ガドゥーラの十王

 そこは真っ白な部屋だった。否、部屋という表現は正しくないだろう。なぜならそこは高度な魔法により構成された『世界』なのだから。その世界に据えられた円卓には、二つの玉座と八つの席が並べられ、それぞれの椅子の後ろには投影魔法で映し出された十の国旗が半透明に瞬いている。そして、そのちょうど真下には青色に輝く転移円ポータルが描かれていた。

 二つの玉座のうち、空席だった右側の転移円から、一人の男が出てきた。


「やあ、待たせて済まないね。最も、まだ全員そろってはいないみたいだけど……」


 そう言って彼はにこやかに微笑む。その柔らかな物腰と外見からでは、一見して彼がこの大陸で二番目に神に近しいものであるという事には気づけないだろう。彼の名はレアン。レアン=アルケーニヒ。魔王連合の長にして、五等神格【十二の試練ヘーラクレース】の継承者であり、蓮ノ国の王で、今回の『十王会議』の招集者であった。彼はやれやれとため息をつく。大きなくまを拵えた彼の視線の先には二つの空席があった。


「レストラゼアんとこのライファは祭儀があるとかで欠席、鬼ノ国の桃切漸兵衛ももきりざへえはまたシカト決め込んでますよォ?」


 円卓にだらしなくつっぷつし、そう笑いながら告げたのは神聖ルイン王国の女王グラスラドゥ・ルインだった。女王と言うにはまだ子供のように見える彼女は、これでもガムザ帝国の剣闘試合に飛び入り参加し、参加者全員を血祭りにあげたという強さを誇る戦闘狂で、一級神格【翼を持つ者トゥラン】の伝承者である。そもそも、強さこそが全てであると豪語する神聖ルイン王国の頂点に立つ者なのだ、弱いはずもない。ただ、時たまこうしてふざけたような態度をとることが問題視されてはいるが。


「人間どもの国は毎日祭儀をしているのか?」


 そう言って馬鹿にしたように笑ったのは白狼郷の長、白天魔王である。彼の国では、一番強いと白天魔王に認められたものが次代の白天魔王となる襲名性であり、彼は三代目の白天魔王であった。この大陸における魔王とは、彼とレアン、そして欠席している桃切漸兵衛の三人を意味する。が、大陸の垣根を超えた魔王連合には、別大陸の魔王四人が名を連ねている。この世界には計7人の魔王がいることになる。


「口を慎んでもらえるかね白天魔王。我々は対立は望んでいないのだ」


 疲れたような顔で諌めたのは天の台地を治めるレイフェメックだ。彼の国は大陸の北部を覆うガドゥーラ山脈の頂上、白狼郷の西に位置している。地理的にいつも白狼郷に迷惑をかけられているので、このガドゥーラ十王の中では彼が白天魔王の尻拭いをするような立ち位置になっていた。毎度毎度貧乏くじを引かされているな、レイフェメックは嘆息した。


「レイフェメックの言う通りだ。この場はあくまでこの大陸での国家間の意思を統一し、有事に備えるのが目的なんだから。余計な火種は起こさないでくれよ?」


 そう言ってまたにっこりとほほ笑むレアン。よく言うぜ、ブレイフィン王国の王アリストラス・ブレイは舌打ちした。この十王会議の場では国の規模如何に問わず身分の差は無いものとして扱う。それがここの鉄の掟だ。だが、その掟が本当に平等だと思っているのは最強の魔王レアンと大陸一の軍事力を誇るガムザ帝国の皇帝ダマーヴァンドだけだ。いくらこの場は平等と言っても、3等神格持ちのレアンにかかればこの大陸を片手間に滅ぼせるだろうし、いつもフルプレートの鎧と顔の見えない兜をかぶった無気味な帝王は、その手にこの大陸のほぼ全ての権力を握っていると言っても過言ではない。この二人に歯向かう事は、イコールで破滅を意味する。

