第10話 方向性

 夜、自室にあるパソコンのディスプレイと向かい合い、ある動画を見ていた。

 今日の練習後に友香に名前を聞いた、俺達の対戦相手である東征高校が去年女子甲子園に出場した時の試合動画だ。

 少しでも勝率を上げる為に、強豪と呼ばれる程の実力があるならもしやと思って調べてみたら、やはりその通りメディア露出も多く基本的な情報は多く集まった。

 歴史は古い学校で、女子野球部は二十年程前からあり元々強かったが、丁度女子野球が世間でも注目を集め始めた頃から更に力を入れ始めたらしい。結果今では県大会は当然の如く、全五回行われてきた歴史の浅い女子甲子園において最初の一回と第三回以外の全三回出場を果たしているというとんでもない強豪校になってしまった。

 で、実際その成績は伊達ではないようだ。選手個人の能力、チーム力、そして攻撃、守備の基本の動作。それに何よりエースピッチャーの鳴井の変化球のキレ。その全てのレベルが高く、少し動画で見ただけで唸らせるものがある。なるほど。こりゃ、無理だ。勝てる訳がない。

 ――正直、こいつらとやることになっていたら絶望的だった。

 でもだからこそ、さっきの友香の言葉は朗報だった。今までは強豪と勝負するということしか聞いていなかったから微塵も頭に無かったが、どうやらスケジュール的に一軍は厳しいらしい為、俺らがやるのは二軍らしい。いやまあ、そもそも野球部が出来たばかりの知名度ゼロの学校との練習試合に、怪我のリスクを負ってまで一軍をぶつける必要性もないだろうし、当然っちゃ当然なんだが。大変ありがたい。

 とは言っても、無論二軍だからといって、強豪は強豪。総合力は相手の方が上なのは変わらないだろうし、全くもって油断など出来ないのだがそれでも良い報だったのは間違いない。

 更に探してみるが、流石に二軍の動画、データは無かった。

 っとなると、対策なんてなし。俺はあいつらを今出来る最大限の力を使わせて、自分達の野球で勝たせるしかないことになる。

 さて、どうやって教えて、どう戦うか。そして無名校だとおそらく嘗めてかかってくるであろう敵を倒したらどんな顔をするか。

 自然と顔がにやける。

 ――全く、楽しみでしょうがないね。


   ☆★☆★☆★☆★☆


「さて、じゃあこれから勝つ為の練習をやっていくぞ」


 グラウンド脇で俺の前にランニング時の並びで立っている皆から、「おー」と同意、気迫を含めた返事が返ってくる。

 ランニング、キャッチボール、ストレッチと今まで通りのウォーミングアップに加えて今回は新たに素振りも導入し、それは既に済ませた。俺も見てアドバイスしつつ、綺麗でお手本としては最適な咲のバッティングフォームを意識させて、各々フォームを作るようにさせた。これも基本中の基本の練習だ。これからも毎日この練習は続けていく。

 で、ウォーミングアップも終わったところで、あとは本格的に練習していくことになる。


「ただ、その前に確認しておきたいことがある」


 ただその前に意思確認と意思疎通をしておかなければならない。ただ強くなりたいという漠然とした想いで練習するのと、明確な目的を持って練習をするのではまるで効果が違うから。


「なに?」


 友香が小首を傾げて言う。

 同じように疑問そうにしている皆の顔を一瞥してから問う。


「守備練習以外は皆で同じ練習はやらない。それぞれ別々のメニューをやっていきたいと思う」


 うんうん、っと野中がやたら頷いてるのが目に入る。他の者も同じような反応だし、やはりここは問題はない。なら、本題だ。


「ただし、俺達には時間が無い。だから、攻撃重視か守備重視、どっちかに練習を絞る必要がある訳なんだけど――俺は守備練習は最低限に抑えて、残りは別メニュー……スタミナ付けと主に攻撃練習に割いていきたいと思う。それについてどう思う?」


 えっ、と意外そうな顔をする者多数。というか、ほぼ全員か。

 そう、俺達には時間がない。

 はっきり言って、余すところなく練習する何ていう余裕は全くない。

 というのも本日の朝、チームが完成し、早速それを校長に報告に行った友香と佳苗の話によると、相手も強豪の為あまりスケジュールで空いている時間がない。だから出来るのは来週の土曜日くらい、ということらしい。

