第43話

 凌介は、ツイン・ホークスが残してくれた義足を装着して立ち上がった。立ち上がって周囲を見回すと、部屋は凌介が想像していた通りの古い病室で、ベッドと簡易トイレが置かれているのみであった。部屋を出ると、薄暗い廊下が続いており、元々誰もいないのか、避難しているのかはわからなかったが、辺りに人の気配は無かった。しばらく通路を進むと、薄暗い階段とエレベーターが見えた。階段は鉄板を並べたような簡素なものであった。階段で耳を澄ますと、かすかに銃声が上の階から聞こえてきた。

 ——エレベーターで下に降りれば、坑道の深くに逃げられる。だが、俺には約束が……鉱山病院に行く約束があったはずだ……

 曖昧な記憶に導かれ、凌介は階段を一気に駆け上がった。階段を上りきったすぐ傍には坑道の出口があった。坑道の外に出ると、辺りには血まみれの兵士が倒れていた。四肢の無い者、体が焼け焦げた者、頭を撃たれて万歳をするような体勢で倒れている者、銃を持ったまま地面の穴に落ちている者、かつては人の一部であった肉片——それらは全て動きを止め、無言で戦闘の激しさを凌介に伝えていた。凌介はツイン・ホークスやシャリフを探したが、そこには彼らの姿は無かった。鉱山病院の方ではまだ戦闘が続いており、そこからの銃声が周囲に響いていた。凌介がニューロ・アイの焦点を鉱山病院に合わせると、屋上にはゴダリア軍のヘリを挟むようにして銃撃戦が行われている様子が確認できた。そこにはスフィアの姿もあった。そして、さらに遠方の上空には、鉱山の方へ向かって来る戦闘機の姿があった。機体の姿はみるみる大きくなり、凌介がその左右の翼に備え付けられたミサイルの形とゴダリアの国籍マークを確認できた頃、戦闘機が一発目のミサイルを発射した。発射されたミサイルは、瞬く間に鉱山病院の屋上にあるヘリに到達し、ヘリを爆発、炎上させた。その後も戦闘機はもう一発のミサイルをヘリに向かって発射し、機関砲による爆撃を続けながら鉱山病院を通り過ぎた。上の階の病室からも黒い煙が上がっていた。

 ——どういうことだ!? ゴダリア軍がなぜ自軍のヘリを攻撃する?

 戦闘機は、しばらくすると坑道の方にもやってきた。凌介は山のように積まれた石の陰に隠れていたが、戦闘機が坑道付近を通り過ぎたのを確認すると、煙の上がる鉱山病院の方へ駆け出した。鉱山病院からは、もう銃声は聞こえて来なかった。凌介は鉱山病院の玄関にたどり着くと、逃げ出してくる患者とすれ違うようにして中に入った。その瞬間、凌介の頭に蘇る記憶があった。

 ——俺が約束していた場所は、ここだ。この一階の奥にある。

記憶を頼りに凌介が薄暗い部屋に足を踏み入れると、多数のチューブやケーブルにつながれた男——ダヌークが声をかけてきた。

 「誰かと思えば、君か。とうとうニューロ・アイのユーザーも君と私だけになったな」

 「……あなたは、俺のことを知っているんですか?」

 「私は君の名前は知らん。知っているのはニューロ・アイのユーザーということだけだ」

 「ツイン・ホークスとスフィアは……」

 「死んだよ。ついさっき、通信が途絶えた」

 おそらく屋上の爆撃によるものだ、と凌介は考えた。

 「あなたにはわかるんですか?」

 「ああ。私はサーバーだからな。君らの見ている情報は全て私の頭に入って来るんだよ。昔は大勢のユーザーがいたんだが、みな死んでしまった。だが、ここでニューロ・アイを終わらせるわけにはいかん。君はニューロ・アイが何かは理解しているのかね?」

 「脳に直接映像を送る機器、でしょうか」

 「やはり、わかっておらんな。それだけじゃない、ニューロ・アイはいわばコミュニケーションツールだよ。他人の脳と脳を直接結ぶことができるんだ。君の知らない間に私が君の脳に信号を送ることができるんだよ。素晴らしいだろう?」