 そう、絶対にこの場は平等などではない。傲岸不遜な白天魔王がレアンの注意で黙り込んだのがいい例だ。だが、とアリストラスはほくそ笑む。ブレイフィンの召喚魔法の技術は年々向上している。非人道的だと言われようが、構わない。何せ着実に強力な『神の寵愛ユニークスキル』持ちの勇者がそろい出しているのだ。あと五年、いや三年以内にこの傲慢な権力者たちの寝首を掻いてやる。


「……」


 まぁた何か悪だくみしてるねぇ。アリストラスの隣に座っていたファレス王国の王、リッセン・ファレスは冷ややかにそうひとりごちた。本人は隠しているつもりなのだろうが、大陸一の情報国家たるファレス王国の諜報部隊の手に掛かれば、どんな国の内情も手に取る様に分かる。だから、ブレイフィンが協定を破ってまで勇者を召喚し続けていることも知っていたし、証拠もある。今すぐそれを掲示すればブレイフィンは内政調査の名目のもとに軍事介入が行われ、すぐにでも大国の傀儡となるだろう。だが、それではうまみが少ないのだ。情報には使い時と言うものがある。最も手間のかからない方法で、最も利益の多いタイミングでこそ切り札は使うものだ。それに、今はそれよりもこの会議の趣旨である。まあ、これについてもリッセンは見当がついているのだが。リッセンは足を組み直した。


「レアン殿よ。我らガドゥーラの十王をこうして緊急招集したからには、それなりの緊急事態であると考えてよろしいかな?」


 ラウドフェル公国のアークス・ラウドは静かにそう訊ねた。アークスはよく言うと義に篤い誠実剛健な初老の公爵、悪く言うなら頭の堅い正義バカの老害である。兎にも角にもこの男は扱いづらいのだった。指導者としての素質自体は、若かりし頃に英雄と呼ばれただけの事はあり、国民に寄り添い堅実な政治をして、国内外から英雄王として敬われている。がしかしそれは結局彼のこの面倒くささを知らない一般の意見なのである。考えても見てほしい。国交に自分の感情を色濃く反映させる王の相手をしながらの政治がどれほど面倒かという事を。いちいちこちらの国で起きた小さないさかいを会議に持ち出して国交をごねられたら、もう泣きたくなってしまう。

 それほど面倒な男をいまだにこの場にいさせている理由は一つ。良くも悪くも、この男は王としては模範的なのである。常識もあるので、どこかの国が面倒ごとを起こして自分の国に攻め入ろうとしているのに気づけば、この男に告げ口すればいい。この正義感に四肢が生えて歩いているような男が英雄王の肩書きと人柄ゆえの人脈をフル活用して相手を懲らしめてくれるのだ。それに、今の様に誰も質問せず話が進みそうにないときも勝手に話を進めておいてくれる。、実に頼りになるのだ。


「ああ、かなりの緊急事態だ」


 レアンはにこやかにそう告げる。だが、その眼には明らかな焦りの色が浮かんでいた。それを見て、五人はごくりと生唾を飲み込む。何しろレアンは大体の国が亡ぶような事案ですら議題にも上げずに一人で片づけてきた男なのである。それが、持ち前の鉄面皮で隠しきれない程の焦りを見せているとは、一体どれほどの問題が発生したのだろう。


「もう気づいてる人もいるかもしれないね……」


 レアンにしては非常に珍しい、重々しい声で7人を見渡す。


「今朝、僕の国の『門』が外部の工作員の手によって開かれた」

『―――っ⁉』


 ガタッ、皇帝ダマーヴァンドとファレス・リッセン以外の全員が跳ね起きるように椅子から立ち上がる。


「なっ、なぜそのようなことに!」

「しゅ、周囲に被害は出ていないのか! 『外敵』は⁉」

「そんなことをしても何の利も無いだろうに、なぜ」

「随分な馬鹿をやらかす奴がいたもんだねぇ。許されないよ、これは」

「いや、そもそも『門』は魔王レアンの城の地下にあったはず、なんでそんな危険な真似をしてまで?」


 5者5様の反応を見せる中、ダマーヴァンドと、密偵として送り込んでいた諜報員の情報を得ていたファレスは落ち着いていた。おかしいな、ファレスは怪訝そうに玉座に座るダマーヴァンドを見やる。帝国が諜報員を各国に送り込んでいるという話は聞いたことが無いのだが。


