11

 俺がこの隠れ家に来てからどのくらい時間が経ったのだろう。少なくとも一週間は経っただろうか。その間、俺は巳尺時に銃の扱い方と護身術を教えてもらった。標的は身体能力以外にも学習能力も向上するらしく、俺は思うよりも早くそれらを覚えていった。


「……」


 そして、今日も俺は巳尺時に連れてもらった射撃場で銃を構え、的に向かって発砲していた。


 銃声。


 的の中心に穴が空く。


「……」


 穴が空いた的は天井のレーンに沿って移動して、次の的が現れる。銃を構え直す。引き金を引く。銃声。穴が空く。的が消える。的が現れる。銃を構える。撃つ。空く。消える。現れる。構える。撃つ。空く。消える。現れる……。


「……」


 俺はただただ的を撃ち続けた。慣れたものだと思う。最初は銃を構えることすらままならなかったけれど、今は違う。的の中心を撃ちぬけるようになったし、銃の反動にもビクともしない。今の俺なら巳尺時の力になれるかもしれない。


「鑑君、そろそろ休憩しようよ。ここ数日撃ちっぱなしじゃない」


 気付かないうちに巳尺治が近くに来ていたようだ。銃を下ろした。


「……いや、まだあとちょっと、練習していたい。あとちょっと、まだ、少し……」


「もう十分だと思うよ? 狙ったところを撃ちぬけるようにもなったし、早撃ちもマスターしたじゃない。これ以上は上手くなりようがないよ。それに、私が銃の扱いを教えてから一睡もしてないんじゃない? いくら寝なくていいからってきちんと休憩しないと精神がまいっちゃうよ」


「……もう、」

「……え?」

「いや、なんでもない。じゃあ、あと少しだけしたら休憩するから、もう少しだけ……」


「……そう。じゃあ食堂で待ってるね」


 巳尺治はそう言って、出ていった。


 ――違うんだ巳尺治。本当は、違うんだ。俺だって休憩したいと思っている。でも、少しでも気を抜くと、横になって考えてみると、西条先輩のことを思い出してしまいそうで、嫌なんだ。銃で的を撃ち続けている間は何も考えずに済むんだ。そんなことをしてもどうにもならないことは分かっているけれど、それでも俺は――


「……」


 引き金を引いても反応がない。弾が切れた。……駄目だな。俺。もっと強くならないと。俺は銃をカウンターの上に置いた。


 食堂に行こう。巳尺治が待ってる。






 食堂の扉を開けると、巳尺治が料理を用意して待っていた。


「ごめん、待たせたよ」

「ん、いや大丈夫だよ。思ってたより早かったしね」

「それは……?」


「ああ、これ? 久しぶりにご飯でも食べようと思ってね。食材が冷蔵庫の中にまだ沢山残ってたから勿体ないなーと思ってたところだし」


「そういえば初日以来だな……食べるの」


「そうなんだよ。折角だから食べなきゃ、ね? さあさあ座って座って」

「お、おう」


 巳尺時に促されて席に着く。食堂に来ることすら久しぶりだったなそういえば。こんなに広いのにそれこそ勿体ない。……あれから時間がかなり経った気がする。懐かしい。あの頃は銃を握ることすらできなかったんだ。


「そういえば、巳尺治、ふと気になったことがあるんだけど、ここに来てからけっこう時間が経ったと思うんだ。何時まで俺達はここに居られるんだろう。司者達を倒さないといけないんだろ? 司者達も俺を追ってきているはずだし、このままここにいるのは危ないんじゃないか?」


「そうだね、実はこの場所に留まっているのはマズいんだ。話していなかったけど、私達と司者の行動可能範囲は日本全土まであってかなり広いんだよ。その代わりと言うべきか、司者達は毎朝8時に自分と標的、また他の司者との距離を大まかに運営から知らされるんだよ。誰かに直接言われるんじゃなくて、なんかこう、頭の中に自然と情報が入ってくる感じでね」


「へえ、そうだったのか。でも、それだともう誰かがここに気付いてもおかしくないんじゃないか?」


「うん、実は司者達がこっちに集まりつつある。でも、思ったより時間がかかってるね。多分、他の司者同士が接触して戦闘になっているから、遅れているんじゃないかな。転落死と感電死とショック死が他の司者にやられちゃってるでしょ? 私達が動かないから司者達が鉢合わせしやすくなっているんだと思う。距離も正確にわかるわけじゃないしね」


