017

「アタシはイングリッド・ピット。アンタたちを黄金郷エル・ドラドへと導く水先案内人。だから、頼むから丁重に扱ってよね」

 拷問のごとき尿意からようやく解放されて、すっかり余裕を取り戻したイングリッド。もっとも、ノーパン姿ではいまいち格好がつかない。

 さいわい汚れたのは下着とスカートだけだった。下半身丸出しではあるが、オールヌードよりはマシだろう。ただし、汗まみれで肌にピッタリ貼りついたシャツが、豊満な乳房を際立たせて、むしろよけいに卑猥なようにも思えたが。長さの足りないシャツのすそで何とか隠そうとするさまは、何とも嗜虐心を煽られる。

 本来こういう事態では、女が気を遣ってしかるべきなのだろうが、この車に乗っているのは、あいにくただの女ではなく、女バンパイアだ。

 ドラゴンの眷属たるバンパイアにとって、人間の女はエサに過ぎない。しかし一方で、人間としての本能が共食いを忌避する。多くが屍食鬼グールではなく吸血鬼バンパイアとして振る舞うのも、それが原因だ。血は飲めても肉を食らうほどの度胸はない。

 そして、食欲自体もまた影響を受ける。乙女に対する欲求を、性欲と混同してしまうのだ。男のバンパイアならそこまで問題にならないのだが、女の場合は男に対して食欲が湧かないこともあり、よけいにその傾向が色濃く出てくる。

 ――ようするに、レズビアンに目覚めやすい。

「イングリッドの肩、真っ白くて綺麗だわ。グレース・ケリーみたい。わたしってそういう肩を見ると、無性に噛みつきたくなるのよね。ああ、本当に綺麗――」

「ちょお、どこ触ってん――ひゃうん!」

「アザだらけなのがホント残念だわ。痛かったでしょう? ああ、かわいそうに。慰めてあげる」

「あン! だから触らないで――ヤダ、そんなとこなめたら――」

 助手席には、かなりムリヤリ棺桶が載せられていた。街なかだったら右側が見づらくて、とっくのとうに事故を起こしていてもおかしくない。そして後部座席では、女ふたりがくんずほぐれず。

「おいシスター、同性愛は禁止って修道院で習わなかったか?」

「言い忘れていたけれど、というよりあえて訂正しなかったのだけれど、わたしは別にシスターじゃないわ。修道院にいたことなんてない」

「はぁ?」モリスは思わずスットンキョウな声を上げた。

「そもそも、わたしはカトリックじゃなくてプロテスタントよ。大多数のアメリカ人がそうであるように。まァ別に、わたしは同性愛を肯定したいわけじゃないけれど。ただ、より罪深い悪を犯さないために、ある程度のガス抜きは必要だと思っているだけ。人食いカニバルとかね」

「ああ、そうかい。なら存分に罪を清めてくれ。おれはその女が好みじゃない。遠慮はいらん」

「――今、初めてあなたのことを心から同志と思えたわ」

「そいつはありがとよ」

「この薄情者ぉおおおおおおおおおおおおおお……」

 イングリッドが心底恨めしそうにモリスをにらんでいる。しかしながらモリスは運手中のため、前しか見ていない。

「ところでイングリッド、方角はこのままでいいのか?」

 イングリッドは身悶えながら、「うん。そのまままっすぐ進んで。そうすればツーソンに着くはず」

「隠し場所はツーソンか」

「違う違う。とりあえず近場の街に寄りたいだけ。この格好もどうにかしたいし、シャワーも浴びたいし」

 ローラの怪しい微笑み。「それなら一緒に浴びましょう。わたしが洗ってあげる。隅から隅まで、ね」

「断固拒否するから!」

「それにしても100万ドル相当のお宝だなんて、その若さでよくもまァ集められたものね」

「あー……まァムダ遣いせずコツコツ貯め込んできたからね。それにチマチマ小銭を集めてるわけじゃないし。アタシは黄金専門だから」

「そんな大事な物を、命惜しさに明け渡してかまわないのかしら」

「だって命あっての物種だし。それに、アンタらはどうせアタシの財宝を手に入れたら、現金に換えるわけでしょ」

「もちろん。当然だわ」

「そしたら売っ払った財宝を、アタシがまた盗み出せばいいってハナシ。どう? 冴えてると思わない?」

 確かに筋は通っている。その言葉通り実行できるのだとすれば。とはいえ、これまでの苦労がいったん水の泡になるのは間違いない。

 ローラは重大なことに気がついた。復讐をあとまわしにするという決断までしておいて、肝心の財宝の存在を疑いもせず鵜呑みにしていたが、助かりたくて口から出まかせを言ったと考えたほうが自然ではないか。事実、100万ドルもの財宝が本当にあるのか示す証拠を、何ひとつ確認していない。その点をモリスはどう考えているのか。

「証拠? おいおい、野暮なこと言いなさんな。おれたちはロマンを追いかけているんだぜ」

「ふざけないで。わたしはまじめな話をしているのよ」

「おれはいたってまじめさ。何ごとも“まじめが肝心”だ。逆に聞くが、どんな証拠があれば納得できるんだ? 金銀財宝の山を撮った写真か? 預金通帳の残高か? それとも、このおもらし娘がその財産に見合った身なりをしていたら?」

