老馬 コールブランド

 試合場には多くの観客が詰めかけていた。

 ウィルのおこなった派手なパフォーマンスのおかげで『誇りのない騎士』と『聖翼騎士団の三騎士』が紋章試合をする、という話が瞬く間に広まったからだ。

 またユート人修練士サラの名誉のために戦うと公言したせいか、見物人にユート人が多いような気がする。

 サラは不安な表情を押し殺してウィルの老馬の首筋を撫でた。


「君も頑張ってね、怪我しないようにね」


 ウィルの老馬は返事をするように短くいなないた。

 ロジェも近づいてきてウィルに発破をかける。


「いい? ただ勝つだけじゃダメよ! 最低でも一人は試合不能にして!」

「全力で叩くけど、怪我するかどうかは分からないよ?」

「ふん、それが出来なきゃトーナメントで三対一になるだけよ」

「それならそれで、なんとかするよ」


 ロジェには申し訳ないが、ウィルにとってはあの三人を試合に引きずり出せたことが大事だった。その後のトーナメントのことは二の次だ。

 それはまた後で皆で考えればいい。

 ウィルは試合開始に備えて面頬を下した。

 狭まった視界の端でサラが懐から純白のハンカチを取り出すのが見える。


「ウィリアムさんも、怪我をしないように祈っています」


 そう言って、刺繍の入ったハンカチをウィルの左手甲に巻き付けた。

 かつてアリエルがしてくれた自分の為に戦う騎士への贈り物だ。


「……勝ってください」


 ぽつりと言うサラにウィルは視線を向ける。

 サラはウィルを真っ直ぐ見ている。

 まだ葛藤を秘めた瞳をしているが、それでもその視線は強い。

 ウィルはサラに向かって力強く頷いた。


「まかせて」


 ハンカチが巻かれた左手を掲げて頭上でくるりとまわすと老馬を入場門へと進ませた。

 相手側の入場門には、分厚い鎧に身を包んだ太った騎士が騎乗して待っていた。

 三騎士の一人でいつも先頭にいた男だ。

 試合場中央にいる主審判が合図をして旗手が開始の旗を振り下ろす。


 ウィルと太った騎士は同時に馬を走らせた。

 ウィルの馬は年老いた馬なのでスタートダッシュは遅い。

 しかし太った騎士の馬はそれより更に遅かった。

 よく見れば太った騎士の乗る馬は、全体的に馬体が太くゴツい上に足が短い。

 軍馬というよりは農耕馬に使うような馬力重視の馬だ。

 そのせいで試合場中央よりずれた位置で激突した。


 いつもならウィルは相手の攻撃を受けないように必要最低限の力で突く。

 そして、その後の槍を回避するのだ。

 身体が小さく体重が軽いウィルは相打ちでも吹き飛ばされる危険があるからだ。

 しかし今回は相手を負傷させる狙いがある。

 確実に落馬させなければならない。

 そこで今回は全力で胴鎧の中央を突く。

 そしてそのまま突き落とすように槍をぐいっと押し出した。

 

 ガギィン!


 大きな岩に槍を突き込んだような硬い手応えがして騎槍が半ばまで砕け散る。

 太った騎士は槍を受けた衝撃に仰け反りつつも槍をウィルに伸ばしてくる。

 突いた姿勢のままのウィルには避ける術はない。


 ガァン!


 ウィルは手綱を握っている左腕に装着された楯で槍を防ぐ。

 無茶な姿勢から繰り出された割に強力な一撃で、楯に当たると見事に槍が砕けた。

 凄まじい衝撃が左腕を襲い、楯が吹き飛ばされそうになる。

 ウィルは腿で鞍を掴み、上半身を捻って衝撃を逃がした。


 そのまま二人はすれ違い、相手の入場門の前で方向転換すると試合場をぐるりと半周まわりながら自らの入場門に戻った。

 双方の入場門近くにいる副審判が白い旗を一本ずつ揚げた。

 二人の攻撃が有効で一ポイントずつが入ったという合図だ。


 紋章試合ではヘルムへの攻撃以外は上半身どこに槍を当てても一ポイントだ。

 ただし槍が砕けない場合はポイントは無効となる。

 試合の決着は三回攻撃し終わった時にポイントの多かった方の勝ちだ。

 同点だった場合はどちらかがポイントリードするまで続けられる。

 例外として、落馬した場合は即座に負けとなる決まりだ。

 

