第2話 復讐開始

「ロゼ、まだ寝てるのかい?」


 祖母のその声で私は夢から覚めた。あれから十五年も経つのに、未だにあの日の夢を時々見る。その時は決まって目覚めが悪い。母や同胞達が言っているのかも知れない。決して奴らへの怨みを忘れるな。仇をとってくれと。忘れるわけがないのに。


「起きたなら畑の収穫を手伝っとくれ」


「うん。ちょっと待ってて、おばあちゃん」


 身を起こし、洗面台へと向かう。顔を洗って、鏡に映る自分を見た。腰まで真っ直ぐに伸びた黒い髪。青白い肌。鋭くつり上がった冷たい目。口紅を塗っていないのに真っ赤に染まった唇。私のことを魔女だと知っている人が見れば、ああいかにもと言いそうな顔だ。身長と胸も無駄にでかいせいで、目立ちたくないのに目立つ時も多い。


 外に出て空を見上げる。カサブランカ村の天気は今日も快晴だった。パンをかじりながら畑に向かう。祖母は既に芋掘りを始めていた。髪を縛り、軍手を付けた。魔法を使えば数分で終わる作業だが、こんな所で使うわけにはいかない。手で芋掘りを開始した。祖母は父方の祖母だから魔女の血は引いていない。父は戦死、母は魔女狩りで殺された。身寄りのない私を、祖母は老体に鞭打ってたった一人で育ててくれたのだ。


 芋を掘りながら道行く人を見る。何人かは子供の頃に住んでいた村の住人、つまり魔女の生き残りだった。魔女は皆素性を隠し、普通の人間として暮らしていた。かつての魔女の村は全てフォレストの軍に潰され、逃げ遅れた魔女は全て捕らえられて殺された。そのため、もう大規模な魔女狩りは無くなったが、それでも魔女狩りが完全に終わったわけではなかった。うっかり人前で魔法を使ってしまい、魔女の生き残りということがバレて殺されてしまった魔女も何人かいる。逆に魔法を一切使わなければ、魔女ということがバレることはない。


 私は今まで、何人かの魔女に声をかけたことがある。フォレストの奴らに復讐しよう、仲間の仇をとろうと。しかし、誰も乗ることはなかった。仲間が殺されたのは悔しいし悲しい。でもどうしようもない。せっかく生き残ったんだから、彼女達の分まで生きよう、と。あの頃は私も十代で若く、何も知らずに「腑抜けが! 臆病者が!」と言ってしまったこともある。しかし大人になってから分かった。仕方がないのだ。元々魔女は世間一般のイメージとは違って、温厚な種族なのだから。人に危害を加える魔法は全て禁呪扱いされているのだ。しかし一部の馬鹿な魔女達のせいでフォレストに目を付けられ、無関係な大多数の魔女が理不尽に殺された。皆フォレストが怖いのだ。今更奴らに逆らったところで勝ち目はない。無駄に殺されるだけ。そう思うことを、どうして責めることが出来るのだ。私は仲間を集めるのを諦めた。だが、一人でも勝算は充分にある。何があろうと、復讐は絶対に諦めることはなかった。


「ふう、こんなもんでいいかね。ロゼ、芋を玄関前に持っていっとくれ。後で業者さんが買い取りにきてくれるそうだ」 


「うん、わかった」


 芋がぎっしり詰まった籠は重さ数十キロはある。祖母にはもう運べない。一通り運び終えてから、私は自室に戻った。祖母は疲れて居間で寝ている。チャンスだ。懐から指揮棒を取り出す。母の形見だ。一見単なる指揮棒だが、これが私の魔女としての杖だ。魔力が通っていて細長い物なら何でも杖になり得るのだ。いかにも魔法の杖ですと言わんばかりの形をした杖もあるが、軽くて持ちやすいこの指揮棒の方がいい。それを本棚に向け、ゆっくりと左に動かしていく。それに併せて、本棚も床を引きずりながら左に移動していった。本棚の裏には人がギリギリ入れるぐらいの縦長の穴。その先には急な階段が下に伸びている。私は地下室へと降りていった。この部屋の存在は祖母も知らない。


