第32話:大妖⑥

「我との殴り合いを欲するか、良い度胸だ!」


 御前が腹にめり込んだ拳を掴み、押し返す。

 そして、拳を振りほどくそのままの勢いで、霞の丹田に打撃を加えた。

 腹部を強打され、霞は上半身を屈ませる。


 しかし吹っ飛ぶまでには至らず踏みとどまると、再びやや前傾姿勢の構えをとった。


「フウウ……!」


 小太刀を咥えた口の端から、空気の漏れる音がする。

 霞は大きく踏み込むと、またしても御前の腹部、丹田に向けて打撃を撃ち込み、それを防いだ御前の腕の甲冑にヒビを入れる。


「お互い急所は同じ……愉快、愉快だぞ、人形め!」


 御前が狂ったような笑みを浮かべ、霞の丹田に打撃を打ち返す。

 全身を大きく歪め、後ずさる霞。


「なんか、えらいことになって来たな……」


 その様子を見て、霧子が口元を引きつらせる。


「これは、準備をしておかなきゃ、だな」


 霧子はそう言って、周囲を包む瓦礫の山に潜んだ何かを探すように、眼で追い始めた。


「どうした人形! 手が止まっておるぞ!」


 御前の拳の連撃に、霞は防御の姿勢のまま後ずさる。

 やがて御前の痛烈な打撃を受け、大きく吹き飛ばされた。


「……カハッ!」


 瓦礫に沈んだ霞の口から、乾いた悲鳴が上がる。

 御前は瞬時に間合いを詰めると、仰向けに倒れた霞の身体に馬乗りとなった。

 拳が霞の顔面を捉え、重い一撃が、右、左、右、左と、何度も繰り返して撃ち込まれる。


「グ、フウウウウ!」


 獣の呻き声に似た声を上げ、馬乗りの姿勢から何とか脱出すべく、霞は抗う。


「この刀、もはや我らの間には不要であろう!」


 御前の拳が、霞の口に咥えた短刀を弾き飛ばす。

 武器を失った霞は、両足を使って馬乗りになった御前の首を絡め取り、後頭部から地面に叩きつけた。

 すぐさま飛び退いて、間合いを作る。

 霞は御前が起き上がるのを待って、再び近接戦闘、打撃戦に持ち込もうと身構える。


「ぐ……ハッハッハ! 愉快、愉快じゃ!」


 起き上がり、打撃姿勢を取り戻した御前が笑う。

 霞は、その笑いのリズムに体の動きを乗せ、渾身の力を込めた左の一撃を放った。

 拳が御前の防御網を破り、顔面の急所、人中に深くめり込む。


「……ガハ!」


 御前が顔面を押さえて退く。

 霞はさらに間合いを詰め、ガードの上から拳を打ち付ける。

 飛びずさってその力を殺す御前。

 霞が身構える。

 そして再び、急接近すると、お互いの拳を、渾身の力を込めて打ち合った。


 誰が予想したか知れない、原始的な戦いを繰り広げる二人。

 あるいは真に拮抗する力のぶつかり合いとは、こう言う形になるものなのかと、霧子は妙に納得してしまう。


 しかし、このままではまずい。


 化魄の本性で戦う霞は、相当な量の魂を消費している筈だ。

 霞が地脈・龍脈を吸い取るとしても、それを体内に力として循環させるには、己の魂を触媒としなければならない。

 それ故に、霞の力の行使には限界がある。

 持続力において、それが御前と比べて勝っているとは、霧子には思えなかった。


  事実、互角の殴り合いを続けているように見えて、僅かだが、霞が受け手として押されている。

 この差は時間が経つにつれ、じわじわと広がるだろう。

 そして、それは最終的には取り返しの付かない差となって、霞を滅ぼす……。

 霧子は、戦いを決着に導く秘策を思案する。


 その方法は、一つしかなかった。


「K! 聞こえているか、K!」


 霧子の呼びかけに、霞の身体がピクリと反応する。


「今からマーカーを撃つ、敵をそこに誘い込め!」

「……フ!」


 それを了解したように跳躍する霞。

 その姿を追って飛び上がった御前の懐を絡め捕り、痛烈な投げで地面に叩きつける。 


 一瞬、辺りが静まり返る。


「……良くやった、あとは任せろ」


 霧子の口に浮かぶ、微かな笑い。