「どうやらアイツは体力自慢の騎士らしいわね」


 入場門まで戻るとロジェが太った騎士を見ながら呟いた。

 太った騎士は従者から次の槍を受け取っている。

 その胴鎧にはウィルが突いた凹みは見当たらない。

 いくら槍の先にカバーとなる王冠が付けられているとはいえ、これは異常なことだ。


 言わずもがなだが板金鎧は重い。

 その為、防御力と軽さのバランスが重要で矢が貫通するほど薄くてはダメだが、全てを跳ね返すほどに厚くては重くて動けなくなってしまう。

 しかし太った騎士の鎧は全てを跳ね返すほどに厚く重いようだ。


「ああやって重たい厚い鎧で身を守って常に相打ちでポイントを取る戦法ね」

「え、それでは決着がつかないんじゃないですか?」


 ロジェにルールを教えてもらったらしいサラが疑問を浮かべる。

 ルール上は相打ちが続けば試合は終わらない。

 しかしそれは理論上は、という話だ。実際は違う。


「ウィルの左手を見なさい。楯で防いだって騎乗槍の一撃は重たいわ。長引けばいつまでも相打ちできるものじゃないわ」

「アイツはいつまでも相打ちできそうだ」


 ウィルは槍を突いたときの右手の感触と、未だに痺れる左手の感触に閉口する。

 最近は気にしないようにしていたのに、久しぶりにコンプレックスを刺激された気分だ。

 昔から同世代の男と比べると背が低く、華奢な体躯だったのだ。

 それを補うべく必死に訓練して技を磨いたのだが、この大事な場面で力不足、重さ不足に悩まされることになるとは。


「どうするの? 試合前ならともかく試合の事でアタシは助言出来ないわよ」


 ロジェは交渉や挑発などの口を使った戦いは得意だが、馬に乗れない事からも分かるように身体を使うのは苦手だ。


「勝つだけならヘルムを突けばすぐ勝てるよ」


 相手のヘルムを突くと三ポイント入る。

 かなりの高等技術で狙って出来る者は少ないが、ウィルはその狙って出来る騎士だ。

 ましてや相手は防御の技術が高いわけではなく、鎧の厚さと重さで鉄壁の守りを偽装しているのだ。技術で負かすのは簡単だ。


 だが問題なのは今回の試合の目的が勝つだけでなく、相手を負傷させることにある点だ。

 ヘルムを突いて勝っただけでは負傷する可能性は低い。

 相手のヘルムが昔ながらのバケツ型の円筒形タイプのヘルムなら、覗き穴スリットの隙間から砕けた槍の破片が目を傷つける可能性があったのだが、太った騎士のヘルムは最新式だった。


 俗にカエル口と呼ばれるタイプの馬上槍試合専用のヘルムで、口の広がった円柱の壷に半球の蓋をずらして置いたような形をしている。

 正面から見える位置に覗き穴スリットはなく、上部に隙間がある。

 真っ直ぐ前を見たら何も見えないのだが、前傾姿勢をとることで隙間から前方の一部が見える仕組みだ。


 とてもじゃないが戦場で使えるとは思えないデザインだ。

 しかし馬上槍試合においてはかなり有効なヘルムと言える。

 顔のほとんどが覆われているために防御力が高く、目の近くに覗き穴スリットがないので破片で目を怪我をする可能性も低い。


「勝てるならそれでいいじゃないですか」

「嫌だ、叩きのめしたい」

「アンタが勝ち方にこだわるなんて珍しいわね」


 サラの言葉に子供のような癇癪を起こすウィル。ロジェは呆れた表情だ。

 ウィルは面頬を上げて太った騎士を、いやその鎧とヘルムを見つめる。

 落馬させるためにはどうしたらいいか。

 騎手を落とすためにはバランスを崩す必要がある。

 しかし胴鎧や楯を突いても先ほどの様子では崩せそうにない。

 相手の体重や鎧が重すぎるのだ、ウィルの力では揺るぎもしないだろう。

 中央の旗手が二戦目開始準備の旗をあげた。

 ロジェから新しい騎槍を受け取ると面頬を下ろして入場門に老馬を進ませる。

 開始の旗が振りおろされて再びウィルは馬を走らせた。

 

