019

 モリスたち3人がツーソンへ着いたとき、すでに日は暮れていた。

「申し訳ありませんが、今夜は部屋がいっぱいでして」

 モリスは勝手に宿帳を開いて、適当な部屋に記された名前を斜線で消した。「これで空いたぜ」

「お客様、困ります。こちらのかたは、毎度うちのホテルをごひいきにしていただいておりまして」

「なァに、問題ない」

 そう言って、モリスは階段を上がって行った。少し経つと、別の人間がほうほうのていで駆け下りてくる。「チェックアウトさせてもらう。このホテルにはもう二度と来ないからなっ!」

 上からモリスの得意げな声。「ほら、空いただろ」

 宿に荷物を置きシャワーで汚れを流したあと、誰から言い出すでもなく自然な流れでバーへ。気晴らしだ。

 店内はそれなりに賑わっている。3人並んでカウンターに座った。

「ビールをくれ」

「ウイスキー」

「アタシはズブロッカ」

 注文を聞いたマスターが苦笑する。「ちょっとおにいさん、かわいいお嬢ちゃんたちに負けてますよ」

「そんなことよりマスター、シスターに酒を飲ませていいのか? アンタが信仰心篤い人なら、堕落しちまう前に止めてやるべきだぜ。そうしなけりゃア、手伝ったアンタも地獄に堕ちるだろうし」

「まさか。こんなのはただのコスプレでしょう?」

「ご名答」

 偽シスターどころか、バンパイアで賞金稼ぎバウンティハンターでレズビアンというロイヤルストレートフラッシュ。自分のみだらな行いの汚れで満ちた金の杯がお似合いだ。

「あいにく、わたしのなかでウイスキーはお酒ではないの」

「だったら何だ?」

命の水ウイスキー、すなわち聖水なのだわ。ああ、ありがたや」

「ならワインは?」

「もちろんイエスの血」

「ハイハーイ、アタシもウォッカはただの水だと思う」

「いや、むしろウォッカはアルコールそのものだろ。エタノールを飲んでいるのと何が違うんだ?」

「わかってないわねェ。ああ、コレだからトーシローは。アンタが言ってるのは、ロシア人どもの出したションベンのことでしょ。ホンモノのウォッカの味が知りたかったら、ポーランド産をオススメするわ。……何ならひとくち飲む?」

「遠慮しておく。おれは基本的にビール以外飲まない主義なんだ。もっと言えば、コロナがあれば文句はない」

「そうなんだ。でもベルギービールもオススメだよ」

「そんなことよりイングリッド、明日はどこへ向かえばいいんだ? そろそろ目的地を教えてくれよ」

「心配しなくても、明日からはアタシが運転するし。到着するまで寝ててもかまわないけど」

「おことわりだ。人の運転する車には乗りたくない」

「まァ別にいいけど。その代わり、行き先はそのつどアタシがナビするから。道に迷わないようにね」

 モリスは舌打ちして、ビールをイッキに飲み干した。「おかわり」

「ハイよ」

「いいかげんあきらめて、素直におとなしくついていけばいいじゃない。それとも、まだ疑っているの」

「いや、その点は信用してるぜ。ちゃんと財宝のもとへ案内してくれるってな。だが、それでも試すくらいバチは当たらんだろ。もしかしたら、酒で舌の滑りがよくなるかもしれんし」

