夕刻: 人身御供 [須佐政一郎]
計画とは、得てして上手く行かないものだ。
どんなに練り込み、あらゆる状況を想定したとしても、実際に動く段になれば信じられないような出来事が湧いてくる。
決して晴れぬ戦場の霧、いや卓上と戦場との摩擦とでも呼ぶべきか。
問題はそれに如何に対処するか、対処する術を身につけているか、そしてそれを実行できるかに計画の成功はかかっている。
今、私はその摩擦を身をもって体験している。
本来ならば学園の正門で出会うはずの少女、シャルロッテ・アイギス・フォン・ルツェルブルグ=ウンターヴェルデンシルト、その人を探しに走り回っているのだ。
走り始めてから数分と経っていないのに、この体は既に悲鳴を上げ始めている。
足、肺、心臓、血液、どこもかしこもどうしようもないポンコツだ。サビがいたるところに染み付いている。サビがなかったとしても大した代物ではない。
「シャルロッテさん!」
ようやく視界に捉えることができた少女に大声で呼びかける。
彼女と確認できた訳でもない。そんな目を持ち合わせてはいない。だが、私の記憶通りに警備局の人間が動いてくれれば、この道を今この時間歩いているのは彼女に他ならない。
「あらあら、スサさん。お急ぎですか?」
彼女の元に歩み寄ったはいいが、息が途切れて声が出せない。肩を激しく上下させ酸素を確保するのが先決だ。
一分は優にかかっただろうか。
彼女の後ろに影のように付き従う者、テレジア嬢からの私の心底を壊すような視線が痛い。
それに気圧されるほど柔な心臓ではない。肉体的な意味ではなく、精神的な意味で、であるが。
「はぁはぁはぁ〜。ふぅ〜」
ようやく会話をこなせる程度には回復してくれたか。私も年をとった、と言えば多少の格好はつくが、彼女と同じ学園生だった頃からこうだったのだからしかたがない。
ここが、一番の、最大の正念場だ。
「少し、話をしながら歩きませんか?」
「はい!」
彼女の花のような笑顔が眩しい、と同時に不気味であることにようやく気付いた。
「遅れましたが、本戦への出場決定、おめでとうございます。静さんも大変喜んでいると思います」
「はい! あのあの、そうだと良いんですけど、何だかシズちゃん、元気がないみたいで……」
「傷のせいですか? 私は観戦できませんでしたが、初戦の緋呂金との戦いで相当に手荒く痛めつけられたそうですね」
私が彼女と会話すると、彼女の後方にいるテレジア嬢の瞳に黒い殺意ともとれる悪意が混じり始める。
胃が締め付けられるようだ。
脳のどこかが、今すぐこの場から去れ、離れろと危険信号を発する。
だがここで引く訳にはいかない。
この一戦こそが私の勝負の分水嶺、伸るか反るか、成功か破滅かの分かれ道なのだから。静さんの命もかかっているのだ。失敗などは許されない。そんな言葉など、今この場で始まる戦闘には決してあってはならない言葉なのだ。
「くすくす、でも安心して下さい! シズちゃんも分も私が頑張りましたから!」
「ははっ、ありがとうございます。静さんも大変に喜んでおられると思いますよ」
緋呂金の代行殿は、右腕を完璧に破壊されたようだ。なまじ展開する兵装など用意していたばかりに砕けた装甲の破片が肉へと突き刺さり、鳥上中央の外科医の恩寵をもってしても完治には一週間かかるとのことだ。
もっとも、左腕で鎚を握れば別だとも聞いている。
「静さんには大変良い思い出になったと思いますよ。何しろ——」
溜めを作る、作為的でないと悟られないように気をつけながら。
「人生最後の思い出になるんでしょうから」
私の言葉に、シャルロッテ嬢が足を止め、大きな愛らしい目をぱちくりさせる。
「あのあの、それって一体どういうことですか?」
「少し長くなる話ですが、道のりは長いですから丁度良いでしょう」
この一帯には警備の人間はいない。民家に住む者は昨日のうちに島外へ退避が済んでいる。ここにいるのは、私と彼女と彼女の執事の三人しかいない。
「昇武祭の目的はご存知ですか?」
「はい! この地で亡くなられた英雄さんを慰めること、ですよね!」
「表向きはそうですね」
