第4話 鎖の能力

「くそ! よりにもよってなんでアイツらが……」


 悪態をつきながらも、迷路のような道を迷うことなく進むソラ。そんなソラの後を必死で追い、やっと追いついた沙夜からは非難の声が。


「ソラ、急ぎすぎよ!!」


 未だ熱が冷めないソラの思考は、沙夜の非難を受け入れる余裕すらなかった。ただ焦りだけが思考を支配し、かき乱す。

 

 傍目から見ても丸分かりなソラの様子。そのソラらしからぬ様子は、沙夜の心にまでざわめきを与えていた。自分への言い聞かせも含め、沙夜は刺激しないようソラへ声をかける。


「ソラ、あなたなんでそんなに焦ってるの。あなたらしくないわよ」


 刺激しないといっても、言葉には多少の棘が含まれていたが。しかし、効果はあったようだ。それを聞いたソラが、少しは落ち着いたのか、数回深呼吸をしている。


「……悪い。少し、焦ってた」


 ばつの悪そうな顔のソラは、素直に謝罪の言葉を口にする。


「別にいいわよ。……それより、何であんなに焦ってたの?」


 訝しげな顔で尋ねる沙夜。


 その言葉は普段のソラとの違いを見て、だ。

 一言で言うと、ソラの焦りは異常だった。普段は余裕の態度を崩さないソラが、染章の言葉一つで目に見えるくらい取り乱したのだ。沙夜は、そんな姿のソラは初めて見た。


 落ち着いたソラと沙夜は、今度はゆっくりと歩き始める。無人の空間は音を発することなく、二人の間には少しの静寂。間を置くと、ソラはぽつぽつと語り始めた。

 

「……染章が言ってただろ、気付かれたって」

「……ええ、言ってたわね」

「それはな、普通あり得ないんだよ……」

「あり得ない……?」


 きっぱりと否定するソラ。その顔には相変わらず余裕がない。


「ああ、あり得ない。沙夜は知らなくて当然だけど、あいつの理論武装レジストは探知系の理論武装レジストでもない限り絶対に捉えられないんだ」

「じゃあ、何で……」

「そう、犯人の理論武装レジストは探知系じゃない。なのに、染章を捉えた。……つまり、俺と同じだ」

「え……?」


 困惑する沙夜を他所に、ソラの語りは続く。憎しみを込めて、続く。拳は固く握り締められており、傷口からは血が漏れ出ている。


「俺……いや、は、実験の所為で普通の人間以上に能力が発達した。主に身体能力だが、それ以外にもう一つ。……理論武装レジストを感じ取るーー感知能力」


 語るソラの目には憎悪が溢れており、今にも殺気を撒き散らしそうな勢いだ。を知っている沙夜は少し目を伏せ、かける言葉を探す。


 しかし、沙夜の言葉を待つことなく。

 ソラは空を仰いだ。


「そう、同じだ。犯人は俺と同じ。あの実験を生き延びた被験者怪物だ」


 忌々しいと言わんばかりのソラの様子は、沙夜でさえ言葉を失う。


 沙夜は。ソラが抱える闇を、過去を。そして、それを表に出さないよう、注意を払っていたはずだ。


 しかし、そんなものは勘違いでしかなかった。


 ソラの憎悪を垣間見て、かける言葉が見つからないのだ。理解していたはずが、途端に分からなくなる。沙夜は、自分の情けなさに歯噛みすることしかできなかった。


「……とっ捕まえる」


 自分の世界へ入りかけた沙夜の聴覚が捉えた、か細い言葉。しかしその言葉には、有無を言わせない圧力が含まれていた。瞳にはその決意が滲み出ており、本気であることが窺える。


 沙夜は、呼吸を忘れたように呆然としている自分に気付き、ハッと我に返った。


「それには賛成だけど……どうするの?」


 捕まえる。一口にそう言っても、実行するとなると中々難しい。何せ、こちらから仕掛けるのは不可能と言っても過言ではないからだ。


 追跡は気付かれ、捜そうにも相手は死体を操る。死体を見つけても、無駄に戦闘の回数を増やすだけで、実利は無いに等しい。百害あって一利なしだ。


ーーとなれば、れる手段は一つのみ。


「こっちも、理論武装レジストをお披露目してやる」


 そう、至極単純なことだ。


 相手が理論武装レジストを使ってくるなら、こちらも理論武装レジストを使えばいい。


 しかし、沙夜は怪訝な顔をしている。その原因は、大前提である理論武装レジストは気付かれるという事実を、ソラが無視しているから。


 当然、尋ねた。


「感知能力で気付かれるんじゃないの?」

「ああ、普通ならな」

 

