放課後: リズさんの恩寵兵装講座 [東雲萌]
「なっはっはっは、壱組の奴らのあんな顔を拝むことができるたぁな! お前らが転校してから退屈してーわ、ホント」
「いささか不謹慎ではないか、志水よ。彼らは今回の被害者なのだぞ」
「いーのいーの細けえことは。萌だってそう言ってるての」
——えー、言ってないよぅ。
「ほらな。お前もすましてないではっちゃけちまえよ」
「む……」
——志水君、あんまりそういうこと言っちゃだめだよ〜。
「萌だって俺に賛成だってさ。な、ヴォルフハルト」
「むむ……?」
リズさんがジロリと恨めしそうな目で僕を見る。
うぅぅ、朝から心が休まらないよぅ。
放課後、掃除の当番が終わると、志水君から二人でやっている同好会の稽古に誘われた。断る理由は何処にもない。二つ返事で教室を出ようとしたところ、リズさんからかなり深刻な顔で(ってリズさんもともと厳しい顔をしていることが多いけど)重要な話があると言われた。
じゃあ稽古を中止してリズさんの話に付き合おうかとすると、リズさん曰く稽古中の方が都合が良いとのこと。
そんな訳で、何時もの稽古場所の神社への階段を、右手に志水君、左手にリズさんと一緒に登っていたりする。
「志水、君達の稽古場はここを右ではないのか?」
「俺達つーか萌のだけどな。備品が上の倉庫ん中にあっから。悪いけど付き合って貰うぜ」
僕と志水君とリズさんは階段を頂上まで登りきり、神社の裏手にある倉庫から稽古に必要な物——支え木、横木、雑木を取り出し、肩に脇にと抱えながら何時もの場所へ降りていくと、
「おい、何だお前達! ここは立ち入り禁止だぞ!」
何時もは何もないはずの広場に沢山の警備の人達がいた。具足に羽織を着て、刀を佩き、槍を持つ完全武装の出で立ちだ。
そんな重装備の警備の人達が、昨日まで何もなかった広場に、土嚢を積んだり木を柱に櫓を組んだりして陣地を作っていた。
「いやーすんません。俺達ここでいっつも部活やってんスよ。どうしたんスか?」
「神主さんとこの長男か。ダメだダメだ、部活なんぞ他所でやれ」
「いやいや、うちの神社、ヒトガタなんて一度も見てないスよ。それとも噂の黒騎士からでも狙われてんスか、ウチの神社?」
「何だと!?」
黒騎士と言う言葉が志水君の口から出た途端、警備の人の形相が変わり、志水君の胸ぐらを掴みに右手を伸ばす。
しかし手が触れるより速く、リズさんが志水君を後ろから引っ張り、体を後ろへと倒す。
手が空を切った警備の人が、僕達を睨む。
「お前ら、この時期に外でやるなんて公認の部活じゃないな。三人で同好会か。どうせ正式な使用許可を貰ってないだろう? 行った行った。こっちは非常事態で忙しいんだ」
——う。
痛いところをつかれちゃった。この人、鳥上学園の卒業生の人かな?
一転し、僕達は理詰めで追い返されてしまった。
階段の踊り場に戻ると、志水君が叫ぶ。
「くぅ〜、聞いたかおい、萌、それにヴォルフハルト!」
「ああ。悔しいが、あちらの言い分に理があると感じた」
「違うって、おま! 黒騎士がウチの神社狙ってるんだぞ! 俺んとこみたいなおんぼろ神社を襲うってなんてぜってー裏があるって! やっべー! 俺、テンション超上がってきた! 俺、すげー陰謀の中にいんじゃんかよ! うぉー、超燃えてきたぁー!」
あれぇー? 志水君の変なスイッチ入っちゃったー!
「こら、はしゃぐのは止めないか。奴らに襲われ怪我を負った人もいるのだぞ」
「かてーこと言うなって。こうしちゃいらんねー! 萌、悪ぃ、俺今日の稽古パスだわ!」
——えぇ!?
志水君が右手に持っていた二本の雑木を僕に押し付けると、
「お先!」
だだだっと階段を駆け上がり走り去っていく。
僕とリズさんはポツンとこの場に残される。
「行ってしまったな」
——はい……。
あの広場が使えないとなると、稽古は当分中止かな。
「どうするんだ、萌?」
——えぇー……っと……場所が使えないんで、道具を倉庫に戻します。
「む? ああ、そうか、すまない、眼鏡をしていた」
リズさんが僕の言葉を見るために眼鏡を外す。うーん、やっぱり眼鏡をかけたリズさんの方が格好良いと思う。
僕は稽古場所が使えなくなっちゃったので道具を返すつもりだと伝える。
すると、
「なるほどな。稽古の場所か、丁度良い。萌、私について来てくれるか?」
リズさんの思わぬ言葉と真剣な眼差しに、僕は赤面しながら頷くのがやっとだった。
稽古道具を志水君家の物置にしまい直し、リズさんに連れられた先は意外にも山ノ手の教会だった。
あ、そうか、リズさんとシャルロッテさん達って教会に泊まってるんだっけ。そう女子達と喋っていたのを思い出す。
あれれ、ここにも警備の人達がいっぱいいるぞ。
教会の入り口の門のところに、さっき志水君の神社の広場で見たのと同じ格好の完全武装の警備の人達が十人くらい立っていた。しかも夜警に使う篝火まで用意されていたりする。昨晩の青江さん家もあの人に襲撃されるまではこんな感じに厳重に警戒していたのかな?
