Word-終末と影-

stormers

Was made...

 地球に隕石が落ちた。小さな隕石で、最初の頃は大きな話題にもならなかった。

 しかし隕石は、地上に穴を開けてからも勢いを弱めなかった。やがてマントルに到達するらしい。そうすると、地球が爆発して人類は死んでしまう。ある日、世界中でとある予報が出た。地球滅亡は明日の明け方と言うものだった。





 

 ヨシカズがウチに着いたのは、日が暮れかけて空が赤らんできた頃だ。

 町並みの青がより明るい色へ、それなのにどこか褪せていくように景観を変える。

 セピア色に近づいていく空は窓越しにそれを見上げるだけでも、俺に週末の幻影を見せた。


 ノスタルジア、あるいは陰鬱な感情を添えて少しずつ、また規律的に空は夜になる。

 その最中さなか、夕暮れの予感がしだした町並みからヨシカズは現れた。端から燃え出す空を避けるように伸びた影を連れて、玄関まで出迎えた俺にヨシカズ無言で右手を上げる。

 俺が嫌な顔をしたら何か勘違いをしたらしく、よう、挨拶をよこす。

 俺がした嫌な顔。――そのときの俺は嫌悪感がぞわぞわとして思わず眉が寄ったのだ。俺の双眸にははっきりと見えたのである。玄関を開いたまま立っていたヨシカズの向こう。町並み。わずかに見え出した夕景の幻影から、ぬうっと暗い色の腕が伸びてくるのが。


 その腕が今、玄関に幾らかある影に混じって溶け込み、不思議そうな顔をしたヨシカズが靴脱ぎ場まで上がり込んで玄関の扉を閉めると、いよいよ外界から隔離されるように、我が家の影という影に消えた。しかめ面を一つしてから、ため息をつく。


「よう、ひさしぶり」


 そう言って俺はヨシカズをリビングへ招き入れた。何も考える必要はない。暗い色の腕なんてなかったのだ。背筋をミミズが這うような悪寒も、これまでだって全てが杞憂だったのだから。


「おーう、ひさしぶり」


 先ほど取った俺の態度は自分から見ても決して良いものではなかったが、それを気に取らない様子でヨシカズは気さくに笑うと、何をしていたのかと声をよこした。


「なんでもないよ、テレビ見てた」


 ふーんと、ヨシカズは冷めた声で言う。それから冷蔵庫を開けて一昨日、俺が買ったサイダーをコップに注ぎながら、呆れたように眉を上げ、小馬鹿にした声を上げる。


「死ぬ前にやりたい事とかねぇの?」


 やりたいことか。そうだな、どうせならいつもしているように、ただ妄想をしていたいな。それこそ死んでしまうその瞬間まで。永遠に終わる事が無い物語を考えながら、最後までわくわくして死にたい。出来れば主人公は俺で、俺に都合が良い物語が好い。それと、地球の最期が見てみたい。地球ごと木っ端微塵に爆ぜてしまって、俺の肉も骨も四散してしまうけれど、それでも吹き飛んだ眼球だけはいつまでも俺の意識が宿っていて、宇宙まで飛んでいったら、そこから終わる地球を見ていたい。そうだ、そういう妄想をして死のう。


「今してるよ」

「は?」

「やりたい事」

「……こたつ入ってみかん食いながらテレビ見る事か?」


俺は説明するのが面倒なので黙っていた。ヨシカズが苦笑する。


「そんな死に方で幸せか?」


 ヨシカズの言葉に、俺は適当な半笑いを浮かべて見せた。

 ああ、今こうして死んでいけるのなら幸せだよ。こたつは暖かいし、みかんは美味しいし、俺は今、頭の中で広がり続ける景色にわくわくしてたまらないのだから。人生で最も幸福な瞬間は、まさにこうした日常の一瞬なんだ。


「そういうお前はどうなんだよ、死ぬ前にやりたいことは出来たか?」


 会話のチョイスは話題性である。俺は自分にされたように、今、世界中でもっとも熱い質問をそのままヨシカズに返してやった。難しそうな顔をしながらサイダーを冷蔵庫にしまい、こっちまで歩いてくると、わからんと言いながら肩をすくめ、こたつに入ってきた。


