第36話 王の悩み、宰相の懸念

「急な伺いにも関わらず拝謁をお許し頂き、恐悦至極に存じます。国王陛下」

「教皇庁を無下に出来る者などおりますまい。よくぞいらっしゃった。使者殿」


 五月中旬。ライネガルド王城の謁見の間において、国王フィリップは教皇庁からの使者を迎えていた。

 数日前に先触れによって知らされたものだったが、来訪は、随分と前から予想されていた。クラネッタ辺境伯から、使節団とその目的に関して伝え聞いていたためである。

 フィリップよりも年嵩に見える使者は、辞を卑くしながら挨拶を述べる。身なりも質素なものではあったが、重ねられた法衣はかなりの地位に属する聖職者であることを示していた。


「それで使者殿。本日は、どのようなご用件ですかな」

「貴国の輝かしき姫君、エリザベート辺境伯様の篤き信仰、そして国王陛下のご慧眼への返礼に伺いました」


 使者はエリザベートが行った教会政策の功績を今一度讃え、続いてその彼女を辺境伯に叙勲したフィリップをも褒め称えた。


「まさにあの方こそ神の宝。信仰の守り手にございます。そして、忠義深き方でもあらせられる」


 称賛は意味深な言葉で締めくくられた。真意をフィリップが訊ねると、使者は恐れながら、と前置きをした後に理由を話し始める。


「辺境伯様を初めとした厚き信仰を示して下さる方々がいらっしゃる一方、残念な事に教えをないがしろにする者達もいるのです」

「……なるほど、その者達への抑えとして、辺境伯の力を借りたいと」

「御意にございます。ですが、先日サジェッサ枢機卿よりお話した際には、丁重にお断り頂きまして」


 国王であるフィリップの許しが無い限り、信仰の為とはいえ動くことが出来ない。使者はいかにもエリザが望んでいたかの如く語った。ロジェを介し、彼女の本音を耳にしていたフィリップは、鼻白みながら続きを促す。


「何にせよ、相手が分からぬのでは答えようがない。その者達とはいったい誰を示されているのか、お教え頂きたい」

「今ここで名前を申し上げる訳には参りません。私ども教皇庁はできうる限り対話で解決を考えておりますので」


 教皇庁の慈悲を示すような言い方で、使者は上手くはぐらかした。帝国であると明言されれば、休戦状態にある王国は協力を断れたが、これ以上聞くことは難しくなった。


――しくじったか。


 フィリップはこの場にロジェがいない事を惜しんだ。彼ならばこのような言い逃れを許さぬ訊き方を出来たであろう。

 宰相は視察の為に一時的に所領へ戻っていた。あるいはその隙を突いての訪問かも知れなかった。しかしロジェは、何も対策をせずに発った訳ではない。王にある助言を行っていた。


「辺境伯は余が臣、なれども余の一存だけでは決めかねる事だ。今暫く時間を頂きたい」


 回答を引き延ばし、宰相とエリザを呼ぶ時間を稼ぐ。ただの使者であれば、これで引き下がる筈であった。だが、使者は更に食い下がる。


「陛下の臣を思われるお気持ち、重々承知しております。ですが、教えに従わぬ者達に、怪しき動きがあるのです」


 今エリザが立てば、その蠢動を抑えることが出来る。そう使者は強調した。


「なにとぞ、お力添えを。何かを命ずるのでは無く、ただ辺境伯様に裁量を任せて頂ければよろしいのです。これは、教皇聖下の強い願いでもあります」


 しかしその助言も、使者が口にした言葉に揺らいだ。辺境伯への命令を要求されたのであれば、時間を稼ぐことも出来た。

 されどただ辺境伯の自由裁量を許すという一点において、これ以上拒否することは、教皇庁と無用の対立を引き起こしかねない。

 密勅では無く、教皇直々の願いであると公表した点も、いよいよエリザベートに伝え聞いた討伐軍の準備が整った事を匂わせていた。

 フィリップは懊悩した。クラネッタには借りがある。そしてエリザベート自身も今後の国家運営に欠かせぬ人材へと成長する事は明らかだった。だが今教皇庁と対立する事による不利益も、王国全体の民草を庇護するフィリップにとって、無視しえぬものである。