 ソラはその言葉に同意しながらも、不敵な笑みを浮かべる。そして、何かを掴む素振りを見せると。


「ちょっとだけ、鎖の能力の一部を見せてやるよ」


 手に持つ何かを、沙夜へ投げた。


「……?」


 小首を傾げる沙夜。

 なぜなら、何も起きていないからだ。鎖もなければ、沙夜の身体に異常が起きた訳でもない。


 戸惑う沙夜に、ソラは告げる。


「そう、それがその鎖の能力。俺以外には見えないし、触れない。直接的な攻撃力を持たない分、感知もされない」

「……あなた、いくつそんな鎖持ってるのよ」


 勿論、そんな鎖の存在を知らない沙夜は、ジトっとした目をソラへ向ける。しかし、ソラはその目をものともせず、肩をすくめた。


「もともと、だしな。それに、知ったって別に良いことはない」


 ソラは理論武装レジストを解除すると、それっきりは無言で歩いた。何も言うことはない、と言いたげなソラの背中を見て、沙夜もまた無言で歩いた。



♢♢♢



 襲撃された夜と同じような、寒い冬の夜。もうそろそろ終わる冬は、終わる前にその猛威を遺憾なく振るい、夜をてつかせる。寒波が訪れている二月末の夜は、身体の芯を凍らせてしまいそうなほど寒い。


「……で、何でお前までついてくるんだ?」


 隘路あいろでのやり取りとは反対に、今度はソラが沙夜へジト目を向けた。しかし、沙夜はソラの反応への意趣返しのように、全く動じない。


「あら、家にいようがついてこようが、どちらにしろ襲撃の可能性はあるじゃない。なら、二人でいた方が得策よ」


 長い黒髪を風になびかせながら、得意気にそう言う沙夜。言っていること自体が正論なので、ソラも強くは言い返せない。


 が、なぜか無性に腹立たしかった。


「へいへい、じゃあ走りますか」


 ソラは軽くそう言うと、沙夜のスピードに合わせて走り始める。取り敢えずは、この近辺で操られている死体を探すのだ。


「にしても……」


 ソラの見つめる先には、先ほどからちらほらと見かける治安隊。どうやら連続殺人を警戒して、見回りをしているらしい。被害が出ている地域はそれなりに広いはずだが、犯人が理論展開者レジスタンスと判明しているだけあって、本気の態勢だ。


 尤も、今のソラたちにとっては、邪魔以外の何者でもないが。


「面倒だなぁ……」

 

 ぶつくさと文句を言いつつ、治安隊に見つからないよう迂回する。そうやって移動を繰り返すこと数分。


「そろそろか……?」


 ソラは少し開けた場所で、立ち止まった。沙夜も立ち止まると、誰もいないか周囲を警戒する。


 そうやって確認を終えた後、ソラの感覚が一つの気配を捉える。それは、あの夜と同じ感覚だ。


「……来たぞ」


 呟くソラ。その言葉が示す通り、闇の中から外套を纏った人物が歩み出てきた。丁度、雲に隠れていた月が現れ、お互いの姿をくっきりと照らす。


「さて……沙夜は手を出すなよ。お前の能力は制御ミスったら俺まで死ぬから」

「分かってるわよ」


 沙夜は傍観の態勢を決め込み、それを確認したソラが外套の人物へ一歩歩み寄る。あの時と同じように深夜の街は静まり返っており、違いがあるとすれば観戦者がいることだろうか。


 白い吐息を吐いたソラはーー直後に理論武装レジストを使用した。


 空から現れた二十本ほどの鎖は速攻を決めるつもりか、全て同時に外套の人物の下へ向かっていく。


 瞬間、外套の人物はデジャヴを感じさせる移動を行った。


「やっぱそう上手くいかねぇよな!」


 前回はあまり横幅のある場所での戦闘ではなかったため簡単に勝てたが、今回は違う。今はその異常な身体能力によって、鎖のことごとくが紙一重で躱されている。


「ちっ……!」


 外套の人物は鎖を躱し切った後、直ぐ様操作者であるソラの下へ駆けてきた。鎖は近距離には向かないため、ソラは仕方なく体術で応戦する。


 左から迫る殴打をまともに受けないよう左手で流すと、左脚を外套の人物の脇腹目掛けて放つ。十分な威力を伴った蹴りだが、まるで当然かの如く、外套の人物はその蹴りを簡単に掴み取った。


 そのまま止まっていたら間違いなく折られてしまうため、右足に力を込めて空中に身を投げると、そのまま身体を捻る。それによって拘束から離れると、そのままの回転の勢いで側頭部に蹴りを一つ。


