第40話

 「さすがに車で行けるのは、この辺りまでだな」

 凌介達は鉱山病院の北東のある森の中にいた。マリオン軍の基地を出た後、NESの支配下にない森の北側に周り、途中まで木々の隙間を縫って車で進もうとしたものの、すぐに行き止まった。

 「病院まではまだ二キロぐらいあるな。本当に行くのか? 夜の森はそれだけでも危険だぜ」

 「ああ、そのためにここまで来たんだ。鉱山近くは伐採が進んでいるから、森自体はそんなに広くは無いはずだ」

 「わかった。じゃあ、無事を祈って待ってるぜ。お前の居場所はこれでチェックしておくが、森を超えるとなると、二、三時間はかかるだろうな」

 凌介の居場所は、小林からもらった無線機のGPS機能と通信機能で剛のスマホに送られるようになっていた。

 「遅くても十一時には病院を出るよ。十一時になっても動きがなければ、帰ってくれていい。そして、日本の永井君に連絡を取ってみてくれ。もし、俺が死んだら、ニューロ・アイの通信は電池切れで止まるはずだ。永井君が通信拠点の数をチェックすれば、俺が生きているかどうかがわかる」

 「おいおい、そんな面倒なことにならないよう、頼むぜ。途中でチビリそうになったらさっさと帰って来るんだ。誰も責めやしねぇ。チビッても黙っといてやるから」

 「何を……昔、ビビッてチビッたのはお前の方じゃないか。じゃあな」

 凌介はそう言って車を降りると、ニューロ・アイのモニターを赤外線モードに切り替えて夜の森を歩き始めた。衛星の写真では小さく見えた森も、中から見ると広大なアマゾンのジャングルにいるように思われた。どんな危険な生物がいるかもわからない。足元には草が生い茂り、義足の赤外線カメラが地面を捉えることは難しいように思われた。

 ——義足の実験をするには面白い環境だが、この地面では、走るのは危険だな。

 歩いていると、義足の関節が正しく曲がらずに転倒しそうになることが何度もあった。もし、NESに見つかった場合、森の中を逃げ切ることは到底不可能と思われた。カメラで制御を行う義足は泥にも弱く、もし沼地に入った場合は歩行すらまともに行えなくなる。凌介は地面の様子を確認しながら、慎重に進んだ。赤外線カメラで見えてはいるものの、夜の森には草木に隠れて何が潜んでいるかわからない恐怖があった。キーッキーッという動物の甲高い鳴き声や、バサバサッという何かが動く音が近くで聞こえる度に、凌介は背筋が凍る思いをした。絡み付く蜘蛛の巣やまとわり付いて来る虫も凌介の進行を妨げた。凌介は時折、ニューロ・アイのモニターをサーモグラフィモードに切り替え、周囲に動物がいないかを確認した。すぐ近くに巨大な蛇の姿を確認したときは、思わず跳び退いて、木に体をぶつけてしまった。

 見えない恐怖は何度も味わってきたが、見える方が怖いということもある——凌介はそんなことを考えた。

 そうして、一時間近くかけて草木が生い茂る中を進んだ頃、ようやく鉱山病院の明かりが見えた。凌介は灌木かんぼくの陰に隠れ、周囲の様子を窺った。鉱山病院は五階建てになっており、屋上には赤いランプが点滅していた。各階には十数個の窓があったが、照明が付いているのは二階のごく一部であった。照明が点いている窓にはブラインドがかかっており、中の様子まではわからなかった。凌介は、窓を一つずつ確認し、三階に開いている窓があるのを見つけた。鉱山病院の周囲には兵士の姿は見当たらなかった。鉱山病院から鉱山に向かっては一定の間隔で照明があり、しばらくじっとしていると、肩に銃をかけ、懐中電灯を持った兵士が巡回している姿が見えたが、それ以外に人の姿は確認できなかった。

 これなら、侵入は可能だ——銃を持った兵士が病院の裏側に回ったところで、凌介は森を抜け出して建物に駆け寄ると、三階の開いている窓に向かって跳び上がり、そこから鉱山病院に侵入した。

 病院に入ると、強烈なホルマリン臭が凌介の鼻孔を突いた。部屋の中には臓器や手足がビン詰めされた状態で陳列されていた。侵入した部屋は病室ではなく、人体の一部が保存されている部屋のようであった。凌介はその光景と刺激臭で気分が悪くなり、通路に誰もいないことを確かめると、すぐに部屋を出た。三階の通路の先には病室が並んでいたが、いずれも患者はおらず、ナースステーションと思われる中央の部屋にも誰もいなかった。

