もう七年も前なのか その4
「捕まえたぞこのヤロウ! おら、キリキリお縄につくんだよ!」
「ぬわーっ、何をするこの変態! 誰か助けてくれ、特殊な趣味の暴漢だー!」
すったもんだする俺達の周りを、喧騒に合わせてキャラバンの人々が遠巻きに取り囲む。
全く、人聞きの悪いことばっか口走りやがって。おかげで中の何人かは既に武器を構えてこちらに向けているじゃねーか。
「おい、訂正しろ詐欺師魔族。俺のどこが変態だって?」
「おやぁ? デュティからは確かに『公衆の面前で恥をかかせたり、連れの女の子に特殊な衣装を着せてステージに上げたりする変態男』と聞いているけど?」
顕な口元に嫌らしい笑みを浮かべ、ローブの女……トロワ・ドゥ・ロアは、いけしゃあしゃあと言ってのけた。
このヤロウ、微妙に嘘とも言い切れないことを。俺の言葉が詰まったのを見てか、槍の穂先がジリジリとこちらに迫ってくる。
……ダメだな、このまま言い争っていても、こいつに口で勝てる気がせん。なので俺は、足元からトロワを探しだすのに使った道具を拾い上げると、縄で拘束されたこいつの顔面にひょいと置いた。
「ったく、俺はんな事を話に来たんじゃ無いんだっつの。デュティが使う黒いエンチャント、ありゃ一体どういうこった?」
「それを話すのはやぶさかでは無いがその前にこの顔面に貼り付いたムシを取ってくれないかな! というかひやああワシャワシャしてる何コレぇ……!」
「心配すんな、そりゃ元は只の土くれだ。
待機時は握り拳程度の半球状で、起動すると下半分が細分化されて足になる特殊弾だ。
上半分には翅が収納されており、エネルギーがあるうちは結構長く飛べ、色んな隙間もくぐり抜けることができる。
その走破性が「可能性がある相手なら8割で当たる」俺のチートと相性が良く、人探しなんかにも役に立つんだな。
ま、要はでっかいテントウムシのようなもんだと思ってくれ。それなりにお高いもんなんで、あんまり乱用はできないが。
「そっかーそれなら顔にくっつけても安心……じゃないよキモい! なんでよりによってこんな造形してるんだいってかワシャワシャしてるのが鼻に! 鼻にぃ!」
「外骨格じゃねーと小型化できないんだよ。壁や天井も這い回れるしな。それにほら、慣れてくると中々愛嬌があるだろ? じゃあ心が和んだ所でもう一匹行くか」
「やめてぇぇ……」
どうもトロワの奴、虫は完全に駄目のようだな。いつもの飄々とした雰囲気が完全に失せて、なんとか振り落とせないかとのたうち回りながら涙声になっている。
だが残念なことに、そいつは本物じゃなくゴーレムだ。エネルギーが切れない限りは、そうそう離れるもんじゃない。
しばらくは打ち上がった魚の様に跳ね回るトロワだったが、次第に疲れたのか、満足に動けなくなってきたようだ。
身体の線をうっすらと浮かばせながらくったりと横になって息をあえぐ図は、見ようによっては色っぽく見えなくも無い。事実、取り囲む何人かの男たちが、微妙に腰を引いていた。
「……アジンド、君はあれだなぁ、僕が思ってる以上に容赦がないなぁ。そりゃあ君の周りは美少女ぞろいだが、僕ってその中でも頭一つ美人さんなんだよ?」
「うるせーな残念笑顔、こっちだってそれなりにキレてんだ。ウチの第二位に何しやがった? 返答次第じゃ、ギリギリ死なない程度にやばいことになるぞ?」
「死なない様にアレしたいだなんて、思春期の女の子と旅してる人は大変だなぁんもう。さぞかし溜まっているんだろうね、仕方ないにゃあ……あ、ごめんムシは止めてそれ以上近づけないで」
流石に哀れに思え、BB弾を戻してやった途端にこれだ。
話す話すとは言ったものの、結局時期も場所の指定もしてないからな、こいつ。
まぁ、デュティにこいつを押し付けたのは俺なのは間違いない。場合によっては血族全体の汚点と化す以上、俺としてもあんまり人の多い場所で話してほしい話題じゃ無いんだが。