 天井高四メートル、約百平方メートルほどの広い部屋。もちろん完全防音だ。魔法を使わなければ、とてもじゃないが女一人でこんな地下室は作れないだろう。部屋の中央にはハリボテの人形が数体置いてある。階段近くに積まれている本の中から、一冊の本を手に取り、最後のページを開いた。この本も今日限りで用済みだ。再び指揮棒を取り出し、何もない空間を指した。指揮棒の一メートル先に、徐々に火花が出来上がっていく。しかし、ある程度大きくなったところで、まるで線香花火のようにポトンと落ちて消えてしまった。


「ちっ。集中力が足らないな」


 もう一度指揮棒を構える。目を閉じて、あの日の光景を思い浮かべた。悲しみと憎しみが込み上げてくる。さっきとは比べものにならない大きさの火花が出来上がった。部屋の中央の人形に目を向ける。それに向かって指揮棒を振りかざした。火花が人形にぶつかると、バチバチと物凄い音を立てて人形がバラバラになった。この本の魔法も全て覚えた。本に指揮棒を振り、魔法で火を付けた。


 私は魔女狩りの日から一年かけて、国中の魔女が住む村を訪れた。どこも既に攻め落とされて廃墟になっていたが、図書館は無事だった。その中から、あらゆる禁呪の本を取り出して持ち帰った。祖母に気付かれないようにするのは苦労したが、何とか数百冊の本を手に入れることが出来たのだ。そして地下室を作り、後の自由な時間は全て禁呪の修得に費やした。昼間は祖母の畑仕事を手伝い、夜は寝る間も惜しんで特訓。禁呪の修得を始めて十四年。あれだけあった禁呪の本も、残り数冊になった。内容が被っている物もあるから、実質ほぼ全ての禁呪を修得したことになる。


「遅くなってごめんね、お母さん。もうすぐだよ……もうすぐだから……」





 私は芋を売った金で、町に買い出しに来ていた。祖母も近頃だいぶ弱ってきている。栄養のある物を買っていかなくては。


「あっ、ロゼじゃん! あんたも買い物に来てたんだ?」


 振り向くと、友人のカトレアが手を振りながら近寄ってきていた。カトレアは五年前に突然カサブランカ村に一人で引っ越してきた。その前にどこに住んでいたのかは知らないし、聞くつもりもない。私もほじくり返されたくない過去があるから、逆に質問されるのが嫌だったからだ。カトレアは顔は美人だが、短髪で服装も男っぽいから、男と間違われることも多い。性格は全然違うが、初めて会った時から不思議と気が合い、それ以来友人として付き合っている。友人とは言っても、もちろん私が魔女であることは知らない。


「ええ、まあ」


「ありゃ、つれない返事だねぇ。機嫌悪いの?」


「別に。私はいつもこんな感じでしょう」


「よく言うよ。お婆ちゃんにはめっちゃ優しいくせに~」


「……」


 私は何も言わずに食料品店に歩き出した。


「もう! やっぱ機嫌悪い-!」


「気のせいよ。それより採れたての芋がまだ残ってるから、うちで食べてく?どうせ自分じゃまともに料理なんか出来ないんでしょう?」


「うっ、一言多いなぁ。でもゴチになります!」


 そう言ってカトレアは敬礼のポーズを取った。私も最近は畑仕事と禁呪の訓練ばかりで疲れていた。たまには羽を伸ばして友人と時間を過ごすのも悪くないと思った。





「ふぅ~、お腹いっぱいだわ~。ご馳走さま! やっぱお婆ちゃんとこの野菜は絶品だね!」


「ふふ、そうかい? またいつでも食べにおいで。あたしはもう疲れたから寝るよ。どっこいしょ」


 私も立ち上がり、祖母を支えながら寝室に行った。祖母をベッドに寝かせリビングに戻ると、カトレアはちびちびと酒を飲んでいた。


「ロゼの分も買ってあるよ。一緒に飲む?」


「そうね、頂くわ」


 しばしお互い無言でグラスを傾けた。私はこれからのことを考える。復讐の準備は整ったが、問題はいつどのように決行するかだ。まさか単身で正面から堂々と奴らの本拠地に乗り込むわけにはいくまい。やはり各個撃破して少しずつ戦力を削っていくしかないだろう。しかしそれは徐々に奴らの警戒心を強めていくことにもなる。仲間さえいれば……いや、それは考えないようにしよう。果たして一人でどこまでやれるのか。現実的に考えてやはり不可能か。他の魔女が言うように、このまま祖母と静かに暮らしていくべきなのでは……。


