第41話 馬鹿なことを言わないで

 俺が世界を変えた。

 俺が変わったことで、世界が変わった。

 そんな現実味のないこと、どう信じろっていうんだ。口から出まかせもいい加減にしろ。そう言い返す気力も空虚に消える。何かアクションを起こせば、少しでも形勢逆転の手がかりを見つけるきっかけを作れるかもしれないのに。呆然自失の今の俺には、そんなこと到底できるわけがなかった。

「まあ、あれは実験の一つだ。君の記憶や思い込み一つでどのくらいの規模で世界が変化するかという、な。君は自分がなぜ突然倦怠期なんてのに陥ったのか、考えたことはなかったのかね」

 残酷にも、男は問う。答えなど待つことはない。

「では順を追って話そうか。私はこちらの世界ではアワキという会社の社長をしていてね。数年前にディストルのあらゆる企業が一同に介した会合で、その代表として『ゲート・オブ・ポート計画』というものを発案した。これは君の知っているような、記憶媒体に収めたポータブルゲートではなく、どの企業も利用可能な異世界への固定ゲートを作るという計画だった。アワキはその中でも最も多くの出資を行った」

「固定ゲート……?」

「ああ、君たちの住むアオの世界には無際限に水が湧き出す泉があるらしい。私はそこからエネルギーとしての水の補給を誰もが可能になるようにしようとしたのだ」

「そんな……。水をエネルギーとするアカの世界は崩壊したはずじゃなかったの……?」

 確かに聞いた話だとそのはずだった。水を基盤とする技術は無くなったアカの世界のもののはずだ。

「ほう、そこまで知っているのか。その通りだ。アカの世界の文明は確かに潰え、科学技術は消滅寸前まで追い込まれた。だがそんな優れた技術をみすみす失うことなど、本当のところだれも望まない。それはどの世界も欲した最高水準の科学。今でも一部の機器はディストルに保管されているのだよ」

「異世界の技術を持ち込むのはタブーって話だろうが!」

「ああ、確かに、各世界のバランスを保つためにとそういう保身的な考えを持つ者も多くいる。だが、そんなことに縛られていてどうする? 人間が、文明が、リスクを冒さず大きく前進したことがあったか? 臆病な連中が変化を恐れ怯えているだけであろうに」

 こいつの言うこともわかる。だが本当にそうだろうか? 現に俺たちの世界へ流入したリーダーは、制御不可能なものになりつつあるのだ。世界の技術の行き過ぎた輸出入。それは本当に危険なんだと感覚的にわかるのは、今俺がアオの世界そのものだということと何か関係があるのだろうか。

「まずアカの世界の機器をゲート付近に設置し、アオの世界から得た水を別のエネルギーに変換。それを各機関が利用できるようなシステムを開発する。この計画が成功すれば数十億の利益が上がるはずだった。案は会議を難なく通過し、その後もゲートの開発は順調に行われ完成までに時間はかからなかった」

「てめぇ……、俺らの世界の資源で利益を上げようだと!? ふざけんな!」

「減るものではない。あるものを有効活用することがビジネス成功への道なのだよ。だがな、憎き”奴ら”は私の企みを拒んだ。『水はアオの世界の根幹をなすエネルギーである可能性がある。だからそれを認めるわけにはいかない』と、な。奴らの主張では無限に湧き出すように見える水を採取し続けることはアオの世界を形成するエネルギーをすり減らすことにつながりかねないということだったが、全く以て根拠がない」

「根拠とか、そういう問題じゃねーだろうが……!」

 俺たちの世界のモンを勝手に持っていきやがって、自分たちだけ潤おうとしてるだけじゃないか。

「ディストルの政府に訴えかけたのあの連中……。なんたる屈辱か。私は許さない。連中も、あの世界も。アオの世界への配慮としてゲートは完成とほぼ同時にアカの世界の科学技術である空間断絶によって非公開のうちに隔離され、誰一人として門の付近に立ち入ることはできなくなった」

「ハッ、あの連中ってのがどんな奴らか知らないが、ナイスなことをしてくれたじゃないか」

 皮肉交じりに言い放ったが、アワキは予想に反しニヤリと笑みを浮かべる。

「……何だよ?」

「フッ……フハハハハ! その通りだよ! おかげで私はさらに大きな利益を得ることができるようになったのだからな!」

「何だと……?」

「君とその力を知ったのは、資金不足で君たちの世界へ赴いていたときのことだった。途方に暮れていたよ。何せ一世一代のチャンスを逃して、大赤字をこうむってしまったのだから。失意の中アオの世界に向かった私は、ゲート開発中に泉周辺で見かけた妙な断絶の修復について思い出した」

