第2話


 暗がりに警告灯が点った。カラーはグリーンだ。

 各種電子機器の放つ、電源周波数の低い唸り。

「(王冠)が見えた」

 パイロットからの音声コールがコンテナに響く。

「OK。積み替え準備に入る」

 男はコンソールの電光表示で時刻を確認した。二〇二二年、二月一日火曜。UTC協定世界時(Universal Time, Coordinated)午前十時三十二分。

 沢木亨二、一等治安管理官は、コンテナのほのかな明かりの下、固定フックに身を預けたまま慣性運動に揺らいでいた。まるでコウモリのような仕草である。左耳たぶのアクアマリンのピアスが、それに倣い律動する。

 沢木はフックから足を離すと壁面を蹴って空中に漂った。無重量状態の自由落下が、スロー再生される。

 一見して手足の長い、スマートな男だった。三十代半ばのスポーツマンタイプで、陽に焼けた浅黒い額がサーファーらしい雰囲気を漂わせていた。バーミリオンのジャンプスーツを着込み、長い茶髪をヘッドギアで押さえつけている。一見したところ、一昔前の遊び人の風体、だろうか。

 沢木は張り巡らされたワイヤーに腕を伸ばし、慣れた身のこなしで慣性力を相殺した。

 部屋の片隅に目をやると、昆虫に産みつけられた卵塊のような、細長いカプセルが複数固定されている。白とライトグレイに色分けされた、流線形のボディ。カプセルは各々二メートルほどの大きさがあった。通称、コフインカプセルと呼ばれているものだ。固く閉ざされたシールドを透して、微かに身じろぎする影が見える。中身はいずれも、生死をさまよう人体である。宇宙空間の0気圧に晒された、外傷患者たちだ。

 沢木は上腕を巧みに使って身体を持ち上げると、カプセルのライフファンクションを点検した。


 沢木の今朝一番の任務は、特別便での搬送作業だった。カーゴシャトルのため、旅客機のような気持ちのいい合成レザーのシートも、機内サービスも見当たらない。フライトアテンダントの素敵な笑顔は言うに及ばず。

 沢木に管理事務局から連絡が届いたのは明け方の三時で、自動通達システムが現状最適任者として彼を選び出し、携帯端末にコールしたというのが顛末である。寝入り端を叩き起こされるという、はた迷惑な騒動だった。

 原因は、月面鉱山での死傷事故である。向かった先は月の裏側で、北半球(モスクワの海)三井第三鉱山、十二番縦坑で不明の爆発らしい。五十人以上の死傷者。うち二十三名を(月の王冠)に緊急搬送することとなったのである。受け渡しのポートで沢木の見たところでは、カプセルに着いたカラータグは黄色と赤ばかりだった。黄色は緊急、赤は重体である。つまり一刻を争う生命の危機を意味している。搬送先はL4連合ステーションの日本エリア、高度専門医療センターだった。重度外傷者のためのBM(biomaterial)療法士も待機させているらしい。

 とはいえ、沢木にとって、これで規定外の手当がつくのはありがたい話である。往復のシャトルの手続きと搬送作業で、時間外の割増を入れると、およそ百ユーロになる。まずまずの臨時収入だ。


 沢木はシールドの前方についた、バイタルメーターをチェックした。血圧九十の六十二、脈拍六十。徐脈傾向。

 危ないな。

 沢木はカプセルのスマートな側面を眺めながら考えていた。コフインカプセルとは、誰が名付けたか。言い得て妙である。まさしくその名の通り棺桶型だ。正式には防護生命維持ストレッチャーというのが名称であるが、このカプセルは負傷者を運び易くするための梱包資材という向きが強い。ほとんど物、荷物という印象である。このうちの何名かは実際に(荷物)になってしまうことだろうが。

 この辺りで一旦(荷物)になってしまうと、行き先は大体決まっている。運が良ければ月面投棄、大半はリサイクル処理プラントへ回される。どちらにせよ、あまり想像したくない末路である。

 沢木は頭上のモニタスクリーンを見上げた。白く青ざめた反射体が遠ざかっていく姿が見える。惑星の四分の一の直径、八十一分の一の質量。我らが母なる地球、唯一の衛星、月である。