「そういえば、アナウンスが鳴っていたな。そっか、もう三人も減ったのか」


 これで残りの司者は八人か……。それでもやっぱりまだけっこういるな。


「……鑑君の言う通り、そろそろここを出た方がいいかもしれないね。実は、さっきその司者達の場所がおおまかに知らされたんだけど、一人、かなり近づいてきているみたいなんだ。まだここには着かないとは思うけれど、一応、念のため、そろそろここを出発した方がいいかもしれない」


「よし、じゃあ出よう。話を聞いていたらここも全く安全、というわけじゃなさそうだしな」


「ええっ、でもまだ鑑君全然休んでないよ。ご飯だって食べてないし、睡眠だって――」


「大丈夫大丈夫。これくらいなら。思い立ったが吉日と言うしな。早くやろう」


「……わかった。でも、ご飯は食べてね! 折角作ったんだから」


「わかったわかった。食べるよ」


「もう、じゃあ、私は早速準備するよ。手ぶらで出るには危ないからね」


「おっけ、頼んだ」


 巳尺治は食堂を出ていった。俺は……そうだな。目の前の料理を食べよう。


「あ、おいしい」


 巳尺治の料理ってこんなに美味しかったっけ? 暫く食べ物を口にしていなかったからなのか?


「……」


 箸が進む。そろそろ司者達と戦う時間が来る。食べ終わったらここを出るんだ。休んでいる場合じゃない。そうだよ。休んでいる暇なんてないんだ。早くこの地獄のようなゲームを終わらせて、終わらせて、帰るんだ。元の日常に。


 俺は意気込んでいた。自分はただただ弱い人間ではなくなった。銃も扱えるし、軽くなら格闘術だってできる。今の俺なら、戦える。そう信じて。


「……っ!」


 俺は立ち上がった。料理は食べ終わった。行くぞ。すぐに終わらせてやる――






「……」


 俺は外で巳尺治を待っていた。巳尺治はトラックに武器を積み込んでいた。隠れ家の中の武器をできるだけ詰め込んで持ち出すそうだ。隠れ家のあの大きな入り口はこうやって乗り物ごと出入りできるようになっているみたいだ。巳尺治を手伝おうと思ったけれど、どうせ、いいよと断られるだろうから、俺は外で待つことにした。久しぶりに外の空気を吸いたかったし、ちょっとだけ一人になりたかった。巳尺治にしてもらってばっかりで、お返しができなくて、どうしても彼女に引け目を感じる。彼女の仕事上仕方のないことなのかもしれないけれど、それでも俺は巳尺治と一緒にいると居心地が悪かった。失礼なことなんだけれど、申し訳ないと思っているけれど、どうしても、なんかいやな感じというのか、それが拭えない。


「……じっと突っ立っていると、変に考えてしまう。ちょっと散歩するか。巳尺治にあまり動き回らないように言われているけれど、仕方ない」


 森の中を少しだけ歩くことにした。時間は、昼くらいだろうか? ずっと地下にいた所為で時間間隔がわからない。すぐに元に戻るとは思うけれど。


 そういえば小さい頃、こうやって森の中を歩くことが好きだった。親戚の家に遊びに行った時、よく家の裏山に探検しに行ったっけ。――あれ? その時、俺ともう一人、誰かと一緒に行かなかったっけ? 俺だけじゃない。誰かがいた筈なんだけど、思い出せない。もう昔のことだしなあ。覚えてない。


