7

 そこは庭園だった。ドーム状の建物の中に様々な植物が規則的に植えられている。こっちの区切りはこの植物、あっちの区切りはあの植物。煉瓦でできた仕切りで植物が分けられていた。その植物達が太陽の光を存分に浴びるように庭園の天井はガラスのような透明なものでできていた。下から見上げれば空の様子が一目瞭然だった。


 その庭園の真ん中、円形の白いテーブルにて一人の女が紅茶を飲んでいた。小柄な赤いティーカップを右手、ソーサーは左手に庭園の植物達を眺めながら女は誰かを待っている様だった。


「……ふう、まだ来ませんわね」


 女は溜息を吐いた。ティーカップをソーサーに乗せてテーブルに置いて両肘をつく。その時に服の袖口が垂れてティーカップの中に入ろうとしたので女は一旦肘をつくのをやめ、服が接触しないようにティーカップを少し遠ざけた。


「……危ない。もう少しで服が汚れてしまうところでしたわ」


 女はとても奇妙な格好をしていた。黒色の長袖に続くロングスカートで、黒を基調とした衣服なのだが、衣服の袖やスカートが白色のフリルになっていて、しかもそれが派手にあしらわれている。ゴシックロリータとでも言うのだろうか。女はそんな西洋風の衣服を身に纏っていた。


「……おや、やっと来ましたわね」


 女が呟く。女の視線の先には一人の男がいた。この男の格好も奇妙でホストのような服装に手首胸元に銀色に輝くアクセサリーをじゃらじゃらと大量にぶら下げている。それに顔が長い金髪で隠れていて表情が読めない。二人とも趣味が悪いとまでは言われないだろうが、一般的には受け入れられにくいであろう姿であった。


「久しぶりだな菜緒。まさかこんな風に再開することになるとは思わなかったぜ」


 男は歩きながら女に向かってそう言った。どうも二人は見知った仲であるらしい。


「私もまさか狭川さんとこんな形で再開するとは思いもしませんでしたわ。……ところで、狭川さん。私を名前で呼ぶのはもう止めてくださいませ。私と貴方はもう『そう』ではないのだから」


 女の目つきが鋭くなる。狭川の表情は相変わらずわからないがそれを気にした様子はなく、テーブルの前、女の正面に立つと椅子に手をかけ「平和、座ってもいいか?」と言った。


「どうぞ。おかけになってくださいませ。お茶はこれを飲んだら、注ぎますわ」


 腰を掛けた狭川の前には女のものとは柄が違うティーカップが置かれていた。白いテーブルの上に青いカップだけがぽつんとある。ソーサーはない。狭川は平和へ目線を上げた。平和はソーサーとカップを片手ずつに持ち、優雅に紅茶を飲んでいる。狭川は溜息を吐いた。慣れたことだ。今更どうということはない。しかし今でも平和には下に見られているようだ。それが少し気に食わない。


「茶なら自分で入れる。ポットをくれ」

「あらそう。ではどうぞ」


 平和はカップとソーサーを下ろしてティーポットに持ち返る。そしてポットを狭川の目の前に置いた。狭川はポットを手に取ってカップへと紅茶を注ぐ。薄口醤油のように若干透明がかった紅い色の紅茶だった。狭川は紅茶が好きではないがこれが何なのかは知っていた。アッサムだ。味が濃いので紅茶がもともと苦手な狭川にとってはこれを飲むならそれこそ薄口醤油を飲んだ方がマシというものだったが、狭川は何も言わなかった。この目の前の女、平和菜緒には今まで嫌と言うほど既に飲まされている。平和はこのアッサムが好きだった。だからどうせこいつが用意した紅茶の予測は簡単につく。狭川は内心うんざりしながらも紅茶をカップに注いでいた。


「……ところで、今回は何のお話だ? お互いが敵という状態で再会して、それで何を話すっていうんだ? ここでお互いにぶっ殺し合ってとうとう決着がつかなかった因縁にケリをつけようってことか?」


「いいえ、逆ですわ。折角こんな特殊な状況で見知った人に出会ったんですもの。期限つきではありますが協力をしましょう」

「はあ? 協力?」


 狭川が首を傾げる。


「ええ、協力。協力ですわ。二人で手を取り合って仲良く他の司者を倒しましょう、ということですわ。貴方の頭でも理解できる言葉だと思いますけれど」


「……」


 狭川が立ち上がった。


「? どうかしましたか狭川さ――」


 平和の言葉がそこで途切れた。一瞬、一瞬だった。一瞬で庭園の植物が全て燃え尽くされた。ばちばちと音をたてた花壇からは彩りが消えていた。植物達は一瞬の間に無数の閃光によって灰になった。


「……協力、協力だって? 面白いことを言うな平和。今まで散々俺を好きに使った挙句司者になってまで俺を利用しようってか? それに冷静になって考えてもみろ。死神になれんのが一人だけだっていうのに協力もクソもあるか。結局俺とお前は殺し合うことになる」


