第44話


「ああー、ああ。なんだよ、マジで」


    鬼子宗麻は湯船に浸かりながら、嘆いていた。


    一人で入るには巨大すぎる湯船でただ一人、天井を見上げている。


「あいつらの元に戻れないのか」


    湯船から赤い包帯の巻かれた右腕を憎々しげに睨みつける。その右腕にかけられた呪いはシキノをして最悪の呪いといわしめた。


    禁愛の呪い、自分に如何なる愛を抱き、抱かれるものを破壊しようとする呪い。

  

    シキノの話では、もう少し弱い呪いなら解呪することもできるが、宗麻にかけられた呪いはそんな甘いものではないらしい。


    それはつまり葵や治樹たちの元に戻れないことを示している。


「戻れないか……でも、あいつらは救ってみせる」


    一つの決意を胸に、宗麻は右腕を湯船に沈めた。


    湯船に浸かりながら、宗麻は湯の匂いを嗅ぐ。どうやら湯船に見たされているお湯は唯水を沸かしたモノではないらしい。


「柑橘類……ゆず湯に近いが、他にも薬草か?草の匂いがするな」


    鼻に神経を集中させながら匂いを嗅ぎ分けていくが、どうも上手くいかなかった。この世界にしか生えていないような薬草でも使っているのだろう。宗麻は心の中でそう決めつけた。


「にしても、あいつらは何者なんだよ。実力も俺より遥かに上、下手したらあのモンスターも簡単に屠るんじゃねえのか?それに……先代勇者か……わからねえことが多すぎる」


    自分を救ったアークという宗麻から見れば謎の男。


    宗麻は自分が今まで生きてきた中で知り合ってきた人間とアークの人間性を比較してみたが、アークと酷似するような人間は誰もいなかった。


「入るぞ」


    風呂場の扉が開けられ、アークが入ってきた。体には布切れ一枚も身につけておらず、肩にタオルを乗せるだけとなっている。


    肉体を何も隠さず、寧ろ自分の彫刻のように美しく鍛え上げた肉体を見せつけるように立っている。


    アークの鍛えた身体を見て、日頃からの鍛錬が目にみえて、宗麻は素直に感心した。


「……隠さないのか」


    余りにも堂々とした立ち振る舞いに宗麻は戸惑いながら尋ねた。

     

「何故隠す必要がある。恥ずかしくないのかと言いたいのか?それならば心配は無用。親から貰った肉体だ、他人に見られても恥ずかしくないさ」


    手を広げながら堂々と答えるアークに宗麻は自分との違いを感じすぎて言葉を失った。


    そんな様子の宗麻を他所にアークは自分の身体を洗い、そして湯船に浸かった。


「なあ、聞きたい事があるんだが良いか?」


    対角線上にいるアークに宗麻は声をかけた。


「なんだ?」


「あんた、さっき自分が勇者の息子と言っていたが本当なのか?」


    アークは目線だけを宗麻に移して、そして元に戻した。


「貴様に対して、つまらない嘘を言ってどうする。事実さ、俺の父親は先代勇者。どうして生きているのかなんて質問はするなよ、それから先は話す義理がないからな因みに母親は先代魔王だ」


「……ああ、もうどうでもいいや」


    明かされた真実が衝撃すぎて、宗麻は一瞬だけ何もかもがどうでも良くなってしまった。


     助けて貰った謎の人物はもの凄いヒミツを抱えていた。どうして勇者と魔王が生きていたのか、子供を作ったのかなど聞きたかったが、それを聞いてしまったら自分の頭がパンクしてしまうと、宗麻は思った。


    だからその事に関しては聞く事を諦めた。


「…………なあ、一つ聞いていいか?」


    湯気に包まれた天井を眺めながら、宗麻はアークに対してあることを聞こうとした。


「なんだ」


     アークは横目で宗麻を見ながら問い直した。


    嫌に静かな雰囲気が二人の間に広がっていく。言い難い緊張感、選択肢を間違えれば死んでしまうような感覚が宗麻の体内を駆け巡る。


    試されているのかもしれない。だが何を?


