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 通学路を歩きながら、俺は昨日あった出来事について整理してみた。


 あの赤茶色の髪の毛の少女について、だ。


 彼女があの世界滅亡を告げた『予言者』であることはとても怪しい……だが、彼女が『予言者』であると仮定しなければ彼女との話が進まないので彼女が『予言者』であることをひとまず信じ、とりあえず彼女に何故俺の部屋にいたのかと聞いてみた。―—すると、自分が俺の部屋に来て頼み事をするということを予知したから俺の部屋に来た、ということらしい。


 そう。頼み事、である。


 彼女は俺に世界を滅ぼしてほしい、と言った。つまりあの絶対最強の未来予知は実は嘘だったということになる。世界崩壊はしない、ということになる。……だが、本当にそうなのか? 彼女は俺に世界を滅ぼしてほしいと頼んだのだ。彼女は世界崩壊を望んでいる。予言者は世界崩壊を望んでいるのだ。


 予言、ではなく希望。


 だが本来彼女の預言はただの願望だったとしたら? 誰かが彼女の希望を叶え、それを予言と言っているだけだったとしたら? 世界崩壊は実現される。されてしまう。誰かの手によって。


 しかし、この理論で話を進めていくと疑問が生じることになる。そう、何故彼女は俺に世界崩壊をさせることを望んだのか、だ。もし彼女の希望を実現させる『協力者』なる者がいるとしたら、何故彼女はその『協力者』に世界崩壊を頼まないのだろう。何故一般の、そこらへんにいる、どこにでもいるような高校生である俺に頼む必要があるのだろう。もしかすると彼女は『協力者』の存在を知らないという可能性もある。でも、そうだとしてもやはり様々な疑問が残る。


 ……うーむ、今になって聞きたいことは山程あるのだが、俺があの頼み事の件について丁重に、あくまで丁重に断ると彼女は俺の部屋から出て行ってしまった。おそらく、もう二度と俺の所には現れないだろう――ははっ、そもそもまず、彼女が本物の『予言者』であるはずがないしな。


 何を真面目に考えているんだろう、俺は。そう言えば、ちゃんと名前も聞いていなかった。


 まさかそのまま予言者という名前ではないだろうし、結構容姿が可愛かったので少し後悔した。俺はこういう所はブレない男だった。


「……ん、なんだこれ」


 と、そんなことを考えていると、俺は通学路の道中にあるものが横たわっているのに気付いた。


「うげえ、これは酷いな」


 よく見るとそれは誰かの死体だった。顔が潰れていて誰なのかは判別できないが、大帝徳高校と同じ制服を着ているからこいつも生徒の一人なのだろう。


 ……これは男子の制服か。しかも胸のバッヂを見るとそれは緑色だった。大帝徳高校はバッヂの色で学年を分けている。赤が一年生、緑が二年生、青が三年生といったように。つまりこの死体は二年生の男子ということになる。


「同学年の奴か。……死体を見るのはもう慣れたけれど、あんまりこうやってまじまじ見るもんじゃないなやっぱり――ってうん? こいつ何か握ってないか?」


 近づいて確認してみると、それは生徒手帳だった。俺は死体の手の中からその生徒手帳を手に取ってみると、その生徒手帳はさらにもう一つの生徒手帳を挟んでいた。


「なんで生徒手帳の中に生徒手帳があるんだよ。―—まあ、そんなことはどうでもいいか」


 俺は生徒手帳を裏返し、持ち主の名前を見てみた。



 大帝徳高校二年四組 滔々寺(とうとうじ)延夜(えんや)



「……お前、滔々寺だったのか」


 滔々寺は俺のクラスの文化委員を務めていた奴だ。


 そこまで仲がよかったわけではないが、委員会関係の話で何回かだけ言葉を交わしたことがある。


 生徒会の書記を務める俺の友人、近藤正親から押し付けられた雑用が、偶然こいつと一緒に取り組む仕事だったのだ。初めて会った時に二人で近藤の人使いの荒さに愚痴を言い合いながら作業に取り組んだ覚えがある。

 