「小僧ォォ……!」
なんて呑気に教会を眺めていたら、地獄の底から這い出てきた鬼のようなうなり声が聞こえてきた。
——あ、あ、あ、あぅ……。
この声色と怒気! こんな声を出す人は一人しか心当たりがない……!
「小僧ォォ……、何故貴様がここにいる……!?」
御手口さん、どうしてこんな所に……?
「俺を無視するとは良い度胸だな、おい、小僧ォ!?」
「こら、萌!」
——のひー! すいません、今急いでいますのでー! お話は後でお聞きしますー!
無意識の内に、僕は刀を持っていない右手でリズさんの手を掴んで走り出していた。
門の前の警備の人達に止められるかもって思ったけど、彼らは意外にもすんなりと通してくれた。
「小僧ォォ! どこまで俺を愚弄するつもりだァ! ただでそこから帰れると思うなァ!」
——ひぃぃ!
御手口さんの怒鳴り声を聞きながら、僕はリズさんの柔らかい手を握りしめて教会の敷地内へと走りこんだ。
正面の門をくぐり、扉を開けて建物内に走りながら入る。そうしてもう一つある扉を開く。その先は、
——うわぁ……。
礼拝堂、で良いのかな?
二列に机と椅子が綺麗に並べられていて、その先に祭壇がある。天窓にはめ込まれた色鮮やかなステンドグラスの通す光と所々に置かれた蝋燭のほんのりとした灯が、礼拝堂全体にとても厳かで優しい雰囲気を醸し出させている。
「萌よ」
——え? あ、す、すいません。
リズさんに言われて彼女の手をずっと握り続けていたことに気付く。さっと離す。
リズさんは何か言いたげな表情で反対の手で僕の触っていたところをさすっていたけど、
「ついて来てくれ、こっちだ」
正面の祭壇の脇にある扉に向けて歩き出す。
扉の先の廊下を抜けると、広場に出た。小さな花壇が四つあり、黄色や白い花を咲かせている。
廊下の先には別の建物がちらっと見える。リズさん達が泊まっているのはあそこかな?
「さて、時間がかかってしまったが、ようやくこうして君と二人っきりで話ができるな」
広場の中央に歩みながらリズさんは僕に声をかける。
——あうぅ……。昨日は本当にすいません……。あ! 昨日はじゃなくて昨日も、一昨日もすいません……。
眼鏡を外したリズさんがジトっと僕を見る。
「それだ、萌よ。いい加減卑屈になるのは止めないか。君は昨日凄いことをしたのだぞ」
——凄い、って……。それはそうかもですけど……。
クラスメイトの女子三人の前で裸になっちゃうなんて……。普通じゃできない凄いことだと思います。じゃなくて、普通はやっちゃいけないことですよね、はい……。
「国司殿や日鉢殿、それにテレジア殿ですら成し得なかったことをしたんだ」
——はぅぅ……。
うわーん! リズさんの精神攻撃が痛いです〜!
「いいか、萌」
リズさんがつかつかと僕に歩み寄り、両手で僕の肩をガシッと掴み、僕のことを覗き込む。
「君は君にしかできない立派なことをしたんだ。もっと自分を誇っても良い」
——うわぁん、そんなこと言われたって誇れる訳ないじゃないですかぁー!
「何だ、何を言っている?」
——だだだ、だって、僕、リズさん達の前で、はは、裸になっちゃったじゃないですかぁー!
「——裸……? ——バ、バカ者! 誰がそっちの話をしている! 君が大蛇を斬った話だ、大蛇を!」
リズさんの白い顔がサッと赤くなる。
——えぇ!? そっちの話だったんですか。てっきりこっちかと……。
「君は私を一体どんな人間だと思っている!? わざわざ修道院まで呼びつけておいて君を糾弾するつもりだとでも!?」
——えぇ〜と、その……だって、リズさん、今朝とかすっごいジト目で僕のこと見てたじゃないですか。
「あれは——……目が少し、な」
——目、ですか?
「使いすぎると次の日、調子が悪いんだ。別に君の不潔なモノを見たからではないから安心してくれ」
——ふ、不潔って何ですかぁー! 僕、ちゃんと毎日お風呂に入ってますよぉ! 昨日は、その、一晩中牢にいましたんでお風呂に入れませんでしたけど……。
「そ、そうか。すまない……。——違う! 違くはないが、違う! 全くどう言うことだ!?」
リズさんが顔を真っ赤にして怒る。リズさんがここまで感情を露わにするのは初めて見た。しかもこんなに間近で。
——うわぁ、か、可愛い……。
つい思ったことが口に出てしまった。
「萌、今、何か言ったか?」
——いいい、いえ、何も言ってません!
頭をブンブンブンと全速力の二倍で左右に振る。
暫くの間、僕とリズさんとで沈黙の睨み合いが続く。
それを破ったのは、
「全く、君と言う人は本当に——」
リズさんの微笑みを含んだ温かい言葉だった。リズさんは続ける。
「何時までも時間を無駄にはできないな。今日、萌に付き合って貰ったのは、君の持つ刀のことだ」
——刀、ですか?
「ああ、その刀だ。君が昨晩使い、緑の大蛇を斬った刀だ」
——あの〜、でもこの刀って、正確には僕のじゃなくて青江さんから借りてるものなんです。
「それなら私も同じだ。この<氷の貴婦人>だって私の物ではない。シャルロッテの家の所有物だ」
うわ、意外な答えだ。
——じゃあリズさんはシャルロッテさんから?
