明け方: ウィットネス [リーゼリッヒ・ヴォルフハルト]

 長く、そして短くもあった怪異の掃討を終えた頃には、東の空が白み始めていた。

 夜明けだ。

「ふふふ、とっても楽しいピクニックでしたね! ハジメさんやシズちゃんが一緒じゃなくて残念でしたけど、私、アカリさん達とお友達になれてとっても楽しいです!」

 修道院への帰り道、凱旋する彼女はにこやかな笑みを崩さない。

 その身が着ているのは学生服ではなく、この国への旅の途中でずっと着ていた茶色のドレスだ。

 レースやフリルがついてはいるものの、欧州名家の一つルツェルブルグ家の継承権を持つ女性の着る物としては物足りない。

 一番怪奇なのは、私に貸してくれた<氷の貴婦人>やテレジア殿の<深遠からの咆哮>よりも遥かに劣るただの感応型の恩寵兵装と言うことだ。

「お姉サンもうちょっとシャルロッテちゃんの食生活について聞きたいんだけど、食べてるのってパン? それともご飯?」

「どっちもです! あ! 今日はヨシヤさんのあんみつさんを食べました! 美味しくって甘くって、ほっぺが落ちちゃいそうでした!」

「食べすぎちゃうとおムネじゃなくてお腹が出ちゃうから注意しないとね」

「えへへへ」

 “おい、女”

 シャルロッテの背後を歩く白銀の騎士の発する殺意に、日鉢殿はその主人に見えぬように火蜂を飛ばして答える。

 果敢にも女王の意志に従った火蜂は、その命令を実行しようとするも白き騎士の伸ばした手の中で無残にも最後を遂げる。

 日鉢殿の答えに対し、テレジア殿は銀光輝くハルバードを操り、鉤爪部で首を穿たんと腕の最小動作により致命の最大攻撃とする。

 銀光は銀光で阻まれる。女王の首を狙うハルバードの先端に、短槍の穂先が絡みついている。

「ネーちゃん、そういうのは見えねえところでするんだな」

 “邪魔をするな”

「お二人とも。今日の戦いは終わったのですから。一先ずは刃をお納め下さい。日鉢殿もそう言う『があるずとぉく』は修道院に戻ってからにして下さい」

 待て、修道院で話すに相応しい内容だろうか? 否、違う——はずだ。

「あんれま? リーゼちゃんてば何時の間にそんなおませサンになっちゃったの?」

「え? 用法を間違えましたか?」

 透子が教えてくれたのだから間違えるはずもないのだが……。いや、間違えたのは私の理解か!?

「え、いや、そんなマジ顏しないでって。ね〜、シャルロッテちゃ〜ん?」

「ね〜、ですよリズさ〜ん?」

「ああ、御手口さん、とりあえずお疲れっす。さっきも話したと思いますが、侵蝕された土地あれこれは他言無用ってことで。他の隊のメンツにも頼んます」

「……」

「どうかされました?」

「何だ……何だ、あの小娘は……!! ふざけるな! あんなこと、言ったところで誰が信じるか……!!」

「まーそりゃーそーですよ。私だって実物を拝むまではこんなに超ド級の破壊力だなんてただの噂だと思ってましたし。ねね、シャルロッテちゃんって好きな子とかもうできちゃったりしたの?」

「えへへへ」

 “————”

 シャルロッテの反応に、テレジア殿の白い甲冑が不自然な音を立ててひび割れる。

 雲行きが怪しくなってきた。

「お姉サン誰にも言わないから、ね、ね? こう見えてもね、学園生だったころは『縁結びの燈先パイ』の通り名で鳴らしてたんだから」

「それでてめえは独り身ってんだから笑えねえなぁ」

「そこまでです、日鉢殿」

 このまま日鉢殿を放置していたら血が流れると本能的に察知する。

 テレジア殿、心中お察し申し上げます。

「えぇ〜、リーゼちゃんのいけず〜」

「えぇ〜リズさん〜」

 シャルロッテ、何故貴女まで残念がるのか。

「国司! 国司よ! 俺が見たのは本当なのか! 嘘だと言え、国司よ!!」

「さらっと無視されてんのに気付かねえたぁ重症だな、こりゃ。ま、マジですよマジ。同じもんを俺も見ましたから」

「対陣を通り越して対軍、いや、対域級ではないか! こんな戦略級の力を持つ人物を島に迎えていたのか!! 俺は——俺達は、とんだ道化師ではないか!!」

 信じられぬのも無理はない。この人物がシャルロッテとテレジア殿を連れて来た時、橋は敵怪異の圧倒的な物量に押され陥落のピンチだった。シャルロッテ達は私の指示に従い、怪異を一体残らず消し去り、森の中へと入り侵蝕された大地を文字通り破壊した。浄化と破壊が侵蝕された大地への対抗手段だがあそこまで比類無い力は、彼女を初めて見た者ならば誰もが驚くだろう。

