第7話

鬼の脱走兵



「あの二本の杉の樹がルペシュの入口じゃ」

 仙人が、ホモイの背中から指差して、そう言った。仙人は「膝の関節が痛い」だのなんだの言って、ホモイに背負ってもらっていたのである。

「仙人だから仙術でひとっ飛びかと思ったら、結局、歩きかよ。しかも十日近くも歩きどおし。あの爺さん、本当に仙人なんすかね?」

 さっきからブツブツこぼし続けのオワツが、ピリカに囁いた。本当ならホモイの背中に乗っているのは自分だったのに。

「で、あんたは、なんでいるの? もう役目はすんだでしょ?」

 ピリカの言葉も視線も、冷たかった。

「なに言ってるんですか? ここまで来たら、みなさんとは一心同体ですよ。このおいらが、可愛いお嬢さん方を放っていけると思います?」

 オワツは、胸を張って答えた。でも、実際には、仙人が「いい女」だと言ったルペシュの巫女に、一目あいたかったのだ。長い年月にわたって「いい女」を見まくってきたであろう仙人が言うのである。きっと絶世の美女に違いない。今からワクワクしているオワツだった。

「あんた、ルペシュの巫女に会いたいだけでしょう?」

 突然、ピリカに図星をつかれて、オワツは咳き込んだ。

「な、なに言ってるんですか?」

「でも、あなた、結界の中に入れないよ」

 オワツは、思わずその場に立ち尽くしてしまった。そのことをすっかり忘れていた。なんだか自分も人間になった気分でいたのだ。

「来ないんなら、おいてくよ」

 ピリカの声でようやく歩き出したオワツだが、その足は、一・五倍は重くなっていた。

 村へ近づくごとに、少女たちの髪の毛で、静電気に似たエネルギーが弾け始めた。毛穴を押し広げて中へ入ってこようとする力を感じた。結界を出る時には感じなかった外の空気との違い。それとも、旅を通して彼女たちが敏感なったのだろうか? 結界に近づいた証拠だ。だが、ホモイの槍の先端が、ゆっくりと明滅を繰り返し始めたことには、誰も気づいていなかった。

「俺は、ここで」

 仙人を背中から下ろして、ホモイが告げた。

「人里には近づかない約束だ」

 仙人は、うなずいた。

「それが良いじゃろう。その河童と狼もな」

 予期していたことだが、オワツは、がっくりと肩を落とした。

「このまま行っちゃうんじゃないでしょうね?」 

 ホモイに向けたピリカの言葉には小石が混じっていた。

「あの村には、いつまでいる?」

 ホモイに訊かれても、少女たちには答えようがなかった。

「まあ、三日くらいじゃな」代わりに仙人が答えた。仙人だと知らなければ、かなり無責任な言葉に聞こえただろう。「巫術というものは、やり方さえ教われば、あとは各自が自習で高めていくしかないからの。三日もあれば十分じゃ」

「じゃあ、三日後に戻ってくる」

 そう言って、ホモイは、ウバシを連れて、いずこかへ立ち去っていった。オワツが、あわててあとを追っていった。あの背中を見るのは、これが最後かも知れない。なぜか、そんな思いが、一瞬、イクタラの胸に忍び込んだ。

 仙人と三人の少女は、歩みを進めて村に入った。境界線を護る土偶の視線に出迎えられて。中は、人の多い賑やかな村だった。よそ者を見る村人の目に結界はなかった。気さくな笑顔と会釈で迎えてくれた。走り回る子供たちの声に不安の影はない。この村の巫女は素晴らしいひとに違いない。イクタラは、そう思った。

「それじゃ、巫女様にご挨拶に行ってくるか。お嬢ちゃんたちは、ここで待っておれ」

 歩き出した仙人の背中は、往来を行き来する村人たちの中に霞のように溶けていった。

 イクタラたちは、改めて村の中を見渡した。故郷に残してきたものと同じ匂いが、そこにはあった。旅立ってまだ一月も経たないのに、少女たちの胸には、古傷のようなホームシックが疼き始めていた。