「それは難しい質問だ。正確には、ノー、だな。私の所属する聖コンスタンス騎士修道会では、個人への寄付を受け付けていない」
僕の頭にハテナマークが一つ浮かぶ。
「ややこしいのだが、今回ルツェルブルグ家がシャルロッテと行動を共にする修道女のためにと、<氷の貴婦人>を都合してくれた。ここが面倒なのだが、人的、金銭的な資源は管区毎に管理されている。つまり、<氷の貴婦人>は欧州西管区所属となった。その後、欧州西管区から私へとこの旅が終わるまでの条件付きで貸与されたんだ」
うーん、なら『リズさんの』剣、って言うのは正しくはないんだ。
——何だかややこしいですね。
「実にややこしい。その上、手続きが面倒なことこの上ない。聖コンスタンス騎士修道会は各管区の長が絶対的な決定権を持つからな。私のような下っ端はともかく、幹部の上級騎士達は自身の修練なぞそっちのけで政治や権力争い、他者の蹴落としに明け暮れている。管区長と言う立場に近づけば近づくほど——む、すまない、私の愚痴は君と話す本題ではないな」
本題って言うと、刀のことかな?
「萌、君の刀を貸してくれないか?」
——あ、はい。どうぞ、って、あ! 先にリズさんの刀を僕に貸して貰えますか?
「ん? ああ」
僕は刀を、リズさんは剣をお互いへと渡す。
——刀は武士の魂って言葉があるくらい大事なんです。その刀を人に貸すってことは自分が無防備になると同時に、相手に自分の魂を預けるってことなんです。ですから、
「なるほど。まず自分から刀を相手に渡すことで己に他意がないことを示す訳か。ふーむむ、深いな」
——くす、でも授業で習っただけで実際にするのは初めてなんですけどね、僕。
「なら君と私は初めて同士と言う訳か。では拝見しよう」
リズさんが僕に一礼すると、刀を手にとってじっと眺める。
そう言えば、こうしてはっきりと見るのって初めてかも……。あ、僕、刀袋って持ってないや。うぅ、風呂敷なら押入れにあったかな? 探しとかないと!
「ふーむ……。日本の刀と言うわりには刃の反りが浅いな。鍔は円だが小さすぎる。これでは敵の攻撃を受け止められまい。柄は刃とは逆に反らせているのか、なるほどな」
——何か意味があるんですか?
「反りが刃と柄で一定だと『C』の字となるだろう? この刀のように逆に反らすと『S』字になる。双方の刀を同じように握ったと仮定すると、どちらが目標に速く到達すると思う?」
ん〜と、Cの端とSの端を握った時に、どちらも反り具合が同じな訳で……。斬り下ろすと先に切っ先につくのは——
——Sの方ですか?
「ああ。中東アジアのシャムシールに近いか。もっともあちらは反りが強いため、斬撃には向いているが刺突は難しい。そんなことよりも、これ、だな」
——これですよね。
小さな鍔に、これまた小さな穴が二つ開いている。その二つの穴に針金——に見えるけど、本当は何かの幻想鉱石を錬成したものだと思うけど——が通してあって、鞘にぐるぐる巻きにされている。
針金を
「ふーむ……。私の目で見る限り、この糸も立派な兵装の一部のようだな」
——あの……これじゃ刀抜けませんよね?
「試してみよう。……うむ、抜けないな」
リズさんが鍔を押し上げ刃を抜こうとするも、針金で封印されている刀はビクともしない。
——僕、本当にその刀を抜いたんですか?
「ああ、それは間違いない。私が保証する。恐らくは兵装との『同調』が進めば——」
リズさんは刀をじっと見つめながら口をつぐむ。
僕はそれをただ眺めていた。夏の日、普段なら入ることを許されない教会の中の広場で、欧州から来た剣士が日本の刀をじっくりと見定めるのを。
三日前までの僕の日常とはかけ離れた世界だった。
「今の私ではここまでか……。萌、刀を君に返す。ありがとう」
——は、はい!
僕とリズさんはお互いの刀と剣をもう一度交換し合う。
「よし、ここからが本番だ」
——本番?
「君に恩寵兵装を用いた戦い方を教えさせて欲しい」
——ぇ?
リズさんの頭を下げてのその頼みに、僕の目が点になった。
「君も知っての通り、この町は非常に危うい状況にある。『ヒトガタ』と呼ばれる怪異の出現に加えて、黒騎士と呼ばれる二人組による襲撃だ。本来ならば私達学生にかまっている暇はないと思うが、幸か不幸か、我々は国司殿と日鉢殿と共にこの件に対処する名誉を与えられている」
——は、はい。
『名誉じゃないと思いますけど……』何てこと、頭によぎってないよ、全然!
「本来であれば、国司殿か日鉢殿に教えて貰うのが良いだろうが、そうもいくまい。私では講師として役不足だと思うが付き合ってくれ」
——こちら宜しくお願いします!
そうか、その話だったんだ。恩寵兵装の使い方なんて学校の座学で学んだだけで、自分が使うなんて思ってもみなかった。
「そうか、テレジア殿にお願いする手もあったか」
リズさんが真顔でとんでもないことを言う。
——ひぃぃ! それだけは止めて下さぁい!