「え、え? 本当は違うのですか?」
「はい。本当は、落ちこぼれの学生に、『お前は何をやっても世の役に立てない、クズ人間だ』と認識してもらうことなんですよ」
「……えっ?」
流石のシャルロッテ嬢もこの私の発言には少なからず驚いたようだ。
「鳥上学園の設立主旨は、遠呂智鍛冶に携わる人間の育成です。鍛冶と、刀を扱うことの意義を学ばせて、成人と同時に鍛冶職人になって貰うことでした。そこから始まり、刀を使う者を順次入学許可していったんです」
「はい……」
シャルロッテ嬢は飲み込めていないらしいが、話は続く。
「剣術や槍術などの武術の取得には個人差が出ます。学業も同じですね。そこで、横軸に武術の取得度を、縦軸に恩寵の有効性をそれぞれとると四つの領域ができますよね?」
本来はこれに頭のできと言う高さが加わるのだが、説明は簡単な方が良かろう。
「はい。ええと、ええと、両方得意な人と、片方だけ得意な人と、それに、」
「両方とも不得意な人です。彼らは昇武祭を通じて知ってしまうのですよ。自分では何をやっても勝てない連中が世の中にはいる、自分はどうしようもない劣等種なんだと」
「……あのあの……」
彼女の小さな抗議の声を無視し、私は続ける。
「まさにそれが昇武祭なんです。彼らに実際に体を動かして体験して貰うことが。そして、そんな劣等種の人達に、『そんなあなたでも、国のために役立つことがある』、そう影で伝えることが昇武祭の真の目的なんです」
学園生を測る基準は主に、学業、武術、恩寵、これら三つだ。その三つ全てにおいて劣等な人間を見つけるだけでなく、実際に経験として体験させることが重要なのだ。
重い風切り音が後方から聞こえてきた。
背広姿の女性執事が抜き身のハルバードを構えていた。
私を敵対分子と認識したか。どうでもいい。執事が何を考えようと、結局は主人に従うのだ。私の調べた限り、それがルツェルベルグ家の主従のあり方なのだ。命令には絶対に服従する。例えそれが、『私の首を切り落としなさい』と言うありえない滑稽な指令であってもだ。
「あのあの、どうして、そんなこと……?」
「<八岐大蛇>を封じるため、ですよ」
「え、え?」
「<八岐大蛇>は判明しているだけでも幾つか特異能力がありましてね。その一つが実に厄介なのです。シャルロッテさんも見たかと思いますが、静さんの屋敷にで出た緑色の大蛇、あれは<八岐大蛇>を親に持つ、<八岐大蛇>の特異能力の一つを受け継いだ個体なのですよ」
私は気絶していたから報告書を読んだだけであるが。
「ええと、ええと、一度傷つけた力では二度と傷つかない、ですっけ?」
「はい、その通りです。良くご存知で」
「ふふ、修道院でのご飯の時にリズさんが教えてくれました!」
一つ一つ欠片がはまっていく。仕上げに成功できるかどうかだ。
「<八岐大蛇>をこの大地の下に封印するには地面に繋ぎ止めておくためには刀が必要なのです」
私は話を続ける。いや、ここまでくれば、長年に貯め続けた私の思いが独りでに口から溢れ出てくるではないか。
「どんな優秀な封印刀を作れたとしても、それはもう次には使えないのです。<八岐大蛇>のそれぞれの首と胴体を繋ぎ止めるための刀は常に大蛇の暴威にさらされているのです。昔は数年間持ったものでしたが——今の鍛冶宗家当主や当主代行の力では数ヶ月しか保ちません」
それこそがここ数年、夜にヒトガタが多発する原因に他ならない。
私は歩くのを止め、今から話す言葉に全身全霊をかけていた。
「同じ刀の製法では、二回も持ちません。一度しか傷つけられないのですから。封印が保てなければ、<八岐大蛇>は大地から解き放たれ、この島から地獄が溢れ出すでしょう」
加えてもう残っている封印刀の数は限られている。主要八本の中、間違いなく半数以上は壊滅しているはずだ。
彼女は物珍しそうに私を見るだけだ。
「ですから、この地に最初の結界を施した遠呂智、須佐、聖コンスタンスの者はこうしたのです、」
理解しているのか、いないのか、私には分からない。問題なのはそこではないのだから。
「人を刀にしてしまおうと」
「……えっ?」
“何?”
