわかに顔を赤くして、吐き捨てるように言う。

「あれは確かに興味深い品だが、そのものに価値があるわけではない。私がこの神社に奉納されているというものの中で、価値があると考えているのは『黒鯨の髭』だけだ」

「では、河童のミイラの消失には無関係であると?」

「当然だ。ミイラが消えた当日、私は確かに家に居た。もしアリバイが必要なら家の人間が証明してくれるだろう。仮にアリバイが無かったとしても、私がどうやって河童を盗んだというのかね。見たところ、あの社の扉は外側から施錠できるのだろう。まさか、施錠されていなかったとでも?」

「いいえ、当日は確かに施錠されていたとのことです」

「それなら私には不可能に決まっている」

「はい、おっしゃるとおり、どう考えても城崎さんには不可能であると結論しています」

 八束も、城崎の言葉に同意した。城崎は八束が色々と考えうる理由を言い連ねてくるとでも思っていたのだろうか、拍子抜けしたような顔をして――、次の瞬間、きっと目を吊り上げた。

「君は、私を馬鹿にしているのかね?」

 しかし、八束は全く臆することなく、じっと城崎の目を見つめて言う。

「いいえ。ただ、城崎さんが無関係というわけでもない。そう考えています」

 二人の視線が虚空でぶつかる。八束はそれでもいつになく心が凪いでいるのを感じていた。真実に迫っている時はいつもそうだ、身の内からあふれ出す熱ではなく、どこまでも静かで冷たい空気の中にいる。それは、八束たちの間を吹き抜ける風の温度にも似ていた。

 やがて、ゆっくりと城崎が口を開く。

「その考えに根拠はあるのか」

「はい、もちろんです。意味もなく人を疑うようなことはしたくありませんから」

「どうだろうな。警察という連中は信用ならん。人の言葉を信じようとせず、それでいて自分たちに都合のいい事柄だけを積み上げて、さも事実のように語る」

 城崎は、明らかに八束たち――、というより「警察」という肩書きの人間を拒絶していた。ただ、それは八束も十分に想像できる反応であった。

 今日に至るまでの空白の時間、八束は城崎与四郎という人物について、過去の記録を探っていた。有名人ながら落ち目だという話は何も単なる噂ではないようだ。未確認生物を追うという怪物ハンターの活動は、当初こそメディアがこぞって取り上げていたが、近頃はほとんど話題になっていない。例外はオカルトを専門に取り扱う『幻想探求倶楽部』くらいか。笠居大和が城崎を知っていたのも、編集部からの繋がりであったらしい。

 そして、城崎の行動は、その激しい気性もあっていくつかの問題を抱えていた。待盾署にも、菊平との間で起こった諍いに似た問題行動が報告されている。城崎が己の活動を認めない相手をステッキで殴ったことで、傷害罪に問われたこともあるらしいが、これは彼が抱えた問題のごく一部であろう、というのが八束の見立てである。

 テレビや出版の業界から干されたのも、単に怪物ハンターとしての活動が停滞していただけでなく、それらの問題行動が大きな原因なのだろう。とはいえ、本人はそれを否認し続けているようだが。

「もちろん、信じていただかなくとも結構です。わたしたちは、わたしたちのやり方で、この場に起こったことを解き明かすだけですので」

「それが致命的に間違っていたとしたら?」

 城崎の言葉に、八束はどきりとする。

 ――間違っていたと、したら。

 忘れてはいけない、けれど向き合いきれずにいる記憶が、蘇る。

 声、声、声。誰もがこちらを見ている。誰もが人差し指を向けて非難している。逃げてはいけない。これは自分が受け止めなければいけないことだとわかっていても、息が苦しくて膝が震えて仕方ない。

 蓋からあふれ出した記憶の波に飲まれかけた、その時。

「まあ、間違ってるかどうかっつうのは、最後まで聞いてから判断してもらえますかね。あと少しなんで、お付き合いください」

 どうにも掴みどころがなく、それでいて妙によく通る声が八束の鼓膜を震わせた。八束の目の前から無数の目は消えて、今そこにいる城崎と、すぐ横に立っている南雲の存在を改めて意識する。

 城崎の意識は、声の主である南雲に向けられたらしい。鷲鼻を上げてそちらに視線をやる。

「……そう、先ほどから気になってたんだが、君は一体何なんだ?」

「南雲と申します。八束の同僚で、菊平さんの後輩っす。まあ、単なる河童探し要員の一人って思ってくだされば結構です」

 単なる、というにはあまりにも存在感の大きい見た目をしているわけだが。長身痩躯に黒スーツ、ついでにやたらつややかなスキンヘッドの男など、なかなかお目にかかれない。

 木々の間から漏れ出す陽光を頭部で照り返している南雲は、仏頂面のまま言う。

「いやね、最初は河童が自発的に居なくなったんじゃないか、って話もあったんですよ。何しろ、変な痕跡もありましたから」

「痕跡とは?」

「足跡です。ある種の河童が足跡を残すのは、もちろん、怪物ハンターの城崎さんならご存知かと思いますが」

「ああ、もちろんだ。水銀の足跡だろう? まさか、その足跡があったというのか」

「あったんですけど、八束の見立てではいたずらですね。銀色に光る塗料を使って足跡を描いたようでして。それに、ご存知の通りミイラは偽物であることが明らかですしね、そんなわけで、盗難ということで話を進めてたんですが――」