 もう相手の戦法は分かっている。

 ガチガチに固めた防御で相手の攻撃を受けて、その後の隙に槍を突いて相打ちにする。

 普通なら不可能な戦法を成り立たせているのは、太った騎士の並外れた頑丈さと、腕力の強さだ。

 体勢が崩れた状態で突いた槍が砕けることはないのだが、持ち前の怪力で強引に砕いているのだろう。

 しかしそれならば最初の一撃は必ずこちらが先手を打てるわけだ。

 さらに相手は重い鎧に視界の狭いヘルムをしているので避けられる心配なく、どこでも好きなところに攻撃可能。


 ウィルは手に持った騎槍を胴鎧の脇にあるランスレストに乗せた。

 ランスレストに騎槍を乗せると自在な動きを阻害するのでいつもは乗せない。

 しかし今回はしっかりと騎槍の柄を乗せて脇でそれを挟み込む。

 そのまま穂先の狙いを相手の首元、ヘルムと胴鎧を接続している箇所に向けた。

 頭の次に高い位置にあり、頭よりは力を乗せやすい平らな場所だ。

 ウィルは下から掬い上げるように突きを繰り出した。


 ガアアァン!

 

 重低音の激突音が響き、ウィルの手にずっしりとした重みがかかる。

 ウィルはしっかりと鞍を挟み腰を安定させると、脇を締めてそのまま持ち上げるように力をこめる。

 突き上げるようなウィルの一撃で太った騎士の身体が一瞬宙に浮いた。


 そのまま空中に取り残される形で吹っ飛んで背中から落馬した。

 ウィルが主人を無くした馬とすれ違った時、試合場が何とも言えない沈黙に包まれる。

 観客の中でもアンゲル人の修道士たちは揃って信じられないという表情で凍り付いている。それ以外の観客にしても小さな体躯のウィルが見事に太った騎士を吹き飛ばした光景にぽかんと口を開いたままになっていた。