「それが人生ってもんでしょうが。五十近く生きてんですから察しましょうや。必要がありゃ十のガキンチョに土下座で頼み込むのが対怪異の恩寵戦ってもんでしょう?」

「だが、だが……! かの『七支刀』ですらたった一人で凌駕しているのではないか!? 認めん……俺は決して認めんぞォ!」

「……。やったのはあの嬢ちゃんだけじゃなくてあっちのネーちゃんもいた訳ですけどね。諦めるもん諦めねえと肩こりまっせ」

「くおおおお、国司、国司よ! 俺は、俺は、ウォォーーン!!」

 泣いた。

 女の涙は女性の武器と言うが、男の涙ははて何だろう? 萌なら知っているかもしれない。

「あの? あちらのミテグチさん? は、悲しいことでもあったのですか?」

「う〜ん、中年の危機って奴かしら? あの年頃になるとね、人生について色々考えちゃって迷路にはまるのよ。シャルロッテちゃんの好きな人はその点大丈夫そう?」

「ええと〜ダイジョウブなんでしょうか? 私、人を好きになるとか恋って良く分からなくて……」

「なら私よかリーゼちゃんに聞いてみたらいいかも。リーゼちゃん、只今絶賛恋愛進行中だから」

「な、なな、何を仰るのですか!?」

 わ、私と萌はそんな関係ではない、断じて! 聖コンスタンスに剣を捧げる者が恋愛など笑止千万だ! ……と、思う……のだ……。

「まぁまぁ! じゃあリズさんもハジメさんのことがお好きなんですね!?」

 “————————!?”

 この時、私は聞いてしまった。この国の言葉で言うのならば、決定的な堪忍袋の緒がブチ切れてしまった音を。

 眼鏡をかけていて本当に正解だった。これから萌にどんな絶望と災難が訪れるのか、見て分からずに済んだのだから。

 “あの小汚らしいゴミ虫がぁぁぁァァァ!! 許さん、許さん許さん、許さんぞォォォォ! 毛の一本、血の一滴すら残さん! この地球上に存在した痕跡全てを消し去ってくれるわーーーッッッ!!”

 男は泣き、女は吠え、少女は照れる。

 夜明け前、私達の中から生まれ出た混沌は、帰路が終わる前に収まりそうになかった。


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 修道院の門の向こう側から、地を揺るがす獣の咆哮が聞こえた。

 ——!? ひぃ!?

 ぶるっときた。

 冷や汗がダラダラ出始め、心臓がきゅ〜となる。

 ヒトガタの声じゃない、はず。女の人の声だった。日本語じゃなく英吉利英語でもない。独逸語? うぅ、僕の知っている人の中で独逸語を喋る女の人でこんな大声を出して叫ぶのはただ一人しか思いつかない。その人がこんなに怒るような理由と言えば……。

「……ん……?」

 隣の青江さんが目を開けて起きる。今の声で目が覚めちゃったのかな?

 修道院の門を警護している人達も中を巡回してた人達も何事かと門の外を注視する。

「……んー……?」

 僕の隣でリズさん達の帰りを待つ青江さんが何事かと僕を見る。

 ——心配しないで、大丈夫大丈夫。

 とは言うものの(僕は言えないけど)、内心は汗がダラダラだったりする。

 青江さんに余計な心配させちゃ悪いから丸印を手で作るも、

「……?」

 伝わってなさそう。

 う〜。何時もならこんな時のために書く物用意してるのになぁ。

 すると青江さんが僕の鼻に手を伸ばす。ん? 摘まれた。何だろう?

(……これで話せる……)

 わ! わ!? 今の何だろ!? 鼻から声が頭に伝わってきた。

(……ん、私の力……)

 わわわ! また聞こえた!

 ——……ジィィ〜。

(……じぃぃ〜……)

 お互い、むむむっと眉を八の字にして見つめ合う。

 あ、そっか。これが青江さんの恩寵なのか。肉体的に接触している人の気持ちを読み取ったり、逆に伝えたりできるのかな?

 そう思いながら、僕の鼻をつまむ青江さんの顔を見ていると、彼女が小さく頷いた。

 わ、凄い。

(……東雲君……)

 ——?

(……その人と、どう……?)

 青江さんは僕の帯に挿してある刀を見つめている。

 あの後——僕はまたしても覚えてないんだけど、リズさんのお陰で森を出れたらしい。気を失った僕を御手口さんが修道院まで運んでくれたみたい。

 僕はそこでエリザベートさんから治療を受け、さっきまで眠っていた。院内の処置室で目覚めた時にはもう深夜だった。エリザベートさんはもう自室に戻っていたみたいで、お礼はまだ言えずじまいだ。

 リズさん達がまだ戻って来ていない。達って言うのは、御手口さんが僕と入れ替えにテレジアさんを連れて行き、シャルロッテさんも探していたから。

 リズさんはまだ戦ってるんだ、そう思って脱がされて室内に置かれていた具足をもう一度つけて、帯に鈴を巻き、刀を佩いていざ外へ——と出ようとしたら門のところにいる衛士の人に止められてしまった。

 それどころじゃないんですーと強引に突破しようとしたらお腹を棒で叩かれて、今は大人しく待つしかないと納得するしかなかった。そんな僕をじっと見ている青江さんに気付いたのは少し経ってからだった。

(……うん……それで、その人は……?)

