第23話 ちょっとした気まぐれ

 馬から軍用車に乗り換え、ダイモンの城へと無事に戻ってきた。全ての悪魔がクリスタに攻め入ったわけではないようで、多数の悪魔が望んでもいないお出迎えをしてくれた。腕時計を見ると、既にあれから四時間半以上が経過している。結構ギリギリだったな。俺はそのまま城の中まで軍用車を走らせ、大広間で停めた。


「お帰りなさいませ、ゴルド王子」


 振り返ると、サフィアとエメラが階段を下りてくるところだった。もしかしたら、既に殺されているかもと思ったが、流石にそれはなかったか。


「ダイモンはどこだ? 早く解毒薬を貰わねえと……」


「帰ってきてないわよ。まだクリスタを攻撃してるんじゃない?」


「は!? おい、もう後三十分もないんだぞ!」


「落ち着きなさいよ。解毒薬なら預かってるわ」


 そう言ってエメラが差し出してきたのは、どす黒い液体の入った瓶。これが解毒薬かよ……どう見ても体に悪そうだぞ。もしかして、さっき俺が飲んだのはただの水で、こっちこそが毒薬なんじゃないか。


「安心しな。それは本物の解毒薬よ」


「むっ、何故そう言い切れる?」


「説明は後。それより、早く飲まないと死ぬわよ」


 ちっ……仕方ない。俺は目を閉じ、息を止めてそれを一気に飲み干した。苦い……最悪の味だ。毒が抜けたという実感はいまいち湧かない。


「最初は、奴はあんたを利用するだけ利用して、あたしら全員を殺すつもりだったのかもしれない。でも、サフィアのおかげでそれは免れたわ」


「サフィアの? どういう事だ」


 俺は未だに傷が癒えないサフィアに尋ねた。いや、正確には悪魔の肉体は癒えている。人間の皮膚がそのままになっているのだ。リドットに撃たれた部分は穴だらけで、血も固まっている。まるでゾンビのメイクでもしているかのようだ。


「私がダイモンの右腕になる事を条件に、ゴルド王子とエメラさんの命の保証をさせました。私がダイモンに従っている限りは、お二人が殺される心配は、恐らくないでしょう。かといって、ここから出してくれるわけではなさそうですが」


 サフィアがダイモンの右腕に? まあ、確かに誘ったのはダイモンの方だ。交換条件というわけか。今更俺とエメラの命になんて興味はないだろうしな。俺の下僕を奪われた事に関しては腹立たしいが、命には代えられんから仕方ない。


「今後ダイモンに付き従い、ダイモンの弱点を探ります。それが無ければ、逃げ出すための隙を作るように最善を尽くします」


「……悪いね、サフィア。あんたにばかり負担かけて」


「私の事は気にしないで結構です。それより、私がいない間、ゴルド王子の事をよろしくお願いします」


「えっ。あ、ああ……そうね」


 何であたしがこんな奴を……でも、命の恩人のサフィアの頼みを断るわけにもいかないし。どうせそんな事を考えているのだろう。まったく、誰がそのサフィアをスカウトしてきたと思ってんだ。


 ……うっ。空気が変わった。ダイモンが帰ってきたのだろう。気のせいなんだろうが、室温が十度ぐらい一気に下がったような感覚だ。案の定、聞き覚えのある足音が近付いてきて、やがて姿を現した。ダイモンは、まったくの無傷だった。


「いやあ、なかなか面白かったぞ。流石はクリスタ、歯ごたえのある奴らだった。もっとも、もう遊ぶことは出来ないがな」


 あの圧倒的な軍事力を持つクリスタ軍を相手にしてこの余裕か。分かってはいたが、なんて化け物だ。


「そうそう、クリスタの王にも直接挨拶してきたぞ。味方の兵士が全滅しても、まったく臆せずにオレに立ち向かってきたよ。殺すには惜しい、強く勇敢な男だった。あれがお前の父親だろう? 少しは見習ったらどうだ? くっくっく」


 …………大きなお世話だ。強く勇敢? 俺から言わせれば愚かな男だ。兵士達を盾にして自分だけ逃げれば、命だけは助かったかもしれないものを……。現に、命を賭けても国を守れなかったじゃないか。


「さあ、行くぞサフィア。久しぶりに大暴れしたからな、マッサージでもしてもらおうか。それと、そこの二人。お前らにも仕事を用意してやる。ありがたく思えよ」


 仕事だと……嫌な予感しかしない。だが、今は大人しく、こいつの奴隷になるしかない、サフィアがチラリとこちらに目配せをし、ダイモンに連れられて上へ行ってしまった。これから一体どうなってしまうのだろう……。