 悪寒が走った。その修復跡に俺は心当たりがある。

「修復プログラムなどと謳われた通称《リコンポーズ・チップ》の中には、通常のリーダーで利用可能と謡われて秘密裏に流通したものも確かにあった。だがそれはあくまで体験版のような効力しか持たないもので、実際にはあれほど大きな修正を施すことは、やはりできない。それがどうしてか、ぽっかりと一ヶ所だけ、しっかりと、穴が開くように断絶が直されていたのだよ。随分前にな。こんなことは、やはり特殊な読み取り機器なくしては不可能だ。私はこれの解析を行うとともに、地域住民への聞き込みなどで推定した修復時刻に立ち入った可能性のある人物をさらった。そして、辿り着いたのだよ」

 困惑とともに制御不可能な感情がこみ上げる。怒り、怒り、怒り。すべて、こいつがやったのか。

「ひとつの世界を変えられる可能性を持つ人物にな」

「……っ」

 息が詰まる。口の奥のほうで歯が折れそうなくらい、鈍い音が鳴った。

「てめええええぇっ!!!」

 偶然や必然をこれほど恐ろしいと思ったことは今までなかった。

 果たしてそれを本当に偶然と呼ぶのか。実は誰かの意図が介在した必然なのではないか。たしかにそう思ったこともあった。でもどこかでこれは神の残忍ないたずらだと、そう納得させようとしていたのだ。だが、今わかった。

 悪い奴は、いた。

「初めはそんなことあり得ないと思ったが、我が社の資金不足はそんな幻想にすがらなくてはならないくらい深刻でね。いくつかのテストと観察を重ねる中でそれは徐々に確信に変わった。君は普通じゃない、という確信にね」

 血の気が引いていく。

「だが君に自覚なしに世界を変えてもらうのは難しかった。悩みに悩んだよ。そこで私は一つのことに気付いた。君の周囲との係わり方だよ。君はどこか達観していた。私が感じた違和感は君にその世代独特のエネルギーがなかったことだ。そこで十代に訪れる病『倦怠感』。わたしはこれに目を付けた。若さゆえの過ち。あのころ他人を敬遠気味だった君は、心の底でより美しい青春を求めただろう」

 お前に何が分かる。

「なに、特殊なことじゃないさ。ただ私は『圧縮した時間』を読み込ませた。謳い文句はこうだ。”君は今に満足していますか?”。どうだい、よくできているだろう?」

「それ、聞いたことある……。確か去年中高生の間で流行ったDVD……」

 つぶやく真澄の隣で、俺はただ立ち尽くした。確かに俺は、それを手に取った。

 倦怠期は、その後すぐにやってきた。

「その通り、表向きはプロを雇って作らせたただの映像作品。だがそのすべては今流通しているリーダー用のディスクと同じものだ。それを読み込めるのは、リーダーが普及する前のアオの世界で、ただの一人だけ。現状の生活に満足していない清水君はもちろんこれを手に取る。中身が知りたいと思わせればこっちのものだ。手で触れて願えば読み込みは自動的に開始される」

 ちくしょう、ちくしょう!! 何してやがんだ俺は!!

「データを読み込ませて君を倦怠期に突入させた。そして同時にテストとして”日本の新学期は秋から始まる”という紛い物の記憶を君に読み込ませた。科学で記憶の管理を可能にしている世界があってね。そこの技術を利用した実験さ。まあ大雑把に説明するとこんな感じだ。君は、そんなに覚えていないだろうけどね」

「っ……クソがああぁっ!!!」

 感情に任せてディスクを放つ。炎をまとったそれは並みの人間が反応できるものではない。俺はこいつを、半ば殺す気で放った。

 だが粟木はそれを容易くかわす。

「あれのせいで、俺は! 美滝の人生は……! 絶対、許さねぇっ!!」

 ただひたすらにディスクを放つ。粟木は続ける。

「ここで大事なのは、力を使うのには君の同意が必要だということだ。単に媒体に触れれば発動する力というわけではないからね。無理に引き出すために何度も脅すのも適切じゃない。それを克服するのに倦怠感というのは恰好の手段だったよ。何でも受容してしまうからね。そこからは有意義だった。といっても、世界の改変の実験はその一回程度しかできなかったのだがね。それについては、その後ゆっくり進めようと思っていた」

 攻撃をかわしながらも余裕をチラつかせて話し続ける。

「だがそれは予想より早く打ち切られた。清水美滝と苗加羽込というイレギュラーには本当にかき回されたよ。まったく、あの時悠長に実験などしていなければ、今頃……。残念なことだ」

