第4話 「嘘つき王女が願ってやまないのは偽りの恋」

 前髪を切った。

来週カットモデルを頼まれているのに、前髪を自分で切った。

ほんの数センチ。

目にかかる数センチを切った。

失敗した。

イズちゃんに見せたら美容師さんに怒られちゃうね、と言われた。

全部、夏のせいだ。

「そうだ、梨世ちゃん。昨日ね、実家から食べ物いっぱい届いたよ」

「何が届いたの?」

「メロンとか。だから明日みんな呼んでここでご飯しない?」

「みんなってメロス?」

「メロスの友達のバイトの子、何くん、だっけ? その友達も」

「………椋木くん? とりあえず聞いてみる」

イズちゃんがこんなことを言い出すのも、夏のせいだ。



イズちゃんが私のカレシに会ったことはないし、会いたいと言ったこともない。

ましてや、椋木くんはカレシでも何でもない。

ただのバイト仲間で知り合いだ。

よくて、友達だ。

イズちゃんが何を思って彼のことを言い出したのかはわからない。

ただ、この光景は異様だ。

大学の学食に集まったのは私とイズちゃん、メロスと椋木くん、彼の友達のカニクリちゃんと名前の知らないヒト。

「ひどいよ梨世ちゃーん! 末松充寿すえまつみつとし、ミツでーす!」

「………はあ」

こんなチャラいだけで薄っぺらな大学生は腐るほど見てきた。

いや腐ってた。

「鹿山さん、ごめんね。チャラいけど根は真っ直ぐで二年浪人しただけのオジサンだから許してあげて」

少し早口にトゲのあるツッコミを入れるカニクリちゃん。

「………はあ」

「つまり無理してんの。まあ、適当に合わしてあげて。おすすめは相手にしないことね」

こんなキャラだったんだ。

「やっぱりカニクリちゃんっておもしろーい」

イズちゃんはカニクリちゃんがお気に入りみたいだ。

私が彼女の話をした時も、会ってみたいな、と言っていた。

「だってカニクリームコロッケちゃんだよ? カニが苗字でコロッケちゃんが名前かな。じゃ、クリームはミドルネーム?」

時々どころか割とわけわからないことを言うのが天然のイズちゃんのいいところ、なのかもしれない。

「それで、話って何?」

しばらく黙っていた椋木くんが口を開いた。

「イズちゃんの実家からメロンとか野菜とか食べ物いっぱい届いたから、明日みんなで食べに来ない?」

「明日は僕、バイト」

「あ………」

そうだった。

明日は椋木くんとミオ先輩のシフトを忘れていた。

「オレもバイト。去年は三人で3日間食べ続けたからみんながんばれ」

メロスは期待していただけに残念だった。

「はーい! オレ暇でーす!」

勢いよく手を挙げてあからさまなアピールをされている。

ここはさっきカニクリちゃんが言っていたように相手にしないでおこう。

「………ねえ、カニクリちゃんは大丈夫だよね? この際、女子会にしない? 他にも女の子呼んでさ」

「それだったらついでに会わなきゃいけない女子がいるから連れてっていい? 正直二人はちょっと気まずかったんだよね」

「いいよ、呼んで呼んで。私はミオ先輩が終わったら来てもらえないか聞いてみる」

自分でそう言うと椋木くんの視線が気になってしまった。

切りすぎた前髪を私はしきりになでつけていた。



冷房の効いた学食の天井から床まで広がる大きな窓の外は、夏の陽射しでとても暑そうだった。