 *



「うぷ……オエエエ!!」


 これで何度目の嘔吐だ……。見るのは慣れたが、臭いだけは未だに慣れない。エメラも今日だけで既に二回吐いている。ここは広いダンスホール……だった場所だ。しかし今、俺達の目の前にあるのは、人間の死体の山だ。どんどん新たな死体が積み上げられていくから、下の方にある死体はとっくに腐っている。俺とエメラは、ここで死体の解体を強いられている。人間を主食としている悪魔は多く、更にその中で肉を好む悪魔、骨を好む悪魔、内臓を好む悪魔がいるのだ。下級悪魔が持ってきた人間の死体を解体して仕分けるのが、俺達に与えられた仕事だ。


 鉄臭い血の臭い……死体が腐敗した臭い……胃や腸から漏れ出す糞尿の臭い……そして自分達が吐き出した吐瀉物の臭い……。俺とエメラの体力と精神力は、既に限界を超えていた。それに、何のためにやったのかは知らんが、ダイモンによって上腕に付けられた焼き印がヒリヒリして痛い。あの時はあまりの激痛に、俺もエメラも絶叫してのたうち回ったものだ。


 あれから五日間、俺達二人はずっとこの作業をやらされている。お互いの会話も無くなった。死ぬより先に、頭がおかしくなりそうだ。誰かが扉をノックした。ダイモンや悪魔がいちいちノックなどするはずがない……ということは。


「……失礼します」


「サフィア……急にどうしたの? ダイモンは?」


 エメラがヨロヨロと立ち上がり尋ねた。サフィアとは五日ぶりだ。ずっとダイモンの傍に付いていたはずだが、どうやって抜け出してきたんだ?


「今は寝ています。珍しく深く寝入っているので、こっそり抜けてきました」


「てことは……脱出のチャンスか?」


「それは無理でしょう。見張りの悪魔が大勢いますし、騒ぎになればダイモンも起きてくるでしょう。何より、お二人に付けられた焼き印によって、世界中のどこに逃げてもダイモンには居場所がバレてしまいます」


 な、何だと……。この焼き印にそんな意味があったのか。もはや一生ダイモンの奴隷になるしかないのか。


「ですが、解決の糸口は見つかりました」


「何!? 本当か!」


「お静かに……。ダイモンや他の悪魔に気付かれます」


 俺は慌てて口を押さえ、そっと外の様子を窺った。幸い誰にも気付かれていなかったようだ。扉をゆっくり閉め、ため息をつく。


「ふう……で、どうすんだ?」


「私はこの五日間、ダイモンの心を掌握する事に尽くしました。掌握とまではいかずとも、ある程度は私の頼みを聞いてくれるぐらいにはなりました。最初は何とか暗殺を試みようと、何度か体を交わらせてその隙を窺いましたが、それは流石に不可能でしたので」


 …………何か今サラッととんでもない事を言った気がするが、ひとまず聞き流した。


「私はダイモンにこう言いました。私は人間界で生まれ育ったので、未だに魔界を見たことがありません。是非ダイモン様と共に、魔界を見て回りたいです、と」


「魔界へ? どうやって行くんだ?」


「クリスタより遙か北に位置する大陸に、アメジス山脈という場所があります。この世界で最も瘴気の濃い場所であり、人間界と魔界を繋ぐゲートもここにしかありません。こちらから召喚するという方法を取らない限り、人間界と魔界を行き来するにはここを使うしかありません」


「ダイモンを魔界に誘い出すってわけね。でも、その後はどうするの? ここには悪魔が大勢いるから、ダイモンがいなくても、あたし達は逃げることは出来ないし、あんただってダイモンからは逃げられないでしょう?」


 その通りだ。俺とエメラでは、強行突破は不可能。サフィアがいれば何とかなるかもしれないが、サフィアを残してダイモンだけがいなくなることはない。つまり、どちらにせよ不可能だ。


「……少し話が逸れますが、初代ゴルド王が大魔王を倒した後、何故四百年もの間、世界が平和だったと思いますか? ダイモンという脅威がまだ残っていたにも関わらずです」


「え? それは、ダイモンがまだ子供だったからじゃない?」


「それでも四百年はかかりすぎです。大魔王を倒した後、すぐに初代ゴルド王が、聖剣の力でゲートを封印したからです。その封印は四百年続きました。その封印が解けてしまったせいで、ダイモンが人間界に進出してきたのです」


 そんな事があったのか……流石に博識だな。しかし、どうせなら封印じゃなくて、ダイモンもその時に倒してくれれば良かったのにな。まったく詰めの甘いご先祖様だ。


「結論を言います。私がダイモンと共に魔界に行っている間に、最上階にある聖剣を奪還し、魔界のゲートを封印して下さい。それでダイモンは少なくとも、また数百年は人間界には来られなくなります」