「おとうさーん、おかあさーん」


 歩いていると、何処かから女の子の声がした。


「おにいちゃーん、どこにいるのー?」


 迷子だろうか。家族を探しているらしい。


「おとうさーん、おかあさーん、あいたいよ……」


 声が今にも泣きそうで、寂しそうだった。これはまずい。ここはけっこう森の奥の方だったと思う。こんな所で家族とはぐれたら会えない可能性が高い。


「おーい、大丈夫かー? 迷子かー? 俺が一緒に探してやろうかー?」


 聞くに堪えなかったので俺はそう叫んだ。こんな所で迷子になって一人で彷徨うなんて、不憫だ。出来ることなら力になってやりたい。


 しかし、ここで俺は思い出した。


《実はこの世界は私達がいた世界とは違うんだ。この世界は死神によって造られた仮想世界で、標的と司者以外の人間は存在しないんだよ》


「あ、しまっ」



「見 つ け た」



 俺は咄嗟に前に転がり込んだ。俺の背後で轟音が響く。地震。地鳴り。まるで隕石が落下してきたかのような、イメージとしてはそんな感じの音と振動だった。


「がっ……一体何が……」


 体を起こす。そして、振り返った。すると、俺の目に映ったのは、



 地面に垂直に刺さったバスだった。



「……⁉」


 一瞬にして俺の理解を超えた。バスが、綺麗に縦に刺さっている。刺さっている。刺さっている⁉ はあ⁉ 何じゃあこりゃあ⁉


「おにいちゃん、見つけたよ」


 バスの上から例の女の子の声が聞こえた。そして、女の子がバスから飛び降りてくる。


 すたっと着地すると、女の子はこっちを見た。目が合う。

 小学校低学年くらいだろうか。幼い。この子が……司者?


「おにいちゃん、やっと見つけたよ。おにいちゃんをぺしゃんこにすればおとうさんとおかあさんに、会わせてくれるんだよね?」


「は……、いや、違」


 女の子が右手を上げた。やばい。俺はまた転がってその場から移動する。轟音。大地が揺れる。


「はっ、はっ、はー」


 俺の僅か数センチ後ろにまたバスが突き刺さった。なんだ? なんだ? 何でこうなっている?


「次は、当てるよ」


 女の子が今度は両手を上げた。マズいマズい! 速く立ち上がらないと――


 しかし、女の子は俺に立ち上がらせる余裕を与えない。女の子は勢いよく右手を下ろした。それに呼応してバスも降ってくる。俺はまた転がって避ける。轟音と地震。そして今度は左手。俺は次もなんとか避けるけれど、左手を下ろす頃には右手が上がっていて、次は右手が下ろされる。駄目だ。必死に転がって避けている間に次が来る。立っている余裕なんてない。バスが落ちた時の衝撃で走る地震に足がもつれるし、生えている木々にも足を取られる。バスは周りの木々なんか問答無用で潰してきて、ペースが弱まることがない。このままではいつか避けられずに潰されてしまう。


「こんなの、どうしろっていうんだ――」


 そう言って、気付く。避けられないなら、倒してしまえばいいんだ。そうだ。銃は腰に差さっている。これで女の子を撃ち抜けば、いいんだ。それで、終わる。


「……うぅ、マジかよ」


 でも、四の五の言っている場合じゃない。相手は司者なんだ。容赦なくこうやって俺を殺しに来ている。だから、俺が応戦して司者を殺すことは何も間違ってない。


 そう、間違ってない筈なんだ――


「くそっ」


 腰から銃を抜いた。あとは簡単だ。女の子の眉間に向かって弾を発射するだけ。引き金を引くだけ。今の俺ならできる。知っている。あれほど練習したんだ。どれだけ悪い体勢でも目標は撃ち抜ける。


 俺は地面に肩を付けながらも銃を女の子へと向けた。女の子と目が合う。今だ! 引き金を引け! 殺せ! 


「ああああああああああ!」


 俺は転がった。バスが地面に刺さる。俺は避けた。撃てなかった。撃てるわけがなかった。


「こんなの、無理だろ……」


 だって相手は女の子だぞ? 幼い、子供なんだ。それを撃ち殺せだって? 無理に決まっている。そんなのできっこない。ただの的じゃないんだ。意志があって動いている、人間なんだ。今まで俺が撃ってきたきたものとは違う。違う、ものなんだ。


「ああ……」


 手が震える。足もガクガクで、まともに動かせそうにない。なんだよ。巳尺治の力になれるかもしれないなんて、よく言えたな。役立たずも甚だしい。結局俺は何にも変わっちゃいない。卑屈で、臆病な奴なんだ――


「もう、駄目だ。これ以上、逃げられない」


 足もまともに動かせなくなって、女の子の攻撃を避けることはもうできない。


 すうっ、と。


 女の子が手を上げた。

 あれが振り下ろされれば、俺は死ぬ。ぐしゃぐしゃのぺちゃんこに、なる。


 俺は見上げた。バスの正面が、見える。もう既にバスは頭上にある。あれが、落ちてくる。


「ああ、もう、逃げられない――」


 俺は女の子を見た。はっきりと、その子の顔を。


 今から殺す人間の顔を――



「――もう、死神ゲームからは、逃げられない」



 最初から、分かっていたんだ。撃つのは的じゃない。人なんだって。人間なんだって。俺と同じ、笑って怒って、泣いて。そんな、ただ一人の人間なんだ。知っていたんだ。でも、嫌じゃないか。なんで好き好んで人を撃たなきゃならないんだ。なんで殺さなきゃなんないんだ。できれば逃げたいじゃないか。やりたくないじゃないか。でも、でも、