「わからんってお前」


 理不尽だ。俺には死ぬ前にやりたいことがあるのが人として当然とか言うふうな言いぶりをしておきながら、自分のやりたいことが達成出来たのかわからないと言うのか。それとも、やりたいこと自体がわからないのだろうか。


「色々やってきたよ。友達とは遊んできたし、女も抱いたし、有り金も全部使ってきた。地球最終日イヴだとか言う今日には、人生で一番のお洒落もしてきたよ。でも、そのうちのどれかが俺が死ぬ間際にやりたかったことかと聞かれると、なんとも言えん」


 そっか、と俺は素っ気なく返事をした。死ぬ間際に、本当にやりたいことが思いつかず、色々してしまうわけだ。本当に大事なものがないなんて、なんだか欲がない話だと思う。まぁ、こいつにだって色々な事情があるのだろうけれど。


「なんだかなぁ。俺らって虚しいなぁ、死ぬ前がこんなもんなんて」


 みかんを食いながら、ヨシカズは人生を悟りきったような顔でそう言った。どうやらこいつの中で、俺が死ぬ前にやりたいことが本当にくだらないものとして認知されているらしい。いちいち俺の妄想を説明する必要も無いし、どうでも良いのだけれど。


「もうすぐみんな死ぬってのによぉ。テレビを見ろよ、斎藤涼夏も泣いてるぞ」


 まくし立てるように、ふてぶてしくも涙を呑む演技をするヨシカズがテレビを指差す。

 テレビはどの局も終末一色のコンセプトであった。今、俺の目に映るそれもまた然りである。

 何も地球最後の日までこんな陰鬱な番組を流さなくても良いだろうに。テレビの中では芸能人が寄ってたかり、死に際の一句でも詠むような顔で地球の終わりを悲しんでいる。テレビに映るうちの幾らかの芸能人は涙さえ流していた。ヨシカズの挙げた斎藤涼夏もその一人である。


 たしかこの女は、モデル発で女優や歌手も始めたマルチタレントだったか。綺麗な女性だけど、全国放送で泣き顔を放映しながら死んでいくなんて、なんてあんまりな終わりなのだろうか。

 美人は何をしても絵になるというが、泣き顔を娯楽的に捉えるなんてとても人の心があるようには思えない。涙なんて人に見せるものでもないだろうに。それに、何が悲しくて死ぬ間際まで辛い思いをしていなければならないのか。残された時間はまだあるのに、出来る事がまだあるのに。


「死にたくないなんて言って泣いてるやつは馬鹿だね。泣く時間があれば何か出来るだろうに」


 考え出すと止まらなくなり、思わず口汚い愚痴が漏れる。

 ヨシカズはぎょっとしたように目を開き、俺を見てにやりと笑うと、言うねぇと俺を煽った。

 ああ、言うさ。今日は終末イヴだからね、なんだって言ってやると思った。明日の今頃には、もうなんにも残ってないのだろう。憂鬱な週末の夜も、黒い人間の幻影も、深く深く暗い記憶も、嬉しさも悲しさも恥も自尊も全て失せる。なんにも気にしなくて良いのだ。そうだろう。


「俺は死ぬことなんかなんにも惜しくないね。ちょうど人生は長すぎると思っていたところだ。

 考えてみろよ、俺が今まで生きてきたのなんてせいぜい二十年あまりだ。それでも、思い返せば人生は思い出せないほど長すぎた。一年前の今日だって思い出せやしない。それなのに何が人生は短いだ。出来ることは少ないだ。想像や流行り言葉で何かを語るヤツは大嫌いだね。

これから十年生きることだって気が遠くなる。時間を戻せたらなんていうやつがいるが、とんでもない。俺は高校入学から人生をやり直せって言われることだって嫌だね。三年間も余計に生きられるかよ」


 言葉を選ばず、まくし立てるように主観を説いた。人前でこんなに語ることは今までなかったけれど、ヨシカズはとくに何事もないように、俺の目を見ながら、言葉を返してくる。


「でもさ、人生をやり直せれば、後悔は減らせるだろ?」

「後悔をしたことがないまま大人になったやつらなんて馬鹿ばっかりじゃねぇか」


 俺は即答する。質問に対して用意していた言葉じゃないが、常日頃思っていることであった。


「後悔した記憶を維持したまま時間を戻せるとしたらどうだよ。過去を変えられるとしたら、それでも良いんじゃないか?」

「そしたらまた別のパターンで後悔をすべきだろ。あんなもんしたらしただけお得だよ。俺だって生きてきたんだ。様々な後悔をしながらだましだまし生きてきた。けれど、トラウマみたいに強大化した後悔からは、多くの事を知ることが出来たんだ。