 わ、そっか分かっちゃうんだった。

 ——あ、うん。ありがとうございます、青江さん。この人のお陰でいっぱい助かってます。

 青江さんに鼻をつままれながら、お礼を言い頭を下げる。

 怪異と戦ったり、ヒトガタを斬ったり、お世話になりっぱなしだ。記憶が抜けてて思い出せないところが多々あるけど。ちゃんと使いこなせてるのかなぁ、僕。せっかく青江さんが貸してくれてるのに失礼だよね、うん。

(……何か、言ってた……?)

 ——言う?

 もしかして、かな? う〜ん、でも僕、しっかり聴いた覚えはないし……。

 あの言葉を思い出す。

 たった一言、文字にすれば三字の、とても大きな声だった。迫力だけならヒトガタの狂声に負けていないけど、とても哀しそうだった。この刀に秘められた想いなんだと思う。

 ん? 秘められた、ってことは誰かに教えちゃマズイのかな? んん? 元々は青江さんのものだし……。いやいや、秘密の言葉を僕に伝えてくれてるんだから、やっぱりダメなのかな?

(……ん、分かった……)

 て、あー! 今考えたこと全部青江さんにバレてるー!?

(……んー……)

 はぅ、しゅん……。ごめんなさい……。

 腰の<獄焔茶釜>をさすってみるも何の反応も無い。

(……ぉ、帰ってきた……)

 ——え?

 門の向こうの坂の下がにわかに賑やかになってくる。

「弐係の御手口達だな。伍係や教会の娘どもも一緒だ」

 修道院の二階の窓枠に腰掛ける衛士の人が階下にいる僕達へ声をかける。

「御手口、何かつまみでも持ってきてるか?」

「いや」

「何だ、気が利かねえなぁ」

「そんなんだから俺達壱係に何十年経っても入れねえんだよ、ハハハハ」

 笑いが巻き起こるグループと、その人達を憎らしげに眺めるグループとに衛士の人達が二分化される。

 こういうの、僕——て、あたたたた!

(……?)

 青江さんに鼻を捻られて悶絶する僕、そしてそんな僕を青江さんが不思議そうに見つめる。

(……ぉ、掴んでるの忘れた……)

 痛い痛いと鼻をさするも、青江さんの手はそのままだ。僕よりリズさん達のことが気になるみたい。僕もそうだけど、痛いですよぅ、青江さん。

「ウォォォォーン! 俺は、もうだめだぁ! ウォーーン! あいつに逃げられ、娘は手紙の返事もくれやしない! いっそ俺を殺せ、国司ィィィー!!」

 ——はへ?

 号泣し、国司さんの外套で勝手に涙と鼻水を拭く御手口さんに引き連れられ、

「パスしますわ。殺って牢に入れられるのは勘弁なんで。それに自決すんなら退職金は返納すべきじゃないすかね?」

「う〜ん、巌サン、そこは愛娘さんへの養育費とうちらのお酒代ぐらいは残しといて欲しいですね〜」

 姿を表すのは、何時もの軽口を叩く国司さんと日鉢さん、

「ミテグチさんて本当に楽しい方ですね! ねね、リズさん? きっとミテグチさんってマンザイがお好きなんだと思いませんか?」

 明るい笑顔を振りまきながら、御手口さんの傷口(?)にちょっぴりお塩を振りかける(悪気はないんだろうなぁ、きっと)シャルロッテさんが続き、

「シャルロッテ、ここはそっとしておきましょう。そう、これがきっと『武士の情け』です。ほら、静や萌が出迎えてくれていますよ」

「あ、あ! シズちゃーん! ハジメさ〜ん!」

 あ、リズさんだ。

 “——、——、——、——”

 テ、テテテ、テ、テレジアさんもいる……? ほほぅぁ、あの白い鎧兜の人ってテテテテレジアさんだよね? 白いって言うよりもやもやした殺意の黒さであの人の鎧みたいになっちゃってる。

「おっほー、東雲クン、やるわねぇ〜。巌サン、見て下さいよ、あれあれ」

「あー、その前にこの人をどうにかせんと——お、やるねぇ。顔に似合わずエグいねぇ」

「ちょっとちょっとリーゼちゃんにシャルロッテちゃん! これって三角関係じゃなくて四角形ってこと!?」

「どっちかてと、三角錐だろ? 四角形だと対角線が交わって面倒くせえ」

「えっえっ!? シズちゃんもハジメさんなんですか? キャーキャー! シズちゃーん、一緒一緒のトモダチですよー!

「……ん、友達……」

 “———、————ェェェェェ!!!”

「ウォォォーーーン! グズピ〜。ぢくじょぉぉぉ〜、小僧ぅぅぅぅ〜ーッ!」

 えっと……えっと、えっと——いけない思考停止状態になっちゃいそう。

「何だ何だ、このお花畑のバカ共は」

「チッ、こっちの立場も考えろってんだ、クズ共め」

 死の予感を含む混乱が這い寄る中、青江さんが手を離し際にこう伝えてきた。

(……話、ある……)


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 剣を振るい、精魂使い果たした稽古の日には、ベッドに転がり込むと泥のように眠れることが多かった。こと、実戦となると違う。

 神経が高ぶってしまい眠気を感じないことが多い。無理にベッドで寝ようにも時間の無駄だ。そんな時は、剣を振るうに限る。

 敬虔な信徒ならば祈りの一つや二つでも捧げるべきなのだろうが、生憎とこの身は剣を握る更なる時間を求めている。

 私の至らなさ故に彼に不要な怪我を負わせてしまったのだ。休んでいる時間など無い。

 入り口の木製の扉が控えめにノックされた。誰だろう、こんな時間に……?

