Day14

 朝食を済ますと、佳奈はLINEにメッセージを打った。

"山本さん遅くなってすみません、今週末にでも会えますか?それか口座番号教えて貰えれば振り込みます"

 メッセージを送信する。

 佳奈は翔を軽乗用車の助手席に乗せ、高台にある保育園に向かった。

「翔ちゃん、久しぶりの保育園だね。うれしいね」佳奈は翔に話しかけた。

「うん。でもみんなあそんでくれるかな」翔が不安げに尋ねる。

「大丈夫だよ。みんな一緒に遊んでくれるよ」

 先日、翔が一人で遊んでいたことは気に掛けていた。思い過ごしだといいのだが。

 保育園の駐車場で翔を降ろし、手をつないで保育園の中に入って行く。他にも大勢の園児が母親に手を引かれ、入っていく。

 顔見知りの母親が何人もいるが、どこかよそよそしい。何かが変だ。私と話そうとしない。おはようございますとこちらから話しかけても、会釈は寄こすが、話そうとはしない。

 翔を入り口に立つ先生に預けた。

「あら翔ちゃん、お母さんも元気になってよかったね。今日はみんなと一緒に遊ぼうね」

「うん」翔は園内に駆け込んでいった。

「あの何かありましたか?」思い切って先生に問いかけてみた。

「この前のことですか?大丈夫ですよ。きっと翔ちゃんも久しぶりだったんでちょっと仲間に入りづらかったんじゃないかしら」

「そうですか。宜しくお願いします」

 佳奈は、幼馴染の景子を探してみた。何か聞けるかもしれない。だが、景子の一人娘の梨奈はもう園内にいる。もう自宅に帰ってしまったのだろうか。

車に戻った佳奈は景子の家に車を走らせた。

佳奈の家より500mほど山に登った辺りだ。保育園の時から高校まで一緒だった。一人娘の景子は結婚し実家で暮らしていていた。

 景子の家に着くと、景子の軽乗用車は置いてある。家にいると思い、呼び鈴を鳴らした。出てきたのは、景子だった。

「佳奈どうしたの?」景子が驚いた表情で佳奈を見た。

「景子教えて。なにか保育園であったの?」

「どうしたの?」

「翔がみんなに遊んでもらえないって。一人で遊んでるって。それに他のママさん達も私と目を合わせようとしない」佳奈の眼は潤んでいる。

「それは...」景子は目を伏せた。

「それは何?」

「静香さんが....」

「静香さんがどうかしたの?」

「.....」景子の口から言葉は出てこない。

「何?静香さんが何?」

顔を曇らせながら意を決したように、景子が口にした。

「静香さんが、佳奈がやくざみたいな男に連れて行かれるのを見たって。やくざの愛人か何かじゃないのかって。だから子供達も翔ちゃんと遊ばせるのはやめようみたいなことを言っているって。私もまた聞きなんだけど」

「そういうことか」佳奈の表情は曇った。静香のことだからもうかなりのママ友に広げていることだろう。そしてそのママ友からママ友へと連鎖していく。

「でも私はそんなこと信じてないからね。そんなはずがないことは私分かっているし、私が聞いた時もそんなことは無いって言ったよ。梨奈にも何にも言ってないし」

「わかった」肩を落として、佳奈は景子の家の玄関を出た。

「ちょっと待って。そんなの子供達もすぐ忘れるよ。大丈夫だよ」佳奈を追いかけてきて、景子が車に乗り込んだ佳奈に言った。

「うん。ありがと」佳奈は車を発車させた。

 そうだ、あの時、木元に連れられて家を出た時見ていたのだ、静香は。気が動転してそこまで気が回らなかった。そういうことか。静香が見た光景に尾ひれがついてそういうことになっていたのか。陰鬱な思いが佳奈の心を纏った。翔は私のために一人ぼっちで砂山を作っていたのか。

 翔にすまない。ただそれだけだった。

「どうしたの。何かあったのかい?」自宅に戻ると、暗い表情をした佳奈に母が声を掛けた。

「いや、何でもない」

 佳奈は居間で遊んでいた茜をきつく抱いた。翔を今から迎えにいくべきだろか、でも今日はもう他の子供達とも一緒に遊んでいるかもしれない。佳奈は夕方に迎えに行くことにした。

