第25話 最高の召使い

 俺は一旦後ろに跳び、助走をつけてもう一度斬りかかる。振り下ろす瞬間に、ダイモンが真上に高く舞い上がった。それを追うように、俺も地面を強く蹴って跳び上がる。そのまま斬り上げようとした瞬間、ダイモンのつま先が俺の顎に食い込み、視界が縦に大きく揺れ、ダイモンが間髪入れずに右腕で斬りかかってくる。何とか体勢を立て直して聖剣でガードするが、空中では踏ん張りが利かず、その衝撃で俺の体は吹っ飛び、岩壁に叩きつけられてしまった。


 一瞬息が止まる。しかし、聖剣のおかげで大事には至らない。逆に言えば、聖剣が無かったら既に死んでいる。絶対に聖剣を手放してはならない。手放した瞬間、聖剣の加護が無くなって生身の肉体に戻り、その状態で攻撃を受ければ即死確実だ。


 俺の体は岩壁にめり込んで張り付け状態になっている。早く抜け出さなくては狙い撃ちにされてしまう。しかし、変に引っ掛かってなかなか体が抜けない。宙に浮いたままのダイモンが、左手をこちらに向けた。やばい、魔術が来る!


「焼け死ね」


 ダイモンの左手から、巨大な炎が渦を巻きながら襲い掛かってきた。咄嗟に聖剣を向け、目の前に円形の水の壁を作り出した。ギリギリガードが間に合い、炎の渦と水の壁がぶつかり合って、その場に暴風が巻き起こる。炎の圧力は凄まじく、少しでも力を緩めれば、こんな壁はいとも簡単に破られるだろう。しかし、このままでは先に俺の体力が尽きる。


 突然俺の体が落下した。岩壁にめり込んだ俺の体が、ようやく重力に負けてくれたのだ。上手く地面に着地したが、同時にダイモンも目の前に着地し、右腕を振りかぶって攻め込んでくる。休む暇を与えてくれない。


「くそっ! しつこい野郎だな!」


 ダイモンの連擊を聖剣で何とかガードする。金属の激しい衝突音がアメジス山脈を駆け巡り、山彦となって帰ってくる。機関銃のような怒濤の攻撃に、俺はたまらず突風の魔術を使い、ダイモンを吹き飛ばして距離を離した。こちらの激しい息切れとは逆に、奴は息一つ切らさずに涼しい顔をしている。


「まったく、わけの分からん男だな。ただの雑魚だとしか思っていなかったが、まさかこんな実力を隠していたとはな」


 と言っても、九十九パーセント聖剣の力によるものだがな。しかし、今の聖剣の力は今までとは明らかに違う。でなければ、俺がここまでダイモンと戦えるはずがない。理由は分からないが、とにかくそれを引き出しているのは他でもない俺なのだから、やはり俺の力でもあるのか?


「お前は、あのオルパーという男よりも遙かに強い。いや、それどころか、かつてオレの父を倒した、あの男よりも強いかもしれん。オレはあの時の戦いを一部始終、物影から覗き見ていたが、今思えばあの男はお前とよく似ていた。容姿もそうだが、情けなく頭を垂れて、命乞いをするところまでソックリだ。結局父に許す気が無いと知るやいなや、窮鼠が猫を噛むかのように、やけっぱちになって限界以上の力を発揮し、奇跡的な勝利を収めたがな」


 …………おいおい、マジかよ。偉大な英雄初代ゴルド王は、俺と大差ない、とんだヘタレ野郎だったってわけか。思わず笑いがこぼれた。ははは……これはいい、これは傑作だ。それなら、俺がこいつを倒せても、何も不思議ではないって事だ。


「お前ほどの強者なら、本来ならオレの最高の遊び相手になるはずだが、何故かお前を見ているとムカついてしょうがない。よって、この場で必ず始末する」


 ダイモンが殺気を剥き出しにして歩いてくる。俺がチラリとゲートの方に目をやると、ちょうどエメラが魔界から人間界に、サフィアを運び入れているところだった。倒れたままのサフィアにエメラが声をかけているが、反応がないようだ。零距離でダイモンの魔術をくらったのだ。ただで済むはずがない。何故だ…………俺もさっきからムカついてしょうがない。何としてもダイモンをぶち殺してやらないと気が済まない。こんな感情は初めてだ。


「行くぞ……」


 突然ダイモンが消えた。後ろだ! 俺は振り返り、聖剣を横に構えると、ちょうどそこにダイモンの右腕が振り下ろされた。ダイモンの左腕が槍に変形するのを見逃さず、咄嗟に体を捻って突きをかわす。回避を予測していなかったダイモンは、大きく前のめりになりバランスを崩した。


「うらぁ!」


 突き出した左腕を狙って、聖剣を下から振り上げると、その左腕が斬り飛ばされ、宙を舞った。やった……そう思った瞬間、ダイモンの回し蹴りが俺の胴に食い込み、吹っ飛ばされて再び岩壁に叩きつけられる。