 今日は木曜日だから、残り一週間と二日程度。

 普通にやっていたって、不足が過ぎる期間だ。だから、効率的にかつ効果抜群の練習をしていかなくてはいけない。


「えっ、それで大丈夫なの? 私は守備に不安っていうか……」


 風木は皆の言葉を代弁するように、そして言葉通り不安げな声で言う。

 前のシートバッティングでもそうだが、確かにこのチームの守備は素人味溢れる、お世辞でも上手いなんて言えるレベルのものでは無かったから気持ちは分かる。


「大丈夫、って言いたいけど、そんなことは言い切れない。ひょっとしたら守備練習に割いた方が勝率が高い可能性もあるし、どちらが正しいかなんて明確な答えはない」


「じゃあ、何で攻撃の方なんでしょ――なの?」


 手を小さく挙げて、少し遠慮気味な声で質問してきたのは咲だ。

 そんなわざわざ言い直してまでタメ口にしなくても。別に、敬語のままで良かったんだが……。

 いやまあ、本人が近付きたいって言うんだし別に良いのか。それより質問に答えなくては。


「理由は幾つかあるけど、まずはそうだな。――よく野球は零点に抑えれば負けないって言うだろ。でも、それって逆に言えば零点じゃ勝てないってことなんだよ。負けない方法であって勝つための方法ではない。つまり、野球はどんなに完璧な守備をしたってそれだけじゃ勝てないんだよ。だから勝つ為に。相手より点を取る為に攻撃力を上げた方が良いと思うんだ」


「でもそれなら、逆に守備練習をメインにして、一点を守りきる野球をした方が良いんじゃない?」


 さっきの咲に倣ってか、山坂も手を挙げながら意見を述べる。


「まあ、確かにそうかもしれないな」


「えっ、そうなの!」


 いや、自分で言ったんだろ。何で驚いてんの。


「さっきも言った通りどっちが良いかは分からない。だからチーム全員の意志を確認しているんだ。――ただ俺は、練習したところで守備力なんてたかが知れてると思うし、技術と経験がものをいう守備で後者が全く皆無なこのチームが不利なのはどうせ変わらない。なら、守備は最低限に、はっきり言えばほとんど捨てて、相手より点を取ることに特化した方が効率が良いと俺は思っただけだ」


 もう一度、皆を一瞥する。全員、なるほどっといった顔をしている。

 だが、守備力もそうだが、攻撃力だって練習したってたかが知れているだろう。相手も素人相手に点を易々と与えるようなピッチャーを投げさせては来ないだろうから、結局良くて一点を守りきらなければいけない試合になってしまうかもしれない。それでも、零点から点を取れるように。少しでも点数を上げる方を俺は選ぶ。

 もう一度正面を向き直して言葉を続ける。


「――後は、単純に俺の好みだ。相手に点を取らせない。でも取られたら、それ以上に取り返す。投手戦より空中戦。守るより攻める。俺はそんなスタイルが好きなんだ。皆はどうだ?」


 そう、話の終わりを言外に仄めかして質問する。が、実はまだもう一つある。

 するとすぐに友香が答えた。


「分かる、分かるよ! そうだよ、攻撃的チーム、超良いじゃん」


「そうね、守備が不安ならそれ以上に点を取っちゃえば良いもんね。――まっ、でも咲なら取られないと思うけどね」


 佳苗も続き、皆も首肯する。

 そう。今の言葉、それがもう一つの理由。

 俺がさっき言った守備をほぼ捨てるという発言。そう、守備はほぼ捨てるが全部捨てる気はない。勿論さっきの良くて一点を守りきる野球になるという仮定通りに行く為には、相手も低い点数で抑えこまなければならない。それを守備練習はほぼ捨てた上で実現する方法、それは一つしかない。

 俺がさっき言った守備力はたかが知れているという話。それは野手のみの話だ。

 ――もし投手が、咲が相手をほぼ完璧に抑え込むことが出来たなら。最低限の守備だけで失点を抑えることが出来たなら、こちらは低い点数で勝つことが出来る。そういう前提の上で始めて、最も効率的だといえる練習だ。

 とはいえ実際は、投手としては初めての実戦。しかもやっと踏み出したばかりのブランクあり。普通ならそんな前提で挑むのなんて間違えている。それでも、咲なら。あの球ならひょっとしたら。そんな期待を持ってしまう。だから賭ける。――賭けてみる価値は充分だ。