 静香は佳奈よりも3つほど年上である。静香が隣の家に嫁に来てからだから6年ほどだろうか、話すようになってからは。ただよく話すようになったのは、佳奈が実家に戻った、ここ2年ぐらいである。指し障りの無い話ばかりではあるが、よく話かけてきた。おしゃべりが好きなのだ。あの家のこと、この家のこと。佳奈ににとっても、旦那さんいなくて大変ねなどと無頓着に佳奈の心に刺さる言葉は多々あった。ただ、別に本当のことだからとさりげなく受け流していた。

 夕刻になり、翔を保育園に迎えに行った。翔が佳奈めがけて嬉しそうに駆け寄ってくる。佳奈は先生達に会釈をし、園から出た。なるべく他のママさん達とは目を合わさないでいた。いや合わせられなかった。

 翔を助手席に乗せ、佳奈は車を発車させた。

「翔、今日は何してたの?」また一人で遊んでいたのではなかろうか、そんな思いから佳奈が声を掛けた。

「きょうはりなちゃんとおにごっこしてあそんだよ」笑顔で翔が佳奈を向いて弾んだ口調で答えた。

「そう、梨奈ちゃんと遊んだの。楽しかった?」

「うん。たのしかった」

「良ちゃんとは」

「りょうちゃんはしょうとはあそばないんだって。きょうはりなちゃんとしかあそばなかった」

「そうなんだ。どうしたんだろうね」

「うんよくわからない」翔の顔に陰りが見えたのが、佳奈には辛かった。


 涼介は香の迎えで母親が住む実家に向かった。

 優も来ているらしい。あれから、実家に来るのは初めてだ。母親と会うのも、言葉もかわすのも初めてだった。

「おはよう」香が玄関を開けながら言った。優と母親が既にごみ袋を手に掃除を始めていた。

「おはよう」涼介も続いた。何を言っていいのかもわからない。

「ああ、おはよう」母が答えた。

「さあ始めるよ」香が軍手を手に取り、2階へ上がっていく。

「遅いよ。もっと早く来てよ」優の声が奥から聞こえる。涼介も軍手をはめ、

 昼までの3時間ほどで、あらかた片づけが終わった。優が昼食をコンビニに買いに行くというから付き合うことにした。

「お兄ちゃん。ちゃんとお母さんに挨拶したの」

「挨拶はしたさ。おはようって」

「そうじゃなくて、他に言葉があるでしょ」

「中々言いづらくてな」

「謝りなさいよ」

「ああ」

4人分の弁当と惣菜を買い、家に戻り4人で昼食を取った。

「じゃあこれで今日は完了ね。また来るからね」

 涼介が、仏壇にお参りをしていると香の声が聞こえた。

 涼介も玄関を出て香の車に向かおうとした。

「ちょっと、挨拶ぐらいして行きなさい」香が玄関で涼介を呼びとめた。

 玄関に戻ると、母親が腰を降ろしていた。一回りもふたまわりも小さくなった姿のように思えた。

「ごめんな。悪かったな」良介に声を掛けたのは母親の方だった。

「.....いや、こっちのほうこそ......ごめん」涼介は目に溢れ出そうな涙を堪えながら、やっと答えた。

 どれほど母親に心労を掛けたか、申し訳なく母親と目を合わせるのが辛かった。

「また、来てな」母親が言った。

 母親の顔が見れなかった。涙で瞳がぼやけていた。

「いつでも来るから」涼介はそう言って、玄関を後にした。



 夕方、6時ごろ自宅にいた佳奈の元に電話が入った。木元からだった。

 出たくない。でもいつかは出なければならない。

 居間にいた佳奈は玄関を出て、外で電話を受けた。

「もしもし、木元だけど」

「山崎です」

「そっちから電話寄こすって言ってたから待ってたんだけどな」

「すみません。いろいろとあって」

「もう退院したのか」

「昨日、退院しました」

「大変なことしてくれたな。店もあの後大変だったんだ。店はどうするんだ?」

「すみません。辞めさせて下さい」

「キズもののお前を店に出すことはできないからな。金はどうすんだよ」

「もう払ったじゃないですか」

「利息貰ってねえだろ。それに店のクリーニング代も追加だ。全部で30万だ。店に出れないんだったら、姉妹店のキャバクラででも働いてもらうか。ドレスを着れば傷も隠せるしな」

 この男はいったいどこまで追い詰める気なのだろう。

「そんな。すぐには無理です」

「ああ、少しは待ってやるよ。来週からは働いてもらうからな」

 木元は電話を切った。

 佳奈の心の中に黒い澱みが沈殿していった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る