「静? どうした?」

「……話、ある……」

 扉を開けた先にいる少女は私のよく知る人物だった。白い着物で身を包み、何時もの無表情で必要最小限の言葉だけを紡ぐ。

「ああ、とりあえず中に——」

「……お婆ちゃんに……」

「管区長殿に?」

 さて、何用だと言うのだろうか? 急用か。

「分かった。今、起こし——」

「……忘れ物……」

「剣は必要ないだろう?」

「…………」

 静は何も答えず、<氷の貴婦人>を見つめる。

「分かった」

 彼女の意思を尊重しよう。

「……東雲君も……」

「萌も?」

 これには流石に声を大きくして問い返してしまった。


 萌は処置室で休んでいるかと思ったが、中庭にいた。

 傷が目立つ具足をつけ、左手を鞘にかけ、右手を刀の柄に置いている。

 目は閉じているが、無論眠っている訳ではない。己の内面で剣と向き合っているのか。

 眼鏡を外す。

 怪我は、一先ず安心と言うところか。良かった。

 外は騒がしい。昨日の喧騒がまだ続いている。それはこの中庭とて例外ではない。

 その中において、彼の立つ一角だけが不思議な気配を漂わせている。

 波一つ無い水面のような平静さを見せながら、何時火を吹き出してもおかしくないマグマのような激しさを保っている。

 呼吸が深い。その心中、手にした兵装に劣らぬものがたぎっているに違いない。

 剣士としての肉体は一朝一夕で変化するものではない。しかし、流した血の量、感じた苦痛、潜り抜けた死線の数が、精神を大きく変える。

 最たるものは呼吸だと教えられた。

 己の死に直面すれば、誰もが平静でいられない。心はパニックを起こし、肩を使う浅い呼吸が続いてしまう。結果、思考すべき脳や動かすべき筋肉に酸素が行き渡らず本来の力が出せない。

 私の場合、剣士としての初陣より偵察兵としての初陣がずっと早かった。己の死以上に、怪異との戦いで失われる命を数多く見てしまった。人が見るよりも鮮明に、絶対的な情景を。

 死に慣れるのは嫌なものだが、怪異を斬り人々を守らんとする剣士には必要なのかも知れない。私は未だ慣れてはいないが、深い呼吸、心身共にリラックスした状態こそが行動を発するのに適している。

 深い呼吸で酸素を十二分に取り込み、筋肉を弛緩させた状態から血流を一気に爆発させ百パーセントの力を出すのだ。

 恩寵兵装を扱うとなると尚更だ。自分が保てていなければ兵装に振り回されてしまう。使うのではなく、使われてしまうのだ。私もようやく到達できたが、自分の想い無くしては兵装の秘めた想いは理解できない——そう思う。

 互いに共鳴できたのならば、兵装から引き出される力は、剣士としての戦闘能力を飛躍的に向上させる。

 聖コンスタンス騎士修道会は教える——剣士としての力量、兵装を操る心技、己の恩寵を扱う修練、これら全てを等しく高めよ、と。

<氷の貴婦人>の鞘のベルトを握り直す。

 腕が疼く。

 彼には一度断られた。学園での授業中、ムキになって彼に怪我をさせてしまった。決して承諾はもらえまいが——戦いたい。

 今の彼と、私は立ち合ってみたい。

 私の剣が、彼に通じるだろうか。

 私の想いは、彼にとって——

「……おーい、東雲君……」

 いけない、萌に声をかけられずにいた私を見かねて静が声をかけた。稽古を中断させる役を彼女に押し付けてしまうとは……。不覚だ。

 改めて萌に声をかける。

「萌、稽古中にすまない。静から話があるそうだ。来てくれないか?」

 ——あ、は、はい。すいません、忘れちゃってて。

「……行こ……」

 静はあらかじめ萌に話していたのか。

 私は二人を伴い、禁域へと進む。

 この修道院は大きな建物ではない。十分とかからずに管区長殿のお部屋には行ける。行けるが——。

 ——?

