第4話 それぞれのバイト事情①

インターネット上に私達の歌を投稿すると決めて、まず部費の足りなさに失望した。

活動の為には、パソコンやマイク等を揃えなければならない。

演奏する為の道具や機械が揃っているのと、顧問が木下先生というのが救いだ。

私が倒れた次の日、学祭に向けてのミーティングをした。

時間等の確認や曲を決めたりしている途中、部費の話になった。


与えられた部費は7千円。


パソコンは軽く10万。それにマイク。

クラクラしてくる。

そんな私達の話し合いを見ていた先生が、とても良い案を出したのだ。


「バイトすれば良いんじゃね?」


それを聞いた私達は一斉に目を輝かせた。

バイトをしてお金を貯めれば、欲しい物は手に入る。それに部員は4人。合わせれば1ヶ月に2万と考えれば、1ヶ月に合計8万の活動費を得る事が出来る。


―ナイスアイデア!


心の中で叫んでしまった。

ちなみに昨日の事などなかったかのように平和に話し合っているが、駿とはまだ一度も直接話していない。まず、話せない。目すら合わせてくれない。

彼が私を嫌っている以上、話しても迷惑でしかないだろうから、何も言わないけど。

わざわざあんな雰囲気にしなくても良いかと思い、極力声を発さないようにしている。余計な事言いたくないし。

「でも先生。こんな就職難の町で、バイト先なんてあるんですか。」

舞が町長にでも聞かれたら大変になるような事を言ったが、同感だ。

先生は待ってましたと言わんばかりに、ニヤッと笑う。

「そう思って問い合せた。それぞれ合いそうな場所にしたから。あ、中岡は駅前のパン屋。家長は農家。桜田はすぐそこの服屋、星野は旅館だ。皆、来週の土曜日に面接だからな。」