 ここまできたらどうしようもない――


「くそがぁああぁぁぁぁぁああああぁぁぁぁぁああ‼」


 撃った。

 女の子を、撃った。

 まだ幼い、子供を。


 弾は女の子の眉間を貫き、確実に絶命させた。


 俺が、殺した。


「はーっ、はーっ……」


 全身の力が抜ける。撃たれた瞬間の女の子の顔が頭から離れない。吐き気がする。頭も痛い。


「あ……ああ……」


 とうとう、やってしまった。


 ここまで来たらもう戻れない。


 わかっていたことだけれど、どうしても、どうしても、苦しい。


「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」


 泣いていた。大泣きだった。何故かはわからない。でも泣かずにはいられなかった。嘆かずにはいられなかった。息が苦しくって、たまらなかった。息も絶え絶えになりながらも泣いていた。叫びは言葉にもならなかった。呼吸すら難しくなった。



《圧死の司者、金木(かなぎ)朱音(あかね)。

 標的により、即死――》



 どこからか、アナウンスが鳴り響いた。


「ああ……ひぐっ、うう、うぅ……」


 俺は膝をついて項垂れていた。銃はもう握っていることすらできなかった。全身の力が抜けている。そのまま魂まで抜けていきそうだった。


「鑑君! 鑑君⁉ 何があったの⁉」


 遠くから巳尺治の声が聞こえる。準備が終わったのだろうか。それとも、地震に気付いて慌てて来たのだろうか。俺を、心配して来てくれたんだろうか。


「鑑君⁉ 大丈夫⁉」


 肩を揺さ振られる。もう近くに来ていたらしい。俺は顔を上げた。巳尺治の顔が見える。巳尺治の顔は心配そうに俺を見ていた。


「……巳尺治、俺。圧死を、殺したんだ。まだ幼い女の子で、父親と母親を探している様だった。俺はそんな子を、銃で、撃って……」


「……うん」


「俺が、殺したんだ。この手で。顔も、はっきりと見たんだ。眉間に穴が空いて、血が、出て、それで、」


「……うん」


「それで、女の子が、死んだんだ。間違いない。俺がこの手で殺した。殺されると思って、殺した。だって、そうしないと、殺されてしまうから」


「うん」


「巳尺治、俺は、もう戻れないところに来てしまったんだ。いや、やっと既に自分が戻れない場所にいることに自覚したんだ。俺は、司者を殺さなきゃならない。生き残るために。巳尺治と、戦っていくために」


「うん」


 俺は掴まれた手を掴み返した。


「巳尺治、俺と一緒に戦おう。今更だけれど、協力してくれ。俺が司者を倒す。殺す。このくそったれなゲームで、勝ち残ってみせる。だから、俺と一緒に戦ってほしい」


「……うん、準備はもうできてる。車はもう停めてあるよ。早く、この森を出よう。逃げるためじゃなく、全員、倒すために」


「勿論だ。奇襲なんてさせるか。こっちから前に出る。下準備は十分にした。今度は、こっちの番だ」


 俺は立ち上がった。巳尺治も立つ。


 もう、逃げることは出来ない。なら、戦ってやる。戦って、全員ぶっ倒してやる。そう、心に決めた。


「残り全員、俺達が殺す」


 俺は巳尺治に連れられて、車に乗った。大きな車だった。おそらくこの中に大量の武器が入っているのだろう。


 俺には何の力もない。馬鹿でかいトラックを生み出すこともできなければ炎を身に纏うこともできない。だけれど、俺には巳尺治にもらった武器がある。経験がある。そして――巳尺治がいる。なら大丈夫だ。俺は、戦える。


「行くよ」


 巳尺治が言った。


「ああ、行こう」


 俺はそう答えた。


 死神ゲームが始まって暫く経った。しかし、俺の、俺達の戦いは、まだまだ始まったばかりだ。

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