「話はついたぞ」

 突然、背後から仙人の声がした。仙人が、もう戻ってきていた。

「イクシベちゃんは、喜んで会ってくれるそうじゃ。相変わらず、これが、いい女でな」

 仙人は、うれしそうにニヤニヤしていた。

 確かに、仙人の言うとおり、ルペシュの巫女イクシベは、若くて美しい女だった。ハポさまと比べると、まるで孫か曾孫のようだ。

「先代の巫女が急に病死したため、急遽、あとを継ぎました。私自身、まだ修行中の身です」

「これだけ立派に村を治めていれば、十分じゃよ」

 仙人の目尻は、可愛い孫を見る者のように下っている。

「何から教えてさしあげればいいんでしょうか?」

「結界の張り方からでいいじゃろう。なあ?」

 仙人にうながされて、イクタラたちは、うなずいた。

「この前、やってみたんです。三人で力を合わせて。自己流ですけど。でも、すぐに壊れちゃいました」

 イクタラの言葉に、イクシベは、人差指を顎に当てて、しばらく考えていた。

「自分たちの力で結界をつくろう、って考えすぎてるんじゃない?」

 三人は、顔を見かわした。それじゃいけないのか? じゃあ、どうやって張ればいいというんだろう?

「結界は、自分の力だけで張れるものじゃないのよ。私も、最初は思い違いをしていました。森羅万象に心をゆだねて一体とならなければ、安定した結界は生み出すことができないの」

 三人の目から鱗が落ちた。でも、どうやれば、それができるのか? 分からなかった。

「さあ、来て」

 イクシベは、一段高い席から三人の前に降りてきた。空気に背中を押されるように三人も立ち上がって前に出た。

「手をつないで、輪になって」

 言われるままに三人はイクシベと手をつないで輪になった。

「目を閉じて」

 目を閉じると同時に、宇宙そのものが三人の中に流入してきた。押し流されそうになった。溺れそうになった。

「抵抗しないで。よけいなものを捨てて、身を任せて。溺れそうになるのは波に逆らっているから。あなた自身が波になれば溺れることはない」

 三人は、もう押し流されてはいなかった。宇宙の中にゆったりと浮遊していた。

「あなたは、もう宇宙の一部なんだから、宇宙を動かせる。あなたが動けば宇宙も動く」

 四人が作る輪の中心から一本の光の柱が立った。小屋の天井を突き抜けて、宇宙の果てまで届きそうな柱が。柱は、尖端で無数に割れて雨のように降ってきた。そして、四人を包み込むドーム状の光の壁になった。

「目を開けてごらんなさい」

 イクシベにうながされて三人は目を開けた。自分たちがつくった光のドームを、結界を見た。三人の表情を映して光の壁が虹色に輝いた。

「あとは、一人でも、これができるようになることね」

 四人が手を離すと結界は消えた。

 一日目の授業が終わった。

 二日目の授業は、世界の暗号を読み解く授業だった。世界では、動物も、植物も、命を失った霊魂も、鉱物さえも、それぞれの言葉で囁いている。それらに耳を澄まし、意味が分からないまでも、その変化を感知することが、巫女に必須なことだった。それらを読み解くことは、世界で何が起こりつつあるかを知ること。巫女は、それで知ったことを人々に伝える。人は、それを「お告げ」と呼ぶ。

 この技術には得手不得手がある。ノンノは、動物たちの囁きを聞き取ることが上手い。イクタラは、霊たちの声を聞き分けられる。だが、ピリカには、それら全てが雑音に聞こえた。

「大丈夫。あなたの得意なものが、そのうち見つかるから」

 落ち込みを隠せないピリカに、イクシベが、そっと囁いた。

 そして、三日目の授業は、はからずも実習になった。

その朝、客小屋で眠っていた三人は、ただならぬ振動に叩き起こされた。

「地震?」

 寝ぼけ眼のノンノがつぶやいたが、地震にしては時間が短すぎた。小屋の外では、人々が不安そうに交わす声、あわただしく駆け出す足音が聞こえている。三人が外に出ると、ちょうどやってきたイクシベに出会った。

「何なんですか?」

 三人の不安を代表してイクタラが訊いた。

「来れば分かります」

 三人がついていくと、イクシベは、まっすぐ村はずれへ向かった。行く手には、人々が群がり、何重もの人垣をつくっていた。人々の口から恐怖のどよめきが起きている。その頭越しに青い光の明滅が見える。稲妻のような火花をともなっている。