私達は昼食をとりながら取り留めのない話を続けていた。

「オレ心理学やってるから悩みがあったらいつでも相談してよ」

椋木くんが、ミツさんと呼んでいる彼が身を乗り出して私にアピールしていた。

なかなか空気が読めないらしい。

「ミツさんが思ってるのはどうせ恋愛相談くらいでしょ? そんな言い方ほんとうに悩んでいるヒトに対して失礼よ」

そんな彼に対してカニクリちゃんはキツく言い放った。

「言い過ぎだよ、カニクリ。急にどうしたんだよ」

「ごめん。だって―――」

椋木くんにたしなめられ、カニクリちゃんは不意に柔らかくなる。

下唇を噛んで言葉を我慢しているみたいだった。

「………ミツさんウザい」

それだけ言うとカニクリちゃんは黙ってしまった。

そして私はそのことに気付いた。

けれどその結論を出す前にそっとフタをすることにした。

それを知ったところで私にはきっとどうにもできない。



今日のバイトのシフトは椋木くんと私だった。

相変わらず椋木くんが話すのは仕事のことというかクラゲのことが大半で、

「鹿山さんって、………その、今カレシいるの?」

私のプライベートのことを聞いてくるなんて

思いもよらなかった。

「あー、カレシはいないかな。椋木くんは? 元カノさんとヨリ戻したりしないの?」

一瞬、ほんの一瞬だった。

椋木くんがいつもとは違った暗い表情を見せた。

「元カノは、———どうなんだろうね」

私達は淡いブルーのLEDライトに照らされた水槽に囲まれながら向き合っていた。

音もなくクラゲ達は不思議な距離感の私と彼を見つめている。

「最近、週1くらいで出かけてるし、向こうはそのつもりなんだけど」

ここでカニクリちゃんなら、もうそれって付き合ってるじゃん、とか言いそうだ。

きっと前の私も、そう言うに違いない。

「何か、違うなって」

彼は独特の空気の中で生きている。

周りからは少し距離を置いて、ゆっくりとした流れの中で考えている。

まるで、クラゲだ。

「彼女のこと、好きじゃないの?」

「好きかどうか、わかんないかな。好きなんだろうけど」

「はっきりしないなー」

と私は口に出してしまった。

彼の機嫌を損ねると思いきや、

「そうだね。元カノに悪いことしてるな」

彼は苦笑していた。

その視線が私に向いていることが気になって、私はついつい前髪を触ってしまう。

「鹿山さんは、好きなヒトいないの?」

散々彼に聞いておきながら、いざ自分が聞かれると戸惑って、

「えー? いないかな」

と嘘をついた。

「だったら、ミツさんとかどうかな?」

そう言うことか。

彼が私に興味を持ったんじゃなくてミツさんに頼まれたからか。

「んー、どうかな。どうせ付き合うなら年上がいいと思うけど、それがミツさんにはならないかな」

「好きにはならない?」

「ならない。何度も言わせないで」

「どうしてミツさんじゃダメなのさ。顔もいい、背も高い、きっと将来も有望だよ」

「だから、だよ。きっと彼は私を年下の女の子としか見てくれてない。それじゃ、ダメなんだよ」

「付き合ってもいないのにわかるの? 話してもいないのに、ここでアイツはきっとこうだからって決め付けて話をするのは失礼だよ。本人がいないのに、どうやって彼の本音を理解できるのさ」