 っというのは、あまり本人にプレッシャーを掛けすぎるのもあれだから、言う気は無いけど。

 それに、あとはただ悪い条件ばかりという訳でもないというのもある。

 こちらにとってはありがたい条件も二つあった。

 まず、昨日知った俺達の相手をする敵のチームは二軍だということ。

 あとは昨日友香に頼んでおいた件が成功したこと。

 俺が友香に頼んでおいたこと、それは相手の時間をあまり取らせないようにという気遣いで表面を塗り固め隠した、試合の短縮化という計画だ。

 正直、数ある不安要因の中で群を抜いて頭を痛めるのがスタミナの差だった。

 素人が多いこのチームのスタミナ不足など分かりきった問題もそうだが、咲も含めて、試合経験が極少ないし皆無のこのチームは肉体的疲労だけでなく、何より精神的疲労がかなり体を蝕むだろう。そうなると、後半になるに連れて相手との差は歴然としてくる。特に咲が疲れて、ベストパフォーマンスを出来なくなってしまったら、もうその時点で正にゲームエンドだ。点数は徐々に開き、ただでさえ微弱なこのチームの攻撃力では追いつけない程になってしまうだろう。

 その差を少しでも埋める為に、試合のイニング数を減らしてもらうよう交渉するように昨日友香には頼んでおいたが、お見事、それが成功したらしい。

 結果、イニングは五回。これなら咲のスタミナ面の心配も何とかなる可能性はあるし、その賭けの成功率も上がる。

 まあともかく、意志と方向性は固まった。


「よし、じゃあこれから練習やっていくぞ、ってことでまずは守備練習から。――やるのはやっぱりシートバッティングだな」


 未だ培われていない実戦感覚と本来の目的の守備力向上。その二つの条件を満たし、更にやり慣れている為効率の良い練習が出来るという理由から、この練習法が最適だろう。

 練習法も決まり、咲は当然ピッチャーをやらせて、後の守備は前の、ナチュラルに決まっていた大まかなポジションにそれぞれを就かせる。

 そのまま友香から順番に打たせていき、明らかに気になる点等で若干バッティング、主には守備の指摘をしていく。バッティングはどうせ後で練習させるから細かい点はその時で良いだろう。

 にしても、本当に指導のし甲斐がある。フライの取り方から、スローイングの指摘。ゴロの処理に、これはまあ出来ないのは当然だが、ベースカバーの動き。改善ポイントは全く尽きることはない。それらを一つ一つ選手に伝えていく。

 それを続けて経過すること一時間。この練習を切り上げて、再び皆を集める。

 全員が集まったのを確認してから、再び口を開く。


「さてじゃあ、次は個別に練習をやっていくぞ。まずは友香、佳苗、咲! 咲には今日は投手に専念してもらって、友香にはそれを咲の球を打ってもらう。佳苗は咲の球を捕る。咲は軽めに打ちやすい球を投げてくれ。ただし、本気で投げたいと思ったら数球程度なら構わない。それから友香はバットに当てたら、ともかく一塁に向かって全力で走ること。すぐにだ。当てた瞬間にはもう走り出しているイメージで。あと風木はとりあえず、咲の全力投球を百パーセントキャッチ出来るようにならないとな」


「ふーん、面白そうじゃん!」


「そうよね。まずは咲の球を完璧に取れるようにならないといけないわよね」


「私、頑張り――る!」


 頑張りる? 咲の奴何新しい単語作ってるんだ?

 まあ、ともかくやる気があるなら何よりだが。


「それから、宮下、野中もこの三人と一緒に練習してくれ。バッターは宮下、野中、友香、その間は俺がキャッチャーやるから佳苗も入れた四人で回していく。俺の指示があるまでそのバッターは続けて、都度アドバイスをしていく。勿論各々目的の違う練習になるけどな。それと、残った奴はグラウンド周りをランニングしてスタミナ付けに専念してくれ」


「はいはーい」


「はいです!」


 適当な宮下と力強い野中の返事も確認。内野の二人は動くことも多いだろうから、スタミナは付けておいた方が良いだろう。

 よし、こっちはオッケーだな。


「で、次は残りの四人! は二チームに分けてティーバッティングをやってもらう。チームは藤田と倉持、桐生と山坂でいく」


「ティーバッティングって?」


 藤田が小首を傾げて聞いてくる。


「ティーバッティングスタンドっていう棒に乗せたボールを打つって練習法もティーバッティングっていうんだけど、今回のはトスバッティングとも呼ぶ、近くから相方に投げてもらったボールを打つ練習だ。大体三十球打ったら、相方と交代していってくれ。ってことで、バッティングネットを使って思いっきり打っていこう」