無言を貫いてきたテレジア嬢までもが驚きの声を上げる。
「人と言うものは、古今東西誰一人として同じ人は存在しません。ならば、人を刀に変える鍛冶錬成技術をもし確立できるのであれば、<八岐大蛇>を封じる刀には常に新しいものが供給できる、だから結界は破られない——そう考えたのです」
「え、え? でも、人間を元に使う錬成って……?」
「ええ、この国でも厳しく禁止されていますよ」
気付けば、身振り手振りを加えて力説していた。自分の演説に酔うつもりなど毛頭ない。これは静さんの命がかかっているのだから。
「遠呂智、そして緋呂金が脈々と伝えてきた『共感』と言う血統恩寵は、生け贄となる人の想いを完璧に刀に伝えて錬成するためのものなのです」
「あのあの、そんなこと、承知する人がいるんですか? それとも、無理矢理にでもしちゃうんですか?」
「ですから昇武祭があるのです。試験で点数を取れない頭の悪い者、生まれつき劣悪な恩寵を持つ者、誰もができる武術ですら手も足も出ず負けてしまう者——全ての敗者を見つけてこう言うのです、『君はどうしようもない人間だ。君の未来に一筋の光明などないことは今日分かっただろう。だが、そんな君でもこの国のためにできる大義があるのだよ。やってくれるのかね?』——と」
私が口をつぐむと沈黙が訪れる。
鳥上学園は、今では珍しい道徳教育に力をいれている学園だ。大義を信じ、命を捨てるに値すると考える人間を作り出す場なのだ。その中で最下層に位置する人間を見つけ、遠呂智の鍛冶は囁くのだ。
思春期を迎え、精神的に不安定な学生だからこそ、命をもってこの国を守れると言う甘言が受け入れられやすい。
力で押さえつけたとしても、無理強いしたとしても、良い刀になることはない。あくまで死を覚悟し、その上で日本を守ろうとする心ある者を刀にすることで<八岐大蛇>を封印してきたのだ。
そう、遠呂智の家が一人の賊に皆殺しにされるまでは。
遠呂智が<八岐大蛇>と同じ音の『オロチ』と名乗ったのは偶然ではない。<八岐大蛇>を封じるためとはいえ、人を刀にする外法の人体錬成を用いて人々を殺し続けたのだ。その咎を背負い、責務とするからこそ、自らを遠呂智としたのだ。
その重みを知る者は、今の緋呂金にはいない。刀を金儲け、名声集めの手段としか思っていない。そう思わない者は、閑職においやられたか、刀になってしまった。
「あのあの、私、分からないんですけど……。どうしてそんなお話を私に?」
「三つあります。一つは、もう封印が破られるのは確定的で、時間の問題だからです。助っ人が一人いたのですが、音信不通になってしまいまして……」
怪異にやられたか、黒騎士に打ち負かされたか、それとも別の思惑か——どちらにせよ問題ではない。
「二つ目は、
今回、刀になるのは静さんなんです」
「え、えぇ!?」
驚く彼女へ、私は平伏し、次に言うべき言葉を選ぶ。
問題は、この彼女、彼女を説得できるのか、こちら側に引き込めるか、だ。その他は些細な問題だ。事が露見し、私の首が斬り飛ばされようとも、この少女が静さんの味方をしてくれれば何の問題もない。
そのために、彼女が静さんと同じクラスになるように手を回した。その素性を知り、この人物ならばと歓喜した。島の外で保管していた<蘭桂騰芳>をわざわざ彼女の家が支配する地域まで持っていき、流通ルートに流すのは骨が入った。彼女がこの島に来て貰えるよう、私の知識と役職と須佐の家の長男と言う立場が持つ全てを使って、この島に留学させるよう手配した。
共に家から疎まれている者同士、通じるものはあったはずだ。異端審問官による約十年間に渡る拷問生活と、緋呂金から物扱いされ続けた人生——肉体的な暴力か、精神的な暴力か、どちらが酷であったかは分からない。だが、傷を負う者同士、通じるものはあったはずだ。