「安心しろ。冗談だ。君とテレジア殿を二人っきりにするのは君の身の安全上よろしくない」
うむうむとリズさんは頷く。
「私の目で見たところ、その刀は素晴らしい逸品だ。名を『
あれ? 刀なのに、茶釜? 変な名前って言うより、どっかで聞き覚えがあるような? 何処だっけ? じゃなくて、何時だっけ? 確か、お師匠様との——……。
僕が思い出そうと唸り出したのを、リズさんは勘違いする。
「ああ、確かに不思議に聞こえるかもな。ただ、兵装の名は内に秘めた願いや望みを端的に表しているものが多いと聞く。萌も良くこの名の意味を考えておくと良いだろう。さてと、萌、恩寵兵装の扱い方は君は知っているか?」
——えっと、はい、座学の授業で一応は。
一流の、特に『真打』と分類される恩寵兵装には、鍛え手の真なる願いが宿っている。この願いを理解することが兵装を使いこなす上で一番大事だとされる。
「そうか。一通りの知識があるなら話は早い。使うステージは大きく三つに分けられる、『同調』、『展開』、そして『解放』だ」
リズさんが右手の人差し指、中指、薬指を順番に立てる。
「まず一つ目の『同調』だが、これが最も容易く、重要であり、難しい」
リズさんが人差し指をビシっと立てる。
「『同調』はざっくり言えば、兵装内に封じられている想念と自分とを接続する行為——とでも言うだろうか」
いや、もっと別の言い方があるか、とリズさんが唸る。
——あの、簡単で難しい、って言うのは?
リズさんが考え込みそうだったので、質問を投げかける。
「ああ、そうだな。例えば、君が手にする刀が『全ての怪異を真っ二つにする』ために鍛えられたものだとしようか」
うわぁ、リズさんいきなりスケールの大きなこと言うなぁ。
「その刀は『怪異を斬る』ために存在するのだから、君が怪異と対峙し斬ろうとする時、君の想いは刀の秘めるものと同じになるはずだ」
——それが簡単、ってことなんですね。
「ああ。怪異との戦いのために作られた恩寵兵装は多いからな。我々の一番底の所で既に繋がっているとも言える」
うむうむとリズさんが頷く。
「しかしだ、萌よ。君がその刀を真の意味で使いこなすには、『この世に存在する全ての怪異』を斬るつもりでなくてはならない。つまり、それは信念と言うより、悪く言えば狂信だ」
——この世の全ての怪異、ってことは、この島に出てくるヒトガタだけじゃなくて、他の国を支配している怪異も合わせて全部斬るってことですよね?
「ああ。地上だけでなく、天空を飛び回る怪異や、深海に潜む怪異をも含めて、だな。それら全てを斬る覚悟、斬ることができると言う信念がなければこの恩寵兵装と同調し使いこなすことはできない」
リズさんの僕の刀を見る目が、鋭くなる。
「そんなことは容易ではない。この世全ての怪異を斬るなどと、人間としての心のネジが外れていなければできまい。何より——それが自分よがりの決意などではなく、そのためだけに存在する兵装自身に認められなければならない。その貴き願いと真に共鳴するためにこそ、我々は騎士道、武士道と言った敵を滅ぼし己を律する精神を養うのだ」
だが、とリズさんが一拍入れる。
「兵装が与える恩恵は計り知れない。自分の恩寵の桁外れな増幅、身体能力の向上、自己治癒の促進——兵装に秘められた望みに叶う範囲では、だがな。何せ『全ての怪異を真っ二つにする』と言う願いを実現するために鍛えられた兵装だ。深く同調すれば同調するだけ、その願いに見合うだけの力を得ることができる。故に同調とは、恩寵兵装を使う上で最も基本で、重要で、簡単でもあり、難しいものだ」
——あの、リズさん? その、兵装と同調すれば恩寵の力が増幅されるんですよね?
「ああ、普通はな。兵装の秘めた想いに沿う形であれば、と条件がついてしまうが、大抵の場合はそうだ」
——僕の場合って、どうなるんでしょう? <何も無い>のが僕の恩寵なんですけど……。
「…………」
リズさんが右手を顎に当て、眉間にしわを寄せる。
「ほぅにゃっ!」
冷静できりりとしたリズさんに似合わないすっとんきょうな大声が聞こえた。
「い、いや、そ、それは、そのだな、む、くっ……!」
リズさんが左右に目を泳がせながら苦しい言葉をつなげる。額には気付かぬ内に大きな汗が浮かんでいる。
——あの、その、リズさん、ええと、僕のことは置いといて……。『同調』の次は、『展開』ですよね?
狼狽するリズさんを見て、僕は今日のリズさんみたいに強引すぎるほど強引に話題を変えてみる。
「そうだ、そうだな! 『展開』は、『同調』を進めた先の段階だ。兵装の願いを己と同調させ、自分を通して外界へと発現させるのが『展開』だ。この『展開』をできるかどうかが、その兵装を使いこなせるかどうかの境目と言われる。私の場合を例に見てくれ」
リズさんはそう言うと後ろに一歩下がり、背負っていた大剣の柄を両手で掴み、鞘に収めたまま地面に突き刺す。
冷たい静寂と、どこか暖かい冷気が、リズさんを中心に広場に渦巻く。
花壇の草花が揺らめきを止めた時、リズさんの凛とした声が響く。
“
広場の空気が、急激に冷たいものに変わる。
“
言葉と共に、リズさんを白い風が包み込み、それが瞬時に晴れて、白い霧が消え去る。
学生服を着ていたリズさんはそこにはなく、透明な蒼い大剣を携え、白銀に輝く甲冑と、蒼と白のドレスを合わせて着込んだ剣士の姿があった。
うわぁ……格好良い……。リズさんのこの姿をはっきりと見えるのは初めてかも。
甲冑に包まれた剣士としての力強さと、ひらひらしたスカートや装甲の合間から見れるドレスの気高さは——手が届きそうな距離なのに、どんなに手を伸ばしても触れることができない、いや許されない偶像のようだった。
「これが私の場合の<氷の貴婦人>の『展開』だ。『展開』は『同調』と違い、担い手によって差異が大きく出る。萌? どうした? ボーッとして」
——あっ、あ! いえ、大丈夫です! 続けて下さい!