流石大人だ。行動が早い。

そして碧音が羨ましい。

私が旅館でバイトだなんて、想像も出来ないけれど面白そうだ。

少々面倒臭いが、全ては私の為。

私が一番頑張らないといけない。


♪♪♪


「おはようございます。今日からここでアルバイトする星野春架です。よろしくお願いします。」


面接の次の日。

女将さんは凄く優しくて、すぐに採用してもらえた。

バイト先はこの町一番の人気を誇る旅館、春の屋旅館。

緊張で震えながら、大きな門の前で深くお辞儀をする。

「ふふっ。良い子。」

大女将さんにしては若い女性。確か名前は松山さんと言っていただろうか。

松山さんは紫色で蝶柄の着物をしている。

巻いている金色の帯が紫と合っている。

その目の前には、灰色のパーカーにズボンのジャージを履いた私。

「こっちに来て。」

スタスタと歩いていく松山さんについて行った先は、従業員の休憩所だった。

「あ、花ちゃん。例のバイト生よ。色々と教えてあげてね。それじゃあ私は仕事があるから。後はよろしく。」

「え······?」

それだけ言って出て行ってしまった。

私の前には私と同じくらいの身長の美女。

下の方で髪をお団子にしていて、鮮やかな緑の着物を纏っている。

シャープな輪郭と長いまつ毛。とにかく美女としか言えない。

それにスタイルも良い。

「私は指導担当の高畑 花。春風高校の三年間だ。分からない事があれば、遠慮せずに聞いてくれよ。」

ニカッと笑う。

何だか話し方が男の子っぽい。

「は、春風高校1年の星野 春架です!よろしくお願いします!」

年上と話すのはかなり緊張するし怖い。

でも、ここで慣れておかないと将来も困るだろう。

「よろしくな、春架。」

不覚にもときめいてしまう。

「まずは着物に着替えよう。春架のはこれだ。最初のうちは手伝うから。」

先輩が指差したのは赤い着物。桜の刺繍が施されている。

自分にはもったいないくらい可愛い。

「脱いで。」

「へ?」

「ほら、着るんだから脱がないと。」

「は、はい!」

着物に見とれてしまっていた。

私が着物を羽織ると、先輩は帯を締めてくれた。金色の帯。

先輩の匂いが鼻をくすぐる。

「春架、良い匂いするな。」

いやいや、良い匂いするのは先輩の方で。

一通り終われば先輩はキツかったろう?と頭を撫でてくれる。

まるでお姉ちゃんが出来た気分で嬉しい。

今までお姉ちゃんとして、しかも上級生とは関わらないように過ごしてきた私にとっては新鮮な出会い。

「あ、良いものがあった·····はず。」

そう言って引き出しの中を何やらガサゴソと探し出す。暫く漁っていると、先輩は嬉しそうにこちらに向かってきた。

「目、瞑ってろ。」

言われた通りに目を瞑っていると、髪を触られている感覚があった。

「ん。もう良いよ。ほら、鏡。」

大きな鏡を見るとそこには自分の姿。

綺麗な着物を着ていて、金色の桜の形をした髪飾りを付けている。

こんな顔じゃなければ最高だったのに。

「なかなか似合ってるじゃん。」

「あぅ······ありがとうございます·····。」

褒められることに慣れていないからか、凄く恥ずかしくて照れくさい。

「はは、可愛いなぁ。」

可愛い、だなんて家の親バカにしか言われた事ないのに。

「妹が出来たみたいだ。」

その笑顔が眩しくて、凛とした姿がかっこ良くて気付いた。

私はこの先輩に憧れている。

こういう女性になりたい。

「じゃあ、早速。まずは従業員に挨拶しに行こうか。·····と言っても松山さんと若女将と厨房の人2人だけどな。」

驚いた。こんなに大きな旅館なのにそれしかいないのか。

先輩は田舎だからな、と笑い、部屋を出る。

それに置いてかれないようにと私も追う。

「焦らなくて良いからな。」

「は、はい。」

やはりまだ緊張してしまう。


廊下を歩いているとある部屋から、大きな音が聞こえた。お客さんだろうか。

深いため息を吐いた先輩を横目で見ると、呆れた顔をして足を止めた。

「またか·····。」

真っ直ぐ行くはずが方向を変え、音のする部屋へ向かう。

スパッと素早く襖を開けるとそこいたのは、ツインテールの私より背が低い女の子。

座り込んでいて周りにはバケツや雑巾が転がっている。

不思議な光景だ。

「おい、梨香。何やったんだ?」

「んー、思いっきり転んでこの状態。」

梨香と呼ばれたこの人も顔が整っている。

可愛い系女子というものだ。

「その子が新しいバイト生?」

彼女の指の先には私。

ずっと見つめられている。

「そうだ。新入りの星野 春架だ。こっちは松山 梨香。春風高校の2年生だ。ちなみに松山さんの娘さん、つまり若女将だ。」

長い間人に見つめられるのはドキドキする。

「春架かぁ。じゃあハルって呼ぶね。あ、私の事はりっちゃんって呼んでね。あと、私の前では敬語も禁止だよ!」

ニコッと笑い、ゆっくり立ち上がる。

身長はアレだけど、一応先輩なんだ。

なのに、ニックネームで呼ぶだなんて。

しかも敬語ダメだなんて鬼畜だ。

「で、でも·····せ、先輩だから····」

「もう!そんな事言わないでさ。私、先輩後輩とか嫌いだし。」

頬を膨らませる。

「じゃあ·····りっちゃん·····」

勇気を振り絞り、ニックネームで呼ぶとりっちゃんは偉いねーと言って頭を撫でた。

よく見ると背伸びをしていて震えている。

「はあ、この子可愛い。どうしよう。可愛すぎるんだけど。」

悩ましげに息を吐く。

可愛いのはそっちでは、と思ったけれど反応の仕方が分からない。

だって、背が低い方が可愛いに決まっているし、顔立ちだって私は整ってないし。

「早く片付けろよ。他も掃除あるんだし。」

呆れた顔で先輩はりっちゃんを見ている。

よくある光景なのだろう。という事はりっちゃんは天然でドジっ子なのだろうか。

「分かってるよー。ふふっ。」

「おい、何笑ってるんだよ。」

「何でもなーい。」

何だかこの二人を見てると和む。

凄く仲良しなんだな。

何だか眩しく見える。

「ただ、花が嬉しそうだなって。もちろん私も嬉しいけど。」

「なっ!」

羨ましいと思う。

私も茜ちゃんという一番の友達はいるけど、ここまで仲良くはないから。

「あ、ハルは赤なんだね!確かにその色似合うかも!」

「色?ああ、着物·····」

「この旅館はね、従業員一人ひとり色が違うんだ。お母さ·······大女将が面接の時点でイメージカラーを決めて着物を用意するんだ。花は緑、私はピンク、そしてハルが赤。」