「……?」

 本来ここは男子禁制の女性修道院なのだ。そして管区長殿がお休みなのはその中でも修道士しか入ることを許されない禁域だ。

「……東雲君に、いて貰わないと……」

「静?」

「……リズちゃんだと、公平な証人になれないかもだから……」

 彼女と知り合って最も長く聞いた言葉は、私にとって理解が難しかった。

 萌を禁域に招き入れることそれ事態は巣を討伐した夜にしてしまっている。この島の異常事態を考えれば規則がどうのと言っている場合でもあるまい。

 ならば、悩むだけ時間の無駄ではないか。

「行こう、二人とも」


 私は禁域の扉を押し開けた。

 歩くこと数分、辿り着いた目的地を前に、振り返って後ろの二人を確認する。意を決し、お部屋をノックし声をかける。

「管区長殿、お休みのところ失礼します。こちらの青江静さんがお話があるとのことです——が!?」

「ま! やーねー、リーゼリッヒちゃんてば何て他人行儀な言い方なんでしょ。まっ、萌ちゃんもいるじゃない。ささ、入って入って」

「管区長殿、何度も申し上げるようですが、この国には『親しき友にも礼儀あり』と言う言葉がありましてね……」

 管区長殿は今朝も絶好調である。朝礼は既に済ませておいでだったのだろう。

「ま〜、萌ちゃんも早く早く。お婆ちゃんのお部屋に男の人が来てくれるなんて八十年ぶりかしら?」

 萌に伸びる管区長殿の魔手を全力をもって迎撃する。それでへこたれる御人ではない。不死身のオクトパスもかくやという勢いである。

「……あの……」

「ん? なぁに?」

「…………」

 ——青江さん?

「……遠呂智の血を引く青江の者です……この地の封印を確認させて下さい……」

「ええ、分かりました。ちょと待っててね、鍵を取ってくるから」

 管区長殿は扉を大きく開けたまま、室内のご自身の机の上にある鍵の束を取る。

 しまったと目を閉じた時は遅かった。管区長殿のお部屋をしまった。

 壁の本棚に敷き詰められた書類の束、床に高く積まれた報告書——この地の始まりの管区長たる人物が命じた任務の記録文章だ。この地の怪異を知るためには必要な、しかし、私には見る資格の無い物達だ。

「は〜い、レッツらゴ〜」

 目をつむったまま、後ろに下がる。

 私は己の浅はかな行為に後悔しつつ、先頭を行く管区長殿の後を黙って従う。

 眼鏡をかけようとした時——

(……ダメ……)

 その手を静に捕まれ、彼女の<感覚共有>による声が響く。

 一瞬、足が止まるも、何事もなかったかのように歩みを再開する。分かった、と心の中で静に答えると彼女の手が離れた。

 静の思うところは分からない。だが、今ここにいるのはこの地の封印に関する青江家の当主としてだとしたら、私の役割は彼女の友としてでは不十分だ。聖コンスタンスの剣を持つ者としての役割、すなわち案内役を果たさねば。

 それを見届ける第三者として萌を呼んだのだろうか。

 だとすると疑問が一つ残る。どうしてシャルロッテではいけないのだろうか、と。

「到着ぅ〜」

 管区長殿が束の中から一つの鍵を取り出し、地下にある小礼拝堂の入り口の格子の錠を外す。

「ささ、こっちこっち」

 そこには何もありません、と言葉が出かかった。

 中央奥に飾られた聖コンスタンスの像の前にさらなる地下への扉の取っ手があるではないか。

 バカな、口を閉ざして声を殺す。

 この地下小礼拝堂には入ったことはないが、格子越しにこの目で見た。何も無いと。

 以前、修道院と封印の関係を調べたあの日に、鍵のかかった錠はどうしようもなかったが、室内に特に変わったことは無いことは見て分かっていたはずだった。あの日——そう、管区長殿直筆の愛憎入り混じった底無し沼の泥よりねちっこい自称長編恋愛小説を読んでしまったその日——くそ! 思い出してしまったではないか、萌! ええい、萌は全然関係無い!

 ——えええ!? ななな、何事ですか、リズさん!?

「はいは〜い、リーゼリッヒちゃんてば萌ちゃんをいじめな〜い、ぷんぷん」

 管区長殿の持つ杖が楽隊指揮者の指示棒のように踊った。そのお元気があるのならば、少しはご自重して頂きたいのですが、ええ、それはもう色々と。


 その地下への道は、青白く光る石で作られていた。

 同じだ。昨日、萌と共に降り立った遠呂智邸地下空間の広場と。

 私達四人が階段を降りる音と管区長殿のつく杖の音が狭い階段に反響する。

 なるほど、あの広場への入口と同じ原理なのか。即ち、『扉の先に何があるか知っていて、そこに用がなければ扉は出現しない』だ。この仕組みと私の<見る>恩寵がぶつかり合い、私の力が負けていたのだ。だが、あの遠呂智の井戸のように、きっかけさえ掴めれば私の目で扉を見ることはできただろう。

