2. ツクヨミとヴェルトーチェカ

「ふぁーまさか温泉まであるなんてねー……」

 すっかりリラックスした状態で胸まで湯に浸かりながら、リリアンはヴェルに話しかけた。


 上気した頬に頭髪をタオルで巻いた姿で、もうすっかり出来上がっている。だが、もう一方のヴェルトーチェカの方は相変わらずの無表情を崩さず、それでも静かにこちらもたっぷりの湯に浸かっている。


「ねぇヴェル……やっぱりあたし、デュナンのことが好きかどうか分からないけど」

 不意にしんみりと語り始めるリリアン。

「でもやっぱり、彼には普通に笑って欲しいな」


 きっとずっと一人ぼっちだったのよね。だから……もしかしたら、ものすごいお節介かもしれないけど、あたしには当たり前に家族がいたから。そういう暖かさを彼にも分けてあげたいなって思って。ああでもやっぱり余計な御世話かなー。そう呟きながら、半ば照れ隠しのように顔を湯面に漬ける。


 そんなリリアンを誰かが視ている。それは目の前のヴェルトーチェカであって、その実そうではなかった。彼女は一体何者なのか? 月の神とその思いを一つにする片割れの仮初の受容媒体。だが、それでもその奥にもう一つの視線が蠢いていることを当然、彼女自身も彼らも知らない。


「リリアン……」

「ん、えっ?」


 突然、ヴェルが目の前に迫ってきて、思わず気が動転する。気の置けない同性のルームメイトの突然の行為にリリアンは目を白黒させた。ん、んんーっ……って、あたしにそういう趣味はっ。ヴェ、ヴェル!


 リリアンの細い両肩を掴んで湯に浸かったまま、ヴェルトーチェカは構わず唇と唇を密着させる。息が出来ない。まるでリリアンの想いそのものを吸い上げるような、そんな作為的なキス。しかし、ただでさえ逆上せていたのか、リリアンはそのまま気を失った。


 ちゅっちゅっ……相変わらず、その透き通るような素肌に音を立てて唇を這わせ、ヴェルは無表情のまま、自動的にその行為を繰り返した。


 ――ふふ、かわいい子。でも、デュナンは私のもの。今夜は素敵な夜になりそうね……。

 

 それは無意識下での思い、そして。


     *


「ねぇデュナン、やっぱりリリアン先輩のこと……」

「――またその話か」


 こちらは男湯の会話。どうにも、こいつの人懐っこさには参る。それに、そのリリアン・パスティム。やはり人間というのは面倒だな。……それでもやっぱり利用するんでしょ? 不意に呟く突き放したような囁きに、ふと耳を傾ける。それもつかのま、隣で湯に浸かる諒牙との会話に引き戻される。


「どう? 一度二人だけでデートでもしてみたら?」

 そうだな……それを機に彼女に探索端末を仕込むというのも一つの手か。


「もしそうしたら、お前は俺に何をしてくれる」

 ついでにこちらも篭絡する良い機会か。思わず意地悪く凄んでみたが。


「えっ……そうだなぁ。じゃあ夕飯一食おごってあげるよ」

 ダメだ。こちらはまたの機会にでも考えるか……呆れるように落胆する。


 ほんと、酷い神様だね。詰るように脳裏で呟く愛する巫女の声に、しかしニヤリと笑う。そう言うお前はどうなのだ、瑠美那。この私に逆らうこともできないではないか。ああ、そうだ。私は酷い神だ。だがそれも、唯一つの目的があればこそ――それを成就するまでは、お前に痺れるような快楽と身も凍るような辛苦を与え続けるだろう。


『………』


 やっぱり何かが間違ってる。あたしはそう思いつつ身を硬直させる。でも……どこかで誰かが教えるんだ。彼と共に往くことで必ず救える魂があると。それがルミナス自身なのか、それとも他の誰かなのか、今のあたしには何一つ解らないけど。


「――デュナン!」


 と、その時不意に予期せぬ相手から名前を呼ばれ、はっとする。ちょうど脱衣所にあがるところだった。見れば、男湯の入り口にバスタオル姿で立ち尽くしていたヴェルトーチェカがいた。


