* 28 *

「そろそろ帰りますか?」

 スマホで時計を確認していたら、背中に質問を投げられた。

「うん、そうだね」

「じゃあ…名本も帰りますぅ。森井くん、駅まで一緒に帰りましょう」

 オレの答えを聞くと、名本さんは帰り支度を始めた。

 一緒に帰る。

 その言葉に、鼓動が乱れる。

「ちょっと待ってて下さいね」

 まだ了承していないのに、彼女の脳内では一緒に帰ることは決定しているようだ。

 ガタガタと大きな音を立てて、片づけ出した名本さん。急いでいるせいか、ぞんざいに扱う姿に見兼みかねて声をかける。

「待ってるから。ゆっくりでいいよ」

 壊すんじゃないか、と見ているこっちが冷や冷やする。

「本当ですかぁ?! ありがとうございます」

 嬉しそうに言葉を発したが、片づけるスピードは変わらない。


 名本さんがいいなら…まあ、いいか。


 そう自分に納得させて、学校指定のバッグの横に置きっぱなしの本を手に取る。名本さんが作業している間、表紙を開いてページをめくっていく。

 小さな風景写真とその下の文字に、目に留まった。

『夕色』

 さっき耳にした、色の名前。


 サンセット。夕色。

 しょく

 日の暮れる様子で、いくつもの色名がある。


 ――すごいな。

 純粋にそう感じた。


「お待たせしました」

 その声に目を上げると、間近まぢかに名本さんが鞄を持って立っていた。

「じゃあ、帰ろう」

 本を閉じて、立ち上がる。書籍をしまったバッグを持って歩き出す。

いていた絵、中断して大丈夫?」

「はい。かなり進んだので、大丈夫です」

 オレの問いかけに、名本さんは自信ありげに答える。

 美術室を出て、名本さんが室内の電気のスイッチを切る。一瞬で暗がりになった部屋のドアを名本さんはゆっくり閉める。

「明日から中間テストですねぇ」

 階段を下りながら、名本さんはのんびりと呟く。

「そうだね」

「森井くんは、楽勝って感じですね」

 無邪気なしゃべり方で、軽快な足取りでオレの前を歩く。

「そういう名本さんも余裕よゆうそうだね」

「今回のテストは、投げ出しました」

 あっけらかんと受け答えをする名本さんは、長い髪を左右に揺らしながら階を下がっていく。

 振り子みたいに動く焦げ茶色の髪は、まっすぐで指通りがよさそう。


 ――触ったら、どんな感触なんだろう。


 前に出そうになる手を押さえるために、鞄からスマホを取り出した。


 静まり返った校舎。

 何もしゃべらなくても、心地よい。


 昇降口から屋外に出ると、グラウンドにも生徒の姿がなかった。

「名本たちが、最後のようですね」

「明日からテストだからね」

「テスト前日に勉強しないふうわりは、名本たちだけみたいですねぇ」

 危機感のない、のほほんとした口ぶりに、「確かに風変わり」と納得してしまう。

 そんな名本さんと並んで正門を通り抜けて、駅に向かう道を進む。

「…雲が多くなってきましたねぇ」

 少し残念そうに呟く名本さんの声で、空をあおぐ。

 夕日は隠れ、空には青みがかった灰色の雲が広がっていた。

「本当だ。明日、雨降るのかな」

「うーん。天気予報では、今週は晴れだったはずです」

「詳しいね」

 彼女が天気をチェックしているのが、意外に思えた。雨でもくもりでも気にしないイメージだったから。

「やっぱり、晴れている方が好きなので」

 楽しそうに話す名本さん。

 とりとめのない話をして、一休みするように無言になる。それを繰り返しながら、歩道を歩く。


 ――この何げない時間が、妙に楽しい。


 駅前のロータリーに差しかかった時。

「和哉?」

 よく知る声に、足を止めて声のする方を向く。

「姉さん……どうしたの?」

 まさか姉がこの駅を使うなんて思いもしなかったから、まごつく。見られたくない現場を見られたような気まずさ。

「友人と買い物」

 あせり気味のオレの内心ないしんを知らない葉月は、気さくに答えてから、オレの横を見る。

「初めまして。和哉の姉、葉月です」

 よそきの笑顔、よそ行きの口調で、姉は名本さんに自己紹介した。

「こちらこそ、初めまして。森井くんのクラスメイトの名本夕香です」

 名本さんは、姉にペコリとお辞儀する。


 ――何故なぜ、今日……。


 高校から一番近いこの駅は、ターミナル駅ではないけど、駅前にデパートとかが並ぶ、そこそこ大きな駅。利用する人も多い。

 だから、買い物にも来るだろうけど。


 ………何で、今日。

 姉に対して、うらめしい気持ちをいだく。


「私は、ここで…。お姉さん、森井くん、さようなら」

 私――名本さんが初めて使ってみせた単語に、少し驚く。

 よそ行きの言葉。

「夕香ちゃん、気をつけてね。またね」

 名本さんに人懐っこい笑顔で手を振る姉を、盗み見る。手を振る名本さんに、同じように手を振り続ける。

 オレに対しての第一声で、何を言われるか、警戒している。

「さて、帰ろっか」

 名本さんの姿が小さくなったところで、葉月がオレの方に向き直った。

「…うん」

 葉月の言葉に同意すると、姉は改札へと歩き始めた。

 拍子抜けしながら、姉の後を追って改札を通り、ホームへ下りる。

「いつも、この時間?」

「…委員会」

 姉の質問に、答える。半分だけ本当。

「何か、いいことあった?」

「どうして?」

「何となく」

 にっこりと笑みを口許に浮かべる葉月を見て、嫌な予感がした。

 ホームに注意を促すアナウンスが流れた後、減速した電車が滑り込む。

「好きな子できた?」

 さらりと訊く姉。

 その語調は、母に向ける「ご飯できた?」と同じ。


 その台詞に、オレは固まった。

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