 ウィルはゆっくりと試合場を半周して、入場門で待っているサラに向かってハンカチが巻かれた左手をあげた。

 その瞬間、試合場に地響きのような歓声が包んだ。

 期せずして視線の集中砲火を浴びたサラは顔を真っ赤にしてあたふたしている。


「まず一人」


 ウィルは途中で砕けた騎槍をロジェに渡す。

 ロジェはそれを受け取りつつ、恐ろしいものを見る目でウィルを見た。


「……アンタ結構エゲツないわね」


 落馬した太った騎士の方を見ると、何人ものアンゲル人の従卒が駆け寄って起こそうと四苦八苦している。どうやら鎧が重過ぎて一人では立ち上がれないらしい。

 これが聖地を奪還するために送られる精鋭だというのだからお笑いだ。

 数人がかりでも起こせないようで、その場で鎧を脱がせ始める。

 鎧から脱皮した太った騎士は意識を失っているらしく、従卒たちが苦労して担架に乗せて運んでいった。

 サラは担架で運ばれる騎士を複雑な表情で見送っている。


 慌てているのは残った二人の騎士たちだ。

 ここまで一方的に負けるとは思わなかったのか、騎士本人だけでなく従卒や紋章官なども慌てふためいていた。

 そのせいで次の試合まで妙に時間がかかっている。

 その隙にウィルは手甲を外して痺れる腕をマッサージした。

 まだこれから二連戦だ。先は長い。



 二番目の騎士はひょろ長い体型の騎士だ。

 聖翼騎士団の三人は同じデザインの鎧を着ているのだが、その特徴はそれぞれ微妙に違うようだ。

 ヘルムは同じカエル口のヘルムだが、鎧は厚みが少なく重いようには見えない。

 その代わりに高い身長を全て覆うような大きな楯を構えていた。

 あれでは槍が構えられないのでは、と見ていると楯の右側にある虫食いのような凹みに槍を通した。

 正面から見たら、楯と槍しか見えない。


「何よ、あれ! あんな楯、反則じゃないの!」


 ロジェは試合が開始される前に中央の審判席に猛然と走っていって抗議を始めた。

 入場門まで聞こえるような大声での応酬が続いたが、審判は首を横に振るばかりだ。

 ロジェは憤懣やるかたなしといった様子で戻ってくる。


「なぁにが楯に関する規則はありません、よ! 自分たちだけ新型を使えるからって好き放題やってくれちゃって!」

「あれじゃあ楯しか突けないな」

「奴らは馬上槍試合専用の装備を整えて、満を辞して試合を開催したようだの」


 さすがのウィルも前面を完全に覆うような楯では狙いようがない。

 カエル口のヘルムといい、この楯といい、今回の大会に備えての新装備なのだろう。

 しかし彼らの目的である『聖地奪還』に使える装備にはとても思えない。

 いくら今回の大会が『聖翼騎士団』のお披露目を兼ねているといっても、実際の戦闘で使えない装備で試合をして何になるというのだろうか。

 観客席でも『聖翼騎士団』の装備にざわざわと戸惑いの声があがっている。

 しかし彼らや彼らを支持するアンゲル人修道士たちは気にしていないようで、今度こそは、とばかりにひょろ長い騎士に声援を送っていた。


 主審判はそうした空気を無視して開始の合図を出す。

 ウィルは楯の攻略法を考える間もなく、仕方なしに馬を走らせた。

 ひょろ長い騎士の馬は太った騎士の馬と違って速い。

 今度は試合場の中央ぐらいの位置で激突した。

 ウィルの視界一杯に相手の楯が広がる。

 ひょろ長い騎士の身長の高さもあって、ヘルムも楯が邪魔で狙えない。

 ウィルはセオリー通りに楯のど真ん中を打ち抜く。


 ガアァン!


 真芯を捕らえた手応えと共にウィルの騎槍が砕け散る。

 ひょろ長い騎士はその衝撃にややふらつきつつも、楯越しに槍を突きこんできた。

 ウィルはそれを楯でいなす。


 ガン!


 芯を外した音がしてひょろ長い騎士の槍は中途半端な折れ方をした。

 しかしキレイに砕けようが、中途半端に折れようが一ポイントは一ポイントだ。

 二人はすれ違い、半周して入場門に戻る。

 入場門では苛立った様子のロジェが待ち構えていた。


「どうすんの? 今度は喉元どころかヘルムも狙えないわよ」

「今度も勝つだけなら方法はあるわい」


 反対に老騎士ランスロットは落ち着いた様子で言う。


「今度の相手は力が強くない。攻撃を最低限にして相手の槍を上手くいなせば槍は砕けずにポイントリードできるじゃろう。落馬はせんだろうがな」


 ウィルはランスロットの言葉に内心で同意した。

 確かに勝つならそれが一番手っ取り早いだろう。

 しかしそんな無難な勝ち方をするために強引に三人に試合を吹っかけたわけではない。


「絶対に落とすよ」

「じゃが、ウィル……」


 ランスロットの言葉を最後まで聞かず、ウィルは開始の合図と共に走り出した。

 先ほどとまったく同じように二人は試合場の中央で再接近した。

 ウィルの目の前には先ほどと同じように難攻不落の楯が広がる。

 しかし、この楯には一点だけ穴があるのだ。


 騎槍をのせた凹み、狙うのはそこだ。

 ウィルは構えた騎槍を相手の騎槍に下から掬い上げるようにしてあわせる。

 突き出されたウィルの槍は、そのままひょろ長い騎士の槍を絡め取るようにしてはじき出していく。ひょろ長い騎士は遂に槍を保持出来ずに楯から槍を外してしまう。

 ウィルの槍は楯の虫食い部分をすり抜けて、ひょろ長い騎士の槍を持つ手甲を突いた。


 カアァン!