 四人は肯定の合図を見せる。


「じゃあ、早速分かれてくれ」


 俺の言葉を皮切りに、咲達のチームはグラウンドのホームベース付近に、山坂達のチームは右隅にバッティングネット毎移動してそれぞれ練習を開始する。

 さて、じゃあまずはティーバッティングのチームを見ていくことにするかな。


「おっ、常田君! どうかな、僕のバッティング?」


 相方である桐生に上げてもらったトスを力強く打ち返して、問うてくる山坂。

 相変わらず男らしい、いやいや、相変わらず悪くはないバッティングだ。


「まあ悪くはないけど、今は力強くというより、さっき素振りの時に作るように意識したフォームで打つことを心掛けて。あと、桐生……と藤田もだけど、最初はバッターの打ち易い所に上げるようにして欲しいんだけど、慣れてきたら内と外にも投げ分けるようにしてあげてくれ。それからフォームで気になった点があったら指摘してあげるのも忘れずに」


 隣で同じくバッターをやっている倉持とトスを上げている藤田にも伝える。二人とも了解してくれたようで、両者親指を立てて合図してきた。

 で、そのお隣さんの倉持の方はといえば、相変わらず引き付け過ぎて差し込まれていた。見かねて打つポイントを前に置くことと、一、二の三のタイミングを意識するようにアドバイスする。するとやはり、ボールをしっかり捉えることが出来た。まあ、シートバッティングの時は実戦で投手の投げる球に慣れていなかったからというのもあるだろうし、聞いた話によると中学の時はバドミントン部にだったそうで、そのお陰かスイング自体は悪くない。期待は持てる。

 そうしてある程度バッティングをしたところで、バッター交代。変わった、桐生と藤田のバッティングも見てアドバイスをしていく。

 桐生は中学時代テニス部だったこともあって、前も見た通りバッティングはまだまともだ。まあこの通りバッティングもそうだが、それよりも桐生には守備でお世話になる。そんな気がする。

 それと藤田も相変わらずバッティングはメンバーの中で咲と佳苗に次いで良い物を持っている。

 結局なんだかんだ、練習次第では皆活躍してくれるかもしれないな。そんな見込みを持てるくらいには一応形にはなっている。

 っと、さてこっちは一通りアドバイスを終えたし、次はあそこでやたら目立っている騒がしいキャプテン様にアドバイスでも送りにいくか。


「うりゃー!」


 おっ、ヒット性の当たり。直後に後ろに束ねられた髪が揺れる。良いぞ、例えヒットでも俺のアドバイス通りに全力疾走を心掛けている。


「うん、今のバッティングとその全力疾走は良かったぞ、友香。次の塁を狙えると思ったら迷わず進むんだ」


「あっ、監督! やっと来たか! ――ふふふ、今日は絶好調だぜ!」


「そうか、じゃあ絶好調の所悪いけど、あと五球で交代だ」


「なにー!」


 うおっ、やたらテンション高いな。まあ、チームが揃って初めてのまともな練習だからな。そりゃ、嬉しいか。


「まあ、そう言う訳で残り五球、全部さっき素振りで作ったフォームを意識して打ってみてくれ」


「むぅ……了解!」


 名残惜しそうな声を出した友香だったが、数秒の逡巡の後に不服そうにだが了承してくれた。まあ気分を良くしてくれていたところ悪いけど、、当初からの約束だったからな。

 さて、次は……


「野中、次入ってくれ」


「ゼェゼェ、はいっ!」


 グラウンド中央辺りを宮下と一緒にランニングしていた野中に声を掛けたが、返ってきたのは乱れた息混じりの辛そうな声。

 やはり体力はお世辞にもあるとは言えないが、それはこれからの課題だ。それよりも、俺の見ていたところでは休憩無しで、辛いながらも約三十分間走り続けてきた根性。それが凄いと思う。それだけあれば今は十分だ。