そろそろ場所を移すかと、今度は背中を這われて悶えているトロワを担ぎ上げようとした時である。
高そうな衣服に身を包んだ爺さんが大慌てで俺へと近づき、声をかけてきた。
「あ、おい待ちたまえそこの君! そのお方を誰だと思って……」
「ただのお騒がせ魔族だよ。そして俺は勇者タダヒトの子孫の者だ。こいつには色々話を聞かなきゃならん」
「勇者様の!? そ、その文様は確かに……」
俺が手帳の表紙を開き、そこに記された大婆様のサインを見せてやると、それまで武器を持って警戒していた奴らまでもが揃って傅く。
魔族そのものは、今の世の中じゃそこまで珍しい存在でも無いはずだ。戦争終結から百年、特に商人と言った連中は、種族というくびきから開放されいち早く商圏の開拓を開始している。
だがそれが、「勇者」に追われているとなれば自然と状況を察してしまうのが人ってもんだ。特に今の勇者の血族は、そういう「悪いことを企む魔族」を牽制するために居る存在。
……この感覚は、正直何べんやっても慣れたもんじゃない。
「アイサダ・クリーロ・アジンド。……ま、覚えなくても構わん。曾祖父さんの子孫の中じゃ比較的チャチな方さ。少なくとも、そう何回も聞く名前じゃ無いだろうよ」
「ははあ……」
「それよりアンタ、動かせる馬ぁ無いか。こっちはアシに使ってるのが壊れちまってな。勇者権限で一頭用立てしたい。50キロ……あー、小麦粉袋を5~6くらい積める馬だ。軍馬一頭分くらいなら即金で支払える金は有る」
とにかく、身の証と後でしかるべき手続きを踏む覚悟さえあれば、こんな感じに多少の無茶は通せるわけだ。
この規模のキャラバンならまず予備の馬も居るだろうし、それを1頭使わせてもらうとしよう。
ここの長っぽい爺さんも、「勇者」に貸しを作れるとなればこのくらいの要望は飲むもんだ。流石に馬1頭ではありえないが、もし魔導家の技術提携先になれたらその利益は計り知れないものになる。
「……家の力ってのは、あんまり好きじゃねーなあ、やっぱ」
「それは同意するよ。しかしなんだ、手ぶらに見える割には随分大荷物を載せる必要があるんだね」
「そりゃそうだろうさ。なんせこれからお前を積まなきゃならねーし」
「えっ」
後ろ手に拘束された状態のまま、地面に寝転がるトロワの声がピシリと固まった。
馬ってのはなんとも乗り心地が悪い生き物で、サスペンションのような便利なものもついてない以上バランスを取るのに難儀する。
その割に結構早いから落ちて転がれば当然その分怪我するし、落馬が原因で死んだって奴も少なくない程度には存在するのだ。
干された布のような姿勢で騎乗するのは当然オススメはしない。普通ならば。
「こっちも急いでるんでな、尋問と輸送と移動を一緒くたにできる良い手だろ? 両手が使えない状態で馬に乗るのはなかなかスリリングだぞ。安心しろ、チャキチャキ目的を吐けば縄は解いてやる」
「オーケー、分かった、答える。だから肩に担ぐのを止めて先に両手両足を自由にしてくれない? 僕のお口は案外素直だよ。ほら、言うさ。言うから。言ーうーかーらー!」
海老のように跳ねまわるトロワを押さえ、運ばれてくる馬へと括りつける。
アニーゼの方はデュティを見つけられただろうか。とにかく何とか早く合流できることを祈りながら、俺は久しぶりに馬へとムチを入れた。
□■□
「わったっしーはロマンサー♪ ヘイヘイフーン♪ シャベルが似合う♪」
曇り空の下、分厚い雲の隙間から微かに覗く月の光に照らされて、金の髪が輝く。
今度は何を企んでいるのやら、山を管理する木こりに取り入った夢魔が、梟も寝静まった夜に土を掘り起こして何やら仕込みを行っていた。
「ふー……まったく、バレないように死体を運びこむの一苦労なの。