「もしかして、私の話はつまらないか?」
——ちちち、違いますよ!
「む、そうか。では続けよう。差が出ると言うが、私のように甲冑が顕現するものや、日鉢殿のように部分的な装甲具が出るもの、そして国司殿のように外界に何ら変化を及ぼさないものもある。他には有名なものとしては馬を呼び出すものがあるな」
リズさんは言う。
「恩寵兵装として違いが表れるのは、この『展開』が多い。以前、国司殿から聞いた話から推測するに、この国ではこの『展開』の違いで恩寵兵装を分類しているようだな。国司殿のような壱型、私や日鉢殿のような弐型、乗り物やカラクリを呼び出す、あの少年の持っているようなものは参型だ」
——うーん、なら、展開で何も出ない壱型の兵装はダメってことですか?
「それは違う、萌。そもそもこの甲冑は<氷の貴婦人>に内包されるものを私なりに発現したものなんだ。兵装に込められた願いが違えば展開するものも違う。『完全無欠の騎士』のための剣であるならば、展開されるべき甲冑はそれに見合ったものでなければならない。最初の例の『全ての怪異を真っ二つにする刀』ならば、甲冑など不要、要るのはただ敵を斬ることだ。恩寵兵装としての破壊力だけを見れば、壱型に軍配が上がる。だが汎用性を考えるのならば弐型の甲冑展開の方が上だろう。うむ、壱型、弐型、参型、どれが優れてるとも、どれも劣っているとも言える。『展開』は『同調』を進めた先にある段階だが、ゴールではない」
リズさんがハキハキと僕に教えてくれる。僕はふと浮かんが疑問をリズさんにぶつけてみる。
——はい、リズさん。
「何だ、萌?」
——『展開』するのに呪文みたいなのを唱えないといけないんでしょうか?
リズさんが甲冑を展開する前に、何か(独逸語かな?)喋っていたのが気になっていた。
リズさんがむむっと唸り、
「それは、人によるだろうな。必要だから唱えるのではなく、兵装と深く同調しようとする結果、口に出るものだ。いや、詠唱するが故に同調が深まるとも言えるか。もっともこれは私の場合であって、人によってやり方は異なるだろう」
雲のかげりから顔を覗かせた太陽の日差しが、リズさんの姿をキラキラと照らす。
「『同調』、『展開』と君に説明してきたが、最期が『解放』だ。それはその字の如く、兵装に秘められた願いをこの世に確かな形として解放する。その願いが厄介だ。『解放』出来る程の願いは現実性の無い出鱈目なものが多い。『全ての怪異を真っ二つに斬る』刀ならば、本当に、全ての怪異を斬るに値する斬撃を放つことができる訳だが、無論、人の手がそのような域に届くことはない。この星の反対側や、海の奥深くや大空の彼方全てに届く剣撃など到底実現できるはずもない」
だが、とリズさんは言葉を強める。
「実現する訳もない夢想を実現できるからこそ、真に迫った一級品の恩寵兵装と言える。どう実現、いや『解放』できるかは、その持ち主次第だろうな。しかし、全ての恩寵兵装が実現不可能な夢物語を秘めている訳ではない。日鉢殿の<玄鋼之与一>のように『必ず的に命中させる』と言う比較的実現が容易なものもある」
うわー、凄い。リズさんって日鉢さんの弓がどういうのか知ってるんだ。あ、そうか。目で見れば分かるのか、と言うより分かっちゃうのか。
——リズさんの『解放』ってどう言うのなんですか?
「む……それは……」
リズさんの顔が怖ぶる。
「できない。私は『解放』するに至っていない」
悔しそうに言う。
——えぇ〜!?
意外だ。
「『解放』は恩寵兵装を使いこなす上で一種のゴールだ。私はまだまだ修行不足だ。その意味では、日鉢殿は、バランス良く保っている良い例だと言える」
やっぱり、リズさんから見ても日鉢さんって凄いのかぁ。
「さて、長々と喋ってしまったな。すまない、一度語り出すと止まらなくなるのが私の悪い癖だ」
リズさんが大剣をひゅっと振り、綺麗な円を描く。蒼い軌跡が、その証を示すように宙に漂う。
「萌、君も私の長話で退屈しただろう。ここからは実技といこう」
——実技、ですか?
おうむ返しに聞いてしまう。
「恩寵兵装は、兎にも角にも使いこなすことが肝心なんだ。暴走しだすと使用者が喰われかねない。安定した力を引き出すためにも、一番手っ取り早い方法は実戦だ、と言われている」
——じ、実戦ですか?
「そうだ。及ばずながら、私が相手になろう。萌、刀を取ってくれ」
リズさんが大剣を地面と水平に携え、切っ先を僕へ向ける。
——え、ええー!? 待って下さい! リズさんいきなり何言ってるんですかぁ!