他人から見ると私は"赤"なのか。

赤だなんて私には似合わないのに。

ヒーローの色、情熱の色、太陽の色。

私にはそんな色が似合うのだろうか。

どちらかというと、日常では灰色や黒い服を着る事が多い。

「でもまあ、春架は赤って感じするよな。温かい感じ。梨香もピンクっぽいしな。でも何で私は緑なんだ?」

「うーん····大女将に聞いたら目に優しいからだって。花も優しそうだから緑らしいよ。」

確かにそうかもしれない。

容易に納得出来る。

お母さんという雰囲気だ。

「そ、そうなのか。」

照れてるのかそっぽを向く先輩。

「実際優しいもんね。」

「うるさい!」

高畑先輩は照れ屋なのかな。

「あ、もうこんな時間。厨房行かないと。春架、行くぞ。·····梨香は片付けておけよ。」

「はーい。」

先輩は歩きづらくて、転びそうになる私の手を優しく引いてくれる。

その手は温かくて心もぽかぽかしてきた。

「斉藤さん、鈴木さん。新しいバイト生の春架です。」

「星野 春架です·····。」

斉藤さんと鈴木さんと呼ばれた人達は、エプロンをしてお刺身を切っていた。

とても優しいオーラを放っている。

四十代くらいのおじさんとおばさんだ。

「あら、あなたが噂の。よろしくね。お腹が空いたらいつでも来てね。」

思わず顔が綻ぶ。

「は、はい。ありがとうございます。」

「あ、ちょっと待っててね。」

斉藤さんは、思い出したように手を叩き、おにぎりを二つ持ってきてくれた。

鈴木さんはニコニコと微笑みながら、包丁を研いでいる。

「空腹の時に食べてね。仕事頑張って。」

ラップに包まれたおにぎりは少し温かい。

本当にこの旅館の人は優しい人ばかりだ。

「ありがとうございます。」

二人でお礼を言い、厨房を出た。

「さあ、掃除をしなければいけない。」

とうとう本格的に仕事だ。

掃除は得意分野だから、活かせると良いのだけれど。

「個室は松山さんと梨香の仕事だから私と春架は大広間と玄関、庭、露天風呂かな。」

流石、従業員が少ないせいか一人当たりの仕事量が多すぎる。

頭が痛くなる。

そんな私を見て先輩はクスクスと笑い出す。

「いや、分かるよ。私も最初そうだったし。でももう慣れたよ。」

「頑張ります·····。」

辿りついた露天風呂は遅咲きの桜が咲いていて、とても景色が良い。

私も温泉に浸かりたい。

ここでゆったりとするの楽しいんだろうな。

「このほうきを使って掃いて。私は浴槽を洗ってるから。」

ほうきを受け取り、落ちているもの葉等を集める。

天気は快晴。ちょうど良い風が気持ち良い。

「うん。良い天気。」

毎日ネガティブ思考でくよくよしている私も、こんな天気だと気分が軽くなる。

駿に嫌われている事なんかも笑えてくる。

「そういえば嫌われてるのか。」

先輩は少し遠くにいるから、わざとに独り言を言ってみる。

いつもは一人で落ち着きたいけれど、こんな日は一人になるのが寂しい。

空が広すぎて自分がちっぽけだ。

「ま、知ってたけどね。」

あの日の涙の理由はまだ分からない。

「でもどうしようかな。こんなんじゃ、ライブ大変じゃん。」

ライブは嫌だけど。やるからには成功させたいし、完成度の高いものにしたい。

我儘なのかもしれないけれども。

「でも」

落ち葉がどんどん集まって山になっていく。

「やっぱり嫌われるのは怖いよね。」

愛想笑い。

誰だってそうなのだろうな。

どんな人でも嫌われるのは嫌だろう。

こんな事考えていたらダメだ。

今は仕事中。余計な事考えてられない。