「リリアンが……」


 そう告げられ、一切臆せずすっかり灯の消えた女湯の扉をがらっと開ける。小さな露天風呂の一角に気を失ったリリアンが裸のまま倒れている。どういうわけか、彼女は仮死状態にあった。どういうことだ? 振り返りヴェルトーチェカに訊ねるも、彼女は「わからない」と繰り返すばかり。とにかく人工呼吸で生き返らせなければ。この際、仕方なく、といった枕詞は後回しだ。


 しかしリリアンの胸に屈み込んだ瞬間、背後に立ち込める、ただならぬ怜悧な気配に身構える。


「……お前は、誰だ?」


 背後に立ち尽くし、俯いた小柄な少女を薮睨むと、これまで一度も口にしなかった懐疑の言葉を初めて解き放つ。クククク……ッ。長く垂れた前髪に隠れたその表情は容易に見て取れないが、その薄い唇が僅かに歪むのを見た。


『ク、スヒ――』


 少女の唇が確かにそう動いた。いや、これはテレパス。脳内に直接語りかける声だ。その言葉の意味を理解しようとする瞬間、その脳髄でのパルスのやり取りさえ許さぬ力がデュナンめがけほとばしった。


 その瞬間、全ての記憶が無残にも無理やり巻き戻されていく。


 それは彼自身の本心だったのだろうか。それでも、そうではないと否定する心がすべて無碍に蝕まれていく。ただ、なされるがままに無垢だった、あの日。誰もが生まれた瞬間のことなど、いつしか忘れてしまう。そして、それこそが本来の自分自身であると偽りの映し身を俄かに構築する。日神とて例外ではなかった。それが証拠に彼は……。


 

 お前は誰だ? なぜ俺をそんな名前で呼ぶ。月も太陽も出ていない、こんな新月の深淵の闇の中では、すべてが無意味だ。だがしかし。それでも目を凝らし見据える。あの日の慟哭と、その記憶を封じるため、心臓に埋め込まれた鉛のような鈍痛。それが一気に激痛に置き変わる。ああ、そうだ。すべて解っていた、そうすべての宿命を。


 ――うあぁあぁぁあぁぁぁ!


 目の前が真っ赤に染まる。あかい両眼を持っているからではない。これは網膜に映る血の色。クスヒ。クスヒ様。かつて愛していた者たちが私を抹殺しにやってくる。ならば相手をするまでだ。今の私ならば、おそらくそう答えるだろう、しかし……。


 突然のことに、背後に立ち尽くしていた諒牙も、ただ呆然とするばかり。目の前でデュナンはリリアンを蘇生さえることも叶わず、両目を押さえて激しく叫び、悶え苦しんでいる。その傍らに俯いたまま立ち尽くすヴェルトーチェカ。


「ねえ、ヴェル! デュナン! 一体どうしたの!」

 諒牙の叫びも虚しく、二人の間に流れる特異な磁場のようなものに遮られ、容易に近づくことすら出来ない。


 ――クスヒ。

 愛している……そう貴方だけを。


 その聞こえない声がプラズマの電流を帯びて、幻のように周囲に飛び散った。

「うあっ!」

 その飛沫を受けた諒牙は、タイルの上に激しく頭を打ち付けて気を失った。

『これで邪魔者は、いなくなりましたね』


 その声が割れんばかりに痛む頭の中に響いてくる。お前は――誰だっ。相変わらず問い掛けるも、一向に記憶の断片が繋がらない。ああ……本当に寂しい。まだ思い出して下さらないのですね。クスヒ、私はこんなにも貴方のことを想い続けているというのに。千の昼と億の夜。何度狂おしく想い続けても、貴方は私のものにならない。


 奇しくもこの偽りの大地の一つは、私の名でもある。人間どもは愚かです。その愚かな人間を救わんがため、貴方の母君は……おや、昔話をするのは、まだ早すぎますね。それでも私は、その人間の一人と契約を結びました。すべては貴方の心を取り戻さんがため。雄々しく気高く美しかった貴方。そう、すべての宇宙ものが貴方の前に平伏すのです。