 軽く甲高い音が響いてひょろ長い騎士の右手は弾かれた。

 それでもまだ槍を手放さなかった。なかなかの根性だ。

 しかしそれがかえって災いした。

 手に持っていた騎槍の先が地面に刺さり、ひょろ長い騎士の身体は空中に投げ出された。

 そのまま落下してごろごろと試合場を転がった。


 一瞬の静寂が流れ、次の瞬間、怒号のような歓声が沸き起こった。

 ウィルは見せ付けるようにハンカチを巻いた左手で歓声に応えて入場門に戻る。

 最初はアンゲル人に遠慮してこそこそと見守っているだけだったユート人も、この頃には熱狂的な声援をウィルに送っていた。

 入場門に戻ってきたウィルはロジェに手伝ってもらい楯を持っていた右手甲を外す。

 外気に触れた右手はかすかに震えていた。

 それを見たサラが息を呑む。


「だ、大丈夫なんですか?」

「まだ痺れてる。アイツら結構強いね」

「あんな勝ち方しておいてそんなこと言われても、嫌味にしか聞こえないわよ?」


 焦った様子も見せずに感心するウィルにロジェは呆れた声で言った。

 またしても最後の試合は始まらず、なにやらバタバタと準備をしている。

 見れば最後の騎士は馬から降りて大声で従卒を怒鳴ったりしていた。


「さて、最後は何が出てくるのかしらね」

「鎧に楯にと、騎士とも聖職者とも思えんような小細工ばかりじゃったからな」


 ウィルたちは呆れた顔で相手入場門を見ていた。



 かなりの時間待たされて、ようやく最後の騎士が入場門に現れた。

 ウィルと変わらないぐらいの小さな体躯の騎士は、やたらと丈の長い陣羽織サーコートに身を包み現れた。

 それだけでなく、騎乗している馬にも紋章の描かれた飾り布がかぶせられている。

 なんだか上も下も布塗れで、騎士と馬の境目もよく分からない。


「ずいぶん着飾ってきたわね。どういうつもり?」

「わざわざ時間をかけて準備するほどのこととも思えんが」


 陣羽織サーコートを鎧の上に羽織ったり、馬に紋章の描かれた飾り布をかぶせる事自体は特別なことではない。

 伯爵や男爵などの身分の高い騎士や、王の前で行われる御前試合などの場合は必ず装着するのだ。

 しかし『聖翼騎士団』は教会に所属する騎士団なので、その騎士は爵位持ちの貴族ではない。そしてもちろん、この試合は御前試合ではない。

 ウィルには相手の狙いが読めなかった。


「うん、分かんないな」


 ウィルは考えるのをやめて面頬を下ろした。

 こういうとき、ウィルはシンプルに行動することにしているのだ。


「確かめてくるよ」

「ちょ、ちょっと、何か対策とかないの?」

「分からないことを考えても無駄でしょ?」

 

 ウィルはそう言うと入場門から試合場に馬を進める。

 主審判の合図で旗手は三度試合開始の旗を振り上げて、振り下ろした。

 同時にウィルは無心で馬を走らせる。

 対策も対応も何も考えない。

 ただただ鎧越しに風を感じて一本の矢のようになって突っ込む。


 小さな騎士は太った騎士のように重い鎧を着ているわけでもなく、ひょろ長い騎士のように大きな楯を持っているわけでもない。

 いたって普通の鎧と普通の楯を構えて突っ込んでくる。

 謎なのはわざわざ準備してまで着込んできた丈の長い陣羽織サーコートだ。

 ウィルは小細工せずに最も勢いの乗ったタイミングで騎槍を突き出して、相手の身体のど真ん中を狙った。

 反応できれば楯で防御も可能な場所。一番基本の攻撃だ。

 これにどう対応するのかで、謎の片鱗はつかめるはずだ。

 しかし小さな騎士は特別な動きを見せずに普通に楯を構えつつ騎槍で突いてきた。

 相手も一番基本の対応をしてきた。

 ちょうどいいタイミングで槍を突き出し、防げそうなら楯で防ぐ。

 まったく同じような姿勢で二人の騎槍は激突した。


 ガギィィン!