 人は哀れだから、痛い目を見ないと学べない。痛い目を見ても学ばないやつは学ばない。いじめられっ子だった人間が平気で人の陰口を言って喜んでいる場面だって何度も何度も見てきた。けれど、後悔は確かな教養だ。それは間違いないよ」


 真剣な眼差しに答えて、真摯に語ってみせる。ヨシカズは興味深げに唸ると、俺の言葉をゆっくりと自分なりに飲み込もうとしているようだった。

 あと数時間で、きっと地球は終わってしまう。語りだすと、段々と小さな時間の間が惜しく思えてきて、深く考えるヨシカズに気を使わずに口を開いた。


「話を戻すけどさ、昔とある殺人鬼が言った素敵な言葉があるんだ」


 机上のみかんをじっと見ていたヨシカズが顔をあげて、変な顔をする。


「殺人鬼? おまえはまたろくでもないやつの名言を集めてくるな」

「わかってねぇ奴だな、言葉は人を選ばねぇんだよ。まぁ聞けよ、『あと四十年生きるのか? 十年か? 長すぎる。それよりは俺が俺であるだけで愛してくれるヤツと一週間過ごしたほうがましだ』だってよ。どうだ、良いだろう」


 またヨシカズは興味深そうな表情をした。


「思ったより良いな」

「だろ。そんで、やっぱり俺と同じことを考えているやつはいたんだ。やっぱり人生は、長いもんだぜ。そう思えば死んでも別に良いんだ。もともと俺は幼女を交通事故から救って死ねたら今すぐに死んだって良いと思って生きてきたんだぜ?」


 ああ、それ良いな、と微笑と共にヨシカズが言って、別に幼女じゃなくても良いけれどと、余計な一言を付け加えた。やっぱりこいつはわかってない。


「まぁでもさ、せっかく死ぬんだ。早死にするにしても長生きするにしても、死ぬ間際ぐらいは幸せじゃないとね。じゃなきゃ、かっこ悪いだろ」


 そう言ってヨシカズの方を見やると、納得しきれないような表情をしている。


「んー。まぁ、言われて見ればそんな気がしなくもないな」


 一理あるけど二理はないと言った様子でヨシカズが言った。まぁ、別に理解してもらう必要もない。考え方は自由であるべきなのだから。


「でもさ、死に際に色々やってみて、それが空回ったらカッコ悪くねぇか? 俺はそういうの、失敗したらやだな、て思って出来ない方なんだけど。それこそ、死に際ぐらいカッコつけたいじゃんか。失敗しなくて、それらしい死に方、つったらやっぱり地球最後を悲しむ事じゃねぇかな、て思うんだけど」


 本当にわからねぇやつだなと思う。

 俺は少し失望した顔をしてヨシカズを見た。

 ヨシカズは真剣な顔をしている。


「それでもやるんだろ」


 一言でも十分だと思った。それでもやるのだ。カッコ悪くて、情けなくても、最後の瞬間に、自分が自分に納得を出来る可能性に賭けたい。人間ってそういうものだろうよ。

 ヨシカズはまだ何が言いたいのかわからないという表情だ。もう一言だけ付け加える。


「なんつうか、浪漫じゃねぇの?」


 浪漫か、ヨシカズはそう言ったきり押し黙って、天井を仰ぐと、ため息をついて言葉を続ける。


「良いな、俺もでかい夢持って死にたかったわ」


夢ねぇ。もって死ねる俺は、幸せなのかな。


「そういえばお前、小説家になる夢はどうしたの?」

「まだあるよ」

「夢が叶う前に死ぬって惜しくねぇの?」


 ヨシカズは真剣な顔をして聞いてくる。今日のヨシカズは変だ。普段はこんな照れくさい話は毛嫌いする癖に。こいつも、終末の空気に酔っているのだろうか。あるいは、こいつにもこういう面があるのだろうか。ヨシカズとは知り合って長いが、そういえばまともに話し合う機会はなかったかもしれない。そう考えながら、俺は白けた顔で口を開いた。


