2. アマテラスの子と売国奴

「こんにちは、金城瑠美那さん」

 盛夏のツクヨミドームであたしを出迎えたのは、睦月諒牙ではなかった。あの声の主――、以前あたしに転入の連絡をTELしてきた、その女性ひとだった。


 ふわっと華やかに整えたロングヘア。嫌味のない薄化粧。加えてセンスのよい銀縁眼鏡。天照大にて以前、島嶺助教授の秘書を勤めていたという、その女性は、草薙瑞悸みずきと名乗った。


「そうです、草薙瑞穂は私の姉です」


 現在、天照大に勤めながら各教授のスケジュール管理などは勿論、同時にこの学園のエリートアカデミーコースの生徒たちの多岐にわたる様々なサポート役も兼ねているという。まさに文字通りの才女、である。イオリゲル候補生の、そう睦月諒牙君から既にお話はうかがってます。そう言って、草薙瑞悸は微笑んだ。


「確かにエリートコースに転入になる前に、色々と準備は必要ですものね」


 それがこのツクヨミドームにおける、エリートアカデミー科の夏季合宿である。合宿といっても、ほとんど夏休みのようなものですけれどね。しかし、こなさなければならない課題は山とある。瑠美那さんの場合は、それをする代わりに転入前の準備段階ともいえる、予備学習をしていただきます。何だかそう告げられると、途端に緊張する。


「でも、あんまり硬くならないでくださいね?」


 にっこりと微笑む、瑞悸女史。あなたの学習の面倒は、睦月君がしっかり見てくださるそうですから。ああ、それなら安心だ。その名前を出されて、改めてあたしは、ほっとした。よ、よろしくお願いします!と律儀に頭を下げる。既に理事長先生の家は引き払ったあとだった。そう、今後あたしはエリートアカデミー科の女子寮に入るのだ。


 当の諒牙君からは、その翌日連絡があった。ごめんね!急に都合がつかなくなってしまって……あたし自身は、それほど気にはしてなかったのだが、彼自身はというと、自分が言い出したことでもあるし、ものすごく恐縮していた。というより実は、もっとずっと切実な思いで。


 大丈夫だよ。草薙さんに色々と教えて貰ったから。だからあんまり気にしないで。諒牙君からのTELにそう答える。でも、これからよろしくね。そう茶目っ気たっぷりに告げると、「う、うん!」相手の男子高校生が携帯越しに激しく頷くのが分かった。もう、諒牙君ったら。くすくすと笑いながらも、ちょっとだけ前途多難な新たな学園生活のことを思った。


 本当は、そんな今目の前にある現実より、あれからずっと気にかかっていることがあった。それも、心底驚くような……ルミナス、本気なの? 心の奥底で一人呟く。本来なら、この学園生活は、ほぼ仮初の生活であると言ってもよいようなものだった。しかも、あたしは未だアマテラスにいるのだ。勿論この夏の間だけは、ここツクヨミドームにいることになったんだけど、それだってガイアの人たちに監視されたままなんだろうし――裁くなら早くしろ、とでも言いたいような酷く緩い軟禁状態。たとえ諒牙君のいるエリートアカデミー科に移ったとしても、それは一切変わらないだろう。


 しかもルミナスが――突然、あんなことを言い出すなんて。このイザナギのおうになる。それって、もしかして天皇ってこと? でも、この国の天皇は……。まさに天地がひっくり返ってしまったんだ。確かに以前は、この国がまだ日本と呼ばれていた頃は、ただの国の象徴でしかなかったって歴史の授業では、そう教えられてきていたけど。


 でも、その血筋をどうやって証明するの?……知れたこと、この私にできないことがあるとでも思うのか。ルミナスはそう告げて高々と笑った。確かに。あなたには、できないことなんて何一つないかもしれないわね……。そう低く呟いて少なからず困惑する。まさに全知全能の日の神、太陽アマテラスの皇子、というわけである。


 まさか、国民全員に催眠術でもかけるなんて言い出す気じゃ。実際は、そんな陳腐な方法でないことは解っていたけど。それでもあたしは、胸にこみ上げる不安を抑えきれなかった。何かが始まる――……そう、大きな何かが。クロエも苦労するわね、こんな理不尽な神様の参謀役を務めなければならないなんて。ふ、言いたければ存分に言え。そのうち、目にもの見せてやるさ。