「何ボーッと考え事してるの?」


 カトレアに話し掛けられ、私はハッと我に返った。


「いや、何でもない」


「ところでさ、あの話聞いた?」


「どの話だ」


「ウォルナット王が明日村に視察に来るって話だよ」


「……!」


 私は酒を飲む手をピタリと止めた。ウォルナット……生涯忘れることはないであろう男の名が、いきなり友人の口から出たのだから無理はない。


「……何しに?」


「だから視察。観光って言った方がいいかも。戦争が終わってから十五年、ガーデンの各地をまわってるらしいよ。フォレストと比べて気候も良くて自然も豊かだからね。貧困層以外はみんなガーデンに移り住んできたらしいし。この村は温泉が名物だから、多分温泉にでも浸かりに来たんじゃない?」


 奴が来る。実にありがたい。少し弱気になっていたからちょうどいい。奴の顔を見ること以上に私の闘争心を奮い立たせるものは無いだろう。歓迎してやろうじゃないか。


「だ、大丈夫? めっちゃ怖い顔してるけど……。心配することないって! 敵国の王っていっても、もう戦争は終わったんだから、何もされないよ」


「……ええ、そうね」





 翌日、村は慌ただしかった。無理もない。怖いからと言って家に籠もっているわけにはいかず、村人は皆、村の入り口に集まってウォルナットの出迎えの準備をしていた。横では祖母が不安そうな顔をしている。村人の中には、家族をフォレスト軍に殺された者もいるだろう。一体どんな気持ちで迎えるのだろうか。私も戦争で父を失ったが、父のことは割り切っていた。戦争はやらなきゃやられる殺し合いだ。父も国のために自ら志願して戦争に趣いた。それで殺されたからといって恨むのは筋違いというものだろう。だが、母は違う。母は一方的な殺戮によって殺された。殺されなければいけない理由などどこにもなかった。許すわけにはいかない。絶対に、だ。


「ウォルナット王が来たぞ」


 村人の誰かが発した。遠くの方にその姿が見えた。大勢の護衛兵を従え、自身は馬に乗ってゆっくりとこちらに向かってくる。村人達は道の両脇に避けて、並んで跪いた。私と祖母もそれに倣った。


「ほ~う、ここがカサブランカ村か。聞いていた以上にド田舎だが、なかなかい~い所じゃあないか」


 ウォルナットが馬の上から村を見渡して言った。


「おい、村長はいるか?」


「は、はい! 私です」


村長がおそるおそる前に出た。


「ここの名物は温泉だそうだな。俺はそれ目当てで来た。案内しろ」


「お、温泉ですか。かしこまりました。こちらへどうぞ」


 村長を先頭に、ウォルナットと護衛兵が歩を進めた。こっちに近づいてくる。間もなく私の目の前を横切るだろう。奴の顔がハッキリ見える。


 ────コロス


 心拍数が急激に上がった。血が逆流し、頭が熱くなった。


 ─────コロス、コロス、コロス、コロス、コロス!!


 懐に手を入れた。指揮棒に指先が触れる。聞こえる。母の悲鳴、断末魔が。見える。焼け焦げていく母の姿が。ウォルナットの内蔵を引きずり出した。ウォルナットの鼻と耳をそぎ落とした。眼球を潰した。手脚を斬り落とした。顔面を踏み潰した。何度も踏み潰した。何度も何度も何度も何度も何度も。


「ん?」


 すれ違いざま一瞬奴と目が合いそうになり、視線を落とした。殺気を出し過ぎていたようだ。抑えろ……まだその時じゃない。ここで奴に魔法をぶちかませば、恐らく奴を仕留めることは出来る。しかし、その直後に私は取り巻きの護衛兵に殺されるだろう。奴を殺して復讐完了ならそれでもいい。だが、私の復讐はフォレスト軍の壊滅だ。魔女狩りの指示者のウォルナットはもちろんだが、実行犯も同じぐらい許せない。そいつらを全員殺すまで、まだ死ぬわけにはいかない。第一、そんな魔法による一瞬の死などで終わらせる気はない。狩られる者の恐怖、絶望、苦痛を存分に味わわせてから殺してやる。


「ロゼ、どうしたんだい? 具合でも悪いのかい?」


 横から祖母が心配そうに顔を覗き込んできた。


「大丈夫よ。心配しないで、おばあちゃん」


 そう、何も心配はいらない。改めて決意が固まった。もう迷わない。やれるか? ではない。やるのだ。復讐こそ私の全て。私の人生は、そのためにある。

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