 誰だ。唯一つ解るのは、こいつが俺の味方ではないということだ。どれほど美しい言葉で飾ろうとも、賞賛の心を向けられようとも、俺には何一つ届かない。そう脳裏に刻み込みながら、必死の抵抗を続ける。そうだ、瑠美那! 何をしている――お前の力を使えば、どんな邪悪な魂だろうと……。


 しかし肝心の巫女は何一つ答えない。いや、むしろ――震えている。

『聡……介くん、なの……』


 聡介、誰だ? 瑠美那の知り合いか。次第に混濁していく意識の中で、確かにあいつが驚愕しているのが分かった。いや半分は、安堵の気持ち。だが圧倒的な絶望に同時に苛まれてもいる。こいつの中には、あいつを激しく揺さぶる愛憎の感情が渦巻いている。


 ――聡介君!


 彼女がそう叫んだのがはじまりだった。長かった。あの月食の夜、故郷の沖縄で別れてから。でも、おかげで僕は君が僕にとってどういう存在だったのか、やっと知ることが出来た。瑠美那さん、君の存在の眩しさ、そしてその理不尽さがすべての答えだ。それでも僕はそれさえひっくるめて、君のすべてを手に入れたいと思う。ずっと願っている。好きだよ……でも、これは告白じゃない。君と君の日神への果たし状さ。


 クスヒ……これでも思い出して貰えないのですね、それならば。


 ヴェルトーチェカの身体が蒼い光に包まれたかと思うと、次第にデュナンに近づいていく。まるでマリオネットのようだ。けれど、その想いは確かなエネルギーとなって少女の身体を自在に動かす。愛している、憎んでいる……その相反するプラマイの感情が惹き付け跳ね返すすべての磁力となる。


 ――クスヒ……。


 くっ!その指が触れた途端、デュナンの身体は激痛にも似た辛苦に反り返った。しかし、容赦ない少女の抱擁に日神とその巫女は、すべてを知った。切ない、まるで噛み切るような口付け。その瞬間に霞がかっていた記憶と思念がスパークした。


『――ツクヨミ!』


 やめろォ……!髪を振り乱し頭を抱え、日神は激しく身悶えする。きつく閉じたその両眼からは血が流れ、全身を貫く痛みが電流のように何度も駆け抜けた。愛している、愛している……呪文のように幾度となく繰り返される言葉。だが、それは優しく包み込む愛撫ではなく、刃物のように鋭い痛みとなって全身を切り裂いた。


 だめ、だめ――!

 巫女が意味もなく半狂乱になり叫ぶ。そう、すべてに既に意味はなくなっていた。


 月の光が太陽に照らされた幻の光なら。なぜ月はこの世に存在しているのでしょう。なのに太陽神は絶対神であると、なぜ崇められる。貴方の光でさえ、ひと時この世に許された仮初の輝きでしかないのに。いいえ、だからこそ愛しいのです。その刹那の輝きに誰もが惹き付けられる。


 すべてが今、ここで明らかにされていった。日神の裡に隠された、そして月の神が抱く少年の愛憎の念も。奇しくもそれは、同様の思いだった。憎いと思う相手と愛する者が同じであるという果てしない矛盾。それなのに今、少年は愛するものを抱く日神をこの手で葬りたいとさえ思う。


 ああ、そうだよ。瑠美那さん。やっと君に触れられた。例えその身も心も日の神の光に穢されたのだとしても。僕は君の唇の形をやっと手に入れた。あたたかい、その温もり。もう誰にも渡さないよ!


 ――聡介くん、やめて!