 連続した金属音が鳴り響き騎槍が同時に砕け散った。

 しかしウィルの楯と右手は衝撃に跳ね上がり、小さな騎士は微動だにしなかった。

 二人はそのまますれ違う。

 審判の白旗が一本づつ上がり、一ポイントづつ獲得。

 ウィルはぐるりと入場門まで戻ってきて首を傾げた。


「何よ、様子見って事で全力で突かなかったの?」

「全力で突いたよ。……けどなんか手ごたえがおかしい、気がする」

「ウィルの攻撃でびくともせんとは。そこまで力があるようにも見えんが……」


 ウィルは確かに身体は小さく、体重も軽い。

 しかしそれは相手も同じはずだ、ウィルと小さな騎士の体格はほとんど変わらない。

 それでも衝撃に負けたのはウィルなのだ。

 何か秘密があるのだろう。しかしそれが分からない。

 結局、何も謎の片鱗をつかめぬまま次の戦いが始まってしまう。


 審判が旗を振り下ろして二回目が開始された。

 色々と不審な点はあるが、小さな騎士の実力自体は突出してはいない。

 攻撃を真正面から反撃する度胸は評価できるが、それだけだ。

 こちらの攻撃を捌いたり、避けたりは出来ないはずだ。


 ウィルは先手をとって渾身の力と絶妙なタイミングで騎槍を突き出す。

 銀光を引いて伸びた槍は小さな騎士の喉元に吸い込まれる。

 最初の太った騎士を倒したのと同じ一撃だ。

 小さな騎士はウィルのヘルムを狙って槍を伸ばしてきた。

 ここでヘルムに攻撃を当ててポイントをリードしようという算段なのだろう。


 ガギィン!