「本人が直接話しに来もしないのに、椋木くんは何を言ってるの? バカじゃないの」

どうしてこうなってしまったんだろう。

そんなことを言うつもりなんてなかったのに。

「椋木くん、………嫌い———」

それから私と彼は帰るまで言葉を交わさなかった。

ただ、最後に、

「———お疲れ様」

その言葉がいつもと違う重さを持って私の心に響いた。



***



梨世は、よくしゃべる。

「それでね、教室からグランドにいるカレにメッセ送って、わぁー見てるーって。窓から見てたの」

今日は高校の頃の話だ。

「だけどカレは私と付き合ってはくれなかった。あれだけキスもエッチもしといてひどいよね」

相手は高校教師だった。

サッカー部の顧問で梨世はその様子を見に行っていたらしい。

マネージャーにはならなかったのかと問いかければ、そういうのは私のキャラに似合わない、と笑った。

「だから、卒業式の日に魔法をかけたの。私は春から東京の大学に通うから、もう会えないよって」

私をずっと好きでいる魔法。

ぽつりと梨世は言ってホテルの窓の外に広がる東京の夜景の見ていた。

「それからね。私、卒業式が終わってからこくられたの。サッカー部のキャプテンだった彼とそのままラブホに行ったのね。それをカレに見せ付けてあげたんだ」

コドモは時に残酷ざんこくだ。

相手にも、自分にも。

「どっちもそれっきり会ってない。遠恋なんて私には似合わなくて」

きっと我慢ができないのだろう。

話し続けることで彼女の中のフラストレーションが解消される。

それは本来なら女性同士でなされるはずのものがこんな年上の男相手にしなくてはならないのは、彼女に何の気遣いもなく話せる友達がいないからなのか。

「私の恋は、永遠に報われることがないのかもね」

自分の境遇をあざ笑う梨世の悲しげな笑顔を見ていると、忘れてしまった胸の痛みをわずかに感じる。

「———ねえ、桂木さん。ぎゅってして」

彼女の言うままに抱きしめると、涙の気配がした。



***



土曜日。

料理の仕込みを手伝ってほしいとイズちゃんからメッセが来た。

昼過ぎに私が彼女達の部屋に着くと出迎えたのはイズちゃんだけだった。

「カニクリちゃん、いらっしゃい」

肉付きのいい彼女は胸元がざっくり開いたサマーニットを着ていた。

「あれ? 一人?」

「うん。梨世ちゃん、週末はお泊りかオールしてくるから。だけどもうすぐ帰るってメッセ来てたよ。たぶん夕方になるかな」

割と広めな2LDKは掃除が行き届いており、イズちゃんがしっかり管理しているのが想像できた。

「でもカニクリちゃんすごいよね。住所だけでちゃんと来れるなんて」

「大したことじゃないでしょ。ケータイで地図アプリ見ればナビしてくれるよ」

「そういうの私も梨世ちゃんも苦手で。最初にこのマンションに来る時も迷っちゃって」

イズちゃんが迷うのは仕方ないとしても鹿山さんはそんなふうには見えなかった。

「二人で東京の美容室行こうってなった時も有名なサロン予約したのにめっちゃ迷って。結局美容師さんに迎えに来てもらったの」

楽しそうに話すイズちゃんは私をリビングのイスに座らせると、パスタをで始めた。

「そこで流行の髪もメイクも全部教えてもらったの。そこで田舎から来た二人は今の二人になった。私達、大学デビューだから」

リビングのテレビ台に飾られている小さな鉢のガジュマルの木の隣にあるコルクボードの写真の中に真っ黒な髪の二人が並んで写っていた。

「あ、お昼ご飯まだでしょ? カルボナーラでいい?」

「あ、うん。ありがとう」

ほぼすっぴんのあどけない高校生の二人がいた。

今よりもかわいらしく思えた。

「二人とも同じ高校だったんだね。彼は?」

「彼? メロス?」

美味しそうな匂いがキッチンから届く。

手際よく彼女は料理をしながら彼女は思い出を話し出す。

「メロスはね、私と梨世ちゃんが東京行きの夜行バスの中で会ったの。酔っぱらいに梨世ちゃんが絡まれた時に助けてくれて、サービスエリアでお礼とお話しして同じ大学だって知ったの」