 ふむ、この仕掛けならば、限られた者達の中で秘密は守られ、伝承され続けることになる。

 数分で階段は降りきった。同じ明かりに照らされる通路を歩くと、広い空間に出た。

 昨日の遠呂智邸の地下と同じ構造か。それより狭いが広々とした空間だ。

 その中心に刀の挿さった台が置かれている。

 これが静の言う封印か。どことなく、水色の蛇にかじりつかれていたあの刀を思い起こさせた。

「はい、どうぞ、静ちゃん」

「…………」

 静は無言で台座の刀へと近づき、刀の刀身に触れる。指を刃に滑らせると、指が切れ血がすっと流れた。

 静は刀についた血を舌で舐めると、傷口を口にくわえて止血する。

「ほらほら萌ちゃんもリーゼリッヒちゃんも、触って触って」

「——それでは失礼します」

 ——し、失礼しまーす……。

 この展開に私達はついていけず、戸惑いを隠せない。

 この刀が、この地の封印、黒騎士達の狙うもの、か。

 改めて刀を一通り全体から見る。

 豪華で派手な造りだ。柄頭は金色に光り、柄自体は黒漆で塗り固められていて白い糸が菱形状を作るように巻かれている。

 鍔も柄頭と同じく色は金色、鍔と刀身の間にあるはばき部分には宝石のような紅の鉱石がはめ込まれている。

 反りは強い。萌のような『打刀』と呼ばれる一般的な刀より、『太刀』と呼ばれるそれに近い。

 さてその刀身部を見てみれば、波紋は浮かび上がっているがけばけばしく自己主張が激しい。

 鍔近くの鎬に仏教の武神が彫り込まれているが、逆側のそれと比べるとバランスが取れていない。

「……——……」

 はて?

 失礼だが、何だこれは?

 封印の刀、のはずだが、肝心な情報は私の目には何も映ってこない。

 数百年前に滅んだはずの<原初の十種>の<第八の蛇>を封じるものの一部ではないのか?

 刀匠が当然込めるべき、必死の覚悟が何も伝わってこない。絶対に押さえつけ、蘇らせないぞ、との気迫だ。

 斬れ味を疑う訳ではない。だが——

 この自己主張の塊の品物が、日本の天下六箇伝と讃えられる刀工集団の錬成した恩寵刀とはとても思えない。

 萌のあの刀——<獄焔茶釜>の発する真緋の炎輝と比べるまでもない。

 分からない、疑問だけが膨らんでいく。このような下衆な代物で封印できるほど<八岐大蛇>とは柔な怪異なのだろうか、と。いや、それとも、封印刀がこんなできだからこそ、この島の各地でヒトガタが発生するとでも言うのだろうか?

 私と同じく萌もじっと刀を見入っているが、彼も思うところがあるのか、首が傾いている。

「……叩いて……」

 ——え?

「……斬ってみて……」

 強度を心配しているのか。確かに。

「いいのか、静?」

「……ん……」

 念のため管区長殿の顔を見ると、Vサインを出された。V?

 しかし、全力で斬る訳にもいくまい。封印が破れてしまえば、昨日同様にこの広場が怪異で溢れてしまうかも知れないのだ。

 私は鞘から<氷の貴婦人>を抜き、刀の前に立つ。

 肩で担ぐ『孤月』の右構えに<氷の貴婦人>を移行させ——軽く触れるように大剣を打ち込んだ。

 かん、と蒼と赤の火花が散る。

 意外にも刀は傷一つなく無事だった(と言っては失礼か)。

 私が<氷の貴婦人>をしまい後ろに下がると萌が前に出る。

 彼は刀を叩いた。己の刀でではない。鞘を使ってでもない。ただ軽く握り拳を作り、コツンと柄頭の金属部を上から下に叩いた。それでけである。肝心な刀身部分には触れていない。

 萌よ……! 私の言いたいことが分かるな……!

 ——で、でも、リズさんだって僕の言いたいこと分かりますよね!?

 刀、剣と言うのは『折れない』ことが一番大事なのだ。曲がったり、刃が切れなくなっても鍛治師や研ぎ師の手で錬成し直せば元に戻る。これが折れてしまうと元通りにすることは難しい。

 武器として見るならば、刀や剣の内部は大雑把に二層に分かれている。硬質の切断部と軟質の衝撃吸収部だ。通常は、軟質部を包み込むように硬質の刃を被せている。曲がってしまっても火にかけ、叩き直せば元に戻る。斬れ味が鈍っても硬質部を研ぎ直せば良い。

 ところがポッキリと折れてしまうと元通りにはほぼならない。折れた部分の硬質部と軟質部をそれぞれ繋ぎ合わせてまたくっつけるなど至難の技だ。それならば、折れたものを二本の刃物に鍛え直す方が早い。

 恩寵兵装として見るならば、折れるのは致命的だ。兵装には打ち手の込めた想いが込められている。一時的にぐにゃりと曲がっても、しっかり真っ直ぐに直すことはできる。鈍くなっても磨き上げれば輝きを取り戻せる。だが、ポキリと折れてしまえば、その想いは実現不可能だと烙印を押されたのも同然だ。兵装が死んでしまうのだ。

 うむ、萌の振るう零か一かの剣で斬られれば、間違えなくこの刀は折れよう。だが折ってしまっては封印が解けてしまうのだ。おっかなびっくり触る彼の心境も分からなくはない。

 果たして静は納得してくれるかどうか……。

 私達三人が彼女を見ると、彼女は表情を変えず、無表情のまま深々と頭を下げた。


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 青江さんとリズさんに連れられた不思議な散歩が終わり、僕は一人中庭に戻ってきた。

 ここの修道院の地下に<八岐大蛇>の封印があったんだ。

 修道院、旧遠呂智邸、多分青江さん家にも封印があるのか。いや、のか、ここ修道院以外は。

 三つか。他にもあると思う。緋呂金さんのところとか、須佐さんの家(てあったっけ?)とか。となると……五本はあるっぽいのかな。

 なら五じゃなくて八はあるよね、きっと。八つの頭と八つの尾を持つ大蛇なんだから。

 ——中央広場にある小さな祠に昇武祭のMVPの人が毎年刺す刀って言うの、あれも封印の一本なのかなぁ?