イクシベに気づくと、村人たちは、あわてて道を開けた。その道を通って、イクシベと三人の少女は進んだ。火花の弾ける音が、ますます大きくなる。光の明滅が三人の目を刺すほどになった。

最後の人垣が二つに割れると、イクタラたちの前に信じられない光景が現れた。三人とも息を呑み、ひとかたまりになって後ずさった。一匹の鬼が両腕を広げて、今にも襲いかかってこようとしていたのだ。だが、三人にも、すぐに分かった。この鬼は襲ってこない。それどころか、結界の網に捕らわれて動くことさえできないのだと。鬼の輪郭に沿って、火花のオーラができあがっている。無謀にも結界に体当たりしてきた鬼が、結界の磁場に縛られて動けなくなってしまったのに違いない。鬼の体の中で唯一動く瞳だけが、苦痛と恐怖に泳いでいる。

「このままにはしておけないわね」

 イクシベは、表情ひとつ変えずに言った。

「みんな、さがって。結界を一時はずします」

「危険じゃないんですか?」

 おそらくイクタラの言葉は、その場にいた全員の思いだったろう。

「何の危険もありません。この鬼は怪我をしています。動ける状態ではありません」

 そう言われてイクタラは初めて気がついた。鬼の体にはおびただしい傷があって、今もそこからドス黒い血があふれ出している。

「このままでは死んでしまいます。早く何とかしないと」

「このまま殺してしまえばいいのよ」ピリカの声は刃のように鋭かった。「みんな、こいつらに殺された。私の村からついてきてくれた人たちは」

「この鬼にではないでしょ?」優しくさとすようにイクシベが言った。「この鬼が本当に邪悪なものならば、私の手で処分します」

 凛とした鋼のような声だった。人々は、おとなしく結界のそばから離れた。イクシベが、祈りでも捧げるように目を閉じると、とたんに鬼の回りの火花が消えて、鬼は前のめりに大地に倒れた。動けない鬼を村人が十人がかりでイクシベの集会場まで運んだ。

「これから癒しの巫術を教えます」

 三人は、しぶしぶ集会場の中に入っていった。いくら重傷で動けないといはいえ、あの怖ろしい鬼のそばに近寄るのは気が進まなかった。すでに簡単な止血は済んでいた。かたわらに膝をついたイクシベが、傷口に手をかざしている。

「あなたたちも一緒にやって」

 イクタラとノンノは、言われるままにした。だが、ピリカは、顔をゆがめて躊躇している。

「ピリカ!」

 イクシベに言われて、ピリカは大きく息を吐いた。そして、言うことに従った。

「傷が治っていく様子を想像して」

 イクシベの掌が、ぼんやりと光りだした。三人は、徐々に掌が熱くなってくるのを感じた。やがて、イクシベほどではないが、三人の掌も、ゆっくりと光りだした。蛍の光のように微かな明滅を繰り返す頼りない光だが。

「まだ、この鬼のことを怖れているのね?」

 イクシベの指摘を三人とも否定できなかった。

「三人とも鬼の体に手をつけて」

 誰も、血みどろの体に触れたくはなかった。だが、イクシベの声には有無を言わさぬ力があった。三人は、熱いものに触れるように恐々と手を伸ばした。鬼の体に触れた瞬間、三人の手は強力な磁力でそこに吸いつけられた。とたんに鬼の意識が三人の中に流れ込んできた。


 鬼の群集がいた。横も、前も、後ろも、目の届く限り鬼、鬼、鬼……。これは、この鬼の記憶らしい。そして、この鬼の名前がキラウだということを三人は知っていた。鬼たちは、静かな興奮の中にいた。これから訪れる歓喜の瞬間を待っていた。やがて、群集を見下ろす岩舞台の上に、白くて長い衣を引きずりながら一人の女が現れた。人間の女だ。舞台の上には子供の鬼もいる。両脇を大人の鬼に支えられている。片足は曲がったままで地面についていない。大人の鬼が横から離れると、子鬼は、よろめいて、その場に倒れた。舞台の隅で涙を浮かべているのは、母親だろうか? 人間の女が、ゆっくり子鬼に近づいた。曲がった膝に手を当てて、何かつぶやいている。女の掌が光った。イクシベの掌が光ったように。その光が子鬼の膝へ移っていく。すると子鬼の膝が徐々に伸びてきた。子鬼の顔が驚きに輝く。子鬼は立ち上がった。自分の二本の足で。歩いた。走った。跳ねた。駆け寄った母鬼と抱き合った。母鬼の顔が涙で濡れていた。