「良いよ、惜しくない。生きてればどうせなれただろうし」

「何だそれ」

「自信があるんだ。どういう形であれ、絶対なれた。だからもう良いよ」

「おぉ、言うねぇ」

「言うさ。死に際だからね、なんでも言うよ」

「ふぅん、なるほどねぇ」

 そう呟いて、ヨシカズは少し考えてから、思いついたように顔をあげる。

「死ななかったらどうなるんだろうな、みんな」


 死ななかったら。つまり、隕石が地球を破壊しなかった場合か。それはおもしろいな。どうやら宗教団体が熱くなっているようだし、また新しい詐欺ブームが到来するかも知れない。テロなどが起こらなければ良いのだけれど。


「いろんな国でレイプとか殺人とか起きまくってるらしいじゃん? もうどうせどうにもならないのかな?」


 ヨシカズが不穏な事を興奮気味に語る。元々、色んな国を見ればしょちゅう起こっている所もあるだろうと思ったが、しかし、確かに増加はしているのだろう。


「それは困るな。各国の暴動が治まるまでは不便になるか」

「まぁ日本は比較的平和だろうけどなぁ」

「それでも困るんだよ。世界中平和じゃねぇと俺が小説で世界デビューしたって売れる環境がねぇじゃねぇか」

「自信満々すぎだろ」

「当たり前だろ、自信もねぇやつがプロになれるかよ。売れる前から真実に謙虚なやつでプロになれたやつなんか一人だって見たことがねぇ。なったやつは最低でも腹ん中じゃ自信満々なはずだ。勝負する相手はプロだぞ、自分で自信が持てねぇ作品なんか公開するだけで喧嘩売ってるようなもんだ。そもそも自信がねぇやつは出版社に作品なんて持ち込まねぇよ。自分で良いと思えない作品を読まされる人間が居るって思えばそんな事は出来ないね」

「語るねぇ」

「……まぁな」

「お前そんなキャラだっけ?」

 そういう言い方は止めてほしい。俺だって人間なんだからキャラなんてものでくくるなよ。

 少し癪に障ったが俺は無表情のままごまかすように静かに呟いた。

「まぁ、もうすぐ死ぬからさ」


 俺の言葉に、ヨシカズはわざとらしく感慨深そうな顔をして、そうだなぁ、死ぬんだもんなぁと唸るように言った。

 そう、死ぬのだ。あっけない。こんなものだ。悪くはなかった。準備は出来ている。


「あのさ、今俺らが死ななくても、いつかどっかの別の世代のやつらが、どうせ地球か太陽が惑星なり恒星なりの爆発おこしておんなじような目に合うんだしさ、それが今になっただけって考えると、死にたくないっていうのもすげぇワガママに思えね?」

「ワガママ!?……うぅん、ワガママかどうかはしらないけど、まぁたしかにそうだな」

 ヨシカズは、そもそも何が言いたいのかわからないが、何となくそれっぽい事言っているのだろうなぁといった様子で肯定をよこす。俺はヨシカズの曖昧な返事を深読みせずに口を開いた。

「うん、だから余計に泣いているやつらとか馬鹿らしく見えるんだよね。自己中心的って事は無いし気持ちはわかるんだけどさ」

 ヨシカズは興味なさげに頷く。

「ふうん、なるほどね。そういえばさ、話変えるけど、未来の世界デビュー作家さんは何か死ぬ前に作品を残したいとか思わないの?」

 未来ねぇ。今この瞬間にその言葉はあまりに虚しい響き方をすると思うんだ。話し込んでいるうちに、窓から差し込む夕陽が色濃くなり、すっかり赤く黒く染まった部屋にため息を一つついて、それから口を開く。

「そんな将来は未だ来てないどころかもう来ないけどな。どうせ書いたって残らないだろ。そんなもん書くのに使う時間があったらそのぶん俺の世界観の妄想を広げるために使うよ。そっちのほうが有意義だ。つか、お前は死ぬ直前までしたいこととかねぇのかよ」