「合理的判断だ。本来はゆっくりならしながらいくべきだが、昨晩のように大型のヒトガタや再び黒騎士と対峙した時、準備不足で負けてしまいました、ではお話にならない。ましてや、君と私は背中を預けあう仲ではないか?」
——それはその……僕の剣の腕なんかじゃリズさんの背中を守れな、
「何か言ったか、萌?」
——いいい、いえ、何も言ってません!
リズさんって目鼻立ちが整っててくっきりしてるから怒った顔も可愛いんだけど、すっごく怖い。
「覚悟を決めろ。構えろ、行くぞ!」
——えええ!?
僕が状況を理解しきれないまま、リズさんが大剣を僕に向けたまま突撃してくる。
広場に吹く白い寒風の中、一人の戦乙女がその手に持つ大剣を振るう!
僕は左手に持った刀を握りしめ——
「コラ、萌。何もしていないじゃないか」
リズさんが大剣を逆回転させ、柄頭に取り付けられた宝石で僕の頭をコツンと軽く叩く。
「ふーむ……」
リズさんが例のジト目で僕を見る。
見る。もうガン見だ。僕の周囲の空気が冷たいものに変わる。今年一番の寒さかも。
リズさんの視線に耐え切れず、目線を泳がせながら僕は答える。
——その、僕は……と言うより、僕の流派は他人との立ち合いが絶対禁止なんです。
「む? つまり対人稽古はしないのか?」
——はい。誰かとする約束稽古とか立ち合い稽古とかもないんです。
それを聞いてリズさんのキリッとした目がもっと釣り上がる。
「それでは、君の剣の稽古は、先日私が見た置き木への打ち込みだけなのか?」
——僕がお師匠様に教わった限りでは、そうです。
他にも稽古法があるけど半人前未満の僕には教えられない、ってお師匠様は言ってたっけ?
けど、お師匠様が一回だけ見せてくれた『抜き』を一人でこっそり練習してたりする。完璧な我流だから間違っちゃってるかも知れないけど。
「しかし、型ぐらいはあるだろう?」
『型』はあらかじめ決まった順序で刀と体を動かす稽古のことだ。型は一人でするものがほとんどだけど、二人でするものもある。利点は色々あるけど、やっぱり自分一人できちっと稽古できるっていうことかな。
——型、無いんです。
「——は?」
——お師匠様、言ってました。
『悪ぃな萌。俺らの流派、型とかねーから!』
武道の授業で型は沢山習ってるけど、やっぱり無茶苦茶だなぁ、って思う。
リズさんが眉間を押さえる。
「君の流派は、立ち合いもしなければ型稽古もしないのか。分からないな。そんな流派、聞いたこともない」
——立ち合うってことは、武器を抜いて戦う訳ですよね?
「真剣で、ではないが、まぁそうだ」
——僕の流派、真鋭ジゲン流は刀を絶対に抜いちゃいけないんです。抜いちゃったら、相手を斬るか自分が斬られるか、二つに一つなんです。
「極端だな。木剣や竹刀での立ち合いならば命のやり取りをするまでには至らないだろう?」
——それはそうなんですけど……。武器を抜くことの重みを考えないといけないんです。武器を、刀を抜くってことは、相手を傷つけて、斬るってことと同じって考えなんです。その人の友達とか、恋人とか、家族とか、その人を大切に思う人がいるのに、それでもその人を斬るって選択をした時に武器を抜くんです。
左手に持つ刀が、とても重たい。
——武器が真剣とか木刀とか竹刀とか、関係ないんです。抜いたら、抜いちゃったら、相手を殺めるか、自分が殺められるかのどっちかの結末しかないんです。だから……
「抜かない、つまり立ち合わないのか」
——はい。
「うーむ、それと型がないことは繋がらない気がするが……。いや、実戦派の剣術の中には型を重視しないものもあるからな。分からなくもない、か」
リズさんが渋い顔のまま二度頷いた。
「なるほど……納得はできないが理解はした。しかしだな、型稽古もできないとなるとどうするか——」
リズさんが大剣を肩に担ぐ。
「素振り、か。う〜む。それとも君の場合、自由にやってもらうのが良いかも知れないな。よし、仕切り直そう。萌、君の好きなようにやってくれ。心配するな、昨晩のように暴走しても私が止めてみせる」
——は、はい!
左手に持った刀を、帯に挿す。
恩寵兵装を使うには、とにかく『同調』することが大切だ。『展開』や『解放』はその線上にある。
刀を、<獄焔茶釜>を、両手で握る。左手で帯ごと鞘を、右手で柄を、思いっきり握りしめる。
呼吸を落ち着かせて、目を閉じる。
何もない。刀から伝わってくるものは何も。
両手にもっと力をこめてみる。心の中で刀に呼びかけてみるけど、ダメだ、何も起きない。
暴走はおろか、同調するなんて僕にできるのかなぁ……ってあれ、暴走?
——って、えええ!? 暴走って昨日みたいになっちゃうあれですか!?
「まぁ、そうなるな。だが、安心しろ。私とて——」
——キャー、リズさんの
「……は?」
——それって昨日のように僕にまた裸になれってことですかぁ!?
「——は、裸……? ババ、バカ者! 誰がそのようなことを言ったか!? 何故そうなる! いい加減それから離れないか!」
——だって! 昨日のようになっても大丈夫ってことは、そう言うことじゃないですかぁ!?
