剣士ら、夜の廊下を走る。

1、テオ・フルス


 博物館全体の正面入口として利用される南館の構造は、他の建物とは少し違っていた。

 他の多くの展示館は平屋建て、あるいは天井の高い吹抜ふきぬけ構造だが、唯一南館だけは完全な二階建てになっている。

「残るはこの南館と、東館だな」

 衛士テオ・フルスが言った。

「そういえば、明日から東館は閉鎖されるんですよね。ブルーシールド財団の指示で」

 となりを歩く相棒、若き衛士ライムント・グリュンブラットが年上の衛士にたずねた。

「コバルド剣士団本部からりすぐりの精鋭が派遣されて、昼夜警備に当たるそうじゃないですか」

「らしいな」

(精鋭ね……)

 剣士テオ・フルスは心の中でつぶやく。

(コバルド剣士団の精鋭ってのは、おめぇが考えているような代物しろものじゃあねぇんだぜ。場合によっちゃ法を犯す事も躊躇ためらわねぇ連中さ。しかも飛び切り腕が立つ。凄腕すごうで中の凄腕すごうでぞろいだ)

 剣士団の「裏」の顔を知らずに入団した若い剣士に、よほど真実を言って驚かせてやろうかと思うが、結局は思いとどまる。

「いやぁ、ラッキーですよね。これでしばらくの間、東館の見回りは免除ですからね」

 脳天気にライムントが言った。

「それにしても……学術調査は財団の重要な仕事だから良いとして、何でそこまで厳重に警備するんでしょうね?」

「知るかよ」

 言いながらテオ・フルスは考える。

(コバルド剣士団にせよ、それを操るブルーシールドにせよ、てや酔狂でコトをおっぱじめるような連中じゃねぇ。今回の東館閉鎖……何かうらがあるな)

「ああ、分かった!」

 若い剣士が大声を上げる。

「東館に展示してある化物の像、あの腹ん中に財宝が詰まっていたんですよ! きっと最近発見された古文書かなんかに書いてあったんだ。巨大グリフォン像の中には金・銀・宝石がざっくざく、って。うわぁ、もしそうだったら、古代のロマンだなぁ……そうなったらめぐめぐって俺らの次の賞与ボーナスも増える……」

「あほか」

 どこまでも脳天気な後輩の言葉を聞いて、色々思いを巡らせていた自分が馬鹿馬鹿しくなった。

 南館のエントランス・ホールから、正面の大階段をのぼる。

 南館は二階だけを見回れば良いことになっていた。一階部分のほとんどは一般客立入禁止の事務所や倉庫だ。夕方職員が厳重に鍵を掛けて帰る。

 夜の巡回は免除されていた。

 二階に上り、まずは向かって左側の展示室から見回る事にした。

 テーマごとに分けられた部屋に入り、展示品に蝋燭ろうそくランタンの光を当てながら部屋をぐるりと一周、次の展示室へ向かう。これを一部屋一部屋、建物の端から順に繰り返していく。

「あのお……フルスさん、俺ちょっともよおしてきちゃった。便所行って良いですか?」

「ちっ、しょうがねぇな。見回り前に済ませておけってんだ。ここで待っててやるからよ。早くして来い。ついでに女子便所もチェックして来るんだぞ」

「ええ? 俺一人で行くんすか? フルスさん、来てくれないの? 俺、怖いっすよ。付き合ってくださいよ。どうするんですか。少女の幽霊が……」

の幽霊なら、男児便所には入って来ねぇだろ。馬鹿言ってねぇで、さっさと行って来い」

 わ便所に向かう若い衛士の後姿うしろすがたを見ながら、ぼやく。

「全く、この仕事に向いてねぇ男だな。さっさと足洗って、アカデメイアに入り直せよ。父ちゃん母ちゃんに頭下げてよ」

 ライムントが廊下に消え、テオは一人展示室に残された格好になった。

(それにしても、突然の東館閉鎖とは……ブルーシールドのやつら何をする気だ?)

 いにしえの天才彫刻家の作といわれる女神像を見上げながら、ひとり物思ものおもいいにふける。

(学術調査は財団の重要な仕事だから良いとして、何でそこまで警備を厳重にする必要があるのか? ライムントの野郎の疑問はだ。さりとてグリフォン像のはらなかに金銀財宝なんて話もりえねぇ。何故なぜだ? 何を考えている? ブルーシールドの連中は?)

 突然、廊下からライムント・グリュンブラットの「ぎゃあああ」という悲鳴が聞こえた。


2、ライムント


 若い剣士の悲鳴に我に返ったテオは、全速力で声の方向へ走った。

 廊下の突き当り、便所の前で、腰を抜かしたライムントの姿が暗闇の中に浮かび上がっていた。

 ライムントの持っている明かりが彼自身の体を照らしていた。

 若い同僚の元へ駆けつける。

「どうした? 何があった?」

「ゆ、ゆ、ゆ」

「ゆ……何だ? しっかりしろ。ちゃんと話せ」

「幽霊が……女の子の……幽霊が」

「はあ? 幽霊?」

 勘弁してくれ、といった感じで先輩剣士が大きく溜息ためいきく。

「何を言うかと思えば……付き合いれん。暗闇で妖精の彫刻でも見て子供の幽霊と間違えたんだろう? さあ、立ち上がるんだ。仕事に戻るぞ」

「ちっ、違います! 確かに居たんです。あの暗闇の中から出てきたんです。は、八歳くらいの女の子が……ぼんやりと青白く光って……それで、こっちを向いてニヤリと笑うと、また向こうの暗闇の中にスーって消えて……」