 こんな形で知りたくなどなかった。世界の変化、俺や美滝の苦悩。こいつが全ての元凶だった。

「だから、私は清水美滝を使ってあの世界にも会社を立ち上げた。イレギュラーを咄嗟に利用する形になってしまったが、これがとんでもない利益を上げてくれてね。『ゲート・オブ・ポート計画』の収益見積もりをはるかに上回る額を私に貢いでくれたよ」

 よく喋る奴だ。それ故に、俺の頭は怒りでどうにかなってしまいそうだ。

「ああ、そうそう。君たちが開発部に来たのは突然のことで驚いた。そのときはまさか下でそんなことが起こっているとは知らず、手違いで運び魔の取引に応じてみすみす人質全員を逃してしまったがね。彼女を使えば君を上手く釣れると思ったのだが、判断を誤ったようだ。あそこで捕らえておくべきだった。ともかく、君にはどうしても協力してもらいたいのだよ」

「そんな馬鹿なことが……」


「馬鹿なことを言わないで」


 バン! と轟音が響く。後方から弾丸が放たれた。俺を狙ったものではない。それは俺の横一メートルほどを通過し、粟木の肩を撃ちぬいた。

 今のはディスクなどではない。実弾だ。

 声が出なかった。

 どう反応すればいいのだろう。

 こういう気持ちを表すのに適切な言葉は、なんだろう。

「あら、久しぶりね。『馬鹿』というワードだけで自分が呼ばれたと勘違いした清水飛沫くん」

 懐かしい口調、懐かしい声。

「お、おま……なん……で……」

 ああ、声にならない。

 前に会ったのはそう昔でないはずなのに、何をこんなに目頭を熱くしているのか。

 その罵倒すら懐かしく、俺は嬉しくてたまらなかった。

「羽込!」

 俺は、その同級生の名を叫んだ

「え、え、苗加さん!?」

 真澄もあたふたしている様子。それもそうだ。

 全身仕事着に身を包んだ容姿端麗同級生。捕縛されているはずの苗加羽込がそこに立っていたのだから。

「真澄ちゃんも、久しぶりね」

「あ、うん……。え? 真澄ちゃん……?」

 羽込はとなりにいる真澄とも言葉を交わす。突然名前で呼ばれて、若干驚いているようではあったが。

 そう思うと、この二人が合うのは俺と羽込の再開以上に久しぶりのことだろう。

「とりあえず、あいつは危険よ。離脱しましょう」

「ちょ、突然現れてそんなこと言われてもだな」

「もたもたしないで」

「は、はい」

 羽込は銃を構えながら、俺たちを後方に置いてあるバイクに誘導する。

 いつもそうだ。俺は気づけばこいつのペースに飲み込まれている。

 一応室内なのだが、どうやってここまで来たのだろうか?

 そう思ったが、あたりを見回して納得する。見覚えのない扉が佇んでいた。

 なるほど! どこでもドア使ったのね、ハコえもん!

「真澄ちゃんも、早く乗って!」

「う、うん!」

 羽込の声に合わせて真澄が駆け出す。

 だが。


「――そう容易く逃がすものか」


 突如にして、真澄の足が止まる。それどころか、粟木のいる部屋の奥へ引きずり込まれていく。

 見えない壁が俺たちと真澄の間に立ちはだかり、それがグイグイと動いて真澄の身体を俺たちから遠ざけていた。

 俺たちの知り得ないテクノロジーを、粟木は行使している。

「しぶくんっ!」

「真澄、真澄ぃっ!」

「フハハハ! 今度こそ交換条件だ! 少し時間を与えてやろう。清水君、身を売る気になったらまたここに来るといい! この女と交換だ! だが急げよ? 戻ってこないと判断したら、私はこの女にもあの世界にも、何をするか分からないからな!」

 どこまでも気持ち悪い野郎だ。俺は、絶対にこいつを許さない。

「行って!」

 真澄が叫ぶ。

「……でも!」

 俺の足は動かない。

「お願い! 羽込ちゃんの行動が無駄になっちゃう!!」

「真澄ちゃん……、ごめん……私の力不足で」

 羽込は唇を噛み締め目を伏せる。

 真澄はそれに、優しい微笑みを返す。だが今の俺たちではどうすることもできない。

 感情に抑えつけられた鉛のような足を、どうにか持ち上げる。

 今はこう告げて、信じてもらうことしかできなかった。

「絶対、絶対に来るからな!」

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