僕は顔を真っ赤にして力説するも、リズさんも負けてはいない。
「くっ! どこまで君は大バカ者なんだ! 我々は生き死にの境目に挑む準備をしているのだぞ! 恥ずかしいもくそもあるか! どうせ私しか見ていないんだ、えーい、早くしろ!」
リズさんも顔を真っ赤にして大剣をブンブンと振り回す。
——無理なものは無理なんですー!
「無理でもいいから早くしろ! さもなくばテレジア殿に成り代わり私が君を誅殺するぞ!」
——は、はひぃー!
何度も何度も深呼吸をし、もう一度自分の心を整える。
両手の内にある<獄焔茶釜>の硬い感触を、もう一度確かめる。
右足を半歩前に出し、背筋をピンと伸ばす。
——ふー……。
リズさんが教えてくれたように、恩寵兵装を使いこなすには、とにかく『同調』することが大切だ。『同調』を深く進めれば、『展開』や『解放』もできるようになる。
そのためには刀の鍛え手が兵装に託した想いを知れば良い。
僕がこの刀を使いこなせれば、夜警に参加する時に国司さん達の足手まといにならずにすむ、かも……。
でも、秘められた想いなんてそう簡単に分かるもんじゃない。秘められてるんだから。
その想いを端的に表したのが刀の銘だから、それについて考えるか、青江さんの持ち物だから青江さんに聞いてみるのが一番かな?
——違う……。
僕の内で芽生え初めた甘い考えに入り浸るのを、寸前のところで踏みとどまる。
僕の刀は、僕が目指したいと願う剣は、そうじゃない。
全てを自分で背負う剣、他人に理由を預けない、自分の意地で振るう剣だ。
だから、僕が僕であるのなら、僕はこの刀を使えないのかも知れない。
僕が刀を使うのか、刀に僕が使われるのか……。
<獄焔茶釜>を握る両手に力が入る。自然、奥歯を噛み締め、草履を履く足の指で大地を噛む。お腹の奥にある丹田が煮え始めようとしていた。
正しさなんて分からない。僕は間違っているんだと思う。
それでも!
例え、僕の首を斬られようと抜かない刀を抜くのがお師匠様が教えてくれた剣なんだから。
僕は、どこまでも僕なんだから。
恩寵や才能なんかなくなって、誰かに責めを求めない。僕が全てを、正も邪も、善も悪も、どんな結果になっても胸を張って生きるんだ!
この意地だけは、誰にも譲れない!
(——燃ヤセ——)
その時、哀しげな誰かの声が聞こえた気がした。
——えっ?
目を開けて、息を吐く。身体中から力が急に抜けた。何時の間にか、全身で汗をびっしょりとかいていた。
今の声、リズさんじゃないし、誰のだろう? 気のせいかな?
だってここには、こわばった顔をして僕を見ているリズさんしかいない、って、
——あ。
肩で呼吸しながら周りをキョロキョロと見回すと、僕とリズさんの他にもう一人、広場に人がいるのに気付いた。
リズさんが夜警で着てくるのと同じ黒い服を着て杖をついている白髪のお婆さんだ。
僕と目が合うと、人懐っこい笑顔を浮かべながら杖を持っていない方の手を振ってくれる。
「ハロハロ〜、リーゼリッヒちゃん元気〜? 早くそのプリちぃな男の子をお婆ちゃんに紹介して頂戴なぁ〜!」
しわがれた外見からは想像もつかない明るい声が広場に響く。
リズさんは何故か大きく、わざとらしいほどにため息をつき、大剣を横にひゅっと振る。
冷たい風が火照った体を快く駆け抜けると、甲冑を解いた学生服姿のリズさんがいた。
「休憩にしようか、萌」
それから僕達皆は広場の通路にある木の長椅子に腰掛けた。
「萌には正式に紹介していなかったな。こちら、私の上官でこの修道院の管理をしておられる、極東管区の管区長、エリザベート殿だ」
「ほほほ、娘が何時もお世話になっております」
——えぇー!? リズさんのお母さん!?
「違う、違うぞ、萌。管区長殿、いい加減お戯れをお辞め下さい」
「も〜う、こんな冗談軽い挨拶じゃないの。お戯れって言うのは、こんなこと」
エリザベートさんが杖をつきながら身を乗り出し、空いた手の人差し指で僕の喉元から顎にかけてツツーと滑るように撫でる。ひぃぃ〜。
「管、区、長、殿」
「ほほほほ」
リズさんがエリザベートさんの僕の顎を撫でた手を払いのけようと手を伸ばし、エリザベートさんの手はリズさんのそれをかいくぐる。更にその手を掴もうとするも、その手は空を切る。
シバババっと、年齢差を感じさせない素早い攻防が僕そっちのけで繰り広げられる。
何だろう、武術の立ち合いを見てるみたいだ。
「そうだ、萌。一昨日の私達の警備の初日、怪我をした君を手当てして下さったのはこちらの管区長殿だ」
——えぇー! あ、ありがとうございます!
「ほほほ。リーゼリッヒちゃんが血相変えてすごい勢いで扉を蹴り開けるんだもの。お婆ちゃんびっくりしちゃって三歳は若返っちゃった」
「その件は失礼しました、いえ、驚いて歳が若返るとは非論理的では……? いや、管区長殿ならばあるいは……」
何故かリズさんは考え込んじゃう。
「でもね。リーゼリッヒちゃんが運び込んでくれた時点で傷は大体塞がってたのよねぇ。ぽっ、お婆ちゃん若い男の子の裸を見るのなんて随分久しぶりだからドキマキしちゃった」
あれ、何で僕脂汗をかいているんだろう?