話しながら彼女は二人分のカルボナーラを運んできた。

「まずは腹ごしらえね。さ、食べよ」

ぺろっと舌を少しだけ出した彼女はとてもかわいかった。



イズちゃんの実家からはほんとうにたくさんの夏野菜が届いていた。

中でも目を引いたのは、

「何かメロンの数、半端ないんだけど」

箱から取り出した十個もある高そうなメロンだった。

「うちのおじいちゃんがメロン農家でね、毎年実家にもメロンがいっぱい届くんだよ」

そう言ってメロンを抱えるイズちゃん。

「その胸はメロンのせいか………」

「ん? 何て?」

「何でもない。それで、何を作るの?」

「うーん、とりあえずカレーでしょ。炒め物と煮びたし。あとは冷製ラタトゥイユ、かな」

「それ私が来なかったら全部一人で作るつもりだったの?」

「うん。ちょっと時間かかるけどやるつもりだったよ」

「鹿山さんは? あの子はやんないの?」

「うーん。私はご飯担当だから。まあ、たまに手伝ってくれるよ」

「アイツ、共同生活って何かわかってんの?」

「これが梨世ちゃんと私の形だからいいの。それに、今日はカニクリちゃんとゆっくりお話ししたかったし」

「私と?」

「そう。時間はみんなが来るまで時間はたっぷりあるよ。じゃあ、カレーの仕込みから始めようか?」

笑顔で言うイズちゃんに私は二箱分の野菜を切らされた。



***



そこはカオスだった。

「あ、梨世ちゃん。おかえりなさーい」

夕方に帰った私を出迎えたイズちゃんはいつもの笑顔だった。

「やっと帰ってきた。帰るってメッセ送ってからどんだけ経ってんのよ」

大きな鍋をかき混ぜながら文句を言ってきたのはカニクリちゃん。

まさかこんなに早く来ているとは思わなかった。

「ねえ、鹿山さんも手伝ってよ。イズがまだ野菜切れっていうんだよ?」

「………えっと、水窪さん?」

カニクリちゃんが呼んだ女子って、この子だったのか。

「シズクでいいよ。イズって抜けてるくせに人使い荒いよね」

やけになじんでいる水窪シズクは包丁を置くと小声で、

「あの子のおっぱいってメロンでできてるってカニクリが言うんだけど、マジ?」

とぶっ飛んだ質問をしてくるから、私は思わず笑ってしまった。

「マジ。イズちゃんのおっぱいはメロンでできてます」

私もそっと彼女の耳元に言って、二人で笑った。

「私、今日泊まってこうかなぁ」

「ほんと? シズクちゃん泊まっていって。この量だと明日も食べればなくなりそうだから」

「食べる前からそんなこと言わないでよ。だったら近所のヒトにでも配ればいいのに」

シズクはそう言って小さく、あ、と言った。

何かを思い付いたらしい。

「私、着替えてくるね」

リビングを離れると三人の話し声が聞こえる。

イズちゃんと二人で暮らし始めてから1年以上経ったけれど、この部屋に友達が来たのは初めてだった。

よく考えれば、イズちゃんにだって友達がいるはずだ。

私はイズちゃんの友達に会ったことがない。

クラスや講義が同じで話すことのある子がいるのは知っているが、大学の中では私とほとんど一緒にいるイズちゃんが一人の時にどうしているのか全く知らない。

イズちゃんには、私以外の友達がいるんだろうか。

「シズク………ちゃん、代わるよ」

「シズクちゃんってキャラじゃないから、呼び捨てでいいよ」

「わかった。そうする」

「私も、梨世って呼ぶから。いいでしょ?」

「うん」

「それと、この前はごめんね。何か機嫌悪くさせて」

「こちらこそ。お店で失礼なこと言ってごめん。あのあと水槽の掃除してくれたんでしょ?」

「あ、うん。でもちゃんとバイト代はいただきましたので」

「ふーん。そうだったんだ」

シズクの笑顔からその意味が理解できた。

「それで? 椋木くんとヨリは戻さないの?」

彼の元カノは視線を下げ、私が切り終えたズッキーニをボウルに入れていく。

「どうかな。私はそのつもりなんだけど」

と本音をらした。

「今日は何か素直だね」

「そう? そんな時もあるよね」

「今度は素直じゃない」

「あー、もう。おもちゃじゃないよ」

「ふーん。おもちゃかと思った」

まだ会ってから時間も経っていないのにそんなことを言っても許してくれる空気を彼女から感じていた。

「ねえ、カニクリ! 梨世が私で遊んでんだけど!」

何だかわからない親近感の正体を私は気にしないままトマトを切る。

「遊んでないよ。ちゃんと野菜切ってますよ」

こうして初めてのメンバーのカオスな女子会がスタートした。



夏の夕暮れが近付いた頃、ほとんどの料理が完成した。

意外にもカニクリもシズクも料理が上手だった。