「ウォッカ・マティーニ、ステアじゃなくシェイクで」

「へえ、ツウですなお嬢さん」

「試すのが悪いとは言わないけれど、期待するだけムダだわ。まァ勝手にすればいい。――シェリーを」

 マスターは突然歌い出した。

「Sherry, Sherry baby

 Sherry, Sherry baby

 Sherry baby

 Sherry, can you come out tonight」

「もしかしてフォー・シーズンズ? 音程ズレてて一瞬わからなかったわ」

「……すぐお出しします」

 モリスがイングリッドに聞こえないよう小声でささやく。「案外酔わせてみたらアッサリ吐くんじゃアないか」

「1杯目からウォッカを飲んでいるのに? 酔いつぶすのにどれだけかかるの。さすがに付き合いきれないわ」

「なになに、何の話?」

「別に。マスター、このシェリーは1851年物ではないかしら」

「おいおいシスター、シェリーに年代はないぜ?」

「シェリーの原酒の年代よ」

「ご明察。そいつはうちの店秘蔵の一品でしてね。信仰心篤きシスター様にだけ特別ですぜ」

「それはどうも。あなたには天国の扉が開かれているわ」

「ちょろいな天国」

「選ばれし者には、ささいな行動ひとつにも証が現れるのよ」

「ところでマスター、あそこのピアノは誰も弾かないのか?」

「ええ、実を言うと、今夜はあいにくピアニストが体調不良なんですわ。急だったから代わりも用意できなかったんでさ。どうもすいやせんねえ」

「だったら、おれがちょっくら弾いてやろうか」

 そう言って、マスターの返事も待たずモリスはピアノのほうへ移動してしまった。ちなみにビールを手に持ったまま。

「ああ、そうだ。何か曲のリクエストはあるか?」

 ローラは少し悩んで、「わたしのために『ミスティ』を弾いてPlay Misty for Me

「エロール・ガーナー? 悪いがその曲には嫌な思い出しかない。おれにとっては恐怖のメロディだ」

 するとイングリッドが、「じゃあジョプリンは? 曲はなんでもかまわないから」

「それなら問題ない」

 ヨッパライが調子に乗っているのかと思いきや、その演奏は想像をはるかに超える腕前、いや指づかいだった。ラグタイムの王様スコット・ジョプリンの代表曲『ジ・エンターテイナー』『パイン・アップル・ラグ』『ソラス』など、数曲続けて披露する。ほかの客たちの評判は上々で、なかには多額のチップを投げる者もいた。

 モリスがピアノを夢中で弾いているあいだ、ローラはイングリッドとふたりきりで密談を始めた。ずっとこのチャンスをうかがっていたのだ。話すなら今しかない。

「提案があるのだけれど」

「提案? そろそろ2軒目に移動しよう、とか?」

「あなたの財産の件で」

 イングリッドはピアノを弾いているモリスのほうを横目でチラリと見て、声をひそめて言う。「それって、あいつには聞かせたくない話?」

「当然だわ。女同士のおしゃべりに男はジャマ。ねえ、マスター?」

 ローラは財布から100ドル札を取り出し、マスターに渡した。

「……ちょっと倉庫にビーフジャーキーの在庫を取ってくるんで。すいませんが5分くらい留守にしますわ」

 それだけ告げて、マスターは店の奥へ消えた。ああいうタイプの男は長生きできるだろう。

「で、いったい何の話なの?」

「ねえ、あなたの現状は最悪よね。殺されたくなければ全財産を出せと脅されている。しかも素直にお金を差し出したところで、約束通り命だけは見逃してもらえるかもわからない」

「まァ、あのまま運び屋に捕まっていたら、砂漠に放置されて日射病で死ぬか、飢え死にするかのどっちかだったし。それに比べたらまだマシだよ」

「とはいえ、だからおとなしく運命を受け入れるというわけでもないでしょう? そんなタイプには見えない。わたしたちが現金に換えたあとで取り戻すとも言ってたけど、だからってフツー素直にあきらめるかしら」

「だったら、今すぐアタシを自由にしてくれる?」

「あいにくだけれど、それはダメ。許さない。殺されたくなかったら、素直に黄金郷まで案内することね」

「アンタが何を言いたいのか、サッパリわからないんだけど」

「少しばかり気になっていたの。あなたが逃げる素振りをまったく見せないことについて。もちろん砂漠からここまでそんなスキはいっさいなかっただろうし、下手に反抗的な態度を取ってこちらの機嫌を損ねたくないのはわかるわ」

「まァね。アタシみたいなかよわい小娘が、不死身のバンパイアを出し抜こうなんて命知らずな真似はできないからね。ましてや相手が2人もいたんじゃアお手上げ」

「そうね。さすがに2人もいたら逃げるのは難しいでしょう」

「……せめて1人だけなら、まだマシなんだけどなァ」

「たとえ相手が1人だとしても、むやみに逆らうのは実際オススメしないのだけれど。あなたが長生きしたければね。ただし……万が一敵にまわすならどちらのほうがマシか、くらいは考えておいても損はないかもしれないわ」

「それってさァ、今さら考えるまでもなくない?」

 ローラとモリス――どちらがより手強いかといえば、当然ながらモリスのほうに軍配が上がる。なにせあの不死身を破る手立てがないのだから。同じバンパイアでも普通に殺害できるだけ、ローラのほうがはるかにマシだろう。

 隠し場所までたどりついたら、モリスは財宝をすべて独り占めにするため、邪魔なローラを始末する可能性が高い。そして用済みになったあとも生かしてもらえると楽観視できるなら、イングリッドのアタマはお花畑だ。アンブローズ・ビアスも言っている――“楽天主義者といえども、死を免れるわけには行かない”

「信じて報われるんだったら、それもいいでしょう。あんなクソッタレの悪党相手でも、無償の信頼を寄せられるとすれば、あなたはきっと神に選ばれている」

「神に選ばれてるからって、死を免れることはできない。でしょ?」

「死が救いよ。終末の日まで起こされず、棺桶のなかでゆっくり休んでいられるわ」

「たとえそうだとしても、やっぱり死ぬのはイヤだ。早いか遅いかの違いだっていうなら、アタシは断然遅いほうを選ぶ。棺桶に閉じ込められるなんて冗談じゃない」

「そう。だったら、もう選択肢はひとつしかない」

 ここは何とかして、モリスを始末するしかない。

「……でも、どうやって? そんなカンタンにあいつを殺せるんだったら、そもそも問題になってないっしょ」

 ローラは白々しい微笑みを浮かべて、「いけないわ。そんな物騒なことを言っては。世のなかは殺すか殺されるかの2択しかないとでも? いいえ。けっしてそんなことはないのよ。ええ。絶対に。殺し合う以外の方法は必ずあるはず」