結果は実っているはずだ。現に彼女達は頼まれてもいないのに自発的に三対三に、チームを組んで出場したではないか。
「どうか、どうかお願いします。彼女は既に緋呂金の屋敷に向かってしまいました。この島に囚われている私では、彼女を助けられません。どうか、どうか、彼女を、静さんを死の運命から救ってあげて下さい」
この時ようやく初めて人に頭を下げることの意味が分かった。相手がこちらの意志を汲んでくれるかどうかの不安、こちらの提案が受け入れられなかった時の絶望、数秒先の相手の行動で私の人生が大きく変わってしまう不安と期待、相手の目を全く見れないこの状況が生み出す料理されるのを待つだけの魚のような心境——その全てが私と言う存在を締め付ける。
だが、ここを通さねば、静さんの未来は無いのだ。彼女を守る為、全てを投げ打つと決めて動いてきた時間が水泡と帰す。
静さんを刀にすると代行が決定したのなら、それは緋呂金が決定したと言うことだ。緋狐は鍛冶宗家に逆らうものを躊躇なく排除する。あの女——皇国護鬼とて同じことだ。この国を維持する観点で見れば静さんの命など捨ててしかるべきものだ。例えその理由が、気に食わない女を捨てて優越感に入りたいと言うあの糞餓鬼の薄汚い意志だとしても、だ。今現在、封印刀を鍛えられるのは、あの糞餓鬼と、狂人の当主だけなのだから。
だから彼女には、静さんを選んで貰わねばならないのだ。彼女が静さんを選んでくれさえすれば、もう怖いものは無い。この島の警備隊も、緋呂金も、緋狐も、いや黒騎士達や怪異を含めその他全てのものを天秤の片方に置いたとしても、この少女が誇る絶対の『盾』へ針は傾くはずなのだ。私の全ての調査、記憶、戦力分析がそう告げている。彼女が誇る『盾』の恩寵への
全てはそう、
『あの子のこと、お願いね、政一郎君』
彼女との最後の約束を守る為——。
彼女が土下座する私の前に屈み込み、私の方に手を添えた。
「頭を上げて下さい。分かりました。シズちゃんは大切なお友達ですから。一緒に助けに行きましょう、ね?」
「ありがとう——ありがとうございます」
私の頬を涙が自然に流れた。
やった、私はやったんだ! この計画の一番の難所であり重点でもあるこの少女の説得に!!
まだだ、安堵するにはまだ早い。問題はまだまだある。彼女がどれだけ壊れているかは、実際の時が来てみなければ分からない。
他にもまだある。静さんを緋呂金の呪縛から解き放ち、この島から生きて出て貰うためには解決しなければならない関門は山積みだ。
だが、この時、私は全身を貫く歓喜に打ち震えていた。
やっとだ。やっと始まったんだ。静さんを解放し、この腐った島を葬り去るための正式な第一歩が。
「それで、何だ?」
唐突な、女執事の日本語が私の喜びに水を差した。
「一つ目と二つ目は聞いた。三つ目の理由は何だ?」
この女はどうでもいい。問題はその主人たる少女がどう受け取るかだ。
「それは、聖コンスタンスの者が最初に敷いた『仕掛け陣』のことなのです」
この話に乗ってくれるかは分からない。だが拒否されたとて問題は無い。静さんを緋呂金の手から救い出すことが第一義なのだ。
そのためにはこの少女が持つ絶対的な力が、何よりも必要なのだ。
人の心の機微は私には分からない。たが私が紡いできたか細い糸がようやく一つの絵図を浮かび上がらせてきている。
進むんだ。前に。どんな罪を背負おうとも、最後の約束を、私は果たさなければならないのだから。
それこそが——私の人生が生きた証に他ならない。
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