 そうして俺の付近まできた野中が少し休んで息が整ってきたところで、バッターボックスに入れる。


「さて、じゃあ私もランニングしてくるよ!」


「いや、ちょっと待ってくれ、友香」


「えっ、どうしたの! もしかしてまたすぐ私がバッターの番なの?」


いや、違うけど! どんだけまだバッターやりたいんだよ。


「それは無いからな。友香、お前がやるメニューはランニングじゃない。向こうにダイヤモンド上に設置してあるコーンの間を走って、疑似塁間ダッシュをやってもらう」


 練習前にグラウンドのハーフラインより向こうに、実際のダイヤモンドと同じ距離間でコーンを置いておいた。友香にはその間を走らせる。

 友香において最も武器となる足。足と言っても様々だが、特に野球において重要な瞬発力を鍛えるのと慣れていない野球の動き、塁間での動きを鍛えるにはこれが一番てっとり早い。本来は同じくらいのタイムの者を複数でやらせて競争させた方が効果は大きいだろうが、それぞれやらなきゃいけないことがあるから仕方ない。


「分かったぜ!」


 ぐっと親指を立てて、コーン設置場所に向かった友香。

 何あれ。何で皆やってんの。親指立てんの流行ってんの。

 ……まあ、それはともかく、


「さて、じゃあ野中に打ってもらおうかな」


「はいっ!」


 元気を取り戻し、力強い返事をして構える野中。

 だが、一つ確かめておきたいことがある。

 俺は野中の後ろに回り込み、野中からは見えないように佳苗にジェスチャーを送る。真ん中目に構えさせるように。

 それを首肯した佳苗は真ん中に構え、咲がそこ目掛けて軽めに投げる。


「うりゃっ!」


 だが、ブンッと……鳴ることもなく出したバットは何とか当てたがボテボテのゴロ。

 残念がる野中だが、一々気分に合わせている時間は無い。再びジェスチャーでコースを指示し、咲が投げる。今度は外側にしかもギリギリボールになるコースだ。

 だが、そのボールは障害を受けることなく佳苗のミットに修められた。野中はバットを振らなかった。


「野中、何で今振らなかったんだ?」


「ボールだと思ったので……。それに振って当てても、どうせ私のパワーじゃヒットになりませんし……」


 俯き加減に言う野中。


「野中はさ、ひょっとして自分は全く役に立たないんじゃないかって思ってないか?」


 今の二球で確信した。野中にヒットを期待するのは厳しい。だから、別の方法でいく。

 その前に、一つ間違いを正して置かなければならない。


「えっ、そんなことは……」


 顔をバッと上げたが、結局徐々に声は萎み顔も下がっていく。

 図星だな。


「でもそんなことはない。これだけは断言するよ。――お前は充分活躍出来る。いや、させるさ」


 自信たっぷりと毅然とした態度で述べる。

 だが、再び顔を上げた野中の顔は驚きに満ちていた。しかし、そんなことありえないと思い込んでいるのか、はたまたこれはただ奮起させる為の虚言だと思っているのか、野中の顔には陰りが増す。


「でもパワー無いし、背だって低いし……。それに腕も短いし、足も遅いですし。……私には野球合わないんじゃないかなって……」


「ああ、そんなことか。なら、大丈夫だよ」


「そんなことって重大じゃないですか……。だって実際、軽めに投げてもらってるのに、まだまともなヒット打ててませんし……」


「それは気にするな。前も言っただろ。野球においてバッティングっていうのはヒットやホームランが全てじゃない。アウトになってもヒット以上に価値のある打席や安打以外にも価値のあるものっていうのはあるんだよ。それに背だってそうだ。確かに背やウィングスパンがあった方が、アウトに出来るボールが増えたりバットに届くボールが増える等有利な点もある。でも野球においては、他のスポーツ程背によるハンデは無いし、小柄でも活躍している選手は多い。それに何より、小さいから有利なこともある」


 不思議なものを見るように、呆然とこちらを見つめる野中。

 野中にとって背が小さいというのは今まではただのコンプレックスだったのかもしれない。それは日常生活でもそうだが、主に体育等で背が原因で上手く運動出来ず苦しい思いをしてきたというのもあったのかもしれない。だから小さいから有利なんて言われるとは、いやもはやそんな考えすら浮かばなかったのだろう。

 だが、俺の言ったのは嘘でも誇張でもない。全くの本心だ。それに小さい背だけじゃない、良い選球眼と根性。持てるその三つの武器を生かして戦わせる。


「……本当なんですか?」


「ああ、本当だ。だから自信を持つこと。それが大事だ。半信半疑で練習するのが一番いけない」


「……そうですね。分かりました。――私、頑張ります!」


 拳を握って、やる気を態度に表す野中。

 向こうでクスリと咲が笑った気がした。


「へえー、流石『魔術師』。言葉も巧みね」


 マスク越しにも分かるニヤニヤした笑みで、そう茶化してくる佳苗。


「いや、別に『魔術師』ってそういうことじゃないと思うし、大体その名で呼ばないで欲しいんだが……。周りが勝手に大袈裟に呼んでただけだよ……」


「何言ってるのよ。聞いたわよ。打席に立てば魔法を使っているかの如くどんなコース、どんな球種からもヒットを打ち、量産するその様子から『魔術師』って呼ばれてたんだって。そんな実力あるのに、謙遜しちゃって」