 でもあそこ、青白い灯篭とか広場とか無いし……。う〜ん、分かんないぞ。

 物思いにふけっていると、学生服に着替えた青江さんの姿が見えた。

 ——あ。おーい、青江さーん。こっちですー!

 そうだ。今日も授業があるんだ。昇武祭前の最後の日だ。僕も家に帰って学校に行く準備しなきゃ!

 今日も昨日と同じく午前授業だ。午後からは実行委員の人達で試合会場になる校庭や弓道場の用意があるから、学園生は学園内立ち入り禁止で強制帰宅になる。

 でも用意らしい用意は特に無い。旗やのぼりを出す訳もなく、大掛かりな門や看板をこしらえたりもない。学園生の熱気とは真逆に質素な武道会だ。

 試合会場になる校庭に杭を打ち込んで縄張りするぐらいかな。それよりも出場者を会場に呼び込んだり、防具の確認をしたりと、当日どう動くかの方が大事みたいだ。

「……ん……」

 ——ど、どうも青江さん。

 僕達はぎこちなく挨拶を交わし、彼女が右手を伸ばして僕の鼻を触る。

 ——話、あるんですよね?

 青江さんがこっくんと首を上下させる。

(……秘密……)

 どっちの意味だろう? 内緒の話? それとも秘密だから話せない話?

(……ん、その人……)

 う、緊張するぞ。凄い人の鍛え上げた名刀なんだろうなぁ。今後握る時変な汗出ちゃうかも。

(……そだよ……)

 う、やっぱり。

(……内緒ね……リズちゃんにもシャルちゃんにも他の人にも……)

 ——はい。

(……リズちゃんは、きっと怒るから……東雲君なら、その人の気持ち……分かってあげた上で使ってくれる……と思うから……)

 青江さんの力無い声が右手から伝わり続ける。

(……鍛錬したのは、私の……父の、父の、息子の人……)

 つ、つまり親戚の人って認識で良いのかな?

(……ん、遠呂智奇刀斎兼無……遠呂智最後の当主十三代成兼の三男……最も多くの遠呂智の刀を鍛え、人にあげて、この島を有名にした人……)

 あ、なんだろう。聞き覚えある名前だ。遠呂智三工って言われる刀匠だっけ? うわわ、やっぱり凄い人の鍛えた刀だったんだ。て、ん? 最後の当主の三男? てことは——

(……うん……盗賊に襲われて、家族と一緒に死んじゃった人……)

 そっか。遠呂智が一家皆殺しにされた時に亡くなった人の刀なんだ。でもあの話、おかしいんだよね。リズさんがところ、盗賊と言いつつも犯人はたったの一人で、しかも蔵には手付かずだったんだっけ? それなのに遠呂智家秘蔵の刀がなくなったことになってる。……て、あーあー! ししし、しまった! 今、思ったことって青江さんに筒抜けじゃんか!

(……ん……)

 ナナ、ナンデモないデスヨー。

(……ぉー、顔の変わり方、面白い……)

 ——はぅ、あ、ありがとうです……。

 何故だか皆からそう言われます。

(……おかしくないよ……)

 ——え?

(……鍛治宗家になった緋呂金がね……んだから……この島ではそれが正しいの……)

 嘘か本当かじゃないんだ。宗家が言ったことが常に正しくなるのか。

 ——青江さん、さっき地下で見た刀って、伍年の緋呂金さんが作ったの?

(……分かる……?)

 ——うん。緋呂金さんが作るんならこんな刀だろうなぁ、ってイメージそのまんまだったから。

(……刀、どうやって練鍛するか、知ってる……?)

 ——うん、一応は。

 武具の錬成は驚くほど旧史のそれと同じだ。

 原材料の『鉱石』を高温の『炉』でゆっくりと温め、良質の『玉鋼たまはがね』を取り出す。

『玉鋼』を『鎚』で『板』にしてから『水』で冷やし、『硬い部分』と『柔らかい部分』に分ける。確か、『鎚』でバラバラに砕いて破片から区別するんだっけ? 錬成鍛治の場合、鍛治場ごとに異なる方法があるから、これはあくまでこの島の鍛冶ではの場合だ。

 この二つの部分を別々に集めて熱して、二つの『塊』にする。これを『玉鋼』と上手に調合することで刀の役割ごとの材料にする。刀を四つの部分に分けたりする刀鍛冶もあるけど、この島ではシンプルに二つだけだ。『心鉄しんてつ』と『刃金はのかね』だ。『柔らかい部分』が刀の核となる『心鉄』になり、『硬い部分』が刃の核となる『刃金』になる。