「酷く落ち着いていらっしゃるようだが、皇帝殿?」

『それは、貴様も同じだろう』


 魔法で変質した無気味な声で静かに告げる。ファレスは、自分の背中に嫌な感覚が走るのを感じた。相変わらず人間離れしたプレッシャーである。いや、もしかするとこいつは本当に人間じゃあないのかもしれないな。先程は何とはなしに挑発するような形になってしまったが、皇帝を敵に回すのはやっぱり得策ではないようだ。


『レアン=アルケーニヒは魔王連合の長だ。どうせ既に対策はしたんだろう』


 そう言って皇帝は静かに右隣に立つレアンを見上げた。まあそりゃあね? とレアンはおどけて見せる。


「でも、結構ヤバい状況でね。ほら、皆も知ってるだろ? 僕の国の『門』がどこにつながってしまっているのかをさ」


 その言葉に、白熱していた会議の場は一気に静まり返った。蓮ノ国が通じてしまった世界がどこかを、思い出したからだ。


 【天】。研究に研究を重ね、許されざる領域に達してしまった者共の住まう場所。その住人は、最低でも弩級以上の力を持つと言われる修羅の世界だ。


「状況を説明するから、皆静かに聞いてくれ」



  ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦



 彼が語った状況は、以下の通りだ。


・開かれた『門』からは、【天獄】の軍勢が現れたが、レアン自ら戦闘に参加し、これを撃破、数名の死傷者を出しながらも『門』を閉じることに成功。

・工作員は、取り押さえようとしたところ、自害。死霊術を使って情報を聞き出そうと試みたが、魂が消失していた上に首から上が吹き飛んでいたため、失敗。

・『門』が一度開いたことにより、閉じていても中から異質なマナがあふれ、マナの許容量が少ない者たちが次々と正気を失い始めている。なお、一度意識を飛ばせば正気に戻るらしい。

・工作員が他の国の『門』を狙っていないとは考えにくいため、各国の警備を厳重にするべきである。


 すべての状況を説明し終わると、レアンは「といったところだよ」と付け加えて、椅子に座った。


「……警備を厳重にといわれてもねぇ」


 女王グラスラドゥは嘆息した。この中で一番厳重な警備をしていたのはまぎれもなく蓮ノ国で、他の国には蓮ノ国以上の警備態勢を整えられるはずもないのだ。つまりは、開いた『門』を素早く閉じて、そのうえで工作員を生け捕りにして話を聞き出さないといけないわけだが、【天獄】程ではないにしろ、自分の国より弱い所と通じた国は無いのだ。これはかなりの大問題である。レアンが焦っているのも頷けた。

 しかし、本当に何故『門』を? グラスラドゥは考える。『門』を開いたことによる利益、異世界の技術が目的か? いや、そうなのだとすると、『門』から出てきた異世界人は全て押し返されている。では目的は達せられなかった? 違う、蓮ノ国に忍び込めるだけの実力があるのなら、レアンが止めにやってくることくらいはわかっていたはずである。ならば、目的は? もしそうなら、門を開放したことにより生じたマナの乱れで大陸に混乱をもたらすことが目的なのか? そんなことをして何になる? この大陸に恨みを持つやつらでもいるのだろうか。

 駄目だ、分からない。と、おもむろにアークスが口を開いた。


「怪しいのは、どの国だろうな」


 瞬間、その場の空気が凍り付く。そして七人は同時に工作員の目的に気付いた。


 この大陸は、いくら魔王連合の長たるレアンの治める蓮ノ国があったとしても、あまり強い方の部類ではない。魔道具と呼ばれるこの世界の兵器の製造に必要不可欠な『久石』の採掘量が少なかったのである。