 ……そう、あいつに、突然現れて我々を煙に巻いた、憎っくきガイアの腹黒い白のメシアに。もうそいつが、どこの誰かなどという野暮なことは、おそらく彼には判りきっていたのだろう。そしてむしろその怒りの焔は、確かに未だ彼自身の中でずっと燻っていた。いや、燻るなどというものではない。例のリリアン・パスティムのこともだろうけど……でも、その彼の胸の内に燃え盛る、本当のところの真実については、あたし自身、まだ何一つ知らされていなかった。


 ただ一つだけ分かったのは、案外、彼には人間臭い部分があるのだということだった。確かに、そうかもしれない。不意にそう呟かれて、自分の思考は筒抜けなのだと改めて気付く。故郷アマテラスにおける神話時代、ルミナスは神人として、いやアマテラスの子として、その一切の称号を周囲から認められていなかった。それどころか離宮に監禁され、アマテラスの実子であることも日神であることも、ひた隠しにされ続けてきた。


 ――確かに今さら、そんなことにこだわりはしないが。


 だから、むしろ神よりも人に近しいと言えるのだろうか。だからこそ、こうしてお前を見つけることができたのかもしれない……。それにしたって。だったらなぜ、あんな酷いこと平気でできるの? あたし自身の中に燻っていた嫌な記憶が一気に雪崩れ込むように脳裏に蘇る。きっと必要ならば、人類を皆殺しにすることだって厭わない――なのに、その一方で……。


 ルミナス、時々あなたがよく分からなくなる。あたしの意識を取り込んで、巫女として平然とあたし自身の身体をいいように使っているのだって――。いいえ、そう。それはあたし自身が。思わず目を瞑ってかぶりを振る。それについては、確かに双方合意の上でのことだったのだ。なのに後からグダグダ言ってるあたし自身こそルール違反だ。


『解っているなら、それでいい――』


 ふっと笑いながら、ルミナスは囁いた。……お前は、おとなしく私に従っていればよいのだ。ゾクッとするような、その声色。一蓮托生。確かにルミナスは、あたし自身の弱い部分を確実に突いてくる。それは遥か遠い昔、あたしが彼を心から愛していたという、その揺るぎのない確かな真実。あたし自身でさえ、どうしようもない、一つの運命の枷。


        *


「命そのものは、記号……そうでしょう?」


 不意にワイズ博士の口から漏れ出た言葉に、耳をそばだてる。だからイオリゲルも、そしてあの龍蛇の血潮を注がれた海賊皇子も、こうしてつつがなく役立てることができるのです。そうでしょうね、そう言ったきり再び黙り込む。あいつ、睦月真吾は、また自分に会いにやってくる気がする。しかも今度は自発的に。なら、その前に――それはそのことが悔しいから、というよりは、ある程度の必然において、という意味合いからだった。実際、あの龍蛇と化したアグニを調教するには、どう考えても彼らだけでは役不足だった。


「……しかたがないわね、」


 ふふっやはりお出掛けですか。確かにあのマシンについても、興味深いことが非常に多いですからね。ただでさえ貴重な被験体であるのに加えて、その彼が乗りこなしていた、あのあかい機体。気にならないという方がおかしいですね。せいぜい優しく扱ってやってください。――解ってます!声色は柔らかだが、明らかに面白がっているような博士の態度は少々気に食わないけど、でも、こればっかりは。


「イオリゲルには色々と貸しがあります。だからというわけじゃないけど……」


 ベアトリーチェは、彼女らのチームが開発したマシンD-2の真の性能を見事に引き出した彼らイオリゲルの才能を高く買っていた。それだけは事実であり真実だった。たとえ諸々の犠牲を前提の上での寄せ集め集団であろうと、なんだろうと。睦月真吾の属するイオリゲル第三小隊。しかし、そこに派遣されているアグニ・ヴァシュラートという被験者は既に被験“者”ではなくなっていた。そいつをどう扱おうと、とうに知ったことではないというわけである。それがこのガイア軍指令本部。そこに監察の名目でやってきているドクター・ワイズ。時々その底冷たい眼鏡の奥のアイスブルーの眸が、やけにうざったく感じる時があるけど。