 三階には誰もいない——凌介はそう判断すると、階段を使って、照明が点いていた二階に移動した。

 階段を下りると、すぐ傍の病室には「ミケル・コナン」と書かれた名札が掛けられていた。凌介が病室をのぞくと、小学生ぐらいと思われるあどけない顔をした少年がベッドで眠っていた。少年は横向けに眠っており、顔の前に左手と右手が見えた。だが、背中に目をやると、そこにも垂れ下がる左右の手が見えた。

 手が四本——凌介はニューロ・アイをサーモグラフィモードに変更した。少年の手の温度は、明らかに体の他の部分と異なっていた。義手であった。

 ここでは何が行われているのだろうか——気味の悪さを感じ、凌介は後ずさるようにして病室を出た。隣の病室にも名札が掛かっており、中を除くと、成人の男性がベッドに横たわっていた。男性は顔に火傷を負っており、左肩から先が無かったが、ベッドの脇には、金属製で男性の背丈程ある巨大な義手が置かれ、時折その義手が動いていた。

 ——こんな患者ばかりなのか……日常生活にこんな義手は要らないはずだ。

 凌介は恐ろしくなり、部屋を出た。二階の病室は半分以上が埋まっていたが、患者を全て確認している時間は無かった。通路の奥には光が漏れている部屋があり、凌介はそこを調べることにした。第三応接室と書かれたその部屋の窓にはカーテンがかかっており、内部の様子を直接見ることはできなかったが、赤外線カメラでは、二人の男性と一人の女性が腰掛けている様子が見えた。ただ、いずれも背格好から森田ではないことは明白で、会話の内容も聞き取ることはできなかった。この場にいても得られる情報は無さそうだ、と判断した凌介は、その先にある照明が点灯している部屋を探した。だが、そこには誰もいなかった。

 二階の探索を終えた凌介は、周囲の様子を窺いながら、ゆっくりと一階に続く階段を下りた。階段を下りて通路を曲がると、長椅子とカウンターが置かれた受付と思われる広間に出たが、そこは非常灯が点灯しているだけで誰もいなかった。一階はほとんどが事務室となっていたが、「中央治療室」と書かれた部屋には「ダヌーク・エトー」と書かれた名札が掛かっていた。

 その部屋には医療機器に囲まれるようにして男性が眠っていた。男性の頭、胸、手足には多数のケーブルやチューブが接続されており、顔には凌介と同じようなゴーグルが装着されていた。

 ——ニューロ・アイ?

 凌介は永井から送られてきているニューロ・アイの画像データを確認した。ニューロ・アイの通信拠点は四箇所であった。凌介、スフィア、ツイン・ホークス、そしてもう一人。もう一人の画像データには、尻尾を飲んだ蛇のような紋章が写っていたが、その紋章は、まさに凌介がいる病室の壁に貼られているものであった。凌介はもう一度、病室の名札を見た。

 ダヌーク・エトー——凌介はようやく、それがかつてマリオンの独裁者と呼ばれ、NESが崇拝する男の名前であることを思い出した。

 ——ダヌークはゴダリアに亡命したのではなかったのか?

 凌介はダヌークに、なぜここにいるのかをきたい衝動に駆られたが、ダヌークが凌介に気付いた様子は無く、酸素マスクを付けて眠っていると思われる男に声をかけるのはためらわれた。

 ——インタビューしている時間は無いが、これはサイードに報告するべきだ。

 凌介はニューロ・アイのフィフス・ブリンク機能を使ってダヌークの写真を撮った。そして病室を出ようとしたとき、凌介は呼び止められたような気がしてダヌークの方を振り返った。だが、ニューロ・アイと酸素マスクで表情はほとんどわからないものの、ダヌークが起きた気配は無かった。緊張で神経が過敏になっているのかもしれない——そう考えて凌介は病室を後にした。

 これまでのところ、凌介が鉱山病院で確認できたのは二階の応接室にいた三人だけであった。テロで行方不明になった学者は数十名おり、どうやら当てが外れたようだと思いながら、凌介は待合室の時計を見て考えた。