足りない肉や魚を近所のスーパーに四人で買いに行った時は、三人が真剣に何をどれだけ買うか悩んでいるのをカートを押しながら私は見ていた。

「やっぱ料理ができる女子っていいよね」

「だったらイズちゃんに教えてもらいなよ」

「そうだよ。でも最近じゃ男子のほうが上手だったりするから、逆に梨世みたいなタイプは何もしなくてもいいかもね」

「どんなタイプよ」

「あー、王女様? 女王様? 早く作りなさい、みたいな」

「ひどくなーい? 私そんなこと言わないし、料理も少しくらいはできるもん」

これは嘘ではない。

ただ手の込んだ物を作らないだけ。

「まあ、とにかく。みんな乾杯」

「乾杯」

「かんぱーい」

「はい、乾杯」

空気の読めるイズちゃんの声で色とりどりの飲み物が入ったグラスを触れ合わせる。

テーブルの上にはもっとカラフルな料理が並んでいる。

「梨世はダメな物ある?」

何も言わずに料理を取り分け始めるシズク。

「私、甲殻類が苦手。何か、エビとか気持ち悪くない? まるでエイリアンみたいで」

周りの人間とは違うエイリアン。

「確かに見た目はグロいけど、食べると美味しいのに」

「だからイズちゃんは甲殻類は買わなかったんだね」

「うん。梨世ちゃんが嫌がるから。カニクリちゃんは? カニ食べるの?」

「食べるよ。美味しいし」

「カニクリ、それ共食いじゃん」

「いや、私は人間なんで」

「カニクリームコロッケも食べるの?」

「食べるよ」

「共食い」

「鹿山さんウザい」

「ひどーい」

私とカニクリのやりとりをイズちゃんは笑っていた。



「私ね、思うの。女の価値は連れて行かれる店のランクで決まるって」

「はいはい。そーですねー」

私のささやかな主張に棒読みで返してくれるカニクリ。

「ちょっ、カニクリ! もうちょっと優しくしてくれてもいいんじゃない?」

「これでも優しいほうだよ? ね、シズク」

「カニクリが本気でキレたら誰も手を付けられないよ。気を付けなよ、梨世」

「マジで? 意外。優等生キャラだと思ってた」

「表向きは優等生だけど裏では大変だよ」

シズクはそう言って笑った。

「シズク。黙ってなさい」

私達三人は顔を見合わせてもっと笑った。

それを見てイズちゃんは笑っていた。

「三人の会話おもしろなー」

イズちゃんは冗談でも私にひどいことを言ったりはしない。

ずっと私の味方でいてくれる。

私はそんなイズちゃんが大好きだ。



***



「それでね、椋木くんがさ。僕がやるんでミオ先輩、消毒してあげてくださいって。チョー言い方冷たくてさ」

共通の敵がいるとその人間同士は仲よくなる、なんて話がある。

「あー、朋弥なら言いそう。てか、朋弥は梨世のこと心配してんだよ」

この場合、敵とは椋木くんだ。

「そう? だったらもう少し優しい言い方しない?」

「朋弥にしては気遣いがあったほうだよ。どうでもいいヒトにそんなこと言わないもん」

「さすが元カノ。カレのことは何でもわかってますね」

鹿山さんとシズクは似た者同士なのかもしれない。

「どうかな? 今の朋弥が何を考えてるかちょっとよくわかんない」

「上手くいってないの?」

「うん。ヨリ戻そうって言ってからもう1ヶ月経つけど何も言ってくれないんだよね」

天性のオトコを振り回す性格。

「その間は会ったりしてないの?」

「ちょいちょい会ってるよ。でもカニクリと梨世のほうが会ってるでしょ? 同じ大学だし同じバイトだし」

「だったら辞めなきゃよかったじゃない」

私が言うと二人の会話が一瞬止まる。

「あの時は朋弥よりカレシが好きだったし、後悔しないつもりだった」

シズクは真っ直ぐ私を見ていた。

その透明なほどに澄んだ瞳で。

「勝手なこと言わないでよ。どれだけ私達が必死で止めようとしたか覚えてないの? それなのに私は私のやりたいことをやるから邪魔しないでって言ったのはどこの誰よ」

シズクへの文句が止まらずにあふれていく。

「椋木くんが一番かわいそうよ。シズクのワガママに振り回されて。彼がどれだけ落ち込んでたか、わかってるの?」

「カニクリ、もうやめなよ。シズクだってわかってるよ」

そんなこと、私だってわかっていた。

それでも、止められなかった。

「………ごめん。ちょっとタバコ吸ってくる」

「あ、私もついていっちゃおうかな」

何も言い返さないシズクがベランダに出ていく。

イズちゃんが鹿山さんと私に視線を送ってあとを追う。

「カニクリ、ちょっとこっち来て」

「………何よ」

「いいから」

鹿山さんが私の手を取り、彼女の部屋に連れていく。