 質問を返してやると、ヨシカズはふいに微笑を見せた。きっとなんにも意識せずに作った表情なのだろうけれど、世界の終末には似合わない、とびきり素敵なものであった。


「俺か? そうだなぁ、ちゃんとした彼女がほしかったけど、今からじゃ間に合わなそうだし、寝たいかな」


『ちゃんとした彼女』とは、嫌味を素で行くやつだ。


「寝る?」


 活動的なこいつのイメージにはそぐわないと思った。俺はこいつの事を何も知らなかったのだと実感する。


「うん、お前の話を聞いてても、死ぬのはやっぱりなんとなく嫌だけど、どうせ死ぬなら、死ぬ瞬間が怖くないほうが良いし、安らかに寝ていたい。出来れば、ホントに好きだった女の夢が見たいな」

「ロマンチストかよ」

「お前に言われたくねぇよ」

「確かに俺はロマンチストだな。自慢なんだ」

「……うん、似合ってる」


 ヨシカズは静かにそう言う。

 お互い妙に真剣な顔をしていて、吹き出してしまいそうだった。


「あたりまえだろ」


 嬉しい肩書だ。ロマンチスト。そうだぜ、俺らしくて最高だ。

 小説家らしい肩書きで、大変結構じゃないか。


「それにしても、そうか、寝るのか。それも良いかもな。お前が、それが一番幸せだっていうなら、最高な終わりだと思うよ」


 話を戻すと、ヨシカズはありがとうと言ってまた笑う。


「うん。そういえばお前さ、地球が爆発するときに、世界で一番最初に死ぬのと最後に死ぬの、どっちが良い?」


 唐突に質問すると、ヨシカズは呆気にとられた表情を浮かべる。


「は? なんだそれ……。うーん、最初だろそりゃ。例えばお前が目の前で頭吹き飛んで死んだりしちゃったときには、急に怖くなって、嫌だあぁァァとか思いながら死ぬことになりそうだし」

「あー、それは最悪だわ」

「だろ?」

「でも俺は最後に死にてぇな」

「どMかよ」

「ちげぇよ。地球が爆発したとき、地球がどんなふうになるのかを見たいんだ。何が起こって、何色になるのか。暑いのか、寒いのか。どんな音がするのか、どんな匂いがあるのかとか」


 終わる間際の世界に、黒い人間は居るのか、週末の幻影が消えないのか、だとか。全部知ってから、死にたいと思う。


「なるほどねぇ」

「おう、わくわくするんだ。それがもうすぐ見えるかと思うと」

「なんかネットでさ、科学的には隕石がマントルに到達したらどうなるのか、とか調べれば滅茶苦茶出てくることない?」

「出てくるねぇ。でも、実際見たことはないだろ? 確かにそうなるんだろうけど、でも、あいつらのカッコつけた文章を見てるだけじゃ、なんにもわくわくしないんだ。

結局、どんなことにも実体験が伴わないとなんにも感じられないと思うんだ。実際に感じてみないと、その生々しさは伝えられないだろ。上辺や知識だけで語る奴が俺は大嫌いなんだ、作家的に、人間的に。でも俺は実際に体験する事が出来る。これからそれが出来ると思うと、わくわくしてうれしくなって、立ち上がって叫び出したくなるんだ。そうして、一番最後の景色を見て死ねるなら、俺は眼前で黄金が弾けるような幸せに包まれて死ねるんだろうぜ」




 ――理想は語り尽くした。こいつと話しているうちにイメージも固まってきたし、あとは死ぬだけだろう。まだ時間はあるけれど、俺に焦る理由などないのである。いつでも死ねる覚悟がある。俺はただ生まれてしまったから生きながらえている連中とは違うのだ。

 だんだんと窓からこぼれ落ちる赤がどす黒く染まり出す。やがてこれがいつものように俺にまとわりついて離れない黒いアイツらになるのだろう。いつもべっとりと体中にへばりついて決して離れない、得体の知れない黒。意識すれば寒気をまとって、余計に絡みついてくるアイツらだ。不気味で、不気味で、俺はそれの前兆である赤い空が嫌いというより怖かった。

 そうして、いつものように暗い部屋が始まるのも、もう間もなくといったところだろう。俺の部屋にも、家の外にも、電柱の影にも、マンホールの蓋の穴にも居る。あんなに不気味なのに、みんなが気にしていないのも気味が悪い。俺以外には、あの暗い腕が足に絡みつく光景が見えていないだろうか。まぁ、憂いても仕方ないのだが。


