第31話 四龍と聡

「これだけ食べたら、晩御飯は遅くても良いね」


 李大人から接待されて、お腹いっぱいだと呑気なことを言いながら、黒塗りの車から降りた俺は、高級感ホテルのベルボーイに恭しく迎え入れられる。大きな壺には溢れんばかりの花が飾ってあり、シャンデリアの灯りが煌めいている華やかなロビーに、青龍、赤龍、白龍が、周りの宿泊客やホテルの従業員達の注目をあびて座っていた。


『げげげ……まさか、同じホテルだとは! 海外出張に家族同伴だなんて原田課長や前田主任に知られたら、格好が悪いよ』


 俺は偶然だと驚いたが、黒龍は李大人が俺と自分を中国に招待したのは、何か目的があるからだと確信していたので、平然としていた。


「少し部屋で荷物を片づけたら、上海支店に行くぞ。李大人を、何処で接待したら、良いものやら」


「わかりました」


 俺は、今は仕事中なのだからと、三人を無視して原田課長や前田さんとエレベーターへ向おうとした。しかし、ロビーのソファーから青龍はスッと立ち上がり、原田課長の前に歩み出た。


「東洋物産の原田課長様ですか? 聡がいつもお世話になっております。御挨拶が遅くなりましたが、天宮青龍と申します」


 凜とした美青年に、礼儀正しく挨拶されて、原田課長は一瞬呆気に取られたが、そこは商社マンなので、挨拶しかえす。


「私は第一事業部の原田です。天宮さんは、聡君のご親戚ですか? 上海の同じホテルに宿泊されているとは、いやぁ偶然ですねぇ」


 派手な美青年の赤龍や、威圧感溢れる美丈夫の白龍も挨拶に寄ってきた。


「青龍、赤龍、白龍! 今は仕事中で、忙しい! 挨拶が終わったなら、退けてくれ」


 黒龍は原田課長と三人が挨拶しようと勝手だが、俺と一緒の部屋に泊まろうと画策していたのに、これでは台無しだと腹をたてたようだ。三人と黒龍の険悪な雰囲気が、ロビーに満ちる。


「あっ、そうだ! 白龍、上海の美味しい料理を出すお店を知らない? 李大人に、凄い御馳走して貰ったんだけど、接待する店に困っているんだ」


 息苦しい程の緊張感が、俺の言葉でスッと解ける。


「おいおい、聡君、そんなことを質問しても……」


 自宅に招いて接待してくれた李大人を、どこのレストランでもてなそうと格下になるのだと、原田課長は何も知らない新入社員の発言に苦笑する。


「李大人の屋敷とまではいきませんが、上海に家があります。そこに李大人を招いては如何ですか?」


「えっ! 上海に家があるだなんて、聞いてないよ。でも、家があるなら、何故ホテルに? あっ、僕達が泊まるから会いに来たの?」


 頓珍漢な質問をしている俺を無視して、青龍は原田課長と話を勧める。


「これから、私達の家で和食でも如何ですか? 家の雰囲気や味をチェックされて、李大人の招待に使えるか判断して下さい」


 原田課長は和食に飢えていた。


「いやぁ、そんな御好意に預かるとは……」


 少し躊躇したが、青龍に是非にと言われると、家に行っても良い気持ちになる。黒龍は、青龍が上手く原田課長を誘導して、家に行くことを承諾させたのだと舌打ちする。


『チェッ! 上海支店で話し合ったら、聡と夜景を見に行こうと思ってたのに、とんだ邪魔が入った』


 では早速と、青龍のペースで話は進む。




「あれ? 青龍達も中国政府の車が迎えに来たの?」


 首を傾げてる俺に、青龍は嘘ではないが、かなり婉曲した言葉で答えた。


「昔の知り合いが、中国政府の高官になったのです。それで、こんなふうに配慮してくれたのでしょう」


 三台に分乗して、上海の家へと向かう。


「ねぇ、赤龍? 上海に家なんか持ってたの? 青龍はお金儲けしていたけど、それで購入したのかな?」


「さぁ、青龍は世界中に不動産投資しているから、上海にも家を購入していたのでしょう。それより、李大人は東洋物産を厚遇してるのねぇ。中国では、相手の好意を受け入れないのは、凄い失礼な行為になるのよ。高級ホテルを用意して下さったなら、そこに泊まらなきゃね」


