第11話

* 41 *

 朝から雨が降っていた。


 冷房の弱い満員電車の中は、人の体温でベタベタと蒸し暑い。湿り気を含んだ空気が肌にからみつく。

 じめじめと、不快指数が上がる。

 駅で電車から降りて息をつく間もなく、ところてん式に改札口を通る人波ひとなみにのまれる。改札を通り駅の構内から出て、盛大に息を吐き出した。

 色とりどりに開いた傘の上を見る。


 空一面、灰色の雲がかさなり合っている。同じ灰色でも、色合いが違う。

 白に近い灰色の雲。その手前にはねずみのようなグレーの雲。

 今の自分の心境を映し出したような空。


 朝のニュース番組で、梅雨つゆ入り宣言していた。

 ――気が滅入めいる。


 細かい雨が降る中、意を決して学校に向かう。




 いつもより時間をかけて高校にたどり着いた。建物に入った瞬間、空気が変わる。窓を閉め切った屋内は湿度が高く、生ぬるい空気にうんざりする。

 生徒のいない昇降口で靴を履き替えてから、スマートフォンの画面を見る。

 ショートホームルーム開始の5分前。

 昇降口近くの階段で2階に上がり、廊下を早足に歩く。

 ザワザワと騒々しさが、一気に鳴りを潜める。オレの姿を見た途端、あからさまに。

「今度は、名本夕香とだって?」

 わずかに聞こえてくる男子の音吐おんと

「名本って、誰だよ」

「A組の、ぼんやりとした…」

「あぁ」

 噂をするなら、本人に聞こえないようにして欲しい。

 それとも、わざと聞こえるように言っているのか。嫌がらせだろうか。


 ――名本さんが好きで、悪いか。


「ねぇ…森井くん」

 ためらいがちに呼び止める女子の声に振り返ると、4人の女子生徒が廊下の真ん中に陣取っていた。

 そんな所に並んでいると邪魔になるけど。そんなことを考えながら、彼女たちが話し出すのを待つ。

「名本さんと、付き合っているの?」

 黒くまっすぐな長い髪が、日本人形を思わせる生徒が、口を開いた。下がり目が気弱な感じの、大人しそうな女の子。

「付き合ってないけど……」

「じゃあ…名本さんが好きとか?」

 畳みかけて質問してきたのは、別の女子。さっきの真面目そうな生徒とは真逆のタイプ。シャツの袖をまくり、ピンクのシュシュを左手首につけ、肩につく髪を耳にかける。しゃべり方も見た目も、勝ち気そう。

「それが何?」


 ――名本さんを好きじゃない。


 その場しのぎでも、それだけは口にしたくなかった。

「えっ?! ウソ…」

 誰かがそう呟くと、4人仲よく固まる。その間をすり抜けて、教室へと歩き始める。

 嘘、って。

 じゃあ…彼女たちにとって、何が本当になるんだか。

 何て言えば、信じるんだろう。


 ――誰が何と言おうが、オレの気持ちだ。


 真正面を見据えながら、いさんでA組のクラスに向かう。

 他人が何て言おうが関係ない。噂したい奴は、好きに噂していればいい。

 生徒の姿が少ない廊下を大股で進み、開けっ広げの教室に入る。勢い込んで歩いたせいか、ドア付近のクラスメイトがびっくりした顔で振り向く。

「…おはよう」

 深呼吸して、勇み立つ心を落ち着かせてから、挨拶をする。

 自分の席に歩を進めながら、名本さんの席を見た。

 チャイムが鳴り出す。


 ショートホームルームの始まりを告げるチャイムが響き終わっても、名本さんは姿を見せなかった。

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