「っ!」


 蹴りは外套の人物が間に割り込ませた腕に直撃したが、まるで鉄でも蹴っているかのような感触に、思わずソラは顔をしかめた。


 しかし、痛みに呻いている暇があるはずもなく。ソラは自由落下を始める身体を支えるために片腕を地面に付くと、そのまま後ろへ飛び退くよう押し出す。


 その際に鎖も放出したが、また上手く躱されてしまう。一拍後、着地。


「いやー、かなり面倒だなぁ……」


 最早鎖以外では傷をつけられないと判明した上に、その鎖も完璧に見切られている。何らかの策を講じない限り、当てるのは難しいだろう。


 それでも、考える前に、近付かせないよう鎖を放ち続けるしかない。それに加え、今回は倒すことが目的ではないのだ。あくまで、鎖を巻き付けて犯人の下へ行ってもらうのが目的だ。


「まあ、それも確証はないけどさっ!」


 近付いてこようとする外套の人物を鎖で牽制しつつも、必死に策を練り続ける。圧倒的な物量の鎖を放出できたらいいのだが、生憎とそんなチートじみた力はソラには無い。


 理論武装レジストも無限に使用できるわけではないのだ。当然体力なども消費するし、何より精神に影響を及ぼす。無理な使用は、どうしても精神を壊す危険性を孕んでしまうのだ。


「なるべく他の鎖は使いたくねぇんだよ……」


 少し焦りの表情を浮かべるソラは、一瞬考えた策を否定する。なぜなら、それは自分の手の内を晒してしまうことになるから。犯人は自分と同等かそれ以上の力を所持しており、後々のことを考えると、なるべく能力は隠しておきたい。


ーーしかし、そうも言っていられないことが、ソラの目の前で起こってしまった。


 外套の人物が、再び鎖を掻い潜ってソラへ近付く。そして、ソラはそれを迎撃しようとしてーー全身に悪寒が走った。


「うそ、だろっ……!!」


 一つ、鎖の能力を使用。


 硬いものを弾くような音が辺りに響き渡るが、ソラはそんなことを気にしていられない。


 だって、は最も危惧していたことだったから。あってはならないと、そう思っていたことだから。


 しかし、それで確信する。こんなデタラメな理論武装レジストは、被験者怪物以外あり得ないと。


「……生前の理論武装レジストまで使えんのかよ」


 そう、外套の人物が使ったのは、紛れもなく理論武装レジスト。恐らく、衝撃を与える系統の能力だろう。もしソラが能力を使わず、あのまま直撃していたら、それこそ即死だった。


 だが、使ってしまった。

 先ほどの攻撃は鎖によって防がれていないと、犯人も気付いているだろう。正確ではないにしろ、あたりはつけられている。


 ならば、もう能力それを使うしかない。


「…………」


 ソラは無言で外套の人物を睨む。勿論、外套の人物に意思などなく、機械的に距離を詰めるのみ。


 そして、恐らくもう一度、無防備なソラに対して理論武装レジストを使おうとしたのだろう。硬いものを弾くような音が、周囲に響く。


 ソラの目の前には、見えないを巻き付ける鎖が。それは空間を歪ませ、ソラを守る盾のようになっている。


 今の現象を表現するとすれば、空間の固定。鎖によって、空間が縛られている。それこそが、鎖の能力の一つ。空間を固定し、盾などにするものだ。


 この力は強力な分、体力の消耗が激しい。鎖を出し続けていることもあって、使えるのは後数回ほどだ。


ーーだからこそ、ソラは出し惜しみをしなかった。


「俺、詰め将棋好きなんだよ……!」


 通常の鎖を大量に用いて回避先を誘導し、外套の人物をどんどんとへ誘導していく。ソラは体力が急激に失われていくのを感じながら、ついにある場所ーー全方位の空間を固定した場所へと誘導を終えた。


 外套の人物が入るまでは、正確にはまだ全方位ではなかったが、閉じ込めるために開けてあった空間も既に閉じた。完璧な密閉空間となったそこでは、身じろぎの一つも許されない。


「後は、これだけだ……」


 ソラは、気付かれないよう紛れ込ませていた不可視の鎖を外套の人物に巻き付けると、体力が尽きたフリをして理論武装レジストを解除した。勿論、空間を固定する鎖と追跡用の鎖はそのままだが。


「終わった……」

「お疲れ様」


 ソラは半端ではない疲労に息を切らしつつ、どうにか目的を達成。沙夜からの労いの言葉を受け、顔をほころばせる。


「ああ、もうクタクタだよ。……ここまでやったんだ、ちゃんと主人の下へ帰ってくれよ……」


 死体への祈りも交えつつそう言うと、ソラは重い足を動かして、その場を立ち去る。後に残ったのは、拘束を解除された死体だけだった。

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