「そっち終わったかー。」

「あ、はい!」

急いでほうきを片付ける。

これはボランティアではなく仕事。しっかりとお給料を貰うのだからその分、きっちりと働かなければ。

今日は風はあるが、太陽の光が強くてじわじわと汗が出てくる。

「今日は暑いな。スポーツドリンクでも飲んでくるか。」

「·····はい。」

本当に私は暑さに弱い。

ついでに言うと寒さにも弱い。

弱すぎる自分の身体に不安を覚えつつ、先輩が持ってきてくれたペットボトルを開ける。

ひんやりと冷えたスポーツドリンクが、乾いた喉を癒してくれる。

「露天風呂終わったからあとは玄関と庭と大広間か。で、その後は接客。帰りは七時くらいだ。」

私達が帰ったら旅館の事は全て、松山さんとりっちゃんがするのだろう。

こんなに立派な旅館なのに。

「じゃあ玄関と庭やるか。」

「はい!」

スポーツドリンクのおかげで少し回復した身体を動かす。

正直もう腰痛いし暑くて溶けそうだけど、不思議と辛さはない。

働くってこんなに楽しい事だったのか。


「わあ、広い。」

先程玄関と庭の掃除が終わり、大広間に来た。大広間だから当たり前だが、広い。

金色の大きな屏風もある。

「ここをほうきで掃く。1人じゃ大変だし、手分けしてやろう。」

ほうきを渡される。

よく考えると、今日はほうきばっかり持っている気がする。そろそろ腰が痛い。

そんな私を他所に先輩は鼻歌を歌いながら掃除している。流石、慣れているのだろうか。

暫くほうきで床を掃いていると、奥にあった花が目に入った。

高級そうな花瓶に刺さった何本かの花。

ただのユリに見えるが目が離せない。

「どうした?」

動きを止めた私を心配してか、先輩が覗き込んでくる。

「え、いや、この花が綺麗だと思って。」

「ああ、アルストロメリアか。」

アルストロメリア·····。

聞いた事がない。

「ユリ科の花で、花言葉は"未来への憧れ"。」

「未来·····憧れ·····。」

その言葉に胸が熱くなる。

「色によっても違うんだ。赤は幸い、白は凛々しさ、ピンクは気配り。」

それぞれを指差しながら、教えてくれる。

「先輩詳しいんですね。」

「まあな。」

そういうの興味なさそうなのに、結構乙女なのかな、と思う。

先輩の話を聞きながらも、私の視線はずっとこのアルストロメリアに向いていた。

よく分からないけれど吸い込まれていくような感覚。

何か言われている気もする。実際にそんな事あったら怖いから気がするだけ。

それでも、何かを伝えようとしている気がするのだ。

この花を見てると不思議な気持ちになる。

「春架の気持ち、分かるよ。」

「へ?」

「この花、何だか変なんだよな。1ヶ月前にお客さんに貰ってから一本も枯れないし、目を離せなくなるし。」

1ヶ月も枯れないなんて。

そんな非現実的な事あるのだろうか。

「不思議な話だよな。」

花の匂いが微かに分かる。

「仕事に集中出来なくなるから、私は極力見ないようにしてるよ。」

確かに毎回こんな感じだと仕事にならないと思う。

「さあ、再開だ。」

「はい!」


私は今かなり緊張している。

15時20分。

目の前には私にとって初のお客さん。

極力、人見知りだと悟られないように、冷静にゆっくり話す。

「ほ、星野 春架と申します。」

高畑先輩が後ろで見守ってくれている。

お客さんは、綺麗な長髪を揺らして目を細くし、微笑んだ。

the 大和撫子といった感じだ。

「ふふっ。よろしくお願いします。じゃあ暇なのでお話し相手になってくださらない?」

細い指先が私の頬を撫でる。