 君は今、龍蛇の巫女だ。畏れと恐怖を頭上に戴いた……そんな君に何が反論できる? そう詰られ、思わず怯む。そして無駄だというのに両耳を塞いでかぶりを振る。そうなんだ、あたしは龍蛇の巫女。もう戻ることは決して出来ない。ルミナス、父さん、どうしたらいいの、あたし……。


 ツクヨミとルミナス。絡み合う双方の過去が織り成す、その真実について何も知らぬまま、それでも龍蛇の巫女は目に見えぬ何かに苛まれる。


 聡介君が、まさかそんな風にあたしを思っていただなんて。唐突に告げられた告白に、無邪気だった沖縄での日々が巻き戻される。きっとあたしは、なんにも気付いてなかったんだ。知らないということは、そのまま罪。眩しく鮮やかな陽光を浴びて、きらめく南洋の海。けれど、その裏に潜む、暮れ落ちたあとの漆黒の闇夜。その闇に舞い降りる月の神。そこで密かに呼吸する精霊たちでさえ、今となっては人々の心に顧みられることはない。


 うっ……あ……瑠美那、取り込まれるな、瑠美那。残された力で搾り出すように呼びかける。


 お前が何を思おうと、そう今この時を悔やもうと、すべての真実は一つだけだ。クスヒ? 違う、ルミナス。お前が名付けたこの名が、私のすべてだ。すべての銀河ほし宇宙せかいの輝き。そうだろう――瑠美那。

 

 その瞬間、何かが変わった気がした。馬鹿な!ツクヨミが一瞬怯んだ。


 心の奥底で泣き叫んでいた瑠美那の気配が一瞬でよみがえる。まるで夜明けのヴィーナスだ。しかし、その刹那の輝きは降り注ぐ太陽の神々しい光によって飲み込まれ、別の何かに変貌する。


 メタモルフォーゼ。これが誓約そのものの真意なのだ。ツクヨミよ、私は生まれ変わった。そう、瑠美那と出逢い……。たとえこの邂逅がどこへ迎おうとするのか何一つ分からなくても、その言葉がどんな痛みや哀しみも、すべて照らし癒してくれるような気がした。そうルミナス――あなたと出逢って。


 それは生命そのものの黄金の輝き。白銀の月光でさえ、癒し生み出す力。そうなのですか……クスヒ。あなたとあなたの巫女の絆は無限であると。ですが――、ツクヨミは一瞬見せた哀しげな表情を消し去り、己自身の落ち着きを取り戻す。


 今日のところは退却しましょう、聡介。聡介?

 見ると彼は、それまで仮死状態に置かれていたリリアンの頬に手を触れていた。無論、触れていたのはヴェルトーチェカの掌だったのだが。


「ごめんね、リリアン。君には関係ないのに」

 ふっ……冷たく微笑みながらも、ツクヨミは聡介に力を貸した。太陽の暖かさにはかないませんが。次の瞬間、リリアンの心臓は鼓動を打ち呼吸が戻り始めた。


     *


「おーい、冗談きついぜ……」


 一応、この施設全般の管理も任されている。そんな島嶺にとってそれは痛い出費だった。それもそのはず、なぜだか一晩で岩屋の露天風呂が不自然なほどに木っ端微塵に破壊されていたからだ。それは男湯のみならず、隣接する女湯の壁面もだ。別段客商売でやっているわけではないが、これも彼の趣味の一貫だったがためにショックの一言だ。だが一体これは……。


 奇妙な熱で融け落ち、すっかり干上がった湯殿の岩肌。それは尋常でない温度の熱が加わった証拠だ。これはやはり、龍神様が御降臨なすったか。それにしたって。同時に急激な温度変化で急速に冷やされた痕跡もある。灼熱の太陽と、絶対零度の夜の冷たさ、か。島嶺には何かの確信があった。実際、日神の足取りは全て掴んでいるも同然だ。だが、しかし。


 “ヤツ”を脅かすほどの対抗勢力が現れた、のか? まったくガイアだけでも大変なのに御苦労なこった。頑張れよ、瑠美那――。島嶺は冗談とも本気ともつかぬ思いを一人胸で呟いた。


『聡介、昨夜は無茶をさせてごめんなさい――』


 ――ううん、いいんだ。でもそのおかげで、日神にも、そして瑠美那さんにも気付いて貰えた。でも僕たちはそれぞれ、とんでもなく頑固な相手に恋しちゃったみたいだね。そう茶化して笑う聡介をツクヨミは抱き締めた。ごめんなさい、聡介……。