「なるほどね。でもさ、あんたはどうやって戻ってくるの?」


「私は戻れません。人間なら出入りは自由ですが、私の体はもう百パーセント悪魔ですし、人間の肉体は既に死んでしまったので、もう戻れません」


「は!? じゃあ魔界に残るつもり!? いや、それどころか、自分を騙したあんたをダイモンは必ず殺すわよ!」


「でしょうね。でも、他に方法はないので仕方ありません。エメラさんが、私の事を気にする必要もありません。私はゴルド王子に無事に生き延びて頂ければ、それでいいですから」


「なっ……」


 エメラとサフィアの言い争いが続く。と言っても、エメラが一方的にがなり立てているだけだが。サフィアの作戦は確かに名案ではある。上手くいけば、ダイモンを殺すことは出来なくとも、少なくとも俺がこの世に生きている間は、魔界に閉じ込める事が出来る。これほど忠実で優秀な下僕を失うのは、俺にとってもダメージが大きい。だが、この状況を脱するには、他に手はないか。


「……サフィア、前々から思ってたけど、あんた異常よ。何でそこまで、こいつに尽くせるの? 元召使いってだけでしょ? それもたった半年間、下で働いてただけだし、そもそももう王子ですらないじゃない」


 それは正直俺も思っていた。しかし、単に犬やロボットのように、主人と認めた相手に機械的に尽くしているだけだと解釈していた。そこに理由などない。サフィアは元々こういう奴だから、敢えて聞かずに便利に使っていただけだった。


「それは私が、ゴルド王子を人間としても、一人の男性としてもお慕いしているからです。ゴルド王子のためなら、命も惜しくありません」


「……へっ?」


 ……今何て言った? 男性として? は? エメラも口を開けて固まっている。ちょっと待て……つまり、俺のことが好きってことか? ていうか、サフィアに人を好きになるだとか、そんな感情があったのか? 疑問符が次々と溢れて止まらない。


「あ、あんた本気? こいつのどこに惚れたっていうの? いや、まあ顔はそこそこいいけどさ……でも、他ははっきり言って人間として最低最悪よ?」


 エメラに言われたくはないが、否定はしない。顔以外に惚れられる要素はない。城にいた時も、一回抱いてつまらなかったから、それ以降は大していい扱いをしていなかったのだから。


「ゴルド王子は覚えていないと思いますが、私は赤子の頃ゴルド王子に助けられたことがあります。私の母は人間でした。悪魔との子である私を、母は産んですぐに山の中に捨てました。恐らく、望まぬ妊娠だったのでしょう。既に物心のあった私は、その時のことをよく覚えています。とはいえ、所詮は赤子……自分の意思で動くことは出来ず、死を覚悟しました。その時、私を拾って下さったのがゴルド王子でした」


 ……マジか。そんな事あったか? 全然思い出せな……いや、微かに覚えている。四歳だか五歳ぐらいの頃だ。場所は忘れたが、親父とどこかの国に外交に行って、つまらないから一人でこっそり抜け出して、近くの山で遊んでいたような気がする。その時……そうだ、確かに赤ん坊に会った。泣きもせず、笑いもせず、不気味な赤ん坊だと思ったのを覚えている。とはいえ流石に放っておくのはまずいと思って、拾って町まで戻ったんだ。あれがサフィアだったのか。


「クリスタの王子であることは、すぐに知ることが出来ました。何とか恩返しがしたいとずっと思っていましたが、当時子供だった私には何も出来ませんでした。城の召使いになれる年齢になってから、すぐにそれに志望し、晴れてゴルド王子の下で働くことが出来ました。その後は、ゴルド王子のご存じの通りです」


 エメラはそれ以上何も言わなかった。納得と諦め、両方の気持ちが織り交ざったような顔だ。普段の俺なら、たとえ赤子が捨てられていようが、見て見ぬ振りをしていただろうが、当時の俺のちょっとした気まぐれが、まさかこんな所で生きてきていたとは。たまには善行もしてみるものだ。サフィアを捨てれば俺は生き延びられる。捨てなければ生き地獄もしくは死……選択の余地はない。


「分かった、お前の言うとおりにしよう。お前がダイモンを連れ出し、その間に俺達が聖剣を奪い、お前もろともダイモンを魔界に閉じ込める。本当にいいんだな?」


「はい、構いません。では、そろそろダイモンが起きるかもしれないので、失礼します」


 サフィアはそう言うと部屋を出て行った。これで助かる……助かるはずなのだが、胸の中のモヤモヤが治まらない。余計なことは考える必要はない。とにかく今は、聖剣を奪還すること……それだけに、全てを注ぐんだ。

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