 ダヌークは口元をゆがめるようにして微笑んだ。ニューロ・アイがワイ・ビーによるネットワークを構成していることは、永井の調査から凌介も知っている事実であった。

 「それであなたは何をするつもりですか?」

 「何だ、君は想像力の乏しい人間だな。可能性はいろいろあるさ。ここにいる先生方もその可能性のために研究を続けているんじゃないか」

 「その研究ももう終わりですよ。NESが壊滅すれば、彼らも解放されます」

 「それはどうかな。彼らにはもう元の居場所は残っておらんだろう。それに、長年続けた研究を途中で投げ出すのは難しいものだよ。君だってニューロ・アイの面倒を見てくれる人間がいなくなったら困るだろう?」

 「だからと言って、こんな拘束を続けていいはずが無い」

 「そうか、君とはまだ意見の合わんところが多いようだが、じっくり時間をかけてコミュニケーションを取ろうじゃないか」

 「あなたの言うコミュニケーションというのはよくわからない」

 「そんなことはないだろう? 君はなぜここに来たのかね?」

 「それは……」

 凌介は自分の意志とは異なる、誰かと約束したような記憶に導かれてダヌークのいる部屋に来た。だが、実際にダヌークと言葉を交わすのは今日が初めてであった。

 「いつの間にかここに来る約束をした気になっていたのではないかね? それは私がコミュニケーションを仕掛けたからだよ。これを使ってね」 

 ダヌークはニューロ・アイを指差し、再び口元をゆがめた。

 洗脳——そんな言葉が凌介の頭に浮かんだ。

 視界を得る代わりにダヌークに洗脳されるのか?

 ツイン・ホークスもスフィアもダヌークに洗脳されていたのか?

 凌介は新たな疑問とともに目の前のダヌークに対する恐怖心が膨らんでいくのを感じ、逃げるように部屋を出た。

 そして、部屋の外で鳴り響く非常ベルの音でようやく凌介は火災が発生していることを思い出した。ダヌークのことは気になったが、一階まで火の手が回ることは無いと思われ、凌介は二階に残っている患者の救出に向かった。二階には自力で動けない患者が残っており、凌介は看護師らとともに車椅子への移動や義足の装着を手伝い、歩けない子供は抱きかかえて病院の外へ連れて出た。そして二階に誰もいなくなったことを確認し、階段で一階に下りようとしたとき、三階から「助けて!」という子供の声が聞こえた。

 俺が夜中に侵入したとき、三階に患者はいなかったが——不安に駆られた凌介は三階に駆け上がった。三階には既に火の手が回っており、煙と異臭が立ち込めていた。「誰かいるのか!」と凌介が叫ぶと、再び「助けて!」という声がしたが、その方角は煙が充満し、ニューロ・アイでも子供の姿を確認することはできなかった。凌介は聴覚を頼りに、思い切って炎の中にある部屋に飛び込んだ。そして飛び込んだ部屋の真ん中には、凌介が夜中に侵入したときに見た、四本の手を持った少年がいた。少年は泣きながら何かをしゃべり、四本の手で凌介に抱きついてきた。部屋の入り口は炎が天井に達していた。

 「僕……飛び降りようかと思っていたんだ」

 ようやく聞き取れた少年の言葉の通り、部屋の窓は開放されていた。凌介は少年を抱きかかえたまま窓に向かった。下には誰もいなかった。少年を抱きかかえたまま足から着地できるのか、ふと不安がよぎった。バランスを崩せばこの子を殺してしまう。だが、炎はすぐ傍まで近付いてきている。いつまでも迷っている暇は無い。覚悟を決めて凌介は飛び降りた。

 頼む、動いてくれ——凌介は祈り、少年は叫び声を上げた。だが、人間の不安を余所よそに、義足はいつものように衝撃を和らげ、少年の四本の義手も凌介の身体を離さなかった。

 ありがとう——凌介は義足と義手に心の中で礼を述べると、膝を付き、少年を地面に下ろした。坑道周辺には軍用ヘリコプターが次々と着陸し、各国の軍隊が救出活動を行っていた。凌介が膝を付いたまま、その様子を眺めていると、一人の男が凌介の方に向かって走って来た。男の顔を見て、凌介はようやく緊張から解きほぐされた気がした。立ち上がることができず、ただ、男が来るのを待っていた。

 男は何も言わず凌介に肩を貸し、凌介は男に寄りかかるようにしてようやく立ち上がった。

 「剛……ゴメン」

 「ったく、しょうがねぇやつだな」

 二人はそれ以上何も言えず、肩を抱き合いながらヘリコプターへ向かって歩いた。

 この日、四年以上に及ぶマリオンの内戦の終結が宣言された。

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