第24話 領主たち

 エリザらが耳の到着を待っていた頃。ライネガルド各地の領主たちも、迫りくる飢饉への対応に追われていた。

 東部騎士領の西南に位置するオベール子爵領。四十を過ぎてなお放蕩者として有名な領主、ウスターシュ・オベールですら例外ではない。今回ばかりは屋敷の執務室に留まり、食糧不足への対策を講じなければならなかった。いつもは酒杯を傾けている褐色の右手には羽ペンが握られている。

 執務室には彼一人だけが残っていた。家臣達は領内の食料をかき集めるために出払っている為だ。時たま戻ってきても芳しくない報告ばかりが上げられる。改善の兆しが見えない状況に、ウスターシュは苛立ちを募らせていた。


「くそっ、あやつらは何をしている! 領内から食料を集めてくる事すら出来ないとは。臣下として恥ずかしく無いのかっ」


 握りしめすぎたせいで使い物にならなくなったペンを床に放り、癇癪を起こして赤い髪を掻き毟る。この場に直言の士がいれば、こう言ったことだろう。「貴方こそ領主として恥ずかしくないのか」と。オベールの食料危機は、彼自身が引き起こしたも同然であったからだ。

 オベール領の被害状況は、他の所領に比べればそこまで深刻ではない。常日頃から食糧の備蓄に励んでいれば、この様な事態には陥らずに済む程度であった。幾ばくかを他領から買い足せば良い。

 しかし、オベールには蓄えはなく、購入する資金すら乏しかった。それも全てウスターシュの遊興によるものである。彼の放蕩振りは貴族としても度が過ぎており、ついには領内の運営資金にまで手をつけていた。


「何とかならないものか……」


 困り果てたといった呟きも、領民を案じてのものではない。ウスターシュは彼らがどうなろうと知ったことではなかった。ただもし大量の餓死者を出してしまった場合、領主の資格無しとして所領を没収される。そうなっては再び遊興に耽ることが出来ないという、自分勝手な理由からだった。

 ウスターシュがうなり声を上げていると執務室の扉が開かれ、質素な紺色のドレスを纏った小柄な美少女が入室してきた。彼は同じ褐色の肌と紅毛を持つ自らの娘にちらりと目を遣り、すぐに目線を机の上の書類に戻す。彼はこの優秀な、それ故に扱いづらい娘が苦手であった。


「セシール。何の用だ。用がなければここに入ってくるな」

「お父様。クラネッタ領からの申し出は受け入れられたのですか?」


 邪険な扱いなど気にする素振りを見せず、セシールは父親に問う。先日各領に知らされた、クラネッタ領からの食料支援の件である。


「支援といっても定価で売るだけではないか。我が領にそのような余裕はない」

「ですがお父様が買われていた嗜好品を手放せば少しは――」

「どの道クラネッタからの支援は受けられん! 伯爵様に睨まれてしまう」


 寄親よりおやを引き合いに出して、ウスターシュは娘の言葉をうやむやにする。オベール領とクラネッタ領の間にあるユンク領。その領主であるエドモン・ユンク伯爵は、オベールの所属する東部騎士派閥の長だ。そして彼がクラネッタ家を毛嫌いしている事は、派閥内では誰もが知るところであった。王家に重用されている公爵家への逆恨みだが、その感情を無視して寄子が近づいては、何をされるか分からない。


「分かりました。致し方ありませんが他の手を考えましょう。一番考えられるのは伯爵様にお頼りする事ですが、そちらから支援の話は来ていないのでしょう?」

「我が領にお招きしてお願いする」

「返礼はいかがされるのですか。いくら寄親といえど無償では……」

「用意出来ている」


 ウスターシュが顔をあげ、幼くも美しいセシールを見る。その眼差しに親としての温かみは含まれていなかった。


「伯爵様も二十後半、そろそろ身を固めても良い頃合いだ」

「……っ承知、いたしました」


 その言葉の意味を察したセシールは暫く沈黙していたが、ゆっくりと頭を下げて領主の命を受けた。



 ライネガルドには広大な平地を有する領地が三つある。穀倉地帯として有名な、王国北部のクラネッタ領。中央部の直轄領。そして王国西南に位置するガランドルフ領である。宰相、ロジェ・ガランドルフの所領だ。