 それからというもの、事あるごとにこいつとは他愛もない会話をした。滔々寺は気さくな性格で身長が高く、容姿も良かった。陰湿で身長があまり高くなく、容姿も中の下がいいところであろう俺とは大違いで、一緒にいて劣等感を感じない日はなかったが、それでもこいつと一緒にいる時間は心地悪いというものではなかった。


 ――そうか、滔々寺。お前、死んだのか。


「今まで色々と有難うな、滔々寺。お前と過ごした時間は悪くなかったぜ。……それで、滔々寺の生徒手帳に挟まっているのは誰の生徒手帳なんだ? まさか滔々寺が二つ生徒手帳を持っているわけでもないだろうし――」


 と、俺は挟まれていた生徒手帳を取り出し、それの持ち主も確認してみた。

 すると、


「……⁉」


 その生徒手帳には俺の名前が書かれていた。俺は慌てて制服の胸ポケットを確認する。俺はいつもここに生徒手帳を入れているのだ。確認してみると胸ポケットの中には生徒手帳はなかった。どうやら俺はいつの間にか生徒手帳を落としていたらしい。


「……じゃあ滔々寺は俺の生徒手帳を拾って俺に渡そうと寮に来る途中で死んだってわけか。――なんか申し訳なくなってきたな。すまん、滔々寺。そして有難う。生徒手帳、これからは落とさないようにするよ」


 俺は二つの生徒手帳を胸ポケットに入れ、顔のない滔々寺の死体に手を合わせてまた通学路を歩き始めた。


 ……最近、道端に死体が転がっていることはそう珍しくない。だけれど、やっぱり同級生の、それも顔のない死体というのは見ていて気持ちの良いものではない。


 俺は込み上げてくる気持ちの悪さを我慢しながら歩いていた。




 そして、学校に到着した。


 門をくぐり、玄関に着くと俺は下駄箱から上履きを取り出してそれに履き換えた。爪先で軽く地面を二回蹴った後、俺は夏休みの誰もいない校舎を闊歩する。勿論、学校が開いているのだから誰かはいるのだろうが、少なくとも俺の目には誰も映らなかった。いつもグラウンドで練習に励んでいる野球部の姿もない。まあ、無理もないだろうけどさ。


 誰も見当たらない景色を延々と眺めていると、自分がまるで三十六日後の世界を歩いているように感じた。……世界崩壊なんて、案外こんなものなのかもしれない。俺はくだらない感傷に浸りながら目的の旧校舎を目指していた。


 旧校舎。と言ってもそこまで古びてはない。


 ただ、新校舎が建てられる前にあった校舎だったから、そういう名前になっただけだ。だが、古びてはいないけれど、だからといって綺麗というわけでもない。旧校舎は新校舎ができてからと言うものの、誰も使わないお飾りな存在となってしまった。……飾りにしては少々汚いが。


 足で埃を掃いながら俺は旧校舎の中を歩いていた。掃除もされていない。折角使える校舎があるというのに、使わないなんて勿体ない、と俺は思った。……まあ、この旧校舎を使っている人はいるっちゃいるんだけどな。俺が知っている中では一人。それも、超ド級の一人が。


 俺は階段を上って三階に到達した。


そして、すぐ右に曲がると俺は目的の場所に到着した。旧3の1の教室だ。今は3の1ではなく文芸部室となっているが。


 俺は三回ノックした。返事はない。いつものことだ。別段気にすることではない。俺は引き戸の扉をガラガラと開けた。


 すると


「やあ、今日は。まさか夏休みも性懲りもなくこの埃臭い所に来てくれるとは。君は余程の暇人なんだね。呆れを通り越してもう感動を覚えるよ」


 ……扉を開けた途端、ひどい毒舌が俺に襲いかかってきた。


 俺はその毒舌を放った張本人を見る。髪型はロングのストレートで、整った顔立ちに切れ長の目をしている。服装は、季節がもう真夏に近いというのに長袖の制服とロングスカートを着ていた。


「……どうしたんだい。突然黙りこんで。君のその汚い口は言葉を放つという大事な役目を忘れてしまったのかな? まあ、所詮君の口のことだから言葉が漏れたとしても聞くに堪えない戯言なのだろうね」