私が担当するお客さんは他にいないから、時間は空いてるが。良いのだろうか。

先輩にもお客さんがいるし。

困った顔で先輩を見ると笑顔で了承してくれ、部屋を出ていった。


「私は大空 雪乃。仲良くしてね?」

なんて素敵な名前なのだろう。

その透き通るような容姿にぴったりだ。

「は、はい。大空様。」

「もう。下の名前で呼んでよ。しかも様だなんて。嫌だわ。」

「ゆ、雪乃さん。」

話し相手と言っても、何を話せば良いか分からない。

戸惑っていると雪乃さんが口を開いた。

「ここ、ゆっくり出来るわ。落ち着く。」

「それは良かったです。」

笑顔を絶やさない。

コミュニケーション能力が低いからか全然話せないが、先生はそれを踏まえてこの旅館を勧めたのだろう。

「私、春架さんの事沢山知りたいわ。」

「え?」

満面の笑み。

「ねえねえ、好きな人はいるの?」

突然ぶっこんでくる。

この人、見かけによらず大胆かもしれない。

「へ?いませんよ?」

ここからガールズトークというものが始まると思ったのだろうか。

でも、私にそんな話し通用しない。

「ふむふむ。じゃあね、好きな食べ物は?」

「プリンです。」

即答する。

そこだけは誰が何と言おうと譲れない。

渾身のドヤ顔を披露すると、雪乃さんは静かに笑いだした。

「くっ·····ふふっ·····かわい·····。」

口に手を当てて肩を揺らす。

「可愛くないです。」

本日三度目の「可愛い」を言われてもまだ言われ慣れない。

「雪乃さんは観光ですか。」

「違うわよ。ただの家出。」

さらりと言ったが、雪乃さんは家出をしたらしい。私はそれを黙っていて良いのだろうか。

「だってね、お父様がうるさいもの。学問やら何やらって。家のメンツがーとか言っちゃうのよ?あんな家でやっていけないわ。」

怒る仕草をとる。

雪乃さんの家はきっとお金持ちなのだろう。

きっと豪邸に住んでいるに違いない。

「それに毎週日曜日にお茶に連れていかれるのよ?私はゆっくりしたいのに。」

お金持ちも大変なんだ。

何だか可哀相になってきた。

「でも、勉強は出来るんでしょう?」

彼女はそこそこ、と苦笑いをする。

「雪乃さんは綺麗だから、さぞかしモテるんでしょうね。」

少し嫌味っぽかったかな、と思いながら微笑む。すると、雪乃さんは目を逸らす。

その顔は少し赤らんでいる。

「こ、告白された事はあるけれど·····」

流石。美女は違う。

私もこんな風に生まれたかった。

まあ、遺伝子だから仕方ないけれど。

「でも、私全然興味ないの。お断りしたし。·····まあ、そういう窮屈な日々から抜け出したくて、ここに来たの。」

少しだけ俯いたその顔は、とても悲しそうに見えて言葉を失った。

「じゃあ、気が済むまで休んでいってください。お金さえ払えばいくらいても良いでしょうし。私ももっと雪乃さんの事知りたいですし。それに愚痴ならいくらでも聞きます!」

今、自分に言える事を伝える。

こんなネガティブ思考の人間が何を言っているのだか。本当は私が誰かに聞いて欲しいのだけれど。

でも、どうしても放っておけない。

あんな顔を見てしまったら。

「·····ありがとう。でも、春架さんには言えないわ。きっとあなたは優しいから、抱え込んでしまう。」

「何でそんな事っ·····!」

まだ会って一時間も経っていないのに。

しかし、困ったように私を見つめる雪乃さんの瞳は確信しているような、真っ直ぐとしたものだ。

それに、私が人に優しくした覚えはない。

「今までだってそうだったでしょう?」