    天井から滴り落ちる水滴はまるで宗麻の心臓の鼓動のように水面に波紋を作り上げていく。


「……あんたはさあ、大切な誰かの為に大勢の他人を犠牲にできるか?」


     その直後、アークから向けられる視線が強くなったのを宗麻は感じた。


「できるさ、何の迷いもなく俺は大切な者の為に大勢を犠牲にできる。だって俺の全ては俺のセカイだから」


「……そうか、そうかあ」


    アークから返された答えに宗麻は安心した。つっかかりが取れたような、スッキリとした感覚が広がった。


「大方、貴様は悩んでいるのだろう。城に居る奴らを助けたいがソレをするには、少なくともあの国の奴らを何人か殺す必要がある。ソレをお前の心の中にある善性の心が止める。だから貴様は二つの心にすり潰されている。違うか?」


「ああ、そうだよ!悩んでいて悪いか、悩むだろ!大切な人は救いたい。けれどそれで誰かを殺すのは駄目なことだろ。それで救われて、救われるのか!?」


    宗麻は思わず湯船からとびだして、アークに問い詰める。呪いの事もあり、宗麻の頭の中は限界だった。


    八つ当たりだとわかっていても、誰かに対して怒りをぶつけずにはいられなかった。そんな事をして、宗麻は自分自身を愚かしく思った。


    破帯に覆われる宗麻の右腕が熱を帯びる。それだけではない。目の周りも熱を帯びてくる。



「知らん」



    アークからの返答は、周囲の熱気とは真逆の凍てついたモノでたった。


「貴様が悩んだところで何も進まない、意味がない。唯、今に置いていかれるだけだ。貴様の大切な者を守りたいのであれば、そいつらから罵声を浴びせられてでも救ってみろ。他人がどうこうじゃねえ、自己中心の自己満足でもいいだろ」


    凍てついた言葉が周囲の空間を止めた。


    それと同時に宗麻にはわかった。アークはオカシイ。頭の螺子が外れているとか言えるほど優しくはない。


    自分とは生きてくる中で歩んできた道が決定的に異なると言う事を理解させてくれた。


    だからこそ、その異常を見て宗麻は落ち着けた。自分が泣いている時に、自分以上に泣いている人を見て泣き止む現象に似ている気がする。


「ああ……ああ」


   宗麻は何も言えずにその場にへたり込んだ。そしてそのまま仰向けになりながら全身を湯船に沈めた。


    その様子をアークは冷ややかな目で見ていた。喜劇でも見るように、宗麻を見て楽しんでいるようだ。


    それから数十秒してから、宗麻は水中から飛び出した。飛沫を上げ、水面を揺らす。


    顔に張り付いた地毛の黒よりの焦げ茶色の髪をかきあげ、迷いを捨てた睨むような鋭い目つきがアークを捉えた。


「俺は……決めた」


    アークを見下ろしながら、宗麻は語る。


「あいつらを開放してみせる。数千の人間を殺す事になっても、一つの国を潰す事になっても、例え会うことが出来なくても……この身を誰かにささげてでもなあ!」


    迷う事は捨てた。


    迷えば置いていかれるのであれば、進むしか方法はない。


    例え間違えた道を進んでも、振り返る事はあってはならない。


「だから、アーク。力をくれ。俺は弱い、けどあんたは強い。故に俺を鍛えてくれ、理解わかる筈だ。あんたは、この槍の遣い方を」


     宗麻は自分の右腕をアークに見せつけながら問いかける。


「ふん……成る程な。貴様はソウなるか。良いだろう、俺ができる範囲で貴様を鍛えてやろう。だが甘えは赦さないぞ。地獄を見る気でいろ」


    冷徹に答えるアーク。


「上等、地獄なら大歓迎だ。俺はあいつらをあの監獄から開放するんだよ」


    そんな宗麻の姿を見て、アークは肩を震わせて笑い始めた。


「そうか、そうなのか。成る程な、合点がいった。ノロイとは奇妙なモノだ。運命とは楽しいな。回り廻り、終焉か」


    アークは片手で顔を覆いながら、不気味に笑う。


「貴様……いや、君は予想以上に面白いな。正直、今代の勇者と同じような奴かと思ったけど、余程肝が決まってやがる」


    アークは湯船から立ち上がり、宗麻と目線を合わせる。宗麻の目を見て、アークは確信した。


「改めて自己紹介といこうか。オレはアーク・ディウォード、魔人だ」


    アークは宗麻に対して右手を出す。


「俺は鬼子宗麻、異世界から拉致られた。願いは友の救出。その為には国を滅ぼしてみせる。だからアンタを利用する」


     宗麻はアークの手を取り、強く握手をした。


    この握手に善意も思い遣りもない。相手を利用する為に結託する。

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