真中、ついでになる。

第17話 生魚がうようよしてますよ!

 約束の日の朝、日が昇るよりも早く充希は現れ、真中を呼び起こす。

 窓の外で鳴くんじゃない、あんたは鶏か。

 こんなにも早く来るとは思ってもいなかったので、慌てて支度を始める真中。


「何でこんなに早いんだよ。あいつ何処に住んでるんだ一体」


 などと呟きながら、真中は着替える。

 少し時間がたつとすぐ急かしてくる充希に、どれだけ堪え性がないんだと呆れるが、何度も騒がれては堪らないので、はいはい今行きますよ、と伝えると彼女は、早くしてくださいね、と言い口を曲げる。


 支度を終えた真中が、どんどんと大きな音をたてて階段を降りると、両親はにやにやしながらおはよう、と言う。続けて、待たせちゃいけないから、早く行ってやらないか、と彼を急かす。

 全く厄介な人たちだ、と真中は思ったが、どちらにせよ行かなければ騒がれるので、朝食も食べず、靴のかかとを踏んだまま玄関を飛び出した。



 玄関を飛び出した真中は、渋々ながら、手を合わせて充希に詫びる。


「ごめん、遅くなった」


 さほど気にしていない様子で、充希は真中を見る。


「まあ、別に構いませんけどね。ただ、今日だって約束してたんだから、きちんと待っていてくれなきゃ」

「早すぎなんだよ。まだ日も昇ってないんだぞ」

「そうですね、ちょっと早かったかもしれません。……いえ、あっちに行くのに時間かかるんだから、これくらい当たり前です。これからは気を付けてください」


 唇に人差し指を添え、少し顎を上げて、やっと少し赤みがかってきた空を見ながら、諭すように喋る充希。


「まあいい、さあ、行くぞ」


 真中がそう言うと、二人は日の昇る方向へ、誘われるように歩き出した。



 二人が転界路を抜けて、境界領域に入ると、辺りを役神様達が掃き清めているところだった。その中に、窓口で話した役神様の姿があった。


「俺が願書出した時の役神様じゃないですか。おはようございます!」


 真中はその神様の元へ走って近づき、軽く会釈しながら挨拶をした。


「ん、ああ、あの時の子か。早起きだね、おはよう」


 毎日大量の人間と顔を合わせているだろうに、きちんと覚えていてくれたのか。


「大変ですね、朝は掃除で昼間は大量の人間の相手だなんて」

「そうだねえ、身体的には苦労が絶えないよ。でも、こうやって掃除にいそしんでいると、心のもやもやがさっぱりして気持ちいいんだ」


 そう言って胸に手を当てる神様。


「へえ、そんなものなんですかね」


 胸に手を当ててみるが、何も感じない真中。


「はは、君も今度やってみるといいさ。ところで、ハンコ集まりそうかい?」


 ばっちり覚えられてるわ。恥ずかしい。


「いやあ、中々上手くいかなくて」


 きまりの悪い真中は、笑って誤魔化す。


「そう、まあ気長にね。別に期限なんか無いんだから。無理して誰も喜ばないような結末になるのは、私も気分がよくないからさ」

「はい」

「よろしい。そんじゃ、どこ行くのか知らないけど気を付けてね」


 神様は満面の笑みで二人を見送った。

 いつ行っても綺麗なのは、役神様の努力のたまものだったのだな、としみじみ感動してみせる真中を、充希は無表情のまま放置して、一人で先に行ってしまった。

 情緒とかそういうの感じないんですかね、可愛げのない奴。でもそこが可愛い。

 


 潤水圏へと繋がる転界路は、他の転界路より少し離れた湖の畔に設置されている。


 この湖は、領域にあるいくつかの河川や水道に通じていて、ここから流れていった水が、境界領域の人や物に潤いを与えている。そして、これらの水道は最後には、境界領域の向こう側へと流れていってしまう。その先がどうなっているのかは、誰も知らないし、気にもしない。