スケルトンやズンビーは、単体なら正直言ってそこまで強い存在じゃない。俺達による、手前勝手なランク付けではDランク。「武装した一般人が一対一で倒せる相手」だ。
その分、こいつらの脅威は数だ。死体と彷徨う魂さえあればお手軽に作り出せるし、大量に使役できる。
……だが、それも近くに野ざらしの死体があればの話。人里に近く、管理も行き届いている森にそうそう死体が転がっている筈もなく、こいつはこいつなりに苦労しているようだった。
「情報収集した限り、トゥリーネ様は近々この辺りを通るキャラバンに同行しているはずなの。アンデッドの群で騒ぎを起こして、それに上手いこと便乗出来れば……」
村を襲われた孤児のふりでもすれば、潜入そのものは難しくは無いだろう。
経験上、数と言う力が集まったキャラバンには、食料や衣服と言った点での余裕がある。そして余裕がある人間は、余裕のない人間よりもずっと人助けをやりたがる。
「いい感じに下僕や死体が量産できたなら、そのまま街に攻めこんじゃおうかしら。キャラバンなら武装や荷馬車なんかも沢山あるだろうし……くふ、デスチャリオット作成も夢じゃないの」
ああ、それにしても夢魔というのは厄介な種族だ……吸血鬼よりも肉体面の強さに劣る分、弱みにつけ込むことへの呵責が無い。
地道な作業の最中、つい口が寂しくなってしまったのだろう。夢想した展開を独り言として呟き、鼻歌まで響かせながら、メリーは白骨に麻紐で刃物を縛り付けていく。
この場に居ない俺では、こいつが夢想した通りの凶行を止めることは出来ない。
もしデュラハンによるチャリオット部隊ができあがるようなことが有れば、その脅威はBランク、放置しておくと都市が壊滅的被害にあうレベルにまで跳ね上がる。
「……ふぅん。最近の子は随分物騒な夢を見るのね」
……だから、声の主がその場に居れたのは、本当に素晴らしい幸運であった。
「な、だ、誰なのっ!?」
「私見で悪いけど、その夢は夢のままにしておくべきものよ。後片付けが大変なら、このワタシが手伝ってあげようじゃない」
木の枝々が織りなすヴェールの狭間、本当に僅かな隙間の向こうで、そいつは黄金に光る月を食らう影として立っていた。
煙るように立ち昇る【
「まさかこんな所に夢魔が紛れ込んで居たなんて。ふん、今更何をと自分でも思うけれど。憎たらしい」
そしてデュティは、自嘲するように小さく舌打ちを一つ。高めの位置でまとめたポニー・テイルが、夜風を受けてはためいた。
身を竦めるメリーの前へ素早く着地すると、退路を塞ぐように槍を構える。
「げぇっ、次席勇者!? まだ小屋でぐっすり寝てる筈なのに……んーでもなんか、聞いた話と雰囲気が違う?」
流石の工作員にも、デュティの変質の件はまだ伝わっていないのか。
槍に纏わせた【
だがそれ以上に、デュティは不愉快そうに唇を歪ませ、滲む圧力を一段と増した。
「……デュオーティ。ただのデュオーティよ。誇らしき母の名も祖父の名も、私が私に許さない」
「へ、へん! 勘の良さだけは勇者ゆずりでも、そんなボロボロに消耗した身体で威勢がいいのね。拾った時はわからなかったけど……お姉ちゃんの魂、いい感じに腐りかけてるのよ?」
それは、夢魔だから持つ独特の嗅覚か。
心の敏感な所に指を這わされるような錯覚に、デュティの濃紫の目が緩く細まり、眉が不愉快げに歪む。
「今のあなたはむしろ、こっち側に付くべき人なんじゃないの――」
その傷をえぐり広げようとメリーが言葉を重ねた時、ヒュンと音を立てて夜の空気が張り裂けた。
自身の顔の数ミリ隣、樹の幹に突き立った槍を横目に、冷や汗を垂らしたメリーが半笑いを浮かべる。
「……あまり、余計なお喋りはしたくないわ。アナタがここで何をしていたかだけ、洗いざらい喋ってくれるかしら」
そして、もう一撃。頭蓋の位置を横薙ぎにする一槍が、紅眼と金の髪ごと払い断つ。