 俺と一緒で話疲れた様子のヨシカズは、机につっぷしてケータイをいじりだした。気晴らしに少し出かけてくるけど、と言うといってらっしゃいと返事が返ってくる。俺は一人で出かけることにして、適当な上着を羽織ると、財布と鍵だけ持って家を出た。






 もうすっかり暗い空。本当はもう少し早くに出かけられればよかったのだけれど、暗い空の遥か遠くのほうではまだ僅かに朱の名残が垣間見えて、これはこれで雰囲気があるなと思いながら、いつもより少し大きな声でTrading YesterdayというバンドのShatteredを口ずさんだ。死んだオヤジがよく聞いていた歌だ。バラードが嫌いだった俺でも、何度も聞かされるうちにすっかり好きになった。


 オヤジが死んだあの日から、ずっと夕焼けが怖い。責任感の影が伸びる夕闇、それが恐ろしくてならないのである。けれど今でも、日暮れを感じながらこの歌を歌うのは大好きなのだ。


 親父が死んだその日。人生においての大きな苦しみを経て、俺の人生観は変わった。何か一つの物事をこなすにしても責任感は付きまとい、全て俺が何とかしなければならないのである。その中で得た一つの人生観的理解は、時間を無駄にしている暇は無いと言う事だ。けれど時には無駄な事をしてしまい、悔やむ事がある。夕焼けはいつもその傷心を加熱させ、けれど胸中は寒くさせた。



 バラードを歌いながら歩く足取りは重い。空には段々と星が見えてきて、二回目のAメロを歌う頃には、遠くに見えていた夕焼けの名残は失せていた。Bメロが終わる頃には、何故か涙が出てきた。


And I've lost who I am, and I can't understand.Why my heart is so broken, rejecting your love, without, love gone wrong, lifeless words carry on.

(全てが失われて、俺は自分が誰なのかわからない。なぜ心がこれほどまで傷ついているのか理解し得ない。差しのべられた君の愛も受け入れられない。劣化した愛はどこかへ去ってしまった。人生は、言葉少なく続いている。)


 これほど今の俺を如実に表せる歌があるだろうか。嗚咽が漏れて、思いっきり空を仰いだ。


But I know, all I know, is that the end's beginning.Who I am from the start, take me home to my heart.Let me go and I will run, I will not be silent.

(けれど俺は知っている。それは終わりが始まっているという事だ。最初の頃の気持ちを持った僕を、僕の心まで届けてほしい。初心を持っていた僕を、今の僕が居る場所まで行かせてほしい。僕は走っていくし、黙ってはいないだろう)


 世界の終末よりももっと怖いものが世界にはたくさんある。初心を忘れてしまった人間には、それが何なのかわからないのだ。目先の大きな絶望ばかりが俺たちの前をちらついて何らかを誘発する。


All this time spent in vain, wasted years, wasted gain.All is lost, hope remains, and this war's not over.There's a light, there's the sun, taking all shattered ones.To the place we belong, and his love will conquer all.

(全ての時間を無駄にしてしまった。数年を費やした挙句、手に入れたものも失った。全てを無駄にしたけれど、希望だけが残っている。まだこの戦いは終わっていない。光があって、太陽がある。粉々になった全てを、僕らの居場所へ持っていこう。彼の愛が解決してくれるはずだから)

 ああ、そうだぜ。まだ人生は終わってない。墓に入るまでが終焉だ。時間を無駄にしている場合じゃない。希望が残っている。手元だけでも幾らもある。



 全ての気持ちを込めて歌っても、気持ちは晴れなかった。全ての絶望が乗り切れない。けれど、希望はまだたくさんある。そうだ、なんにも終わってないのである。

 最後まで歌いきった瞬間に、潤んだ瞳では見間違いだったかもしれないけれど、流れ星が一つ過ぎ去っていった気がした。お願いをする暇もなく、あっさりと。きっとそれで良いのだ。本当に欲しいものは、誰かに頼むものではないのである。

 ポエミストな自分に酔っていると、街灯の下に、どこか遠くを見つめる一人の青年を見つけた。清らかな瞳で、自分よりもずっと遠くの景色を見つめても、恥じらう様子がない。凛然とした青年である。街灯から落ちる光で出来た青年の影には、もう影は居ない。どうやら幻影は、地球が終わる前に全て無くなってしまったらしい。

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