 一方通行でも水が枯れず、常に水質の良さを保っているのは、潤水圏への転界路がここにあることと関係があるのだろうか。


 充希に先導されて、潤水圏行きの転界路までやってきた真中は、辺りを見回しながら、息を切らして言う。


「あ、あのさ、ちょっと水飲んでいいか? 歩くの速すぎるよ充希。何時の間に、ここの地理に詳しくなったんだよ」

「私の行動力を舐めないでください。神原へ行きたくて、うずうずしてるんですよ? 四十の神原への転界路の場所は、全て把握済みです」

「そ、そうか。さすがだ……。馬鹿な質問してすまない」


 何この人怖い。恨みを買ったら地獄の底まで追いかけられそう。

 充希の許可をもらい、湖から水をすくうと、真中はそれを口に運ぶ。じれったそうにしている彼女を尻目に、それを三回繰り返して喉の渇きを潤す。

 脇腹の痛みもおさまって、余裕のできた真中は、充希に尋ねる。


「ところで、潤水圏のどのあたりに行くんだ? 生きた魚を見たいっていうと、東部か西部だろうけど」


 既に充希の心は決まっているようで、食い気味に真中の声に被せて答える。


「もちろん東部に! 西部側も気になるんですけどね。どうもこちらの方が沢山いるみたいなんですよ」

「質より量な人間か」

「馬鹿みたいに言わないで下さい。もちろん後日、西部も探検しますよ。あ、ついてきてくださいね。私一人では、危ないじゃないですか」


 どこがだよ、突っ込みたくなるが抑える真中。


「おう、暇な時にな」

「いつも暇じゃないですか」


 ぐうの音も出ない。



 転界路を歩きながら、いつものように無心になる真中に、充希が突然話しかける。このようなことは初めてだったので、遂にこいつも飽きが来たか、などと考えながら彼は答える。


「どうした。暇か?」


 すると、顎に手を当てながら、首をかしげて彼女は尋ねる。


「いえ、そういう訳ではなく……」


 そういう訳ではないのか。つまらんな。


「じゃあどういう訳なんだよ」

「この長々しい転界路って、神役局の負担を減らす目的で、人間が熟考するために設置されてるんですよね?」

「ああ」

「じゃあ、なんで神原側にもあるんでしょう」


 そういえばそうだな。当たり前すぎて考えたことも無いや。


「さあ、人原側にもあるから公平を期して、とかじゃないか」


 真中の適当な答えに、あまり納得した様子ではない充希だったが、暫く黙った後、徐にその口を開いた。


「ですかね。……あ、すみません。ありがとうございます」

「お、おう」


 こういう時は素直に礼を言うのな。可愛い。



 長々しい転界路を抜けた二人は、潤水圏東部域へと足を踏み入れた。

 潮の香り漂うこの辺りは、漁の神様や水の神様等が好んでいて、気象の荒い気まぐれな神様もいるようだ。やはり、食料には不自由しなさそうだが、どうして甘桃圏とはこうも違うのか。気候の違いからだろうか。


 そんなことを考えながら、真中は充希についていく。

 あれ、なんで俺が先導されてるんだ。俺のが後輩だったかな。


「先に行こうか? 何かあったら危ないし……」

「いえ、お気遣いはありがたいですけど、誘ったのは私ですからね。萬屋さんを危険に晒すわけにはいきませんよ」


 事も無げにそう言った充希に、真中は面食らう。どうせ、お墨付きのついでだからどうでもいい、というような態度を取られると思っていたからだ。


「ああ、そう」


 この時は、冷静な顔をしていた充希だった。が、少し歩いて、生魚が其処らの川を悠々と泳いでいるのを見かけると、人が変わったようにはしゃぎ始める。


「わあ、凄い! 萬屋さん、見てくださいよ、これ。本当に生魚がうようよしてますよ。こんなの初めて見ましたよ!」

「ああ、凄いよな。こんなのここじゃなきゃ見れないもんな」


 川面を指差して、きゃっきゃと騒ぎながら飛び跳ねる充希を見て、真中はついついにやけてしまう。

 しかし同時に、彼自身も初めてここに来た時には、同じ様な感じだったのかな、と思うと恥ずかしさもあって、顔を赤らめるのだった。




 

 



 

 



 

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