「くそっ、痛ぇ……だが、これで奴の力も半減…………は!?」


 ダイモンの左腕の断面が不気味に蠢き始めた。次第にそれが伸びていき、形作っていく。左腕が……再生した。やはり、この程度のダメージを与えたところで無意味だ。首を斬り飛ばすなり、脳や心臓を潰すなりしないと、何度でも復活してきそうだ。ダイモンが、再生したばかりの腕の感覚を確かめるように、手を握ったり開いたりを繰り返している。しばらくした後、その鋭い眼光で俺を射抜いた。それだけで、思わず体が震えた。


「再生なんて試みたのは初めてだ。出来るのは分かっていたが、まさか俺の腕を切断出来る者が現れるとは思っていなかったぞ。大した強さだ、褒めてやる」


 そう言うと、ダイモンは左手の人差し指を俺に向けた。何の真似だと思った一瞬が命取りとなった。俺の脳が危険信号を発した時には、既に俺の体に電流が走っていた。


「うぎゃあああ!」


 脚に力が入らず、膝を突いた。全身が痺れて動けない。痺れに耐えながら、俺は聖剣の柄を強く握った。俺を纏う光が少し強くなり、痺れが少しずつ消えていく。くそっ、早くしろ、このポンコツが……殺されちまうだろうが! ダイモンが一歩、また一歩と近付いてくる。駄目だ、間に合わない!


「むっ!?」


 突然ダイモンが身を屈めた。ダイモンの頭上スレスレを、ナイフが横切る。エメラの不意打ちだ。エメラは続けてナイフを両手で逆手に持ち、ダイモンの頭目掛けて思い切り振り下ろした。しかしダイモンは、それをまるで虫をつまむように、親指と人差し指だけでピタリと止めた。


「くっ……!」


 エメラが押しても引いても、ナイフはビクともしない。諦めて今度は右腕を振りかぶり、ダイモンの顔面に拳を叩き込んだが、ダイモンは瞬き一つしない。駄目だ……余りにも力の差があり過ぎる。目にも止まらぬダイモンの裏拳がエメラの顔面を捕らえ、その体を十メートル近く吹っ飛ばした。たった一撃で、エメラはそのまま動かなくなった。


「そう焦るな、女よ。お前は後でまた、違った趣向でなぶり殺しにしてやる」


 …………よし、痺れが消えた! ダイモンが余所見している隙に、俺は脚に力を入れ、一足跳びで斬りかかった。


「何っ!?」


「うおああああ!!」


 惜しくもガードされるが、俺は気にも止めずに攻撃を続ける。ダイモンに、立て直す暇を与えるつもりはない。初めて見る、ダイモンの焦りの表情。この千載一遇のチャンス、絶対に逃さない。そして遂に、聖剣の攻撃を受け続けていた、剣に変形したダイモンの右腕が折れた。俺は聖剣を振り上げ、一気に斜めにダイモンの胴を斬り裂いた。どす黒い血が噴き出し、返り血が俺の身を染める。


 しかし、その返り血のせいで……ダイモンの残された左腕の動きを見逃した。ダイモンの放った魔法弾は、俺に着弾して爆発を起こした。激痛と共に俺の体は吹っ飛び、地面に叩きつけられた。


 しまった……聖剣を手放してしまった。しかもそれは、ダイモンの足元に落ちている。もう、駄目だ…………聖剣無しでは、万が一にも奴を倒すことは出来ない。今すぐ奴の頭上に隕石でも落ちてこない限り、もう俺に勝ち目は無い。いくら悪運が強い俺でも、そんな奇跡は流石に起こるはずがないだろう。


「ハア……ハア……手こずらせやがって。だが、これさえ無ければ、もう何も出来まい」


 ダイモンが聖剣を拾い上げ、崖の下に向かって投げ捨てようとした…………その瞬間、何かがダイモンに飛びかかった。その衝撃でダイモンが、聖剣をその場に落とした。サフィアだ……サフィアが再びダイモンを羽交い締めにしている。


「くっ! サフィアァァ! この死にぞこないがぁ!!」


 ダイモンがサフィアの髪を掴んで引き剝がそうとするが、力が弱まっているせいか剥がれない。サフィアと目が合った。俺に何かを訴えるような目だ。まるでテレパシーのように、サフィアの意思は一瞬で俺に伝わった。


 俺は立ち上がり、最後の力を振り絞って走りだした。聖剣を拾うと同時に、力が戻ってくる。俺は顔を上げた。再びサフィアと目が合うと、これからやろうとしている事に躊躇ってしまう。しかし、サフィアの目は頑なに俺に訴えた。「絶対に躊躇ってはいけない」と。やれ……やるんだ……やるしかないんだ! 俺は聖剣を強く握り、ダイモンの心臓目掛けて真っ直ぐ突いた。そして、それを貫いた…………サフィアもろとも。