それは美しい昔話とは裏腹の、死せる天体であった。


「管理局のだんな」

 コンソールのスピーカーがノイズを発し、再びパイロットの呼び声が届いた。

「何だい?」

 沢木は慣れた手付きでルーティンをこなしながら、気のない返事を返した。

「今、ハブポートの管制室から連絡が入ったんだが、直通のハンガー・トランスポータは二十九番で、五十分に着くってさ。エレベーターで居住区まで直行」

 沢木はうなずいた。トーラス居住区まで約二十分。医療センターまでの移動を含めても、十一時半くらいには作業完了である。沢木は制御ダクトの内壁を直行するハンガー・トランスポータの時速三百キロの落下を思い浮かべ、げんなりした。何度乗ってみたところで、正直気持ちのいい乗り物じゃない。

「最寄りの到着ウイングは?」

「十三のC」

「了解」

 パイロットはそこで声をひそめ、しかしながら三面記事的な興味本位で沢木にたずねた。

「積荷の様子は、どうかな?」

 沢木は無意識に鼻の頭を掻いていた。

「やばいんじゃない。半分は……駄目なんじゃないか?」

 パイロットは、ため息混じりに呟いた。

「そんなにひどかったかい?」

「ああ、まあね。第三鉱山のパイロの失敗らしい。引き取りの際、半分は黒タグだったし」

「そりゃ、また災難……」

 沢木はやりきれない様子で首を振ると、

「月の鉱山は一攫千金だけどな、……死んじまっちゃしょうがない」

「道理だな。命あっての物種だ」

 同意を示したパイロットは冷やかし半分、思いつきに言葉を返していた。

「あんたは? どうなんだ? ……あんたも同じ口かね? 宇宙で一攫千金かい? ……こんなところで何してるのさ?」

 沢木はぼんやりモニタを眺めると、曖昧な含み笑いを浮かべた。

 自分も(月の王冠)の大規模職員募集に飛び付いた口ではなかったか。

 地上で、しがない警備員だった男が、ひとたび宇宙に出ると、たちまち治安管理官に格上げとなる。親方日の丸。あっぱれ公務員様、である。月収二〇〇〇ユーロ以上。年三回の賞与。各種保険付き。一攫千金とまでは行かないが安定雇用は魅力だろう。この厳しいご時世、地上ではこうはいかない。

 沢木は皮肉っぽく鼻息を漏らすと、言った。

「ま、無理はしないように、してるんでね」

 パイロットはマイクにざわつくノイズを立てた。

「ハハハッ。正直モンだな、あんた」

 仕事は仕事。単なる労役に思い入れなどない。沢木は、そう割り切っていた。そこそこに稼いで普通に暮らせればそれで良い。頑張った結果が目の前の棺桶カプセルでは引き合わない相談ではないか。

 パイロットは一つ咳払いすると、話題を替えた。

「……なあ、あんた、来月のWBC。ハブポートの関係者でさ、トトカルチョ、やってんだけど。あんたも乗らねえ? 立寄り業者もみんな声掛けてるところでね」

「トトカルチョ? ……いいねえ。一口幾ら?」

「八十ユーロ」

「八十?」

 沢木は一人肩をすくめた。

「そいつは厳しいな。……今月はちょっと金欠でさ」

「今日の、これで、行けんじゃねえの?」

「他にも色々、入用で」

 パイロットは渋い声を上げた。

「そうかい? ま、まだ先の話だし、元手が出来たら声掛けてくんな」

「ありがとさん」

 沢木はモニタに近付いてくる(王冠)を見やり、マイクロフォンを指で叩いた。

 そして、おもむろにパイロットをたしなめる。

「さて、そろそろ余所見はやめて、前見て運転してくれるかい。トラクター・ビーコンを逃しちまうぜ」

 星明りの映るモニタの中、金色の環状構造体がゆっくりとクローズアップされていった。


 (王冠)と呼ばれるこの巨大インフラは、真空の暗がりに浮かんでいる。

 地球から三十八万キロ離れた月の公転軌道上、北極側から見下ろす反時計周りの方角に当たる。月と地球を結ぶラグランジュポイント、いわゆる三体問題で論ずるところの正三角形解L4に位置していた。ロシア・中国ならびに日本の共同開発した包括環境型宇宙ステーションである。