 目の前の女性は机の上に軽く座っていて、長い髪の毛を指に絡ませながらそんなことを言った。……おい、俺はあんた以外の唯一の文芸部員なんだぞ。まったく、夏休みの途中で世界が崩壊するかもしれないというのに、この人は相変わらずのいつも通りの姿だ。ブレない、ブレないにも程ある。――必木先輩は、やっぱりいつも通りだ。


 必木先輩。必木、然子先輩。


 全生徒、ひいては全教師からも避けられる、超毒舌の先輩。旧校舎に半引きこもり状態の問題児のくせに、成績は常にトップを維持し続ける、異彩の先輩。全校生徒から必木先輩について聞いてみたとしても「あんな人間のことなど私に訊かないでくれ」と誰もが口を揃えて答えるであろう、


 そんな、異形の先輩。


「なんだい人をそんなに見つめて。君の、そんな汚い十円玉にも劣る目で見つめられると反吐が出るから今すぐ止めてほしいね。むしろ君が反吐を出して死んでくれないかな」


 ……この人の毒舌には慣れたのでもう気にはしない。だけどしかし何故だろう。俺の汚い十円玉にも劣る目からは今にも熱い心の汗が流れ出そうだ。人体って不思議な仕組みしてるよなあ、ホント。


「ところで、必木先輩。今日は、何も読んでないんですか、本」


「勿論読んでいるさ。何と言ったって私は文芸部部長だからね」


 必木先輩はそう言うと自慢げに何かの本をスカートから取り出した。え、スカートに本って入るの? 全然知らなかった。というかこの部屋の壁一面が本棚なんだからそこに入れておけばいいのに。


「なんですか、それ」


「『罪と罰』という名前の小説だよ。私の愛読書だ。君程度の人間でも名前くらいは聞いたことがあるだろう? ちなみに作者は――誰だか、知っているかい?」


 うん、知らない。


「えーっと、チャイコフスキーでしたっけ」


「なんで小説の話をしているのに作曲家の名前がここで出てくるのかな。作者はドストエフスキーだよ。君って本当に無知だよねえ。君の頭の中は綿飴で詰まっていたりするのかな?」


 失礼な。ちゃんと脳味噌が詰まっているさ。……多分。


「あの、それって、面白いんですか?」


「面白いさ。簡単にどんな話か説明してあげよう」


 いえ、結構です。とは言えない。

 必木先輩は本を机の上に置いて話を続けた。


「君はさ、一つの悪によって百の善を行えるのなら、その一つの悪は許されると思うかい?」


「なんですか突然。そりゃ勿論、許されるわけがないでしょう」


「そうだね、それが一般論だ。むしろ一般論過ぎてつまらないね」


 じゃあ何て言えばいいんだよ。


 ヒャッハァー! 許されるに決まってんだろヒアウィゴォー! とか言わないといけなかったのか?

 どんな狂人だよ俺は。


「つまらないって……。別に間違ってはいないでしょう」


「うん、間違ってないね。間違っては、いないね。でも、これが正しいと思う人間もいる。そんな人物がこの物語の主人公なんだよ」


「そんな人物が?」


「彼の名前はラスコーリニコフと言う。頭脳解明の優秀な大学生だったのだけれど、大学を辞めてしまってね。貧乏に暮らしていたんだ」


「貧乏ですか」


「そう、貧乏だ。貧乏は人を変えるよね。まあ、そんな話は兎も角、彼は質屋のお婆さんを殺して金品を奪おうと考えていたんだ」


「強盗ですね」


「強盗だよ。それで、彼は強盗をし、お婆さんを斧で殺したんだけど、なんということかね、最終的に警察に自首してしまったんだ」


「あれ? 今大分説明省きませんでした?」


 おそらく物語の重要な部分を省いて結論だけ言ったぞこの人。


「別にいいんだよそこは。私が言いたいのは、結局彼は自分が犯した罪によって裁かれた、ということを言いたかっただけなんだから」


「前フリが長い!」


 だったら始めからそう言えよ! 

 概要全部聞かされるのかと思ったじゃないか!