「ほっ、本当に凄かったんだね、常田君って……。あっ、でも確かに前に打席見た時、上手だったな」


「私も常田さんみたいに上手くなりたいです!」


「そっ、そうか。じゃあ練習だ、練習! さあ、時間無いしさっさとやっていくぞ!」


 皆に言われて勿論嬉しいことはあるのだが、やはり何より照れ臭い。耐えきれず、話を消滅させる狙いで急いで練習を再開するように促す。

 三人はそれを聞いて、また表情を真剣にする。……助かった。それに良い表情だ。

 その後は咲には、野中に対しては今日はとりあえず全部軽めに、あとはとことんくさいところを突くように指示して少々特殊な練習をやらせる。今日のところはとりあえずバッティング自体に慣れさせるのが主目的、速球への対応は明日以降にする。

 そうして野中もしばらく続けた後、頃合いを見計らって宮下に交代を指示する。

 ランニングをやめてバッターボックスに入った宮下にはバントの練習を徹底するように指示を出した。

 その間、言う通りに宮下は全てをバント練習に取り組んでくれた。


「ほいっと」


「凄えー、上手えー!」


 少し離れた位置からランニングしている友香が上げる感嘆の声が聞こえる。

 よし。予想通り、すぐに硬球にも慣れてくれたようだ。恐怖心なく、上手くボールを転がせている。


「よし、流石に経験者なだけあるな、宮下。……でもなんか悪いな。宮下だけ地味な練習させて」


 バント練習は人によってだが、大体は楽しいものではないし、他の者がバッティング練習をしている中こういう地味な練習をさせて少し悪い気がしていたから謝った。

 ……のだが、


「…………」


 返事がこない。おいっ、まさかこの練習中に本気で……。


「おーい、宮下ー!」


「…………」


 その間も咲の投げた球を、コンっと上手く三塁側に転がすが、返事はこない。

 仕方がない為、強硬手段に出ることにした。


「おいっ、宮下聞いてるか?」


 平手を前に出して咲に投球ストップを伝えてから、宮下が耳に押し当てているヘッドホンを取り外した。


「ちょっ、監督君! 何外してるの!」


「……いや、何って、だって練習中に音楽聞くのはおかしいだろ」


「聞いてないから。ただ付けてるだけだから!」


「……ああ、そうか。ごめん」


 よく分からないが、凄みを利かせて怒られた為、思わず謝ってヘッドホンも元に戻してしまった。

 何だよ、聞いてないのかよ。……ていうか、じゃあ何でさっき俺の話聞こえなかったんだよ。


「全く、もう。気を付けてよね」


 ……って、あれっ。何で謝ってんだ、俺。正しいの俺の方だよな。そもそも練習中付けてる方がおかしいよな。


「それと、別に嫌じゃないよ。こういうの嫌いじゃないし」


「……聞こえてたのかよ」


 なら、さっさと返事して欲しかった……。

 その後また練習を再開させてからも所々で気になった修正点を指摘し、ある程度やった所で佳苗に変わり、また気になった点を指摘していく。しかし相変わらずだ。流石に他とは飛距離が違う。まだ慣れずに荒削りなバッティングだが、この長距離砲を生かさない手はない。ともかく一振りで走者を還す。その一点に絞って練習させる。

 そうして、佳苗も終わったところで友香の番に戻り二巡目が始まる。


「咲々ー! 強めに投げてよ!」


 そこで友香が咲に要求をしてきた。なるほど、勇敢なことだ。でも、それは無謀ともいう。

 前に経験した筈だ。仮に当てることが出来たとしても、あの球をヒットにさせることは今の友香じゃ難しい。

 ――でも、前に完敗したのがよっぽど悔しかったんだよな。目が闘志で漲っているぜ。

 分かるぜ、その気持ち。このチームは負けず嫌いが集まっている。そう改めて実感する。そういう気持ちがある限り着々と実力ってのは付いていくもんだ。


「くそー! 三連続三振だ-!」


 ……まあ、負けん気が凄いからってそんなすぐに打てるって訳じゃないんだけど。

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