第13話 ビジター

「でっ、でっかー!」


「広い……」


「大き過ぎでしょ……」


 皆の言葉はバラバラだが、代わりに同じ気持ちを共有している。

 ――でかい。

 校門を入って百メートル進んだ所で俺達の目の前に聳え立つ対戦校であり、試合場所でもある私立東征高校。この高校想像以上に広い。スケールがうちの学校とは桁違いだ。っといっても、でかいというのは校舎のことではない。いや、勿論校舎も、並程のうちの学校よりはかなり大きい、というか普通に大抵の高校より広い。しかもその上、所々に傷の入っているのが古くさく感じさせるどころか、寧ろ一種の威厳を放っているのだが、それよりも目が行くものがある。

 グラウンドだ。校舎を真ん中に挟む形で左右に一つずつあるグラウンド。それらのグラウンドはうちの高校のものより一回りぐらい大きいのに、どちらとも野球部だけで独占しているらしい。右が一軍専用グラウンドで左が二、三軍兼用グラウンドらしい。二軍、三軍合わせて六十人くらいいる野球部員だけで、使い放題。夢のようじゃないか。しかも聞けば、まだ中に雨天時の為の練習スペースがあるとか。どんだけ、場所使っちゃってんだよ。

 っというのを、今俺達を先導してくれている彼に聞いた。


「あはっ」


 おれの視線に気付くとその男、村田さんは、メガネの奥に見える目を細めてスマイルを向けてきた。春風のように爽やかな笑顔だ。でも、実際にあはっとか言って笑う奴を初めて見た。

 ていうかそもそも、何で同じ学校の野球部でグラウンド分けてんだよ。差別制度はやめて皆で一緒に練習しろよ。その方が楽しいぜ。


「では、入りましょう」


 校舎正面から右側へ移動する。止まった野球部専用グラウンド前で入るように促され、最後尾に並ぶ俺より前の奴らがどんどん入っていく。

 実際に中に入ると、更に圧巻。グラウンド内では、明らかに値が張っていそうなピッチングマシーンやネットを張って何分にもされているバッティングスペース。その練習スペースとは分離されて、本格的な球場さながらのスコアボードにフィールドが用意されている。

 金の掛け具合がそれこそ段違いだな。こりゃ、とんでもねえな。うちのグラウンドじゃ聞こえない、機械音と幾重ものバッティング音が聞こえてくる。

 そしてそのフィールド内で現在、三十代後半くらいだろうか。そのぐらいのおっさんが強めのゴロを打ち、それをショートが容易そうに捕球し、それを見て今度はおっさんはファーストに打つ、とまあつまりはノックをやっていた。だが、今のプレーを見ただけで感じてしまった。レベルの差を。ボールへの反応の早さ、適切な捕球への動き。全部段違いだ。今の捕球するという基本の動作一つで既に差を見せ付けられた。

 ――でも、それは守備だけだ。しかもそんなの覚悟の上。捨てたもので負けたからどうってことはない。皆も悲観的になるどころかわくわくしているような楽しげな顔をしている。特に友香辺りがな。

 最後に俺も入り、それを確認したノックをしてたおっさんが一旦止めてこちらにやってきた。


「おっ、ご苦労、村田君。そろそろボトルの水が尽きてきているから、新しい水を入れてきてくれないかな」


「分かりました、監督。では、才城高校の皆さん、私はこれで失礼します」


 やはりおっさんは監督だったようで、村田さんに頼み事をしたかと思うと村田さんはオッケーを出し、挨拶をしてからベンチに向かっていった。

 この仕事っぷりからも分かる通り、爽やか青年村田さんは東征高校野球部二軍のマネージャーをやっているらしい。中学で男子野球部に入っていた俺にしてみたらマネージャーは女子というイメージしかなく、疑問に思って聞いてみたが、村田さん曰くどうやら女子野球にとってはマネージャーといえば男らしい。それ絶対下心ある奴ばっかりだろ。

 向こうの監督は村田さんが行ったのを確認してからこちらに向き直す。近くで改めてみたその顔は、額に皺が寄せられ一見頑固そうに見える。


「あっ、すいません皆さん。どうも。初めまして。私は東征高校二軍野球部監督の高橋昂揚たかはしこうようというものです。――おやっ。あなた方の顧問様はどなたでしょうか?」


「顧問はいないです」


 俺が皆より一歩前に出て答える。


「……いない? はあ、なるほど。聞いていた通りですね」


 はっ、と鼻で笑いながら言われた。何だ、今の態度。少し気に障る。

 聞いていた通りっというのは、こちらも聞いていた通りだ。つい最近やっと人数が揃ったばかりの野球部に顧問は用意されていない。だからあらかじめ校長には、付き添い教師無しの生徒だけで行くよう、それからその旨は相手側にも伝えておくというのは聞いていた。だが、それにも正直良い気持ちはしない。