 ウィルの騎槍が先に小さな騎士の喉元に激突した。

 しかしまたおかしな手応えがして、槍は砕けても小さな騎士は微動だにしない。

 まるで鍬を振り下ろしたら木の根があって再び振り上げられなかったような感触だ。

 今度は小さな騎士の槍がウィルの顔面に迫る。


 ウィルの上半身は攻撃のために前傾しており動かせない。

 なので上半身を捻って槍を避けることは出来ない。

 そして槍はヘルムを狙っているので、今から楯で防ぐのは間に合わない。

 ヘルムへの攻撃は的が小さいため空振りすることが多いのだが、今回は顔の真正面、間違いなく直撃コースで迫っていた。


 それをウィルはスッと首を捻って最小限の動きでかわす。

 普通ヘルムと胴鎧は金具で連結されていて動かすことは出来ない。

 しかしウィルは動きが阻害されるのを嫌って鎧とヘルムを連結していないのだ。

 そのおかげで首だけ捻って槍をかわすというとんでもない真似ができる。


 小さな騎士の槍がヘルムの横ギリギリを通過する。

 その瞬間、どこにも接触していないはずの槍がいきなり砕け散った。

 ウィルはすれ違う小さな騎士を慌てて振り返る。

 小さな騎士は砕けた槍をすぐさま放り投げて、腕を突き上げてアピールしながら試合場を半周している。

 いままで苦虫を噛み潰したような顔していた『聖翼騎士団』の従卒や紋章官が熱狂的な声をあげて騒ぎ立てる。


 ウィル側の副審判は白旗を一本あげ、小さな騎士側の副審判は白旗を三本上げた。

 これでポイントは二対四、ウィルは追い詰められてしまった。

 ウィルは何度も激突の瞬間を思い出してみるが、どう考えても槍は自分には当たっていなかった。槍がひとりでに砕け散ったとしか思えない。


「ちょ、ちょっとどうしたのよ! 槍を受けるなんて」


 慌てて駆け寄るロジェの様子から観客には槍が当たったように見えていたのだと分かる。サラも心配そうな顔で不審な点があったことに気づいた様子はない。


「いや、ウィルは槍を受けておらん。槍がひとりでに砕けたんじゃ」


 ランスロットだけは見えていたようで訝しげな表情を浮かべている。


「はぁ? 勝手に槍が砕けた?」


 ロジェは狐耳をピンと立ててありえない、という顔をする。

 ウィルも自分が立ち会ったのでなければありえないと思う。

 騎槍を限界まで脆くして砕けやすくする、という小細工をする騎士も居るという話は聞いたことがあるが、触ってもないのに砕ける槍なんて聞いたこともない。

 だが実際にウィルの目の前で槍はひとりでに砕けた。

 何かしらの細工があるとしか思えなかった。


「それが本当なら今度こそ反則よ!」

「じゃが、証拠がないわい。砕けた槍も従卒がそそくさと回収しておったし」

「それこそやましいことがある証拠じゃない!」

「向こうは抗議を聞くつもりもないみたいだね」


 憤然とするロジェ、口惜しそうに唸るランスロット。

 そしてこちらが不正に気づいたからなのか、審判はウィルの準備を急かして来た。

 ここで確固とした証拠もなしに抗議して試合を引き伸ばすことは出来ない。

 そうした行為は『騎士として不名誉な行為』とされて試合は自動的に負けになり、その後の試合でも後ろ指をさされることになる。

 紋章試合において騎士は、強さだけでなく名誉もまた重要なのだ。

 そんな場で不正をしているのはまさに『不名誉な行い』なのだが、証拠がない。


「ど、どうするのよ! 次で落馬させなきゃ負けちゃうわよ!」


 ウィルと小さな騎士とのポイント差は二ポイント。

 これは相手が反則行為でマイナスポイントとならない限りは逆転は不可能だ。

 ウィルが相手のヘルムを突いて三ポイント、相手が同じくヘルムを突けばポイント差は詰まらず負けてしまう。

 何とか防御するか、胴体で受ければポイントは並んで延長戦となるが、相手の槍がいつでも好きなタイミングで砕けるとしたら防御は不可能だ。

 ヘルムに近づけて砕かれたら外からは命中したようにしか見えない。


 唯一の突破口は相手を落馬させることだが、未だに相手の強靭さの謎は解けていない。

 今まで同じように攻撃したとしても落馬させるのは難しいだろう。

 まさに手詰まりだ。

 サラが不安そうな顔をウィルに向けた。

 そのことがウィルは悔しかった。

 こんな顔をさせるために戦いを挑んだわけではない。

 嫌な連中を圧倒的に打ち倒して、サラにまた笑って欲しかった。

 単純にそれだけの子供っぽい理由から無茶をした試合なのだ。

 この試合だけはなんとしても勝ちたい。

 いままでの試合でも手を抜いたことなど一度もなかったが、この試合だけは、という思いが沸きあがり自然と手綱を握る手がきつく握り締められた。


「ブルルッ」


 その時、ウィルの騎乗する老馬が鼻を鳴らして首を押し付けてきた。