「私、言い過ぎたなんて思ってないから」

「わかってる。正しいと思うよ。それはシズクが一番わかってるよ」

脱ぎっぱなしの服が置いてある以外はキレイにされたシンプルな部屋だった。

きっと片付けもイズちゃんがやってくれているんだろう。

「鹿山さんにそんなこと言われるなんて思わなかった」

「何でよ」

「だって鹿山さん、オトコにしか興味ないでしょ」

「それはひどくない? でも、半分合ってるかな。女子のケンカの仲裁なんて初めてしたよ」

「別にケンカじゃないし」

「そう? 恋愛相談だったらいつでも乗るよ?」

「フラレる恋愛のアドバイスならお断りです」

「そんなことないよ。オトコに告白させるように仕向ける技、教えてあげようか?」

「遠慮します。大体そんなヒトいないし」

「ふーん。そうなんだ」

「何か言い方ムカつく」

「そんなことないよー。だったら私が恋愛相談してもいい?」

「どうせ、ろくな相手じゃないんでしょ」

「そんなことないよ」

「そもそも何で私にするのよ」

「だって友達いないもん」

「イズちゃんは?」

「イズちゃんは、家族だもん。それに、心理学やってればヒトの心が読めるんでしょ?」

「バカじゃないの? そんなのわかったらみんなやってるわよ。心理学やってもヒトの心なんて結局わからないのよ」

そのヒトが何を考えて何を思っているかなんて、本人に聞いてみなければわからない。

「心理学をやったってヒトの心なんかわからないって栄川先生の言ってたとおり」

聞けるなら、聞いてみたい。

私を好きだったのかどうか。



「どうせだったらイケメンのほうがいい」

彼女の主張は絶えることがない。

「それってつまり、鹿山さんよりかわいい子を好きになったから別れるって言われてもいいってことだよね」

「それとこれは別じゃない? 別腹みたいな?」

「デザートかよ」

どこまでが本気で、どこまでが冗談なのかわからない彼女の考えは私の意識の届かない場所にあって、理解に苦しむ。

「ほんと、鹿山さんって残念系美人よね」

「あれ? 褒められた?」

「褒めてない。大学デビューのハーフ顔メイクで確かに美人。なんだけど残念感。それに極度の愛されたい願望で、幅広く女子から嫌われる女子だよね」

「えー、そんなことないよ。友達だっているし」

それでも、彼女が遠い世界の国にいるとは思えない。

「さっき友達いないって言ってなかった?」

「そうだっけ?」

ただ目の前で、愛されたいと願っている小さなコドモのように思える。

「まあ、いたとしてもほとんどがオトコ友達か合コンのメンバーでしょ」

「そういうのを友達って言うんじゃない?」

「そうかもね」

だとしたらこの不思議な距離感は何と言うんだろうか。



***



私とカニクリがリビングに戻ると、シズクはバツが悪そうにまたベランダに出ていった。

カニクリも申しわけなさそうにソファに座った。

「カニクリ、謝りに行かないの?」

「謝るなら、二人の前で謝りたいから」

「素直じゃないね。だったら先に私が行ってくるよ」

と私はベランダに出ていく。

生暖かい夜風が不快に私の肌をなでていく。

「シズク。私にも一本ちょうだい」

「梨世、タバコ吸うの?」

「カレシが吸ってる時にちょっとだけね」

「カレシいたんだ?」

「今はいないよ。だけど、ここでしか話せない話もあるでしょ?」

私はシズクからタバコを受け取ると一本取り出して火を点けた。

「カニクリにできない話?」

「そ。イズちゃんにできない話」

「あー、そうだね。じゃあ、ほんとに言えないこと、言おうかな」

とシズクは煙を吐き出した。

「元カノの私が言うのも変な話だけど、梨世と朋弥ってお似合いだと思う」

「———は? 何言ってんの?」

思わずタバコを落としそうになった。

「素直な感想だよ。空気って言うか雰囲気って言うか、馬が合うって言うのかな」

「マジメなだけのヒトなのに?」

「そだね。でも同じ血液型だよ。梨世もA型でしょ? イズが教えてくれた」

私も似たようなことを思っていた。

「A型に見えないってよく言われる」

椋木くんとシズクの話し方が似ている。

「ねえ、もし、もしもだよ、私と椋木くんが付き合ったらどうするの?」

「その時は、おめでとうじゃない? だって、友達でしょ?」

「そっか。そうだね………」

それは言葉遣いだったり、口癖だったりもだけれど、話す時のの取り方もそうだ。

「私、二人のしゃべり方、似てると思う」

普段ならそう思っても言わないけれど、

「ああ、これが彼の優しさのみなもとなのかもしれないって思った」