 北のクラネッタ領と同様、ガランドルフ領は南部の食料供給を担っている。だが、例年ならば豊かな実りを見せている大地は、長雨による河川の氾濫から泥にまみれていた。


「宰相閣下。他の畑も同様に氾濫の被害を受けております」

「これほどのものか……」


 泥にぬかるんだ農道から、王都から舞い戻ったロジェが絞り出すような声を上げる。彼の目前にある畑には、茎から折れて黒ずんだ麦が至る所に散乱していた。

 隣に立つ五十過ぎの男、所領を任せていた代官からの急使に報告を受けていた時点で覚悟はしていた。だが、実際に目の当たりにしたガランドルフ領の現状は悲惨の一言に尽きるものだった。


「七割近い畑が泥に呑まれました。その他も決して無事とは言えません」

「そうか……」


 その上背と落ち着き振りから、大木たいぼくのごとき印象を人に抱かせるロジェの背中が微かに震えている。しかし代官が慰めの言葉を掛ける前にそれは止み、歳を感じさせない力強い声が、主と対照に小柄な彼の頭上から上がった。


「いつまでも落ち込んではいられぬ。なすべき事を行うとしよう。領内からの供出、持ち出しの制限は行っているな」

「既に。ですが尋常ではない被害です。領内の備蓄と供出された食料だけでは、三月足らずで底が尽きましょう」

「周囲の領を全く無視する訳にもいかん。同じ王国の民だ。領内の食料確保の目処が立ち次第、急ぎ支援の準備も行う」

「はっ」


 自らの民はもちろんの事、他領の民にまで心を配る主人に、代官は誇りをもって返事をした。



 クラネッタ領に帰還した耳が俺達にもたらした知らせは、各領の食料確保の必死さを伝えるものだった。


「複数の領で、領外に出す食料への関税が大幅につり上げられているようです。関を抜けようとすると、殆どが税代わりとして没収されるとの事」

「父上。これでは……」

「ああ、遠方への支援が出来なくなる」


 領館の執務室。クロードの報告に、俺と父上は眉をひそめる。各領の被害状況は大きなものだったが、支援物資でなんとかやりくりできる筈だった。

 しかし、自領のみを考えた領主達は、初期の混乱が過ぎ去ったにも関わらず、出来るだけ多くの食料を確保しようと躍起になっていた。


「被害が最も深刻なガランドルフ領へは、直轄領と三つの領を抜ける必要がありますが、直轄領以外は重い関税が掛けられています」

「隣接した領もか!」

「はい。姫様」

「恩知らずめっ」


 窮しながらも周辺の領に食料を分け与えたというガランドルフ領に対し、仇で返す行為に俺はつい声を荒げた。すると父上が執務机から手を伸ばし、なだめすかすように傍に立つ俺の頭を撫でる。


「エリザ。今はガランドルフに食料を運び入れるやり方を考えよう。何か案はあるかい」

「失礼しました。父上……考えられるのは王家の勅命を受け支援を行う事ですが、いま上訴しても時間がかかる事でしょう」


 国を揺るがす有事だ。陛下には既に多くの訴えがなされている事だろう。すぐに使者を送ったとしても、たとえ公爵家とはいえどれだけ待たされるか予測が付かない。


「私が向かえばすぐに謁見も叶おうが……」


 公爵である父上ならば特例が認められるだろうが、予断を許さぬ現状で、所領を離れる訳にはいかなかった。成人も迎えていない俺も、使者としては不適である。名代となりそうな重臣達も領内の各地に派遣していた為、呼び戻しては時間がかかる。

 八方ふさがりの状況に思案に暮れる俺たちであったが、そこにクロードがひざまづいて名乗りを上げた。


「公爵様。姫様。私を使者として遣わせて頂けないでしょうか」

「クロードが? しかし……」


 続く言葉を言いよどむ。確かにクロードは交渉事にも長けた優秀な役人だ。拝謁が叶えばクラネッタは必ず勅命を受ける事が出来るだろう。だが平民出身である彼では王都の役人に軽んじられ、謁見を後回しにされる可能性があった。


「姫様。私は卑賤の身なれど、公爵様や姫様のお引き立てのお陰で、王宮に出入りする商人ともいくらか面識がございます。その方々のつてを頼れば、陛下へのお目通りも可能かと」


 やはりクロードはその沈黙の意味が分からぬ男では無かった。にも関わらず彼はこちらを立てながら、現実的な解決策をも提示する。

 父上の了承を得ると、俺は過ぎたる忠臣を見つめ、命を下した。


「付け届けはすぐ用意させよう。クロード、頼む」

「承知いたしました」


 方針が決まった俺たちは、時を移さずライネガルドを救う為の手を打ち始めた。

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