 一瞬、時が止まった。ゆっくりと聖剣を引き抜くと、サフィアは仰向けに倒れ、ダイモンは膝を突いた。まだ終わってはいない。最期の言葉を聞いてやるつもりもない。俺はもう一度聖剣をダイモンの胸に突き刺し、聖なる魔力を体内へ直接送り込んだ。さあ、地獄の苦しみを味わうがいい。


「ギィアアアア!! や、やめろおお!!」


 ダイモンが必死に腕を伸ばしてくるが、もはや届くことはない。その肉体はドロドロと溶けながら蒸発していき、最後には完全にこの世から消え去っていった。勝った……未だに信じられない事だが、俺は遂に悪魔王ダイモンを倒したのだ。しかし、達成感よりも、何とも言えない虚しさに駆られていた。


 ふと見ると、エメラがよろめきながら歩いてきて、サフィアの元で腰を下ろした。サフィアの意識はハッキリしているようたが、もう助からないだろう。エメラが俺をキッと睨み付けた。


「ゴルド……あんたって男は、一体どこまで…………!!」


「……止めてください、エメラさん。ゴルド王子は、私の意思を汲んでくれただけです。私が……頼んだ事です」


「サフィア……。でも、本当に他に方法は無かったの?」


「もしゴルド王子が、ダイモンだけを刺そうとすれば、必ず躊躇や加減が生まれてしまいます。それでは、ダイモンを仕留め損なう可能性が高かったでしょう。私もろとも貫く覚悟がなければ、勝利はありませんでした…………ゲホッ」


 サフィアが血を吐いた。いつも通りの口調や表情だから、実は元気なんじゃないかと錯覚してしまいそうだが、決してそんな事はないだろう。心臓を貫いたのだから……。残された時間は少ない。俺もサフィアの近くで腰を下ろした。


「ゴルド王子、何故ゲートの封印を中断したのですか? あのタイミングなら、恐らく間に合っていたはずです」


 聞かれたくない質問に、思わず目を逸らした。しばらくの間思案し、言葉を探す。


「うるせえな……お前のせいだろうが。見捨ててほしかったら、土壇場であんな事言うんじゃねえよ」


「……すみません、計算が違いました。ゴルド王子なら、たとえ自分を心から慕う者だろうが、容赦なく切り捨てる事の出来るお方だと思いました。情なんて物は、お持ちでないのかと……。でも…………少しだけ嬉しかったです」


 くそ……また痛い所をつきやがって。俺だって何であんな行動を取ったのか、分からないってのに。きっとこの先いくら考えても分からないのだろう。嬉しかった……か。やはり、元々こいつにはちゃんとした感情はあったのだろう。ただ、極端なまでに表に出すことが無かったというだけだ。


「しかしゴルド王子。王子の目指す国作りに、情は足枷にしかなりません。現に、今回も遭わなくてもいい危険に遭う羽目になりました。こんな事は、今回限りにしてください」


「言われなくてもそのつもりだ。こんなのは、もう二度と御免だからな」


 傷の痛みも疲労も、今までの比ではない。明日にはこれに加えて、限界以上に酷使した全身に、筋肉痛も襲い掛かってくるだろう。情なんて物にほだされたせいで、この様だ。二度と同じ過ちは繰り返さないと、堅く心に誓う。


「ゴルド王子……最期にもう一つだけ聞いてもよろしいでしょうか?」


「ああ、何だ?」


「私は……ゴルド王子のお役に立てましたか?」


 一瞬、俺の中で何かが込み上げてきた。しかし、俺はそれを無理矢理押さえ込み、いつも通りの憮然とした態度で答えた。


「ふん、わかりきったことを聞くんじゃない。お前は、俺の最高の召使いだ」


「…………ありがとうございます。それだけで充分です。では……お先に失礼しますね…………」


 サフィアがゆっくりと目を閉じた。もう二度と開くことはないのだろう。こいつ……最期の最期で笑いやがって。


「サフィア、ありがとうね。あまり話す機会はなかったけど、妹が出来たみたいで楽しかったわ」


 エメラが、サフィアの両手を胸の上に重ね合わせた。俺は何も言わずに立ち上がり後ろを向いた。サフィア……俺が情を持つのは、お前が最初で最後だ。俺の目的の完遂こそ、お前に対する最大の供養と言えるだろう。そのためには、お前の言う通り一切の情は不要だ。だから、お前の死に対して特別な感情を持つこともしない。俺は目を閉じ、普段通りの俺の人格を呼び戻した。傲慢で、傍若無人で、自分以外の者の事など、道端に転がる石ころ程度にしか思っていない、クズの俺を。


 さあ、帰ろう。いや、その前に最後の仕事が残っていたな。俺は聖剣を持って立ち上がり、ゲートの方に歩き出した。俺は改めてゲートの真下に聖剣を突き立て、意識を集中する。数分後、ゲートの周りは黄金の光に覆われた。封印は完了したのだ。魔界にどんな奴が残っているのかは知らんが、これでもう俺の前に現れる事はないだろう。

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