今はシズクに話そう。

「シズクが椋木くんと過ごした時間の分———」

私は彼に優しくされるんだろう。

「彼は、優しいんだよね」

そんな気がした。



夜もけて午後9時を過ぎた頃、ミオ先輩がバイト終わりに寄ってくれた。

取り分けておいた料理を並べると、

「こんなに食べられないよ」

と困った表情で笑った。

「デザートにメロンもありますよ」

そう言ったイズちゃんは二個目のメロンを食べていた。

テンションの上がっている私達を見ながらミオ先輩は作った料理をがんばって食べてくれた。

「ねえねえ、ミオ先輩。ミオ先輩はカレシいるんですか?」

打ち解けるのが早いシズクは話をミオ先輩に振った。

「私? いないよ」

「じゃあ、カレシみたいなヒトはいますか?」

「んー、いないかな」

「そっか」

シズクは何かを思いながらメロンを食べた。

「でも、ミオ先輩は美人だからオトコから言い寄られてそうですよね」

「そんなことないよ。私、マジメすぎてモテないから」

「だったら、好きなヒトはいないんですか?」

質問責めにされるミオ先輩は苦笑していた。

「いないよ。私、普通の恋愛には縁がないみたいだから———」

「じゃあ、椋木くんのことは好きですか?」

きっとシズクも気付いたであろうことに私も気付いた。

「椋木くんは、嫌いじゃないよ。………うん、そう。嫌いじゃない」

ミオ先輩は思っているよりも、したたかだ。

「はっきりしてください!」

特定のカレシはいなくても、それに近い存在はいる。

他にも周囲に狙っている男が何人もいる。

本命もきっとその中にいる。

「椋木くんのこと、好きじゃないならそういう態度をとってください。いつまでも可能性を引き延ばしするみたいに彼の心を弄ばないで」

「オマエが言うなよ」

ぼそっとカニクリがつぶやいた。

「彼の気持ちを知っていて、いざ本命がダメになったらレンジであっためるみたいに彼をカレシにするんですか? キープしているんじゃないですか? そんなの最低です!」

ああ、最低なのは私だ。

彼のことをそう思っているのは私のほうだ。

「前にも言ったけど。椋木くんは、私のこと好きじゃないよ」

彼を都合よく利用しようと心のどこかで思ってる。

「そんなことわかってたでしょ? それとも、ただ仲よくするのはいけないこと?」

ミオ先輩は箸を置いてバッグを持って立ち上がる。

「この話はこれで終わりね。明日からはまたいつも通りに働きましょ? できるわね? 梨世ちゃん」

優しく、きつく、ミオ先輩はごちそうさまでした、と部屋を出ていった。

「怒らせちゃったね。梨世、言い過ぎ」

「………私、悪くないもん」

「あっそ。じゃあ私が謝ってくるよ」

シズクはそのまま走って出ていく。

「鹿山さんは? 謝りに行かないの?」

カニクリも、怒っているかと思った。

カニクリだけが私と同じことを思っているように思えていたから。

「………私———悪くない」

私が言ったのはミオ先輩じゃなくて、自分自身に対しての言葉だったから。

「そう。———イズちゃん、私もそろそろ帰るね」

「うん、わかった。カニクリちゃんも泊まってけばいいのに」

「私、今住んでる部屋で猫飼ってるの。内緒ね」

「うん。今度は私が泊まりに行くよ。気を付けてね」

「ありがと。バイバイ」

ソファでうつむいていた私は視界のはしで玄関に向かうその背中を見ていた。

「———鹿山さん。明日ちゃんとバイトに行かないと、椋木くんに怒られるよ」

振り向かないその背中から聞こえる声は、カニクリらしくなくて優しい。

「………椋木くんは関係ないよ」

言葉がその背中に届く前にドアが閉まる。

「梨世ちゃん、最近朋弥くんのことばっかだね」

私の背中にイズちゃんが話しかける。

「そんなことないよ」

「そう? それとも他のことはイズが知らないだけかな」

「そんなことないよ。私、イズちゃんには嘘ついてないし」

という嘘をついた。

「あ、カニクリちゃんってば、おみやげのメロン忘れちゃってる」

近所のお姉さんと食べるからと言っていたカニクリの分のメロンがキッチンに置きっぱなしだった。

「月曜まで冷蔵庫に入れておけば持つかな?」

正直なところ冷蔵庫にそんなスペースがないのはイズちゃんも承知のはずだった。

「私、ちょっと行ってくる」

「はーい。後片付けはしておくね」

イズちゃんの緩くてふわふわした声が、メロンを持った私の背中に届いた。



カニクリは意外と歩くのが遅い。

「カニクリ! メロン!」

駅まではゆっくり歩いても五分。

「鹿山さん? あ、メロン忘れた」