心臓が大きく飛び跳ねる。

「そんな事ないですよ。」

胡散臭い笑顔で答える。

私は被害なんて、受けていない。

ただ話しを聞いて協力出来る事はしていた。それだけだ。

決して巻き込まれて辛い思いをしたとか、そういうのではない。

そう言い聞かせる。

「私は騙せないわよ?」

口角を上げて私の口をなぞる。

背筋に走る悪寒。

さっきのお淑やかな雰囲気はどこかへ行ってしまい、今目の前にいるのは、鋭い目をして微笑むお客さんである雪乃さん。

黒い雰囲気に一歩下がる。

「春架さんが私を知らなくても、私はあなたを知っている。あなたを助ける為に来たのだから。」

私を知っているとはどういう事だろうか。

会った事もないのに。

「家出したってやつも、あながち嘘ではないのだけど。実はある人に頼まれて来たの。辛い思いをしているあなたを助けるために。」

その"あの人"とは誰か、容易に想像は出来たがつまりこれは同情されたのだと感じた。

人から好かれない私を、すぐに比べてしまう情緒不安定な私を気の毒に思ったのかもしれない。

「·····そういうの結構です·····。」

怒りと悲しみで震えた声を精一杯出す。

「嘘。全て聞いたのよ。春架さんがライブを恐れている事も、バンドメンバーに嫌われている事も、言い合いになった事も、あなたの性格も。」

私の性格なんて誰も知らないのに。

やはり、あの人か。

「私の性格なんて誰も知らないし、言い合いも今は大丈夫です。それに、雪乃さんはこの学校の生徒ではありません。どうこう出来る立ち位置ではないでしょう?」

目の前にいるのはお客さん。

なるべく声を荒げないように、落ち着いて話す。棘はあるかもしれない。

「あら、心外だわ。ここで泣きついてくると思ったら。·····あの人教師のくせに、全然分かってないわね。」

「どういう事ですか。」

さっきの雰囲気は消え、私は敵対心剥き出しだ。木下先生が関わっている事は、薄々気付いていたが。

今までにないくらい睨んでいるのが、自分でも分かってしまう。

「まあまあ、そんな顔しないで。ただ私はあなたと友達になりに来ただけ。それだけだから、泣かないで?」

私はいつの間にか泣きそうになっていた。

あまりにも雰囲気が変わりすぎたからだろうか。それとも、優しい言葉を貰えたからだろうか。

でも、雪乃さんのぬくもりは私のそんな不安を消し去ってくれる。

先程までの鋭い目も、今では優しくなっていて、あれは嘘のように思える。

「ごめんね。怖かったよね。ちゃんと1から説明するから、そんな顔しないで。」

そっと目尻に溜まった滴を、細い指で拭ってくれる。

「じゃあ、まずはね······」

私は大人しく理不尽で優しい話を聞いた。


「と、いう事。」

雪乃さんの説明は約30分かかった。

途中、頭の悪い私でも分かるように何回も言い方を変えてくれた。

きっと、この人はかなりの国語力の持ち主だ。下手な事を喋れば、すぐに手玉に取られる気がする。

「つまり、これは全て雪乃さんの兄である木下先生が言った事なんですね?そして、ちょうど友達が少なくて、私と同い年の私を何とかして欲しいと頼まれた·····と。」

こんな大人っぽい人が同い年だなんて。

もう大学生あたりかと思っていた。

しかも顧問の妹。何かの縁だろうか。

もしかしたら、先生は最初からこうするつもりで、私をこの旅館に選んだのだろうか。

「地味に心に刺さるけどそんな感じかな。」

それはもう同情されているのではなく、先生の手には負えないほど私が問題児という事だろうか。

そう考えると申し訳ない気持ちになる。