「つまり、私が言いたかったのは『罪は必ず裁かれる』ということさ」


 え、まだ話をするの?


 必木先輩はまだ話を続けるようだった。本の話をしている筈が何時の間にか思想の話になっていた。何故だ。しかもその思想を話すだけならわざわざ『罪と罰』を引き合いに出す必要がないというから驚きだ。


「いくら善行を積もうが関係ない。後で百千万の善行を積もうが関係はない。悪は必ず罰せなければならないのさ」


「……つまり必木先輩は、悪人は全員罰するべきだ。そう言いたいんですね?」


「そうそう、その通りだよ」


 だったら始めからそう言えよ。『罪と罰』という本の話のくだりは何処にいったんだよ。


 しかし、必木先輩は自分の考えを言えたことに満足だったようで、それ以上は何も言わなかった。


「ところで、必木先輩は文芸部員なのに本を読むだけなんですか?」


「……君は本すら読まないだろう? 私は本さえ読めれば満足だよ。ぶっちゃけて言うと、静かに本を読みたいだけだからなんだよね。私が文芸部にいるのって」


 大分ぶっちゃけたな。


「文芸部だから何か書かないといけないのなら、もういっそのこと部活名を読書記録部にでもしようかな」


 おいおいおい。歴史ある文芸部になんてことする気だこの人。……とは言っても、部員二人だけなんだけれども。


 そう言えば、この文芸部が廃部になるという話もあったけれど、先生方が歴史ある文芸部を廃部にしてしまうのは忍びない、折角だから存続させたい、とかなんだか言って廃部にならなかったんだっけ。その代わり、二学期終了時までに部員が四人以上いること、なんという条件になったのだけれど、あの予言がある以上、文芸部が廃部になることはないだろう。先生達も分かっていて出した条件だろうし、まあ、最後くらい好きにしてやろうという考えがあってのことだろう。そんな文芸部に何故この俺が入部したのかというと……って、いや、俺は自分語りをしにここに来たわけじゃない。そろそろ本題に入らないと。必木先輩にわざわざ会いに来た理由を、果たさないと。


「あの、必木先輩。相談があるのですが」


 そうだ。俺は馬鹿にされるのを承知で、哀れまれるのも分かっていて、昨日の、あのことを相談しに来たんだ。


「その相談とは、もしかして赤茶色の髪の色をした女の子のことについてかな?」


 俺が言うやいなや、必木先輩はそう答えた。


「ええ、そうなんですよ……なんか変な子が来て……って、え? な、なんで必木先輩がその事を?」


「いやだって、私その子のことを知っているし。『予言者』のことだろう?」


「何故⁉」


「いや、何故って、何故だろう?」


「いやいや、とぼけないでください」


 何を知っているのかはわからないけれど、少しでも聞いておかなければ。そう思い俺は必木先輩に近づいたのだが、


「まあまあ、兎に角、君は、今日はこれでお家に帰ろう」


 必木先輩に両肩を強く掴まれ、そのままドアまで運ばれた。


「ちょっ、何でですか?」


「もうそろそろお昼時だ――読書の時間だよ」


 必木先輩は上着の内ポケットから携帯電話を取り出し、それの液晶画面を俺に見せつけるように向けた。


 午前11時37分。

 

 確かに、そろそろお昼の時間だった。


「……そうですか。じゃあ、また明日、聞きに来ます」


 読書の時間を邪魔してはいけない。それが必木先輩と俺とのルールだった。


 ルール、とは言っても俺が必木先輩との勝負に負けた際の罰ゲームみたいなものなのだけれど、俺は今までこのルール、約束を破ったことがなかった。


「明日も君の見るに堪えない顔を見なければならないと思うととても優鬱になるけれど、まあ、我慢してあげるよ。君は本当に運がいいねえ無駄に」


「……そうですか」


 俺は溜息をついて、そのまま文芸部室から廊下に出た。そして、廊下に出ると、俺はこう言った。なんかこう、キメ顔で。


「ところで、チャイコフスキーとドストエフスキーって、なんか名前似てますよね」


 まだ引きずっていた。

 だってニアピン賞くらいくれたって、いいじゃないか。

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