 それぞれを熱して叩いて薄く伸ばし、半分に折り曲げて折り重ねてを何度でも繰り返す。こうしてまた塊にしたところを叩いて薄く伸ばす。この『折り返し』を『心鉄』と『刃金』で何回も繰り返す。

 こうして出来上がった『心鉄』を包み込むように『刃金』で被せて『溶接』する、これが『刀身』だ。

 鍛治によっては『刀身』部と、柄の中身の握り部分『なかご』が別々に作られて溶接されたりするけど、この島では『茎』の部分まで『刀身』に含まれると言う。

 これを刀の形に『素延べ』で伸ばして、『刀身』の背の『むね』を整えたり、刃側の平地に『しのぎ』を入れたりする。

 最後の『焼き入れ』で急激に冷やして内部の鉱物の比率に応じて『反り』を生じさせ、刃の表面に『にえ』や『におい』と言った独特の模様を浮かび上がらせる。

 これで『刀身』の工程はほぼ完成だ。『茎』を整えたり、『柄』をはめる針を通す『目釘穴』を開けたり、『刃』を研いで『銘』を入れたりする。

 ここから彫り物を入れたり、柄やはばきをつけたり、反りに合う『鞘』を作る。

『化粧』を鞘やはばきに仕上げてやっとできあがる——これが刀の工程だ。

 これに『幻想鉱石』と呼ばれる貴重な鉱石を用いたり、恩寵を使って鍛え上げられた炉や鎚を使ったり、鎚を振るう人自身の恩寵を加えたりしてできあがるのが恩寵刀——今現在で言う所の一般的な『刀』だ。

 沢山の鉱物、職人、工具、そして何日もの時間をかけてようやく一本の刀ができあがる。

 長さや反りによって、『打刀』、『太刀』、『野太刀』、『脇差』って分類されたりするし、付加される機能によって、『剛刀』、『飛刀』、『迅刀』、『翔刀』なんて呼ばれたりもする。そうそう、出来栄えによって『雑打』、『数打』、『真打』なんて言われたりもする。国による分類では『展開』の仕方によって『壱型』、『弐型』、『参型』と分けられたり——

(……長い……)

 ——ああ! ごめんね、青江さん!

 て言うか、青江さんの方が僕なんかより何倍も詳しいはずじゃんか。僕なんか去年の体験授業で見せて貰ったのとレポートでまとめたのと志水君に教えて貰った知識ぐらいしかない。

(……けど、安心……知っててくれないと教える意味がない……)

 ——え?

(……『心鉄』て……何……?)

 ——心鉄は……。

 刃の中心にあるものだ。硬い刃の斬る衝撃を吸収する部分だ。この心鉄と刃金の上手い配合具合により日本刀はポキリと折れることがないと言う。

『心鉄』とは、

 ——刃の核であり、心でもあるところ、です。

(……うん……ここに打ち手達の想いが込められている、て言われてる……)

 刃金それ自体には、より硬く、より鋭くすることが求められるため、想いを込める余地が無い。だからこそ、刃金に内包される核たる心鉄に想いを託す。

 この島の鍛治が柄の部分の『茎』を後で取り付けることをしないのはこれが理由だ。担い手と刀、二つの想いを交じりやすくするには、握り部分にも心鉄がある方が良いんだとか。反面、原材料が余計に必要になったり沢山のデメリットがあるんだけど、それを克服する技術を確立したんだとか。

(……心鉄に必要なのは……どんなことがあっても折れない、物質的特性と……打ち手の想い描く未来を秘める、恩寵兵装的特性……)

 うんうん。

(……だからね——……)


 ——え?

 僕は、青江さんの喋ったことが理解できなかった。

(……だからね、この島のの刀はね——……)


 ——……え……?

 血の気が引いた、彼女の話した内容に。

 そして理解してしまった。嘘でも間違いでもない現実、真実なんだって。怒りや憤りも感じるのに、納得しそうになってる自分がいたから。

(……じゃ……)

 青江さんが僕の鼻を離し、庭を離れて——

 ——ま、待って! あ、あの、そ、それは……!

 急いで彼女の手を握る。

(……本当だよ……——ううん、もうでしょ……?)

 そうだけど、だけど!

 ——どうして、どうして僕なんかに教えてくれたの、青江さん!?

 そんなこと、誰にも絶対知られちゃいけない秘密じゃないか!

(……言ったよ……それに見せたでしょ、あの刀……?)

 ——あ、あ、あ、あ……。

 涙が出そうになってしまった。

 青江さんが困惑する僕を見据えてしっかりした言葉を伝えてきた。

(……東雲君……なら、その人の想いを理解してあげて……使くれるはずだから……そうじゃないと困るから……)

 でも、それって!


「……私、時間ないから……」


 あっ——……。

 僕はこの時、初めて青江さんが笑うのを見た。

 壱年生の時、顔を見かけたことがあってもずっと無表情でうつむいていた。

 弐年生になって僕達参組にクラス替えさせられても、誰が何を話しても表情に変化はなかった。リズさんやシャルロッテさんが来てからもだ。

 だから僕にとって初めて見た彼女の笑顔だった。

 それは、全てを諦めた、とても哀しい、空っぽの笑顔だった。

 その意味するところを、僕は理解できてしまった。


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