 オオオオ……オオオ……


 地鳴りと共に、御前を包囲する、凶悪な殺気。

 やがてそれが、目に見える形になって現れる。


 それはまるで、暗闇に光る獣の眼。

 無数の赤い光が、御前を取り囲み、闇夜に輝く。

 その数は百を下らず、千にも及ぶ数だ。


「銃の弱点は弾切れだ、如何な妖怪を倒す銃でも、弾が切れてしまえばただの鉄屑……だがな、いや、だからこそ!」


 霧子の瞳に力が籠もる。


「私ら銃を使う修錬丹師に、無駄弾はないんだ……今まで撃った弾、全部ひっくるめて、お前を仕留める要となる」


 そう言って、不敵に笑う。


「……フ!」


 霞が、赤い点の包囲網から脱出する。

 それを合図に、霧子が気を送る。


「最初からこれを待っていたんだ……逃れられるかな? 雷鳥縛鎖陣!」


 霧子が叫ぶと、紅い光が獣の様に猛り、包囲網の中心、御前に向けて襲い掛かる。

 何十、何百という銃弾による、全方位同時攻撃。

 その銃弾は御前の身体、その全身を挽肉にするような勢いで穿ち、生体機能を奪ってゆく。

 さらにその勢いは、一度では終わらない。


「……兎弾ラビット・ショット」


 御前の身体を穿った銃弾が、瓦礫に着弾するとすぐさま踵を返し、再び音速の跳弾となって御前を襲う。

 それが無限に繰り返され、御前の装甲、その全身を砕き、肌を顕にさせた。


「K、とどめだ!」


 霧子が叫ぶ。


「フ!」


 霞は間髪入れず間合いを詰めると、御前の急所めがけて手刀を入れ、それを掴んだ。

 ブチブチと血管の切れる凄惨な音と共に、心臓を引きずり出す。


「終わったな……五行、大周天……轟雷音!」


 霧子が撃鉄を起こし、引金を絞る。

 銃口から放たれた強大な稲光が、御前の心臓を射抜き、焼き尽くす。

 御前は無言のまま、その場に崩れ落ちた。

 そして、一刻。


「わ、我が死ぬのか……人の世に棲み、死を司る神として、千年を生きた、この我が……」


 口から血の泡を吹き、瓦礫の山の上で仰向けに倒れる御前。


「これも何かの巡り合わせだ……恨むなよ」


 霧子が、冷たく言い含める。


「このままでは済まさぬ……修錬丹師、お前に呪いの毒を……」


 御前の断末魔の蠍の尾が、霧子の首元を襲う。

 それを受け止め、握りつぶしたのは、霞だった。


「お姉さん、大丈夫ですか?」


 化魄の本性、鬼の姿から元の姿を取り戻し、再び愛らしい姿を霧子に見せる。


「ああ、K……戻って来たか、助かったよ……」


 背筋の力が抜け、がっくりと崩れ落ちる霧子。

 そんな霧子を、霞がしかと受け止める。


「はい、約束しましたから……それより、お姉さん!?」

「ああ、力をあらかた使い切っちまった、もう一歩も動けん……奴は?」


 そう言って、やつれた笑顔を見せる。


「滅びました……でも、こんな……お姉さん、なんでこんな無茶を?」

「見せたかったんだ、お前に」


 霧子が笑う。


「お前に、姉ちゃんの威厳をな……」

「お姉さん、まさか……」


 霞の顔が、見る間に紅潮する。


「ああ、悪いな、分かっちまった……お前の正体」


 霧子はそう言って、胸ポケットから煙草を一本取り出し、火を点ける。


「お前……霞だな?」


 言われると、霞の瞳から大粒の涙が溢れ出した。


「お姉さん……ずるいですよ、それ、アタシの台詞……」


 その場で、笑顔を崩しながら泣き出してしまう。


「だから悪かったって……で、合ってるんだよな? お前が霞で」


 胸いっぱいに吸った紫煙を吐き出し、霧子が笑みを送る。

「そうです、アタシは仙道霞……正真正銘、霧子お姉さんの妹です!」


 霞は、思いの全てを吐き出すように、叫んだ。


 ……その間、10年。


 姉妹を弄んだ運命の糸は、再びしっかりと結び合った。

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