全く関係のない雪乃さんを、巻き込んでしまっているわけだし。

「辛かったよね?」

「ええ、まあ。」

「沢山泣いた?」

「結構······。」

お母さんのような包容力。

その優しさに、全てを吐き出してしまいそうになる。

「あ、ろ、露天風呂に行かれてはどうですか。もう日も沈みそうですし。」

このままだと、本当に全て知られてしまう。

「後で良いかな。だって、春架さん、辛そうだもの。放っておけないよ。」

そんな顔していただろうか。

心配させてしまっているのだろうか。

その瞳は逸らす事を知らない。

「私、そんなに辛そうですか。」

「辛そうっていうか、悩んでそうっていうか、儚いっていうか。でも、何か抱え込んでいるような顔してる。」

「何ですか、それ。」

笑って見せた。

それでも私は辛そうなのだろうか。

沈黙が続き、どうしようか考えていると、突然、暖かいものに包まれた。

数秒後にやっと、抱きしめられているのだと認識する。

「新しい学校で、未経験の部活で·····まだ始まったばかりだけどね、」

でも、と付け足す。


「春架さんは強いよ。こんなに1人で頑張ったんだから。」


目の前が歪む。

そうか、私は今泣いているのか。

もう、泣かないと決めたのに。

でも、あの時泣いたのとは全く違う。

あの時の涙は冷たかったけれど、今は温かい涙が溢れている。

「きっと、昔から我慢してたんでしょう?よく頑張りました。お兄ちゃんも春架さんを気に入っているの。·····これからは1人じゃないから。私はもう1人のあなただから。」

私は声を出せずにコクコクと頷くだけ。

包まれた手に涙が落ちる。

今日だけは良いかな。なんて。


「あれ?ハル、どうしたの?」

「え?」

5時になり、私は高畑先輩の所へ向かう為に、長い廊下を歩いていた。

そこで私はりっちゃんに会ったのだ。

「目、腫れてる。泣いたの?」

心配そうに覗き込む。

失敗した。結構泣いたせいで目の当たりは熱くて、頭はクラクラする。

鼻も詰まっていて、鼻声だ。

「何でもないよ。」

何とか誤魔化そうとするも、この顔でそんな事は不可能に近い。

「絶対泣いたよね?仕事、辛かった?」

優しい。

どうしてこうも、私に近寄ってくる人は優しくしてくれるのか。

「だ、大丈夫だよ。少し疲れちゃって。」

愛想笑いをする。

とにかくこんな顔を見られるのが恥ずかしくて堪らない。こんなんじゃ、先輩の所へなんて行けやしない。

一人でどうしようか考えていると、りっちゃんは笑いだした。

「なーんてね。全部聞いてたよ。」

その表情はやけに真面目で。

ああ、聞かれていたのか。

仕事中に人の話しを盗み聞きする事に疑問は抱いたが、今はそれどころではない。

「私は学年も何もかもが違うけど、ハルの事大好きだから、抱え込んでたら悲しいよ。」

今にも泣きそうな顔で訴えてくる。

クラスメイトにすらそんな事、言われた事ないのに、今日初めて会った人に言われるだなんて。

ここに来るまで、そんなの想像もしていなかった。

「ごめんね。でも、大丈夫。」

笑って答えるとりっちゃんはばっと前を向き、笑顔になった。

「ただ、先輩には言わないでおいてくれるかな。あまり心配かけたくないし。」

「·····分かった。」

素直に納得してくれた。

「ありがとう。」

笑って言ったその言葉は、二重の意味を込めて送る。


きっとここでなら······。



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