「ヤテブ! ヤテブ! ヤテブ! ヤテブ!」

 鬼たちの歓喜のコールが、いつ終わるともなく続いていた。女は、天を仰いで目をつぶっていた。降り注ぐ自分の名前を気持ちよさそうに浴びながら。

「ヤテブ! ヤテブ! ヤテブ! ヤテブ!」

 キラウたちは、山の中で戦っていた。相手は天狗の一族だ。手には、岩石を削って作った太くて長い棒を持っている。上空から飛来する烏天狗を、その岩棒で地面に叩き落している。戦況は鬼側に傾いていた。勝利は目前だ。天狗の大将は、勝利を諦めて地上に舞い降りた。鬼たちは我先に襲いかかろうとした。だが、キラウが、それを止めた。一対一の勝負をしたいのだ。天狗の思いも同じだった。岩棒を振り上げたキラウは、天狗に向かって突進した。天狗も、大地を蹴って、矢のようにキラウに向かって飛んだ。二つの彗星が地上で交錯した瞬間、天狗の骨は砕かれていた。二度と舞い上がることのできない天狗の骸。勝利に沸き立つ他の鬼たちをよそに、キラウは天狗の骸に深々と一礼した。

「ヤテブ! ヤテブ! ヤテブ! ヤテブ!」

 キラウは新たな戦場にいた。だが、彼が到着したとき、すでに戦闘は終わっていた。打ち壊された小屋の残骸。おびただしい流血の痕。引き裂かれ、折り曲げられた死骸。ここは、かつて人間の村だった。むごたらしい殺戮の痕をキラウは歩いている。もう生きている者もいないだろう。だが、ほんの微かな物音をキラウの耳は聞き逃さなかった。崩れかけた小屋の下に女の死骸があった。そして、その死体の胸を小さな拳で叩き続けている幼子がひとり。その子は、母の死を理解することもできず、しきりに母を揺り起こそうとしていた。小さな瞳がキラウの方に向けられた。母親を殺したのがキラウの仲間だということも知らないのか? あどけない笑顔が、その顔に広がった。助けでも求めるように小さな手が差し出された。だが、キラウに何ができたというのだろう? そのとき、キラウの背後から複数の足音が近づいていた。鬼の仲間だった。「そっちは、どうだ?」「こっちは誰もいない。この村は全滅だ」キラウは、仲間を連れて、来た道を戻っていった。

「ヤテブ! ヤテブ! ヤテブ! ヤテブ!」

 村を殲滅させた軍団は、村の中心である広場に整列していた。キラウも、その中にいた。隊長が部下からの報告を聞いている。一人の兵士が駆けてきて隊長に耳打ちした。隊長の鋭い視線がキラウを刺した。「キラウ、前に出ろ」キラウは、胸騒ぎを覚えながら前に出た。さっきの兵士が戻ってきた。あの幼子を片手でつかんで持ってきた。泣き叫ぶ子供の声に鬼たちが顔をしかめた。「どういうことだ? 村の者は殲滅せよ、というのがヤテブ様の御命令だ」「しかし、こんな子供まで」「黙れ! ヤテブ様の御言葉は、鬼神さまの御言葉だ。おまえは鬼神様の命にそむくのか?」「そういうわけでは」「なら、このガキを殺せ。殺して、神の忠実なる臣下であることを証明しろ」キラウは、子供の方を見ることができなかった。泣き叫ぶ声が耳を殴り続けた。「おまえは不信心者か?」「いいえ」「なら、やれ。神の御意志だ」キラウは、兵士の手から幼子を受け取った。瞬間、あんなに泣きわめいていて子供がピタリと泣きやんだ。「やれ。選ばれた民の一員であることを証明しろ」キラウは、幼子を頭上高く持ち上げた。そのまま二メートル以上の高さから硬い地面に叩きつければ、ひとたまりもない。だが、キラウのしたことは逆だった。頭上高くの、そのまた上まで放り上げた。鬼たちはみんな、予想外のことに天を仰いだ。隊長も仰いだ。その顔面をキラウの拳が粉砕していた。キラウが落ちてきた幼子を受け止めるのと、隊長の体が土煙をあげて倒れたのは、ほぼ同時だった。隊長を失って、鬼たちは混乱状態に陥った。キラウは、すでに駆け出していた。泣き叫ぶ幼子を抱えて。「裏切り者を殺せ!」さっきまでの仲間が、あとを追ってくる。石の礫が飛んでくる。自分の背中を盾にして子供を護りながら、キラウは走り続けた。

