スュン、オート麦の粥に挑戦する。

1、スュン


 ゆっくりと目を開ける。

 カーテン越しの朝の光が、ぼんやりと室内を照らしていた。

(えっと……ここは……ああ、人間の都市国家まちか。人間の都市国家まちサミアのエルフ公使館だった……)

 ふかふかの枕から頭だけを起こし、部屋の隅に置いてある水時計に視線を向ける。朝の六時あたりに水位があるように見えた。

 どさっ、と頭を枕の中に落とした。目蓋まぶたを閉じ、夢うつつの心地よい意識の中で考える。

(オリーヴィア様は何時なんじって言ってたっけ……たしか七時……もうちょっと寝ていても良いか……でも、もう起きた方が良い……でも、あと、もうちょっと……ああ、このベッドは本当にふかふかで気持ちが良いな……)

 ベッドから体を起こす気になったのは、意識の力というより、単に尿意が強くなってきたからだ。

 部屋を出ようと扉を開けた所で、ああ、そうだった、洗面室も各部屋に一つずつあるのだったと引き返す。

 スュンが住んでいたエルフの森の家には、屋内から直接出入りできる手洗い場は無かった。いったん家の外へ出て、敷地に建てられたかわやで用を足す。

 つい、その習慣が出てしまった。

 まだ完全にめない頭で用をして、洗面台で手を洗いながら鏡に写る自分の顔を見る。我ながらボーッとした情けない顔をしている。

 洗面室を出て、ベッドに腰かけた。枕を見る。このまま倒れ込んで、もう一度寝たい。七時の集合まで、まだ時間はある。

「きょうは、勤務初日だぞ」

 自分にかつを入れるためシャワーを浴びることにした。

 シャワーの後、エルフ剣女の正装に着替えて部屋のカーテンを開け、東向きの窓から差し込む朝日を全身で受ける。

 がねを外してガラス窓を全開にしてみた。冷たい清らかな空気が室内に流れ込んで来る。

 うーん、と全身を伸ばして深呼吸。

「よし、完全に目が覚めたっ」

 窓からは中庭を見下ろせた。人間の侍女メイドたちが大きな庭用のほうき敷石しきいしいている。てきばきと手際よく働くその姿は見ていて気持ちが良いくらいだ。

「私も、がんばるぞ」

 水時計を見ると約束の時間まで、まだ三分の一時間ほど余裕があったが、スュンは食堂へ行くことに決めた。

 