だが「そうなる」と思った直前、デュティの目の前に居たはずの彼女の姿は虚空へと掻き消えた。
眉を顰めるデュティの隣、耳元で囁くような、あるいは遠くから響くような不可思議な声が、夜の森に反響する。
『はー! 次席勇者となんかマトモにやり合うもんかなの! こうなったら、まだるっこしい事せずにトゥリーネ様を直接狙ってやる――!』
俺が洋館で食らった、幻術の類だ。どうやら本当にこの夢魔本人は逃走と撹乱に特化しているらしい。
幻術使いを相手取るのに、森という立地は最悪だ。ただでさえ迷いやすい空間の上、何が起こったとしても違和感を感じにくい。
その上、相手は逃げることを選択している。後を追うにはどうしたって幻の結界を突破せねばならず、肝心の術者本人は秒ごとに遠く離れていく……。
「【
――故に、面倒くさいと言わんばかりにデュティは周辺を全て黒く染め上げた。
「ほわっ?」
「なるほど。無形のエネルギーならなんでも蒐奪対象になるなら、当然魔力もその範疇か……ふん、まだまだ使い道は多そうね、このチートも」
自らの身を守る幻のヴェールを一瞬で焼き払われたメリーが、夜の森の木陰で忍び足のポーズのまま硬直していた。
元よりアニーゼの【
禍々しく齧り散らされた魔術の痕跡は青白く火花を散らし、その意味に気付いたメリーが膝をガクガクと震えさせる。
「ソ、ソウルドレイン……? そんなえげつない呪文……死霊術の世界ですら、禁呪扱いなのに……」
「ふぅん、魔法的にはそういう扱いになるの。禁呪……なるほど、このチートが有れば、アナタみたいな手合にも一々灰に戻られずに済むってこと?」
「ひっ」
ヘたりこんで頭を抱える姿こそ、デュティの問いに対する明確な答えだろう。
ギロリと睨むデュティの双眸がいっそう細くなる。滾り続ける確かな殺意が、向ける槍の穂先を黒く覆った。
「……まぁいいわ。アナタのような子供を、いたずらに怖がらせるのも趣味じゃないもの」
「そ、そんな……そんな……」
「遺言はある? 無いなら、ここで一息に終わらせてあげるわ」
口元に手を当てたメリーが、己の死を少しでも遠ざけたいかのように手を伸ばし。
「――そんな力が有れば、メリーが〈
彼女がその手を強く握りこんだ時、デュティは強い"眠気"に襲われ膝をついた。
「なっ……これは……!?」
「なに驚いてるの。油断しちゃった? そも、次席ちゃんを拾ったのはメリーなのよ? メリーが家に運び込んで、メリーがベッドに寝かせて、メリーが看護して……何も仕込んでないわけが無いじゃない! 万が一暗示をはじくチートならどうしようかと思ったけど、これなら問題ないわ!」
満足に立てない程に意識が遠のき、片手で握った槍が地面に落ちて音を立てる。
辛うじて保持し続けているもう片方の槍を支えに、デュティは膝に爪を立て下唇を噛む。
その様子は、糸の切れた操り人形が必死に重力へ抗っているかのようでもあっただろう。
「くぁ……く、メリー、アナタ……」
「くふふ、"
そう、こいつの何よりも厄介な点が、「睡眠」と言う生物にとって正常な状態をぶつけてくることだ。
漏れそうになる欠伸を噛み殺し、メリーを睨みつけるデュティの前に視線を遮る影が複数個生み出される。
前もって準備していたというアンデッド達だろうか。普段であればゾンビやスケルトンなど、歯牙にもかからない雑魚共に過ぎぬ。
だが今は、理性に抗うこの肉体が問題だ。視線だけは強かに睨みつけ、デュティは口腔に溜まった唾を吐き捨てた。
「おお、怖い怖い。でもあなたが
瞬きをするごとに意識がチラチラと点滅する。行き場のない憎悪の苦々しさだけが、黒いエンチャントとなって溢れ出る。
デュティは油断した己の不甲斐なさを呪いながらも、未だ力なく双槍を構えていた。
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