「ヤテブ! ヤテブ! ヤテブ! ヤテブ!」

 追っ手はまいた。キラウは千切れそうな心臓に休息を与えた。そう言えば、さっきから幼子は泣いていない。強い子だ、とキラウは思った。いや、その子は、もう息をしていなかった。頭の片側に真っ赤な血の穴が開いていた。礫が直撃したのだ。「なんのために……あいつらは……そして、俺は……」キラウは、無力感の沼に落ち込んでいった。

「ヤテブ! ヤテブ! ヤテブ! ヤテブ!」

 キラウは、逃げ続けた。追っ手の包囲網を切り抜けるたびに、傷が増えた。深くなった。そのうちのいくつかは内臓にまで達していた。それでも、キラウは走り続けた。もう痛みも感じない。何も考えない。目の前が夕焼けのように染まって、よく見えない。それでも、キラウは走った。走って、走って、何かにぶつかった。激しい電気が全身を貫いた。体が動かない。小指ひとつ動かせない。このまま死ぬのだと思った。もう、それも、どうでもよかった。

 

 イクタラたちの中をキラウの記憶が駆け抜けたのは、ほんの一瞬のことだった。すでに、その手を吸いつけている磁力は消えていた。それでも、三人の手が鬼の体から離れることはなかった。それどころか、掌から白い温かい光がにじみ出して、鬼の傷口を覆おうとしていた。その光は、鬼の記憶の中でヤテプと呼ばれていた女が使っていたものと同じものだった。子鬼の脚を治すのに使っていた癒しの光。


 ルペシュの村の境界までキラウの血痕が点々と続いていた。奴らは、それをたどってやってきた。二匹の鬼の追っ手だった。

「奴は、あの村の中だ」

「だが、あの村は結界を張っている。入れない」

「じゃ、奴は、どうやって、あの中に入れたんだ?」

 そのとき、二匹の背後から声がした。

「こんなところで何をしている」

 振り返ったところにいたのは、ウバシを連れたホモイ。そして、その背後に見え隠れしているオワツだった。

「なんとも妙な組み合わせだぜ」

 二匹は、せせら笑った。

「おまえら、おいらに会ったのが運のつきだ。今なら見逃してやるから、とっとと帰れ」

 言い終わると同時に、オワツは、またホモイの陰に隠れた。

「ふざけるな!」

 猛り狂った二匹の鬼が、土煙を上げて向かってきた。ホモイが無造作に担いでいる槍の先端が青く光った。二匹が、そのことに気づいたときには、すでに遅かった。一匹は顔の真ん中に、もう一匹は腹の真ん中に穴を開けられて、地面に横たわっていた。

「ざまあ見ろ。だから言ったろう」

 オワツは、小躍りして跳ね回った。まるで自分が倒したみたいに。

「やっと見つけたよ」

 聞き慣れない女の声がした。振り返ると、長身の女がひとり立っていた。オワツは、思わず「いい女!」と思った。だが、すぐに撤回した。性格のきつそうな怖い目をしているからではない。耳まで避けている大口だからでもない。額から二本の角が突き出ていたからだ。