「ああ、ベアトリーチェ。彼によろしく……何しろ大切な囚われの皇子様を預けているわけですから」


 それに……、些かからかうような眼差しを向けて言いかけた青年博士の言葉尻を遮り、「そんなわけありません!」憮然とした態度で踵を返す。知ったことか。あいつに言うことなんか何もない。ただ無事に任務をこなせということ意外。


 それでも何となく、睦月真吾、あいつからは、片時も目が離せない気がする。いやらしい作り物みたいな、このワイズ博士や、それからガイア本国のやつらの取ってつけたような、よそよそしい態度や雰囲気よりは、ずっといい。


        *


 やっぱり僕には無理だ。“彼”に接する度、そう思う。


 それでも相手は、やはり「蛇」だった。いや龍神の化身ならぬ、その血潮を注がれた、そう元は人間……その元若き海賊の首領は、確かにそのよすがを残す人の姿形はしてはいたが、それでも、その本質は全く別のものに変貌してしまった。それをガイア流に進化、と呼ぶのかどうか。そんなはずがない、こんなこと、人として許されるはずが。そう切なげに思いながら、睦月真吾は一人溜息をつく。


 だが、今自分自身に課せられた、その使命。思えばイオリゲルとして、その自らの力を使う度に、その重苦しさから逃れることなどできなかった。ただ、できるのは目の前に横たわる命題ミッションを命令通り、完了させることだけだ。解ってるんだ――。それこそが物分りのよい現実そのもの。でも……。


 ただ一人、金城瑠美那という、その少女に出会ってから、自分のすべてが微妙に変わっていった。それはいつしか、僕自身の生きる一つの道しるべとなったのかもしれない。そう、ただ一人君だけを守ることが。


 龍蛇の化身となったアグニに対する、そんな逡巡を堂々めぐりしている間に、その報告は彼の耳に告げられた。「え、ベアトが?」


 確かに彼女のことは、あれから少なからず気になっていた。それでもイオリゲルの隊員として職務をこなす日々に紛れ、いつしか知らず時間が経ってしまっていた。確かにアグニ自身はともかくも、このあかい機体アスラのメンテナンス等については、未だ未知の領域に踏み込むようなことでもあり、やはり元のD-2開発メンバーだった彼女に来て貰うのは理に適った好都合なことでもあり、その実色々とありがたかった。


「よかった……」

「しかし、早々ほっとしてもいられないぞ?」


 キリアンのその指摘は、もっともだった。やっこさんが来るということは、ガイア本国の監察の目も厳しくなるということである。何しろ司令部直属のお偉方でもあるしな。それこそ、以前睦月に冷たく放たれた言葉の意味を考えたくなるというものである。『もっと冷酷におなりなさい』――すなわち、心を無にする。何も考えず、ただ淡々と非情な任務をこなす。軍上層部が“彼”に下した運命のように。そう、ガイアという大国の、それが国是でもあった。


 しかし、


「……僕たちは、一体何のために存在しているんでしょうか?」


 思わず口を突いて出た、その言葉に自分自身思い悩む。そして、このアグニも――一体何のために、こんな過酷な運命を受け入れねばならないのか。


「そうだな、だが……」

 我々は、我々自身が生きるために、できるだけのことをするしかないんじゃないのか。そのキリアンの言葉に改めて「生きる」ということの意味を思い返す。


 それは他を圧し、自らを生かすためだけに行動するガイアの本質そのものだ。だが同時にそれは、人それ自体の本質とも言えるのかもしれない。誰かのために自分を犠牲にしていては、何のために自分自身が生きているのかわからない、という、そういう理屈である。そうだ、常に生物とは誰かを、何かを犠牲にして何より自らが生き残ってきた。それが生命の原初からの弱肉強食の掟。それを国是とする大国ガイア。だけど……。


 やはり僕自身には、納得がいかない。他人を退け蹴落として、自分自身だけが生き残って何になる。解っていても、心と体は受け入れようとはしない。確かに僕たちは、そのためにこれまで生きてきた。自分自身と、その家族を守るために。でも、それ以外にも道はあるんじゃないだろうか。自分以外の誰かを救う、そのもう一つの道が。それこそが、本来僕たちが「生きる」ということの本当の意味ではないのか。キリアンの言った「我々自身が生きるためだけのことをする」というその言葉の裏には、そんな真実が隠されているのかもしれない。