2、オリーヴィア


 スュンがエルフ専用の食堂に行くと、意外なことにオリーヴィアは既に窓際のテーブルに座ってハーブ茶をすすっていた。

 急いで、そのテーブルへ向かう。

「お、遅れて申し訳ありません」

「別に遅れてなんかいないわ。私のほうが早過ぎただけ。まあ、とにかくお座りなさい」

 テーブルの向かいに座る。

「おはようございます」

「おはよう」

 若い人間の侍女メイドが、すっ、と近づいてくる。

「果物とオート麦のかゆを。それと朝向きのハーブ茶のお代わりをちょうだい。スュンも同じもので良い?」

「は、はい。お願いします」

「じゃあ、それを二人分」

「かしこまりました」

 注文を受けた侍女メイドが去って行く。

 その時、スュンは視界のすみで「何か」が動くのを感じた。

 異様な、「何か」が。

 はっ、として、窓の外を見る。

 中庭をはさんだ向かい側の建物、東館の屋根の上に、一瞬、それが見えた。

「スュン」

 オリーヴィアが呼びかける。

 あわ てて緑のエルフグリーン・エルフの上司の方へ視線を戻した。

「は、はい」

「どうしたの、突然、窓を見たりして」

 緑のエルフグリーン・エルフがエメラルド色の瞳を窓の外に向けた。

「あの……向かい側の建物の、屋根の上に人影が……」

「人影? まさか」

 もう一度、窓から向かいの屋根を見る。

 誰もいなかった。

 オリーヴィアに視線を戻すと、困惑したような顔でスュンを見ている。

「気のせいじゃないの?」

「気のせい……でしょうか? 分かりません……黒いマント姿の男が屋根の上に立っていたように見えたのですが……」

「う~ん。朝から、何か、おかしいわね。昨日は良く眠れた?」

「は、はい。ぐっすりと休めました」

「まあ、良いわ。一応、警備の者に言って調べさせておきます」

「す、すみません」

「別に謝る事でもないけど……今度は、私の話に集中してちょうだい……今日の予定を言うわ。朝食が終わったら、午前八時半までは自由時間とします。八時半に中庭に集合という事にしましょう。それから馬車に乗って、仕立て屋へ行きます」

「仕立て屋、ですか」

「そう。周りを見て」

 スュンは食堂内を見回す。何人かがテーブルに座って朝食をっていた。男のエルフ、女のエルフ……

「みんな、人間風の格好をしているでしょう? この公使館では……エルフの職員は全員、人間と同じ服を着る事になっている。厳密には人間『風』の服装だけど。金具や装飾類は全て貴金属製という特別仕様の服。ここの職員は人間に変装することが多いから、日頃から慣れておきなさいという公使閣下の方針です。もちろんスュンにも従ってもらうわ」

「わかりました」

「それから、これを」

 緑のエルフグリーン・エルフが小さな麻の巾着袋きんちゃくぶくろを二つ、テーブルの上に置いた。

「開けて中を見なさい」

 言われたとおり、巾着きんちゃくひもをほどいて中を見る。銀貨だった。もう一つの袋も開けてみると、こちらには銅貨が入っている。

「ここに居る限り、衣食住すべて公使館持ちで済むけど、とにかく人間社会は、かねかねかねよ。何をするにも金が要る。それは、人間社会で活動するための必要経費だと思いなさい。何を買っても良いけれど、無駄遣いはしないこと。わかった?」

「はい。わかりました」

 その時、侍女メイドが朝食を乗せた盆を持って来た。

 二人分の食事をテーブルに並べる。

「さあ。食べましょう。ここのオート麦かゆは、けっこうわよ」

「オート麦かゆ……ですか……」

「ひょっとして、穀物を食べるのは、初めて?」

「……はい」

「じゃあ、まあ、一口食べて、ごろうじろ」

 恐る恐る、銀製のさじを皿の中のどろどろとした物の中に入れて、すくい上げる。

 オリーヴィアを見上げると、そのどろどろした物をうまそうに口に運んでいた。思い切って、スュンも口の中に入れてみた。

 甘い味と香りが口の中に広がる。意外とうまい。

「どう? なかなかでしょう? 楓の樹液メープル・シロップと少々の塩で味付けされているらしいけど……それだけじゃない、何か隠し味が入っているのね。見た目より複雑な味わいがする」

 うまそうにスプーンを口へ運ぶスュンを見て、オリーヴィアが満足げな顔で言った。

「穀物類は、人間が一番栽培に力を入れている植物よ。つまり、一番食べている植物でもあるという事。まずは、色々な穀物類を食べる事から始めなさい。小麦、大麦、米……それから乳製品……牛や山羊やぎの乳から作った加工食品……を食べ、それに慣れたら、魚、肉、と、徐々に胃を慣らしていけば良いわ。山羊の乳くらい、飲んだことあるでしょう?」

「はい……幼い頃は……最近は、飲んでいませんが」

「獣の乳を発酵させた『チーズ』という食べ物があって、これが中々なかなかやみつきになる美味しさなのよ。この平野には……人間の世界には、色々な食べ物があるわ。その料理法も。よくもまあ、こんな料理を考えたものだというくらい手の込んだものが、何百、何千種類と、ね……森の中で木の実や果物やきのこ類を簡単に調理して食べているだけの我々エルフとは大違い。まあ逆にエルフにとって有りふれた食べ物が、人間社会で珍重される例もあるけど。スュンは、松の木の根元に生えるきのこを知っているでしょう? あれを人間社会こっちでは『松茸』と言ってね……この人間社会では大した金額で取引されている。大きな物だと銀貨何枚もするくらい」

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