 万が一対立が激化してフィリップが破門された場合、同じパスティア教を奉ずる諸侯は王国に従わなくなるだろう。それは王国の内乱、ひいては虎視眈々と隙を窺う帝国の侵入をも引き起こしかねない。


「ご決断ください。国王陛下。英主たる貴方様なら、答えはおわかりの筈」

「その通り、答えは決まっています」


 使者の言葉に、玉座とは別の方角から答えが返された。二人が目を向けると、そこにはフィリップの息子、王太子レオンの姿があった。



「父上、使者殿。会見の最中に失礼いたしました」

「レオン。こちらは教皇庁からの御使者だ。控えなさい」

「いえ、陛下。私の事はお気になさらずに。ところで王太子殿下。答えが決まっていると仰いましたが、殿下の考えを伺っても宜しいでしょうか」


 大度を示すかの如く、使者は笑みを浮かべながら大きく手を広げ、レオンの言葉を待った。善良な、しかし凡庸の域をでない国王の息子。表情には出さぬものの、彼は目前の若者を侮っていた。しかしライネガルドの若獅子は、その喉元を食い破る才覚と弁舌の持ち主であった。


「使者殿は、ライネガルド王家の成り立ちをご存じでしょうか」

「勿論存じております。初代国王であらせられるライネガルド陛下は、初代教皇レムリア聖下と同じく、主神パスティアより神託を受けし御方。神の導きによってこの国は創られたのですから」


 故に教えの危機であるこの時、協力を惜しむべきではない。そう使者は言外に圧力を掛ける。しかし、レオンは仰るとおりと頷いた後、再び口を開いた。


「お言葉どおり、初代国王は主神の啓示を受けました。この地に国を築き、人々を救いへと導けと。あなた方が神の国への門を開く鍵を司る事と同様、私たちは信徒を守る剣を授かっております」

「でしたら……」

「同様に、その剣を振るう相手を見極める事も、神から授かりし私たちの役目」


 レオンの目が鋭い光を帯びる。


「しかしながら使者殿は、その相手をお告げにならない。これは私たちの役目を妨げる行いといえましょう。貴方は、ライネガルドへの神託を軽んじられるおつもりか」

「いえっ、決してそのような事は」


 自らの行いが神の意思に逆らうものであると言われた使者は、慌てて否定する。その隙を見逃さず、レオンは再び問いただした。


「では教えに背く者とは誰か、お聞かせ頂きたい。必要ならば人払いも致しましょう。その相手を見極めた後、辺境伯には下知を行います」

「それは……私の判断だけでは」

「それでは一度本国にお戻りになるか、こちらに滞在され、教皇庁に伺いを立てると宜しいでしょう。神のご意思を尊重するために必要な事です。ご滞在中は、私ども王家が責任を持って歓待させていただきます」


 使者はそれ以上何も言えず、ただ平伏するのみであった。



「ほう、殿下がそのような事を」


 王都への帰路。ロジェは馬車に揺られながら書簡に目を通していた。早馬で届けられたそれには一連の出来事が記されている。


「よくぞ言われた。殿下。傅役ふやくとして嬉しく思いますぞ」


 書簡を読み終えたロジェは満足げな笑みを浮かべる。老宰相自ら教え導いた少年は、期待以上の若人として育ってくれた。


――しかし


 同時に、一つの懸念も生じる事となった。このたびの王太子の介入を、ライネガルドの諸侯がどのようにみるか。王家とのつながりを持ちたい大貴族は、レオンがエリザベートに執心している事に気付くだろう。


――それがかの枢機卿の狙いだとしたら


 沈思の上、ある予想に至ったロジェは、御者に声を掛けて帰路を急がせた。

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