 かえって両者の絆を深めてしまった。そんな太刀打ちできぬ絶望感に独り苛まれもする。しかし、私たちでさえ、結構な打たれ強さを持っているのだと知らなければ。なぜなら月の光は太陽光の賜物なのだから。地上のものたちは、その両者の絶妙な引力によって生かされてもいる。生命を育むのは日光だけでも、それに月の満ち欠けによる潮汐だけでもない。そう私たちの力がなければ、この惑星ほしは決して生き長らえない。


『しかし大国ガイア、あの者がもし、かの人を手にかけようものなら……』


 ツクヨミの美しい切れ長の眸が鋭い光を宿し閃く。島嶺という男、もう少し解り易くならないものですかね。だが。微妙に眉を顰めながらも、その御せざるを得ない不確定要素が大きな価値へと変貌するのです。どちらにしても、私たちを含め両者ともにガイアは敵――。


 本来ならば、高みの見物と行きたいところですが、他ならぬクスヒのため。そう、私は貴方がためだけに存在するもの。たとえ最後は互いに刺し違えようとも。その僅かにして遥かな矛盾でさえも超え、ツクヨミの静かなる想いは激しくも哀しかった。


 ゆらゆらと水面に浮かぶ月。その刻々と変わる形は決して移り気なのではなく、情愛の姿それ自体がゆえの変化なのですよ……どうか覚えていて下さい、クスヒ。


     *


 思い出した……あいつだ、ツクヨミ……。ルミナスは思わず眉を顰めた。確かに漠然と自分を付け狙う月の神の存在があるとは感じていたが。


 だのに、胸の奥にわだかまる凍るような熱さ。理不尽なその温度差にこの身が引き裂かれそうだ。“あの時”もそうだった。あいつが裏切ったのか、それとも私が裏切ったのか。どちらにしても、私たちは仲違いしたのだ。ああ、そうだ。あれほど美しく愛しいものはいない。いや、いなかった……、結局、私たちはとうに過去形なのだ、なのに。


 あいつは本物の蛇だ。エデンの園に迷い込む者をかどわかす蛇。その毒牙に私はかかった。くっ母上……。なぜだ、どうして。そう問い詰めることが出来るなら問い詰めたい。だが。本来の龍蛇の本性が私自身にすらあることを、どうして免れよう。


 だから私は――。


「デュナン! ねえ、起きてデュナン!」

 誰かが呼んでいる。誰だ、どちらにせよ、もう月の神の接吻くちづけは、金輪際ごめんだ……。


「デュナン――!」

 どうやら丸一日合宿寮で眠り続けていたらしい。さぞかし瑠美那の本体は久々に伸び伸びしていたことだろう。そんなことを思いながら、そっと目を開ける。


「あっ目を覚ましたみたいだよ」


 人事のように諒牙が無邪気に笑う。リリアンも、それに釣られて大輪の笑顔で応えた。よかった――一時はどうなることかと思ったのよ。そんなリリアンの声がどこか遠くに聞こえる。何だか耳鳴りがする。


 麓まで降りてデュナンをここまで車で運んでくれたのは、島嶺助教授らしかった。四輪駆動車だったから、いつ車内で目を覚ましてもおかしくなかったんだけどね。それくらい眠りが深かったらしい。どちらにしても全員、あの朝、裸同然の格好で、すっかり壊れ果てた女湯に倒れていたというんだから、不思議な話だ。


 きっとUFOの仕業か何かだよ。自身の身に起こったことであるにもかかわらず、諒牙は軽いジョークを飛ばした。というか、リリアンは顔から火が出そうなくらい真っ赤だ。それもそのはず、彼女は一糸まとわぬ生まれたままの姿で、その場に仰向けに倒れていたのだから。勿論、最初に目を覚ましてそれを介抱したのがヴェルだったからよかったものの。


 どちらにしても、長い夏の合宿生活は未だ始まったばかり。リリアンは二ヵ月後の自分たちに想い馳せ、そっと静かに薔薇のような頬を染めるのだった。


 

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