「今でも疑問なのですが、何故私のロザリオでの治癒があれほど重傷の萌を治せたのでしょうか?」
「う〜ん、単に相性が良いんじゃないかしら?」
あれ、エリザベートさんとリズさんの意見が違ってる。
「信仰があるかどうかも関係あるけど、その人の恩寵との相性も大事だったりするし。それに傷を治癒したのって、鳥上さんの存在強化の結界が強化された後でしょう? なら治癒を治す力も、治される力も強化されちゃってるはずよ」
「様々な要因がプラスに働いた結果、ですか」
「でもねぇ〜、鳥上さんの『存在強化』の結界て良いことばかりじゃないのよねぇ〜。良いことは強化されるけど、悪いことも強化されちゃうのよ」
——あの、すいません。一つ良いですか?
「どうした、萌?」
「あら? お婆ちゃんなら今恋人いないから何時でもオッケーよ! でもね、須佐しゃんて心に決めた人がいるから。あぁん、お婆ちゃんどうしましょぅ!」
——え、あ、その……鳥上さんの結界って仰ってましたけど、この島に他の結界ってあるんですか?
エリザベートさんの変なスイッチが入っちゃってちょっと怖いけど、さっきの話で感じた違和感を確かめたい。
「管区長殿、この島には存在強化の他に結界が張られているのですか?」
「んふふ、それはね、内、緒」
あう、はぐらかされちゃったか。
「ね、萌ちゃん。わざわざここに来るぐらいだから、何時もの稽古場所が使えなくなっちゃったんでしょ? どう? 明日からお婆ちゃんのお部屋で一緒にするって言うのは?」
「萌、管区長殿はご高齢のせいか時折何の脈絡もない妄言を仰ることがある。気にしないでくれ」
「リーゼリッヒちゃんてばまだ出会って四日目なのに、お婆ちゃん渾身のラブコールをスルーしちゃうなんて。お婆ちゃん、萌ちゃんにズッキュン来ちゃったかも」
えぇっと、僕……そろそろ帰った方が良いですか?
「お婆ちゃんのお部屋でっていうのは後に取っておくとして、修道院の空いてる場所だったら使っても良いわよ。あ、奥の方の禁則エリアには入っちゃダメよ。リーゼリッヒちゃんに強引に連れ込まれちゃってもダメだからね、うふふ」
「致しません、そのようなことは絶対に」
うわぁ、凄いツッコミの速さだ。
——あの、お気持ちは嬉しいんですけど、僕が稽古しちゃったらリズさんのお邪魔じゃないですか?
「む……? 私は別に構わないが……。管区長殿がこう仰って下さるんだ。他に稽古場所がなければご好意に甘えるべきだろう」
「なぁに、何話してるの、リーゼリッヒちゃん?」
「それは——……」
リズさんが言葉を区切り、僕をきっとした眼差しで見る。
「萌が管区長殿のご好意に是非甘えたいと。私からもお願いします」
——えぇー!? リズさん、僕、そんなこと言ってませんよぉー!
「まぁあ、お婆ちゃんには萌ちゃんの言うこと分からなかったけど、リーゼリッヒちゃんには分かっちゃうのね! ちょっとお婆ちゃんジェラシー? それとも新しい恋のライバルのシンパシー?」
「管区長殿、つきましては空いている部屋に稽古の用具を置く許可を頂けますか?」
——リズさん、これもスルー!?
エリザベートさんに続き、僕の発言も完璧にリズさんはスルーする。
「いいわよ、バッチグーよ。あ、でも、青江の静ちゃんが今晩から院内に泊まるから客室はダメよ。それと! 部屋の中で二人っきりでイチャイチャするのはお婆ちゃん的にNGよ、NG!」
「恐縮です」
「それにぃ、リーゼリッヒちゃんも萌ちゃんの稽古を近くで見れた方が良いんじゃない?」
——え?
エリザベートさんの言葉に驚く僕を尻目に、リズさんはポケットから眼鏡を取り出してかける。
「はい、それはもう」
——うええぇ!?
「ささ、休憩にしましょ、休ー憩ー! お婆ちゃん特製のぶどう酒を飲んで飲んで!」
エリザベートさんのしわがれた手が僕を掴み、グイグイと建物の中へと引っ張っていく。
とても杖をついているお婆さんとは思えない力だ。それとも僕の力が単に弱いだけかな?
「行こう、萌。休める時に体を休むのも立派な稽古だ」
——えっと、は、はい……。
僕の隣を通り抜けるリズさんの横顔はこれ以上ないほど引き締まっていて、黒縁の眼鏡がきらりと光っていた。
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私は手の震えを抑えるのに必死だった。
彼が目をつむり、<獄焔茶釜>との同調に試みていたその間、
ほんの一瞬だけだが、艶のある緋色の焔が彼の刀から湧き上がった。
たった一瞬だけだったが、その炎の力強さは、私の<氷の貴婦人>が作り出す蒼い氷塊の何倍もの力で練り上げられているように見えた。
黒き鞘から発した瞬時の緋炎の嵐が、彼の立っていた場所を焼き尽くしていた。
とても寒い空気が、私を取り巻いていた。
それに負けないように、それを彼に悟られないように、私は精一杯の虚勢をはることしかできなかった。
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