 赤龍は聡を挟んで座っている黒龍が、同じ部屋に泊まろうと画策しているのに釘をさす。


「そうなんだ……もし、料金を請求されたら困ると思っていたけど、黒龍と部屋をシェアしたら失礼になるのかな?」


 もちろんです! と赤龍が俺を嗜めているのを、黒龍は苦々しく眺める。シェアした方が後でお金を請求された時に支払いが楽なのにね。


✳︎

 前田は原田課長と同じ車に乗り、少し天宮家について補足説明をしていた。


「多分、李大人は天宮家の青龍、赤龍、白龍、そして黒龍を呼び寄せたくて、東洋物産のアクアプロジェクトの後押しをしてくれているのでしょう」


「なぁ、前田君、何だか凄い名前だけど……まさか、四龍とかないだろうね」


 ふぅ~と、大きな溜め息をついて、龍なんですよと内心で愚痴る。


「さぁ、李大人はどう考えているか知りませんね。天宮家は代々龍神を祭っていると聞きますし、聡は2回も斎宮を勤めたそうですから。中国人は龍が好きですし……」


 いっそのこと黒龍が龍だと打ち明けようかと前田が悩んでいるうちに、夕闇の中に黒々と木々の影が浮かび上がる大邸宅に車は滑り込む。


「なぁ、これが天宮の家なのか? 前田君、天宮家とは何者なのだ?」


 屋敷から数人の召使いが恭しく出迎える。


『昔話で狐に騙される話はあるが、龍に騙されて泥饅頭を食べさせられるのは御免だぞ』


 前田は、いつこんな屋敷を手に入れたのかと呆れながら、中国と欧米が混じりあった邸宅を眺めた。


✳︎


「へぇ、変わった家だねぇ」


 呑気な感想をいう俺に、青龍は上海が欧米列国の租界になっていた時代の建物ですと説明してくれた。中に入ると見事な洋館なのに、所々に中国の香りがして、絶妙な雰囲気に満ちている。映画の世界に入り込んだようだ。


「さぁ、少し家を案内する前に、お茶でも」


 にこやかに応接室に案内された東洋物産の四人は、大理石造りの洋館の内部に居るとは思えない、黒檀をふんだんに使ったオリエンタルな内装に驚いた。


「いやぁ、これは素晴らしい! おや、あの屏風は……まさか、光琳の物では?」


 美術品に目がない原田課長は、あちらこちらに無造作に飾ってある、本来なら博物館か美術館に飾ってあるべき壷や絵に舞い上がる。


「李大人の屋敷にも素晴らしい品がありましたが、緊張してゆっくり鑑賞できなかったのです。ここには、中国だけでなく、日本の工芸品の見事な作品が飾ってありますねぇ」


 青龍が原田課長と、美術品の話をしている間に、赤龍は前田さんに会社での俺はについて質問していた。


「へぇ、聡もちゃんと働いているのですね、安心しました」


 前田は、この華やかな男も龍なのだろうかと、不思議に感じる。


「中国茶も良いだろうが、日本茶を用意した」


 身体も大きく威圧感のある白龍が、召使いに任さず、自らお茶と茶菓子を運んできた。


「あっ、白龍の御菓子って美味しいんですよ! この水羊羹はあまり甘過ぎないから、どうぞ試してみて下さい」


 あれほど食べたのに、まだ食べるのかと呆れたが、あまり美味しそうなので、原田課長や前田さんも手が伸びた。


「本当だ! 懐かしい日本の味だ」


 原田課長は無邪気に喜んでいるが、前田は泥羊羮に変わりませんようにと、願うばかりだった。

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