「えっと……見たところ二人男性がいるみたいですが、二人はマネージャーですか? それに女性が八人しかいないように見えるんですが……」


「えっ、男子は常田君だけですけど」


「えっとじゃあ、そちらの方は?」


 佳苗の返答に対して、向こうの監督も一人に手を伸ばして問うてきた。その手の先には、確かに男がいた。――じゃなくて、山坂がいた。


「いや僕、女なんですけど……」


「えっ、あっ、そうなんですか! それは失礼しました。じゃあ、あなたは……?」


 不服そうに山坂は言うが、向こうの監督が間違えるのも無理はない。何なら、そろそろ本当のことを教えて欲しいもんだ。本当は男だということを。

 そして、山坂の件があったからだろうが恐る恐る、今度はこちらに手を向ける向こうの監督。


「俺は、このチームの監督をやってます」


「……んっ? 生徒が監督ですか。確か、大会では学生が監督として参加することは出来ない筈でしたが……」


「えっ、そうなの!」


 俺達の会話を聞いてやたら大きく反応してきたのは友香だ。アウェーだってのに、こいつは相変わらずだな。だが、萎縮した様子が無くて何よりだ。野中なんて、強豪の風格にびびってびくびくしているからな。


「まあな。でも、気にするな。――そこら辺は大丈夫ですよ。名目上は監督としてではなく記録員として登録、でも実際は監督業をやれば良いだけですから」


「なるほど。――では、後はアップですね。今日一軍は明日の氷凜ひょうりん高校との練習試合に向けて、午前中の軽い練習だけで休ませていますからね。私達は外野側を広く使ってアップするので、内野側は好きに使ってください。ベンチは三塁側ベンチの方へどうぞ」


 向こうの監督が指差した先、そこでは既に相手選手がアップを開始していた。いるのは二十人前後ってところか。あれがスタメンと控えメンバーだけかな。ということは、他の選手は別のグラウンドで練習しているのだろう。


「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて――友香、ベンチに荷物置いた後、皆を引っ張ってあっちでいつも通りのアップをやらせておいてくれ」


「了解!」


 俺の指示に首肯して友香が、それに次いで皆がそのスペースに移動する。

 さて、じゃあ俺も挨拶を済ませてから、向こうの練習でも観察しようかな。情報収集だ。


「改めて、才城高校野球部の常田智史と言います。今日は練習試合を組んで頂きありがとうございました。この試合によって色々学ばせて頂きたいと思うので、よろしくお願いします」


「あっ、いえ、こちらこそ。……まあ、せっかく来たんですから精々楽しんでいって下さい。今日でこの野球部は最後になるんでしょうからね。っと言っても、本気を出す私達を相手に楽しんでる余裕などないかも知れませんが、まあそれでも頑張って下さい」


「えっ、ちょっと待って下さい。……最後になる?」


 相手の監督が言った言葉に戸惑い、復唱してしまう。

 今、最後になるって言ったか。どういうことだ、何故知っている。

 それに本気を出す私達、だと。何だよ、それ。まるで……。


「あれっ。そちらの野球部は今日勝たないと設立が認められないんですよね? だから、最後に後腐れないように手加減無しで本気出すようあなた方の校長先生に頼まれたんですけど……あっ、これ言っちゃダメなやつだったかな。すいません、今の忘れてください」


 その言葉に、頭が熱くなるのを感じた。

 忘れてだと。ふざけるな。今のを聞き捨てられる訳無いだろ。

 ただ、感情をなんとか抑え付けて声を出す。


「忘れてくださいって、ちょっと待ってくださいよ。負けたら……最後ですよ。……まだ決まった訳じゃない」


「なにっ……私達に勝てると言いたいんですか?」


 目を細め厳しい表情になるが、その声に、口調に嘲笑が混ぜられているのが分かった。

 その言葉、自信と侮蔑に満ちた態度は、微塵も負ける可能性等無いと、お前ら如きが私達に勝つ可能性がある等とほざくなと口にせずとも語っている。

 さっきの発言だってそうだ。本気を出す私達。わさわざ本気という言葉を口にするということ、それが完全にこちらを下に見ている証拠、本来なら本気を出す程でも無いという思いの表れだ。

 それに校長も、こちらが負けると決め付けている。本気を出すように頼んだことも、人数が揃っても顧問を用意しないことも完全にこちらが今日負けて終わりだと決め付けてやがる。


「あなた達は野球を始めたばかりの子が多いんですって。対してこちらは、二軍とはいえ、甲子園行きも経験している一軍への昇格候補生も多数いるメンバーですよ。正直難しいと思わないんですか?」


 重ねてきた勝利による強豪チームという自負とこちらの素人ばかりという情報。それらがこの試合の勝利への確固たる自信になっている。


 ――なら、そんなものぶち壊してやる!


 今日この試合で見せ付けてやる。


「それはすいません。生憎野球からしばらく離れていたもので、そういうのよく分からなくなってしまったんですよ」


 野球は何が起こるか分からない。当然のように実力上位とされるものが勝つこともあるし、まさかの弱い方が逆転サヨナラで勝ってしまうこともある。


「だから、やってみなきゃ分からない。――でも、今回は俺達が勝つ!」


「ほおっ……! なめたことを!」


 お互いに睨みの視線をぶつけあった後背を向け合って移動する。そのまま俺は相手チームの視察に向かう。

 歩き進む自分。自然と足が速くなる。舐められた怒りと勝ちたいという欲望。それが確かにあるというのに、自然と口角が上がった。

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