 それでもこの数百年間の間ガドゥーラ大陸の民が対外的な平和の下にのうのうと生きてこられたのは、偏に十の国がガドゥーラの十王の名のもとに強固な結束を以てして戦い抜いてきたからだ。ガドゥーラ十王の十王旗はガドゥーラ大陸に生ける者にとって尊敬と感謝の的、心の支えと呼べるほどに大きな存在になっている。だからこそ、十王は結託しなければならない。は、決してあってはならないことなのだ。


「まさか――⁉」


 レアンは真っ青な顔で全ての魔物と一部の魔導士が扱う『念話』を発動し、蓮ノ国の各地に散っていた国内情勢を知るための調査隊に連絡を繋げる。レアンたちの直感が正しければ、恐らくすでに――


「恭衛、聞こえるか⁉」


 レアンは彼らしからぬ声音で問う。恭衛と呼ばれた男は、焦りの色の窺える悲壮な声で叫んだ。


『ま、魔王様! か、各地で『門』を開いたのは他の国家なのではないのかと言う噂がささやかれています! このままでは、感情のままに隣接国に攻め入るかもしれません!』

「――っやられたぁ!」


 だん! レアンは円卓を殴りつけた。工作員の目的はガドゥーラ十王の内部崩壊。そのために命がけで『門』を開放し、各地に散らばった他の仲間があらぬ嫌疑を他国にかけるように仕向ける。恐らく、他の国の『門』を開いた時には、蓮ノ国がありもしない罪の報復をしに来たなどと吹聴するのだろう。九の国の敵意を全て蓮ノ国に集め、戦争を引き起こすために。


「そんなことになれば、この大陸は……」


 レイフェメックはかすれた声で呟く。戦争になれば、蓮ノ国も戦わなければ蹂躙されてしまうから、当然各地で戦闘が始まる。だが、蓮ノ国は強すぎた。恐らく、九の国を相手にしても互角以上の戦いをするだろう。そうなれば、勝っても負けてもこの大陸は弱体化する。そこをもし他の大陸に突かれでもすれば、確実にこのガドゥーラは終わりだ。


「やられちまったな……」


 ファレスは小さくつぶやいた。対処法を考えれば考えるほどに事態の深刻さを噛みしめさせられる。どうやら今回の件は想像以上に大きな組織が動いているようだった。会議場は静まり返っていた。皆、ここに来るまではこんなに深刻な事態が起きているなどとは露ほども思っていなかったのに、混乱を極めた現状が重く彼等にのしかかっていた。


「……とにかく、今回の件は大陸外からの工作員がやったことだと各自伝えてほしい」


 レアンは重々しくそう告げた。きっと、十王の言葉を国民は信じるだろう。だが、一度胸の中に湧いて出た疑念は、かき消すことはできない。蓮ノ国の住民は、周りの国を疑い始めるに違いない。そして、最悪ほんの些細な事でその悪感情が爆発するような事があれば、次は本当に……。


「……」


 誰からともなく、椅子から立ち上がる。帰ってやらねばならないことが増えてしまった。

 そして、最初の一人が転移円に乗ろうとしたとき、レアンのうしろの転移円が輝き、王しか入ってはいけない筈の会議場に黒い鎧を着た女騎士が飛び込んできた。しかし、いまさらそんなことを咎める気にもなれず、「何の様だデアネラ」と静かに問いかける。


「た、大変です魔王様!」


 デアネラと呼ばれた女騎士は悲鳴を上げるように叫んだ。


「超々絶級魔物『アジ・ダハーカ』のマナが、封印ごと消失しました!」


 思えば、まだ誰もが何とかなるのだろうと事態を楽観視していたのかもしれない。デアネラの報告で、八人は、もうすべてが手遅れになっているのかもしれないと思った。

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