「鬼女だ」

 オワツは、またホモイの背後に隠れた。

「失礼だね。私には、エンレラっていうちゃんとした名前があるんだよ」

 鬼女エンレラは、もうオワツのことなんか見ていなかった。見ているのは、ホモイただひとりだった。

「だから、何だ?」

 ホモイも、まっすぐ見返して言った。

「そのエンレラ様が、ずっと捜していたのさ」エンレラは、意味ありげに舌なめずりをした。「あんたのその槍。それと、あんたの中に流れてる魔女の血をね」

 ホモイは、表情を変えなかった。ただ、目だけが鋭さを増した。足元で、ウバシが、けたたましく吠え立てた。

「ま、今日のところは、ご挨拶だけにしとくよ。でも、また、すぐに会いにくるからね」

 一陣の風とともにエンレラは走り去った。相手の胸に残る楔のような笑い声を残して。


「こんなに良くしてもらえるとは思いませんでした」

 キラウの傷は、すでにほぼ完治していた。

「あのヤテブって女、何者なの?」

「なぜ、鬼たちは、あの女の命令をきいてるの?」

 イクタラたちの質問が、矢継ぎ早にキラウに向けられた。

「あの女は、初め鬼の国に拉致されてきたのです」

「拉致?」

 三人とも、その言葉を舌の上で、胸の中で繰り返した。それは、三人が、まるで想像していないことだった。でも、あの日、ホモイと出逢っていなければ、自分たちも同じ運命だったのかもしれない。

「あの女を連れてきたのは、イオチという無法者の頭でした。当時、鬼の国は、指導者と呼べる者もなく、小さな武闘派集団が乱立していたのです。イオチのグループは、ある日、国外に荒稼ぎに出掛け、戦利品として連れ帰ったのがヤテブでした。イオチは、最初、ヤテブを召使としてこき使っていました。それが、半年もすると立場が逆転していたのです。ヤテブが、妻としてイオチを陰で操るようになっていました。その頃からです。イオチのグループが、急速に勢力を拡大していったのは。ついには、イオチが、全ての武闘派集団を支配下に置くようになりました。ところが、それから間もなくのことです。イオチが何者かに暗殺されてしまったんです。その後、夫の跡を継いでボスの座におさまったのがヤテブでした。その頃からヤテブは、多くの奇跡を起こすようになりました」

「病気の子供を治すとかね」

 ノンノが、言いながら大きくうなずいた。

「ヤテブのもとには、国中から悩める者たちが押しかけました。彼らの前で、ヤテブは、次々と奇跡を起こしました。彼らは、たちまちヤテブの信者になりました。ヤテブは、自分こそ鬼神の代弁者だと名乗りました。鬼神は、われわれ鬼族に古くから伝わる大切な神なのです。どの鬼も、鬼神のことを信じ、畏れています。多くの者が、ヤテブの言葉を信じました」

「ということは、信じないひともいたのね?」

 イクタラが、ほっとしたように言った。

「ヤテブは、鬼神を信じない不信心者には天罰がくだる、と言いました。そして、実際、そのとおりになったのです。不信心者たちは皆、次々に死んでいきました。原因は、いずれも不明です。ある日、突然、苦しみもがいて死んでしまいました」

 ピリカは、自分がまだ使いこなせないでいる呪術のことを思った。

「いつしかヤテブは、国の指導者になっていました。おかげで、国内に争いはなくなりました」

「えっ、でも……」

 誰もが疑問に思った。じゃ、あの殺戮は何だったの?

「国の中で争いがなくなった分、我々は軍隊を組織して、外の敵と戦うことになったのです。いや、その戦いのために、中で争っているどころではなくなったのかもしれません」

「ノンノ、よく分からな~い」

「それで、鬼のみんなは納得しているの?」

 イクタラにも、よく分からない話だった。

「ヤテブは告げました。われわれ鬼族は、天に選ばれた民だと。鬼神の教えを世界に広めるのが、我々の使命だと。鬼神の教えだけが、世界に秩序と幸福をもたらす。そのためには、鬼神を敵対し、教えを信じない者たちは、この世から抹殺しなくてはならない。これは聖戦だと」

「それを信じたの?」

 イクタラは信じられなかった。

「信じました。我々にとって、ヤテブの言葉は鬼神の言葉であり、絶対のものでした。それに我々はもともと肉食なのです。争いのない国にいては、食べる肉がありません」

 三人は、ゾッとしてキラウから身をひいた。

「あっ、私は、魚の肉だけで十分です」

 キラウは、ひかれたことに気づいて動揺していた。

「あはは。考えたら、私たちも肉食だもんね」

 ノンノの言葉に、イクタラもピリカも、ぎくしゃくした笑い声を上げた。

 そこへ村の男が一人、駆け込んできた。

「イクシベ様!」

 男は、鬼が元気そうにしているのを見て、鈍器で殴られたような顔で立ち尽くした。

「どうしました?」

 イクシベの声にようやく我に返った村人は、キラウにおびえながら、こう報告した。

「結界の外で怪しげなものが騒いでいます。こちらの客人たちを呼べと」

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