本気を出して走らなくてもサンダルのままでも余裕で追い付いた。

「近所のお姉さんと食べるんじゃないの?」

「わざわざよかったのに。月曜に大学で渡してくれてもメロンは腐らないよ」

「だけど、メロンと一緒に講義受けたら、食べたくなるよ?」

「まあ、確かに」

少し考えてカニクリは笑った。

「でも、鹿山さんが走ってるのって似合わないよね。ヒール高いのしか履かないし」

「だって、それが女子力じゃない?」

「女子力ね。鹿山さんが言うと必要な気がする」

「必要だよ。カニクリにだって必要な時があるよ」

「あるかな?」

「あるよ。好きなヒト、いるんだよね?」

立ち止まっていた私達はまた歩き出す。

「椋木くんのこと、好き―――なんでしょ?」

「オトコとして? ―――さぁ、それはどうかな」

いつもみたいにカニクリは誤魔化ごまかすことはなく、ゆっくりと歩きながらその先のアスファルトを見ていた。

「確かに好きなヒトに似ているけど、それは違う気がする。………何となく、うん、そう思う」

「自分のことになると、急に自信がなくなるのね」

「だから、心理学なんてやっていられるんだろうね。一番知りたいのは、自分の心なんだろうから」

「ヒトの心はわからないって、言ってたね」

「うん、わからない。客観的になら理解できることも、好きなヒトのことは何一つわからないんだ」

「そうだね。———片思いってさ、はたから見たらめんどくさいよね。好きなら言ってしまえと思うのに本人はそのままでいいみたいなこというし、何の障害もないのにこの関係を壊すのが怖いとか言ってそれ以上いかないし。そのくせやることちゃんとやってもう恋人じゃんみたいな」

それは私の話だ。

いろんなところに片思いをしていろんなヒトに思われて、けれどほんとうの恋は実らない。

「片思いなんてムダよ。相手に受け入れられなければ意味がない。それはただの、独りよがり」

それはカニクリのお話。

「だけど、それでもいいって思うこともあるよね」

「好きになるより、好かれるほうが楽。みたいな?」

「傷付かなくて済む。あ、傷付くことはあるか」

「鹿山さんみたいに好かれるのも大変じゃない? 最初から全力で大好きですって言われたら急過ぎて重いよね。気になるなー、から始まって好きかもになって、この辺で付き合うことになって、一緒にいるうちにだんだんと大好きになって、最後に結婚するみたいな」

私の恋愛の全てがそうだったらどれだけよかったことか。

「一緒にいても意見が合わなかったら一人でいるほうが楽だとも思うな」

忘れたいと思えば思うほど、一緒にいた時間のいいところだけ思い出してしまう。

あれほど傷付けて、傷付けられたのに、何て勝手な記憶なんだ。

自分で無意識に記憶を作り変えて、結局、彼を忘れることなんてできなくさせてしまう。

「私はただ、愛されてるって安心感がほしかった」

妹みたいだと言われても、アナタを独り占めできないのなら、そんなモノに意味はない。

別れ際に「全部オレが悪いから」なんて言わないで。

私はアナタにしかられたいの。

ダメな子だなって怒られてそのあとに、ぎゅっと抱きしめられたいの。

「だけど私、ほんとうに心から好きになったことはない」

そして私は何度も嘘をつく。



***



初恋は実らない。

だから人生で二番目に好きなヒトと結婚したほうがいい。

誰かがそう言っていたのを聞いたことがある。

私の短い人生の中で一番大好きなヒトは誰で、初恋のヒトは誰なんだろう。

そんなこと、もう忘れてしまった。

私の「好き」は常に私を愛してくれるヒトのために差し出している。

そこに、愛がなくても。

付き合ってはいけないと言われたとしても。

だって、ダメって言われたら、もっと好きになってしまうでしょ?



***



バイトで家に帰った深夜の僕の部屋に、シズクが訪ねてきた。

おすそ分け、と両手いっぱいの野菜と料理、そしてメロンを持っていた。

教えてくれたら迎えに行ったのに。

いいの。がんばって持ってきたからいっぱい食べてね。

そして彼女はまた泊まっていった。

その寝顔を見ながら、僕はカーテンの隙間の夜空を見上げる。

僕達はまだ何の結果も出せないまま、曖昧な距離を続けていた。

もうすぐ夏休みが始まる。



***



「好きだという嘘がほんとうになる瞬間は私に来るんだろうか」

「手を伸ばせば届く距離で僕は彼女に何をしてあげられるんだろうか」

「すれ違っていくこの思いが何なのかを知りたいと思った」

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