 何かを訴えるように一生懸命、ウィルの手に首を押し付ける。


「おまえ、……いいのか?」


 ウィルは老馬を気遣うようにそっと首筋を撫でる。

 老馬はまるで返事をするように嬉しそうに小さくいなないた。

 ウィルは覚悟を決めて、ぽんぽんと老馬の首筋を叩いた。

 そうしている間にもロジェはあーでもないこーでもない、と色々な仮説をまくし立ててくれていたが、ウィルはほとんど聞き流していた。


「ちょっとっ! 聞いてるの!」


 ロジェは顔を真っ赤にして目を吊り上げて睨んでくる。

 しかし狐耳はぺたりと伏せられて、尻尾は力なく垂れさがっている。

 ロジェもまた不安なのだろう、パートナーの騎士が負けるのを喜ぶ紋章官はいない。

 サラだけではない、ロジェやアリエル、ランスロットたちだってウィルの勝利を願っている。彼らの為にも、負けることは出来ない。


「大丈夫、勝ってくるよ」


 ウィルは短く答え、面頬を下ろした。

 まだ心配そうにウィルを見るサラに向かってハンカチの巻かれた左手を掲げる。

 そしてそのまま入場門まで馬を進める。

 主審判が苛立たしげに開始の合図を出す。

 旗手が力強く旗を振り下ろした。


 それと同時に小さな騎士は馬を走らせた。

 反対にウィルは、騎乗したまま棒立ちで馬を操らない。

 観客はザワザワと騒ぎ、ロジェとサラは目を丸くして硬直していた。

 ランスロットだけは神妙な顔でウィルと老馬を見ていた。

 それにウィルは微笑み返した。見えないだろうが、伝わったと思う。

 ウィルはゆっくりと周りを見渡して、軽く手綱で老馬をはたく。


「いこうか」


 ウィルと老馬は小さな騎士に遅れて走りだす。

 小さな騎士は既に試合場の三分の一を通過していた。

 激突するのはウィル側のかなり深い位置になりそうだ。

 だが、これでいい、とウィルは思った。


 これからかなりの無茶をするのだ、あまり長い距離を走らせたくない。

 ウィルは心を空っぽにしてただ走った。

 手綱もほとんど操作せず、鞍もなるべく締め付けず、馬と一体になることだけを感じた。

 そして、まだ激突するには遠い間合いで手綱を一気に引き上げた。


「何ぃっ!」


 小さな騎士の驚愕の声が響く。

 試合場の観客たちは目の前で起きた信じられない事態に目を見開き、声を失った。


 ウィルと老馬は宙を駆けていた。


 まるでそこに障害物でもあるかのように、その巨体を空に舞わせてジャンプしたのだ。

 ウィルはゆっくりと感じる瞬間の中で、こちらを見あげる小さな騎士を見た。

 そのまま騎槍を小さな騎士に向けて落下させる。

 老馬の助走した勢いと、ジャンプしたことによる重さのすべてが槍に乗りぶつかった。


 バガアアァァン!


 まるで馬車が衝突したような轟音が響く。

 衝突の瞬間に素早く騎槍から手を離したウィルだが、それでも衝撃の余波は右腕を貫通して痛みを走らせた。

 しかし小さな騎士の方はその程度では済まなかった。

 頭上からとんでもない衝撃を受けた小さな騎士はそのまま馬ごと横倒しに倒れて、ぐるぐると馬と一緒に横回転した。


 静まり返った観客席からどよめきが広がっていった。

 その原因は倒れた小さな騎士の背中にあった。

 派手に横回転したことで陣羽織サーコートが破れて、その鎧と鞍があらわになったのだ。

 そこにあったのは首まで伸びた長い背もたれのついた鞍と、それに完全に結合された鎧だった。こんなことをすれば騎士はどんな攻撃を受けても落馬しない。

 もちろんこれは明確なルール違反だ。

 これにはさすがのアンゲル人の観客も擁護できずに動揺していた。

 

 ウィルは試合場にこびりつく重苦しい空気を吹き飛ばすように、ハンカチの巻いてある左腕を高々と掲げて勝利をアピールした。

 その瞬間、ユート人の観客が万雷のような拍手を鳴らした。

 それに釣られるように他の観客もウィルへの歓声をあげて、小さな騎士へ罵声を飛ばした。従卒や紋章官たちは慌てて小さな騎士を助け起こして、逃げるように試合場を離れていった。

 ウィルは入場門まで騎乗して戻ることなく、途中で馬から降りた。

 老馬は身体中から滝のように汗を吹き出して息を荒くしている。

 ウィルは老馬の首を優しく抱きしめた。


「ありがとう、無理させてゴメン」


 老馬はブルル、と小さく鼻を鳴らす。

 勝利したはずのウィルの胸を占めるのは寂しさだった。

 物心ついたときから一緒にいた。

 ずっと一緒にいられるとは思っていなかったが、もう少し一緒に居たかった。

 ウィルは誰にも見えないヘルムの下で静かに涙を流していた。

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