「そんなことは百も承知。ですから期限つき、なのですわ。司者が残り二人、私達になるまで協力して戦った後、私達でどちらが死神に成るかお話しましょう」

「……ばからしい。俺は帰るぞ」


 狭川は身を翻す。


「待ちなさい。狭川さん、貴方、さっきの閃光で私を殺すことができたのにそれをしなかった。それはつまり、話を聞く気があるということではなくて? 植物を焼き払ったのはただの脅し、話を自分の都合のよい方向に持っていくためでしょう?」


「……昔から気持ちが悪いほど食えない女だなお前は」


「さあ、おかけくださいませ。話の続きをしましょう。悪い条件にはしませんわ。そうですわね。狭川さんが、私の死神に成った時の望みを叶えてくれるというのならば死神の席は貴方にお譲りしましょう。それではどうかしら」


「はっ、どうだか。信じられないな」


 そうは言いながらも狭川は再び椅子に座る。


「ではこちらは? 私が貴方の望みを叶えることを約束する換わりに私が死神に成るというのは」


「そっちの方が無理な話だ。……わかった。俺が死神に成る換わりにお前の望みを叶えてやろう。これでいいか?」


「ええ、私は満足ですわ。私は死神なんてめんどくさそうなものに興味ありませんもの。私の望みを一つ叶えてくださればそれで十分」


 平和は微笑んだ。しかし狭川はまだ警戒していた。生前からこの女には苦しめられてきた。平気な顔して嘘をつかれたことなんてザラだ。今更両手を上げて信じられるわけがない。


「あら、紅茶は飲みませんの? 早く飲まないと冷めてしまいますわ」


 それを聞いて狭川は目を落とす。紅茶からはもう湯気は出ていないがまだ温かいだろう。しかし問題はそれではなく、


「……」


「……狭川さん? どうかしました? 貴方が紅茶を苦手としていることは知っていますが、飲めないわけではないでしょう? それとも――私の紅茶が飲めないと仰るつもりかしら」


「……換えてくれ」


「はい?」


「だから、カップを換えてくれ。お前が今飲んでいるそれと、換えてくれ」


「おやおや狭川さん。私が口をつけたものを使いたいと。私の知らない間にとんだ変態になってしまったのですわね」


「うるせえ。換えることができないなら話はナシだ」


「……わかりましたわ。抵抗はありますがそこまで言うなら換えてあげましょう。今回だけですわよ?」


 平和は手に持っているカップを狭川の前に差し出した。狭川は先程紅茶を入れたカップを差し出す。そして平和と狭川はお互いのカップを交換した。


「まったく、狭川さんは人を信じる心が足りていないのですわ。これを飲めばよいのでしょう?」


 平和は交換したカップを躊躇なく口に運び、紅茶を飲んだ。


「あー美味し。やっぱり紅茶はアッサムに限りますわ。ミルクティーにするよりもこうやってストレートで飲むのが一番ですわね。……ほら、これでよいのでしょう? 私は貴方が注いだ紅茶を飲んだ。貴方もそれを飲むべきですわ。先程私が飲んでいた紅茶を。虫唾が走るほど気持ちが悪いですが、それでお互いを信じて協力関係を結んだということにしましょう」


「……」


 狭川は左手で平和のカップを手に取った。臭いを嗅ぐ。異臭はない。


「……」


 狭川はカップを口に運んだ。紅茶を飲む。ああ、苦手な紅茶の深い味わいが口に――広がらなかった。


「かっ……はっ……」


 カップを落とす。息ができない。なんだ? 一体何を飲まされた? 紅茶の味は苦いというものですらなかった。ただの痛み。口に入れた瞬間の激痛。口の中に麻酔を打たれたかのように感覚が鈍るも痛みだけが鮮明に脳髄に染み渡る。喉も焼けるようだ。


「が……あ……」


 喉を押さえながら狭川は悶えていた。もう椅子に座ってすらいない。倒れた椅子の横で蹲って痛みにもがいていた。


「たい……わ……てめ……」


 狭川はその激しい苦しさで最後に平和に向かって電撃を飛ばすこともできないままに白目を向いた。


「……本当に貴方は馬鹿ですわね狭川さん。あの世できっちり自分の愚かさを考え直すべきですわ」


 平和は微笑む。


「あら、そういえば小汚いティーカップがここに。こんなの要りませんわ。折角のアッサムが美味しくなくなりますわね」


 平和は手に持っていたティーカップを投げ捨てた。そして洋服の袖から新しい透明なティーカップを取り出す。


「まったく、こんな趣味の悪い柄のティーカップを誰が使うというのでしょう。アッサムはやっぱりこのティーカップで飲まないと」


 平和はその新しいティーカップに紅茶を注ぐと左手で持って飲み始めた。そして、それから一息つく。



「ふう、やっぱり利き手で飲むのが一番飲みやすいですわね」



《感電死の司者、狭川(きょうがわ)冬(とう)富(とみ)。

 毒死を司る者により、毒死――》


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