 ロシア中国日本三国連合宇宙ステーションL4、登録記号SSUC3-CJR-L4(Space Station Union countries 3 China Japan Russia-L4)と呼ばれている。人類が作り得た工業建造物としては最大のもので、そのスタンフォード・トーラスタイプのチューブ構造は、半径百キロメートルのドーナツ型、一周およそ六百二十八キロもあった。大阪市と北九州市を結ぶ、国道2号に匹敵するスケールだ。総人口約百二十五万人。開発に携わった三国が、その供出した出資額に比例した居住区を割り当てられている。日本エリアはその第三番目である。

 ステーションはヒトが地上と同じ体感重力を獲得するために、十分間に一回転し、1Gを発生させている。中心部にはハブと呼ばれる車軸のように静止した箇所があり、地球と月、双方を行き来するスペースシャトルのドッキングポートとなっている。ハブからチューブ構造の居住エリアまでは、三十六本のシャフトが渡されている。無重量状態の中心部から居住層に向かって徐々に加重されていくので、シャフト中間エリアには様々な重力を想定した施設が設備されていた。

 居住区の外壁は厚さ十二メートルほどで、鉄、鉛、チタン、カーボンファイバーを織り合わせた複合装甲だ。この外壁と充填された空気の層が危険なガンマ線への盾となるのである。ステーション内では熱対流が起こり易いため、チューブ構造の最外延部に放熱翼が取り付けられている。温まった空気はこの先端部を通過する際に、宇宙空間へ熱気を逃がす仕組みである。ぎざぎざに飛び出した放熱翼の姿は、トーラス型宇宙ステーションを、さながら冠のようなシルエットに見せていた。ロシア人たちはこのステーションにあだ名をつけており、それはこの外観によるものだった。

 Корона、カローナ。(王冠)という意味らしい。

 確かにラグランジュL4の位置で回転を続ける宇宙ステーションは、漆黒の闇にきらきらと輝き、観測位置によっては、あたかも月が小さな王冠を被ったようにも見える。それがロシア人的な解釈だ。

 実のところL4ポイントは、月と地球を結ぶ距離を一辺とする巨大な正三角形の端なので、(被っている)にはいささか語弊があった。ともすればコミックブックのびっくりした王様のように、王冠が飛び上がって見えるのは、ご愛嬌。そこは北欧人のロマンとして目をつぶっていただきたい。かつてモスクワ郊外のガガーリン宇宙飛行士訓練センターを(星の街)と呼んだ人々である。未だ、その伝統は失っていないらしい。

 我々もいつしか彼らにならって、そう呼ぶようになっていた。大体、正式名称が長すぎるし、登録記号SSUC3-CJR-L4なんて誰が覚えるだろう? 外壁材が金色をしていることから、(王冠)だの(月の王冠)だのと呼ばれている。

 現在、月を挟んだ反対側の軌道周期上L5では、EU連合共同体宇宙ステーションが建造中だ。こちらはクロームシルバーの外壁材なのだそうな。ベルナール球タイプのステーションなので、もうあだ名は決まったようなものである。

 恐らく(銀の鈴)だろう。

 宇宙ステーションに近付くと、沢木を乗せたコガネムシのようなカーゴシャトルが、豆粒のように見えた。沢木はシャトルの舷窓から、船外を仰ぎ見た。チューブリングの描く、直径二百キロの不自然なパースペクティブが目に映る。その存在があまりに大き過ぎて、どこか歪んだように知覚されてしまうのだ。

 眩暈を覚える巨大構造物は、金色に太陽光線を反射しながら、ゆっくりと回転を続けた。十分間で一回転。ヒトが地上と同様の活動をする、そのもとい

 リングの影には赤や黄色の警戒灯、指示灯が思い思いの間隔で瞬いている。

 (月の王冠)の、大きく口を開けるドッキングハブの暗がりから進入灯が現れると、音楽的な間合いの後、二秒間隔の明滅を始めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る