 南雲が、妙に含みのある間を挟む。今まで苛立ちを押さえ込んだような表情で南雲を睨めつけていた城崎も「何だ?」と疑問符を投げかけてくる。

「実は、単なる盗難と考えるには、まだ気になることがありまして。それで、城崎さんに是非意見を伺いたかったのです。いやあ、ほんと、お忙しいところ悪いとは思ってるんですよ。でもこれが解決するまで俺らもそう簡単に帰るわけにはいかなくて」

「それで、本題は一体なんだ。無駄な会話の引き伸ばしはいい加減にしないか」

「……おや、引き伸ばしだと思われます?」

「どう考えてもそうだろう。君たちの言葉には何ら意味がない。私に聞きたいことがあれば最初から聞けばいいのだ。時間の無駄というものだ」

「まあ、そうですね。余計なこと喋りすぎだって、いつも怒られるんですよ」

 更に苛立ちを深めるばかりの城崎に対して、南雲はあくまでのらりくらりと言葉を連ねるばかり。見ている八束の方がはらはらする。

 とはいえ、止めろと言われた以上、長々と続ける気もなかったのだろう、今までの間の抜けた声音とは正反対の明朗な発声で言う。

「本題は一点です。さっき八束が言った通り、城崎さんが、河童の盗難に関わっているかどうか。我々がそう考える根拠は一つ、城崎さんのあのやたら目立つ車が、消えた河童が発見された場所の、すぐ側で目撃されていることです」

「それのどこが根拠だというのだね? 私がどこにいようと勝手だろう。私は、河童が消えていたことすら知らなかったのだ。発見場所の近くにいたのは単なる偶然だ」

「本当に、そうですかね?」

「くどい。それとも、君たちはそんなに私を犯人に仕立て上げたいのかね」

「そんなことは……!」

「八束」

 しっ、と南雲に制され、言葉をぐっと呑み込む。南雲の横顔を見れば、顔を真っ赤にして完全に怒りを爆発させようとしている城崎をじっと観察していた。視線、表情、言葉、何一つとして見落とすまいという、彼には珍しい強固な意志のようなものが感じられる。

 だが、そんな南雲の奇妙な静けさに、城崎は気づいていなかったのだろう。ステッキを握る手は震え、今にも南雲に向かって殴りかかりそうな熱を感じる。

「私は何も関わってなどいない! それに、もう河童は発見されて無事に戻ってきているのだろう? 君たちのしていることはもはや捜査ではなく、私に対する名誉毀損ではないのかね? ええ?」

 ――ここだ。

 八束は、すかさず声を上げていた。

「無事だと、どうしてわかるのですか?」

「な、何?」

「南雲さんは、河童が見つかったとは言いましたが、『無事戻ってきた』とは言っておりません。城崎さん、何故河童が無事であるとご存知なのですか?」

「ぐ……」

 紅潮していた城崎の頬から、にわかに血の気が引く。今の言葉が完全に失言であったことを悟ったのだろう。

「紛失した物品が、言葉通り『無事』に戻ることはまれです。ですから、城崎さん、あなたは盗まれた河童の状態を知っていた。どのように発見され、神社に戻されたのかも。だから『無事』なんて言葉が出るのです」

 城崎の喉から、唸るような声が漏れる。だが、言葉にするにはもう少しばかり時間が必要だった。しばしの沈黙の後、城崎は血走った目を八束に向けて、地を這うような声で言う。

「だが、私は盗んでいない」

「しかし、無関係と言えないのは間違いありません。あなたは、行方不明になった河童のミイラを確かに手にとり、それを知り合いである記者、笠居大和さんの家の前に置き去りにした。その理由は、笠居さんに、河童盗難の罪を擦り付けるためと考えます」

「違う! そんなものは君たちの妄想だ、それなら君は私がどうやって河童を手に入れたのか説明できるのか!?」

「ええ、説明できます」

 きっぱりと、八束は宣言する。

 まさか、ここでそう言われるとは思っていなかったのか、城崎は急に勢いを失い、かくんと顎を落とした。

 それを横目に、八束は視線を石段の方へと投げかける。そこには、あらかじめ、城崎の目の届かない位置で三人の話を聞いていた菊平と、その横で、今にも泣きそうな顔をしている菊平の息子――翔の姿があった。

「お姉さん……」

 ぽつり、と。冷たい空気の中に流れるのは、掠れた声。

「ごめんなさい、お姉さん、おれ……」

「わかっています、翔さん」

 八束は、あくまで静かに、彼の名を呼ぶ。

 

「河童のミイラを盗み出したのはあなたですよね、菊平翔さん」

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