「いつまでも馬鹿言ってねぇで、さっさと立ち上がりやがれ!」

「は、はいっ」

 フルスの一喝いっかつに、さすがのライムントも、しゃん、と立ち上がった。

「さあ、南館の残りと東館を片付けて、詰所へ帰るぞ」

「わかりました」

 その時……暗闇の中で、何かが地面に着地するトンッという音がした。

「誰だ!」

 大声で問いかけながら、蝋燭ろうそくランタンを持った左手を音の方向に突き出した。

 同時に右手を背中に回し、式投げナイフを抜く。

 フルスのとなりでライムントが同じようにランタンと式投げナイフを前に突き出し、手首の所で交差させていた。暗闇でナイフとランタンの光を同時に相手に向ける、剣士お決まりのかただ。

 突然、音のした暗闇の中、かなりゆかに近い場所に小さな二つの輝きが現れた。

「ひっ」

 驚いたライムントが反射的にその小さな二つの輝きに向かってナイフを飛ばそうとする。

「待てっ、撃つんじゃない」

 フルスが制止する。

「こいつは……」

「にゃあっ」

 二つの輝く……ひとみの持ち主……が、ひとこえ鳴いた。

 暗闇の中にその姿が浮かび上がる。全身からボンヤリとした銀色の燐光りんこうを放っている。

「こ……子猫? でも、フルスさん、あいつ……」

「ああ。分かっている」

 全身を覆う銀色の毛。しかし、子猫が光って見えるのはランタンの明かりが反射したからでは無かった。

「ライムント、おめぇが言ってた幽霊話、まんざら出まかせでも無かったようだぜ」

「そ、そうですね。あの猫、じ、自身が、ひ、光っている。猫の体それ自体が光ってる」

「にゃあ」

 二本のナイフに狙われていると知ってか知らずか、再び可愛らしい声で鳴いてクルリとうしろを向くと、猫はてくてく大階段の方へ歩いて行った。

「待ちやがれ」

 フルスがつぶやく。

 そしてライムントに小声で言った。

「追いかけるぞ」

「え? 追うんですか? でもあの猫、なんか異常ですよ」

「だから追うんだろうが」

 ライムントに構わず、テオ・フルスはゆっくり歩きだした。仕方しかた無しに若い剣士もあとに続く。

 ランタンとナイフを前方に突き付けたまま、そろりそろりと猫を追う二人の剣士。

 階段のり口に来たとき、猫の歩速ほそくが少しだけ上がった。

 ととととっ、と階段をりていく。

「待ちやがれってんだ」

 フルスが再びつぶやく。

 二人の剣士も小走りに階段をりる。

 猫は階段を降り切った所で方向を変え、東館への渡り廊下に入って行った。

「やった」

 若い剣士が小声で言う。

「廊下の先には扉の閉まった東館ホールが有るだけだ。これで『袋のねずみ』ならぬ『袋の猫』ですね。

 でも捕まえられるかな? 猫は 素早すばしっこいから」

「いざとなったら、を使え」

 フルスが走りながらナイフを持った右手をげる。

「二人同時に良く狙って撃てば、必ず当たる……だが、おれの合図があるまでは撃つなよ」

「わかりました」

 ライムントは素直に返事をしたが、フルスは自分自身の言葉に半信半疑だった。

(銀色に光る猫……もし本当に幽霊だったとしたら、投げナイフなんてが役に立つのか?)

 向こうの速度が上がったのか、猫と剣士たちとの差が開く。

 猫の体から放たれる銀色の燐光りんこうが、次第しだいに遠く、小さく、薄くなっていって……とうとう暗闇の中に溶けて消えた。

 しかし剣士たちは走るのをめない。

 子猫が光ろうと、光るまいと、とにかくこの先は閉ざされた東館の扉があるだけの行き止まりだ。

 大きくて重い扉を押し開けられるというのでもないかぎり、猫に逃げ場は無い。

 ……しかし……

 何も無かった。

 子猫は本当に闇の中に消えていた。

 廊下の端まで走ってきた剣士たちは、黒々としたならの厚い扉を前にして、戸惑い、ランタンの光を左右に振る。

 どこにも逃げ場は無い、はずだった。

「知らぬ間に、すれ違ったんでしょうか? 引き返して来る猫と」

「そんなはずぇ」

 たとえ猫が燐光りんこうを放たなくても、すれ違えば必ずランタンの光の中に入る。見落とすはずが無い。

 ……しかし自信は無い。

 そもそも最初から……銀色に光る子猫という存在自体が荒唐無稽な怪現象なのだ。まともな理屈が通用するのか?

(幽霊だから、突然現れて突然消えた。そう考えた方が納得出来るくれぇだ)

「どうします?」

 ライムントが指示をあおぐ。

「どうするって、おめぇ……そうだ、と、取りあえず、ちゃんと一部始終をおぼえておいて、詰所つめしょに帰ったら必ず勤務日報に書くんだぞ」

 このおよんで、あくまで現実的な自分自身に、さすがに苦笑にがわらいしてしまう。

「書くって……どうやって書くんですか。光る猫を追いかけたら行き止まりで消えていた、とでも書けっていうんですか」

「ああ、いや、それはめろ。そんな風には書くな。おかしなことを書いてを疑われたら、次の勤務査定に響く。最悪、くびになっちまう」

「じゃあ何て……」

「館内に子猫が居て、追いかけたら見失った、とだけ書いて置け」

「しょ、少女の幽霊の事は」

「絶対に、書くな。いや、そんな事より……」

 これからどうするか、だ。

 南館に引き返して見回りを続けるか?

「ここまで来ちまったんだ。ついでに東館の見回りをませてしまおう」

 ばね式投げナイフを背中のさや仕舞しまい、剣士テオ・フルスは重いならの扉を開けた。

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