 ――諒牙、瑠美那さんを守ってくれ。

 ……その兄の言葉の意味を改めて思い返す。その瑠美那さんと今、僕は一緒にいる。


 夏季合宿とはいえ、エリートアカデミー科の寮生活をそのまま夏の間だけツクヨミドームへ持ってきたような毎日は、それほど普段と何も変わらなかった。ただ夏休みとしての自由時間が少しだけ多いような感じである。それでも山と積まれた課題をこなす間にも、ここの環境のよさが醸しだす空気は確かに、これまでの学園での毎日と微妙に違っていた。でも、それはもしかしたら……?


「ねぇ諒牙君、ここの問題なんだけど……」

 慣れない学習内容からか、遠慮なく度々かけられる質問に、諒牙は穏やかな笑顔を崩さず優しく応えた。


「瑠美那さんは、やっぱり飲み込みが早いと思うよ」

「え、そう? あたしの脳ミソは体育会系の細胞で出来てるんじゃないかって地元の友達によく言われてたから」

 アハハ、と屈託なく笑うその笑顔が、とても心地いい。


 でも、ちょっとだけ心が苦しい。どうして? だって兄さんは彼女と離れて今、自分自身に課せられた非情かつ冷厳な命令に従わなければならないのに。それなのに僕は。


「ね、諒牙君、諒牙君ってば――」

「あ、ごめんね。えと、ここは……」

 一瞬、うわの空になった彼を彼女は訝しんだ。


 確かに気になっているのは、兄さんのことだけじゃない。あれから、いきなり行方不明になってしまってから一向に音沙汰なしのリリアン。そして……デュナン、デュナン・リトラス。島嶺先生からも、その後まだ一度も連絡がない。家族の都合で急遽、本国に帰国したというヴェルトーチェカはともかくも、彼ら二人は一体。皆がいて当たり前だった日常が、ついこの間まで自分の近くにあった。それが突然――。


 確かにいきなり一人きり残されてしまったような夏休み。だから彼女、瑠美那さんを誘いたい気持ちは、きっと兄さんだって解ってくれるだろう。それに、兄さんだって。そんな少しばかり言い訳じみた思いすらも、自分自身の驕りだとさえ思えてしまう。


 そんな僕自身の心を瑠美那さんに見られなくてよかった。他人の心を見透かす「神のデュナミス」を持つイオリゲル候補生である諒牙は、一人思うのだった。


        *


 かつて古代の日本がそうであったように、時代ときの流れに沿うままに中央集権化、その道を辿ることは簡単だ。


 だが、それ自体は己自身の生命線を保つ上で必然とならざるを得なかったことだけは事実だった。イザナギ、この国がその名を太古の神の名に変えて生まれ変わったことも、すべてが必然であった。それがたとえ、混沌の世の末に生まれ変わった大国の意のなすがままの運命であったとしても――。


「神の力を乞うがゆえに、この身を悪魔に売り渡すか……」


 上辺では首相官邸の体裁を取りながら、その社は既に神威を借る偽りの祭壇でしかなかった。アマテラスドーム、その太陽神の名が名付けられた、かつての方舟。その懐に抱かれ行うマツリゴト自体が、それでも全てを担う鍵であると信じていた。ふ、信じる? そんな戯言を今さら誰が赦すというのだ。こうして平安の時に騙される国の民すべてを人身御供にしておきながら……。


『――その神も悪魔も同様の姿をしているとしたら、お前はどうする』

 ふと、どこからともなく聴こえたその声に、御統みすまるは身構えた。

「誰だっ」


 まるで純度の高い白焔。凛と涼やかに響くようで、それでいて残酷な熱を帯びたその声色に導かれ祭壇に視線を移すと、その陰から痩身を翻し、一人の黒髪の少年が姿を現した。その眸は燃えるような緋紫に輝き、有無を言わせぬ視線に捉えられると、御統の手足は動くことを亡失した。