「ようするに、何も殺すことにこだわる必要はないってわけね。モリスをどうにかできるなら」

「そういうこと。あまり難しく考える必要はないわ。モリスは財宝の隠し場所を知らないから。だからヤツを置き去りにするだけでいい」

「まァ、それならいくぶん希望の芽はありそうだね」

「行動を起こすのはなるべく早いほうがいいでしょうね。じゃないと向こうが先手を打って、わたしを始末しにかかるかもしれないもの」

「でも、そうカンタンに上手くいく? 今だってピアノ弾くのに集中してるようでいて、アタシたちからまったく注意を逸らしてないよアレ」

 実際モリスは用心深かった。ホテルは男女別々に部屋を取らせなかったし、イングリッドはひとりでトイレにも行かせてもらえない。今夜はきっと、ベッドに縛りつけられて眠るハメになるだろう。

「ここがどこだか忘れていないかしら?」ローラは得意げに言う。「忘れたの? ここは酒場よ。ならやることは決まっているわ」

「つまりモリスを酔いつぶすの? おねんねしてもらおうってわけ?」

「ほかに何かある?」

 ギリシャ神話の英雄イアソンは、魔女メディアの魔法でドラゴンを眠らせ、金の羊毛を奪い去ることに成功した。日本の古事記によれば、スサノオはヤマタノオロチを酒で酔いつぶらせて、見事退治することができた。ドラゴンがその手の策に弱いのは、古今東西の伝説が証明している。

「さすがに安直過ぎない? いくらビールしか飲まないからって、かならずしも酒に弱いとは限らないっしょ」

「ええ、もちろん。酒に弱いとは限らない。そして強いとも限らない」

 たとえバンパイアであっても、毒物のたぐいが効かないわけではない。ただし人間に対する致死量では足りないのだ。例えば麻酔の場合、ゾウを昏倒させられるほどの分量で初めて効き目が期待できる。ようするに外見は人間大でも、巨大なドラゴンと同じ尺度で考えなければならない。

 ゆえに、バンパイアを毒殺するのは容易ではない。致死量の制約があるため、バレないよう食事に盛ったり、刃物や麻酔弾を用いたりするのも実質不可能だ。それよりも鉛弾1発心臓にぶち込んだほうが、確実でてっとり早い。

 ただし、みずから進んで毒を呷るというなら話は別だ。アルコールなら酒好きは誰に止められようと飲む。限界を超えても飲む。飲み続ける。それが確実におのれをむしばむのだと理解していながら。

「さいわいモリスは下戸じゃないわ。ムリヤリ飲ませる必要はない。限界を忘れて飲みすぎるように、ほんのチョット手助けすればいいだけ」

「なるほど。確かにそれなら、失敗したときのリスクもないし――いいんじゃない。とりあえず試すだけ試してみれば。上手くいけば儲けモンだよ」

「決まりね。だったらさっそく」

 密談を終えると、マスターが計ったようなタイミングで現れる。「すいませんね、お待たせして」

「いいえ。ちょうどいいところに戻って来たわ。注文いいかしら? ゴードンジンを3、ウォッカを1、キナ・リレを1/2、よくシェイクして、レモンの皮を薄く切ったもの沈めて」

「あー、それ美味しそうだね。アタシもアタシも」

「おれも同じ物をもらおうか」ピアノをひと通り弾き終えて、モリスが休憩しにカウンターヘ戻ってきた。「ただしレモンは抜きで頼む」

「あら? ビールしか飲まないのではなかったの?」

「そうは言ってない。だいたい吸血鬼に何を今さら」

「それもそうね。――では、素晴らしきピアニストに乾杯」

「で、どうだったかな。おれの演奏は。ぜひ感想が聞きたい」

「いやぁ、イイ演奏だったよ。ねえ、マスターもそう思うっしょ」

「ええ、実にすばらしかった。ぜひともうちで雇いたいくらいですぜミスター。もうプロ顔負けで」

「こう見えて賞金稼ぎにならなかったら、ピアニストかギタリストになるつもりだったんだ」

「へえ、すごいね。ピアノだけじゃなくてギターも弾けるんだ」

「今夜披露できないのが残念だ。あー、ギターがあればな」

「ギターならありますぜ」そう言って、マスターはおもむろにカウンターの下からアコースティックギターを取り出した。「これでどうですかい」

「やれやれだぜ。ご期待とあらばしかたがない。せっかくだから今度は歌でも。ちょっと待て。喉を湿らす」カクテルをひとくち含む。「さて、おれの歌を聴いてくれ――『こげよマイケル』」

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