「それはまァ、言われてみたら自分でもわからないけれど……」

「警察の事件捜査じゃアあるまいし。裏を取っている時間があるなら、現物を自分の目で確かめたほうが早い。現物こそが何よりの証拠になる」

 くやしいがローラは反論できない。ドラゴンが実在する証拠として鱗を見せられても、はたしてそれが本当にドラゴンの鱗だと信じる者がいるだろうか。結局ドラゴン本体を直接その目で見なければ、誰も信じられないに違いない。

「だいたい忘れたのか? おれたちはバンパイアだろう。金銀財宝の山なんかより、世間的にははるかにありえない存在だ。ロマンのカタマリだ。そのおれたちがロマンを疑ってどうする?」

 モリスの言っていることは間違っていない。しかし、どうにも煙に巻かれているような、バカにされているような、そんな気がしてならなかった。

 もしかしてモリスは、イングリッドの言葉が事実だと、何らかの根拠から確証を得ているのではないだろうか。しかしそれならば、ローラにはわからずモリスにはわかった理由がわからない。

 ローラが腑に落ちない顔をしていると、モリスが言った。

「“ある男が、岩の下にかくされていると彼が信ずる財産を求めて出発する。次から次に無数の石をひっくり返してみるが何もみつからない。彼はこの企てに疲れるがあきらめることはできない。その財産はあまりにも貴重だからだ。したがってその男は、ひっくり返すには重すぎる岩をさがしはじめる。その岩に一切の期待をかけようとする。残った力をことごとく費やそうとするのはその岩にたいしてだ。”」

「ルネ・ジラール? それがなんだって言うの?」

「いずれわかるさ」

 現時点でローラにはまったく意味がわからない。その例え話はマゾヒストについて語っているものだ。ジラールいわく、マゾヒストとはいじめられるのが好きな人間ではない。ある目的を達成するために、より困難な道を選ぶヤツらを指す。困難の先にこそ、それ相応の対価があると信じている連中。現状に照らし合わせれば、強敵であるキンスキーよりもかよわい女を選んだ自分たちは、完全にアベコベだ。

「あのぅ……」イングリッドは申し訳なさそうに、「証拠になるかはわからないけど、これで信じてもらえない?」

 そう告げるや、今にも嘔吐しそうなえずき声を出し始めた。

「このアマ、おれの車に吐いたら蹴り出すからな」

「キャデラックはお気に召さなかったんじゃなかったの?」

「そんなことは言ってねえ。別にフォードが一番好きなだけで、キャデラックが嫌いってわけじゃ」「ぐええーっ!」

 モリスは慌てふためき、運転中なのも忘れて背後を振り返る。

「ちゃんと前見て前。ゲロじゃないから安心してよ」

 イタズラっぽく舌を出すイングリッド。その上には唾液まみれになった、指輪が載っていた。宝石はついていないが純金製のようだから、おそらく最低でも数万ドルはくだらない。

「何かあったときのために隠してたんだァ。どう? これでちょっとくらいは信用してくれたかな?」

「まァ、もしそれが全財産だと言われたら、むしろ信じられなかったわ」

「金銀財宝の山を期待させるには充分な証拠だな。というわけで」モリスは指輪を奪い取った。「こいつは保証金としていただくぜ」

「ア、アタシの指輪……」

「うわ、きったねえ。唾液が。臭い。うえええええ」

「だったら返してよォ」

「ダメだね。お宝までたどり着いたら返してやる」

「……何だったらその指輪で満足して、もう見逃してくれない?」

「おまえさんの命は、こんなちっぽけな指輪ひとつと同じなのか?」

「この悪党! どうせあとで返す気なんかないくせに! アンタなんか地獄へ落ちればいいんだ!」

「それなら指輪を返せば、おれは天国へ往けるのか? たかが指輪ひとつで、天国への切符が買えるとでも? そこのところ、どうなんだシスター」

「善行によって天の扉が開くというのは間違いだわ。たかが人間ごときの行動ひとつが、絶対なる神の意志を変えられるはずもないでしょう。神は最初からすべてを予定している。誰を救い、誰を救わないか――。ゆえに指輪が原因で地獄へ落ちるのではなく、地獄へ落ちるような人間だから指輪を奪うの。神が救うことを選んだ人間なら、神の意志に反した行いをするはずがないのだから」

「やれやれだぜ。つまりおれは今さら指輪を返そうが返すまいが、指輪を奪うような人間って時点で、生まれる前から地獄往きが決まっているってわけだ。ならやっぱり、このままもらわない手はねえ」

「それが賢明でしょうね。せめてこの世の悪徳を謳歌するがいいわ。いずれ火と硫黄の池へ投げ込まれるまで」

 自分自身の言葉でローラはふと閃いた。――そうだ。この男はいずれかならず裁かれる。ほかならぬ神の手によって。ゆえにわざわざ危険を犯してまで、ローラが手を下すまでもないことだ。

 いや、そもそもローラはモリスを始末したかったわけではないし、彼女にそんな義務もない。単に目的を果たす上で邪魔なだけ。排除するには殺害してしまうのがもっとも確実な方法だが、別段その手にこだわる必要もないのだ。

 そうと決まれば話が早い。ツーソンへ着くまで、まだ時間がある。ローラはさっそく作戦を練り始めた。

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