 お前は――っ その言葉でさえ目の前の少年が発する目に見えぬオーラに飲み込まれ、金縛りにでも遭ったかのように心身の自由を奪われる。


「大国神聖ガイア、其に歯向かう者には死――その暗示を贖い享受するからこそ、得られた平和」


 それが今あるこの国の現状まことなのだろう? 一見日本人、そう東洋系の顔立ちの美しい少年の姿をしていながら、その実、不適に笑うその面構えにはゾッとするような怜悧さが漂っていた。


「お前は……」


 ようやく発した言葉に、だが乗せて問う意味それ自体が瞬時に霧散する。御統要一、かつての日本を神に売り渡した男。神とはなんだ。その答えさえも見出せず、ただ万物を超える神威ちからに自らを絡め取られた。いや既に日本だろうとイザナギだろうと、すべては泡沫に帰するだけだ。神聖ガイアという大いなる生命いのちの揺りかごにおいて、すべては淘汰される……そのふるいにかけられた末にやっと生き残ったのが、このイザナギなのだ。


「太陽の皇子――、そう名乗りを挙げたらガイアはどうするだろうな」


 日出処の皇子みこ、もしそれが今目の前にいる少年なのだとしたら。すべては目に見えぬその磁力が物語っていた。御統は夢うつつの心地のまま、ただ言葉もなく立ち尽くした。


 ……再び私が現れたら、それが合図と思え。

 そう刹那、高らかな声だけを残して謎の少年――日ノ神は消えた。


        *


 たとえその身に大いなる力を秘めているのだとしても、今のままの状態では非力も同然だ。


 当然、クロエはそう考えていた。だが、相手は思うよりさらに偉大だった。いや尊大、と言った方が早いのか……それでも、それがそのまま太陽神の力のなせる技なのだということは、クロエにも分かっていた。そう、瑠美那。その巫女を手にしたかの人には、既に怖いものなど何もなかったのだ。


 かの人はいにしえの約束により、その巫女を見出し、本来目覚めるべき力を得た――それがためカグツチも、この地に蘇ったのだ。だがそれも刹那、火龍は得体の知れぬ未知の力に襲われ、そしてあろうことか……あろうことか、その血潮がヴァシュラートの皇子の身に宿った。だが、私はかの人の太陽の象意の化身でありともがらであるカグツチを取り戻したいのか、それとも――。


 そんな考えを振り払うように、視線の先に立つ黒髪の少年を見た。


 クロエはイザナギ海域近くのある島影から、ある近代帆船がふらりと海上に躍り出、傷負いの海鳥のように洋上をイザナギ本国へ向かって疾走はしり出したことをその思念力で察知していた。そう、海賊パルジャミヤのディヤウス号だ。それは同時にガイア船籍の護衛艦とすれ違いざま発砲、そのまま追尾の足を振り切って波濤の彼方に走り去った、と。


「やつらだ。おそらく彼らも白のメシアのイザナギ訪問を期に隠れ家からやっと動き出したのだろう」


 アグニ奪取のためとはいえ、その処遇もおそらくはまだ何も知り得ていないだろうに。が、どことなくクロエには解る気がした。そう、アグニなら。アグニだったら。おそらく真っ先に行動に移すだろう。多分あいつの部下であり相棒は――確かヴァルナと言ったか――状況をもっと冷静に捉える男かと思っていたが……。それでも、彼らがもしアグニの魂を受け継ぐ者たちならば。


「私たちも行こう」――が、そのクロエの提案をよそにデュナンは言った。

「ならば、その前に“餌”を蒔いておかなければな」


 夜の間だけ力を取り戻す妖術にも似た神通力で、デュナン・リトラスは、いとも簡単に首相官邸の警備網を潜り抜けた。その怪しげな祭壇に御統がいることは既に調査済みだった。毎月の新月の夜、この国の首相であり要人である、その男は目に見えぬ神に祈りを捧げる。


「ガイアは既にこの国の懐深くに入り込んでいる……細胞単位で目に見えぬ鎖を張り巡らせ、ついには、」


 それがこのイザナギの現実であり、そして未来の姿なのだ。だが、その鎖を腐らせ断ち切る楔、それに俺自身がなってやろう。その言葉は、かつての祖国アマテラスでの境遇から来る言葉なのか、それとも真の意味で万物を統べる礎になろうという、その意思なのか。


 すべては明後日に迫ったガイア側の秘されし生き神、そう「白のメシア」の異例のイザナギ来訪、に掛かっていた。



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