 ——十一時まで、まだ四十分程度ある。残りの時間で他の階を探すか、それとも他の場所を探すべきか。シャリフは坑道にも病棟を作ったと言っていたが……

 凌介は一階の正面玄関に近付いた。ガラスの扉をそっと押してみると、鍵はかかっていなかった。そして、赤外線カメラで外に誰もいないことを確認すると、病院を出て、坑道に向かって駆け出した。坑道に向かう通路には照明が配置されていたが、凌介は照明を避けるようにして迂回して進み、見回りの兵士に発見されないまま、坑道の入り口まで近付くことができた。

 鉱山の坑道周辺は起伏に富んでおり、巨大な穴が掘られているところがあれば、山のように大小の石が積まれているところもあった。凌介は暗闇の穴の中から坑道の様子を探ることにした。坑道内は照明によって全体が明るく照らされており、入り口には二人の兵士がいた。彼らは仁王像のように動かず、左右に分かれて門番をしていた。凌介が監視を始めて約十分が経過し、そろそろ帰ることを考え始めた頃、突然、別の兵士が入り口に現れ、二人に何かを話しかけると、二人は鉱山病院の方へ向かって走っていった。そして、別の兵士も坑道の奥へと姿を消した。

 行くなら、今だ——凌介がそう思って穴から出た瞬間、坑道付近の照明が一斉に照らされ、凌介の周囲は昼間のように明るくなった。凌介が慌てて周囲を見回すと、坑道とは逆の鉱山の入り口から、一台の小型トラックが凌介に向かってくるのが見えた。トラックの荷台には銃を持った兵士が何人も乗っていた。

 ——気付かれていたのか! いつの間に!?

 凌介は一目散に鉱山病院のあった方角へ走り出した。だが、義足の力を使っても、トラックとの距離は縮まる一方であった。凌介は石の山を飛び越え、トラックが通れない場所を探して進もうとした。

 ——やはり森の中に逃げ込むしか無さそうだ。だが、このままでは、その前に追い付かれてしまう。

 目の前には鉱山病院の建物が迫っていた。車から逃げるなら上しかない。そう考えた凌介は思い切って踏み込み、一気に鉱山病院の屋上まで跳び上がった。鉱山病院の屋上は、白十字の書かれたヘリポートとなっていた。そして、凌介はその白十字の真ん中辺りに着地した。

 ——ここなら、直ちに撃たれることはない。しかし、ここからどうやって逃げればいいんだ?

 凌介は屋上から周囲の状況を確認しようと一歩踏み出した瞬間、義足から電池残量がわずかになったことを知らせる警告音が鳴った。凌介は宿泊施設に戻ってから義足の充電を行ってはいたものの、朝はターラン市内を駆け回り、夜は複雑な地形の森の中を時間をかけて進んだため、電池の消費量は通常時を遥かに超えていた。そして、先程の大跳躍によって、義足の電池をほぼ使い切ってしまったのであった。電池が無くなってしまっては、屋上から飛び降りることはもちろん、階段を降りて病院を出ることもできない。万事休す——凌介は屋上に仰向けに寝転がった。

 ——そのうち、屋上のドアが開き、NESがやって来る。彼らは俺をいきなり撃ち殺すのだろうか。どうせ死ぬなら、一か八か、屋上から飛び降りてみるか。

 凌介がそんなことを考え始めた頃、遠方でバラバラバラ……というヘリコプターの音が聞こえた。そして、その音は段々と近付いてきた。凌介が音のニューロ・アイの焦点を音のする方に合わせると、一台の軍用ヘリコプターがヘリポートに向かって来るのが見えた。ヘリコプターの機体にはゴダリアの国籍マークが塗装されていた。

 助けに来てくれたのだろうか——だが、ゴダリア軍が凌介を助けに来る理由は何も無かった。そもそも、鉱山病院に来ることはサイード以外は知らないはずであった。凌介にはもう逃げる気力も体力も残っていなかった。せめて記録には残そうと、凌介はニューロ・アイのフィフス・ブリンク機能で軍用ヘリコプターの写真を撮り続けた。

 軍用ヘリコプターは白十字の真上まで来ると、轟音を響かせ、屋上に積もった砂を散らしながら、屋上にひざまずいている凌介とちょうど向かい合うような形で、屋上に着陸した。ヘリコプターのドアが開くと、ゴダリア軍の軍服を来た男達が次々と屋上に降りてきた。そして、最後に降りたアイパッチの男が、凌介に近付いて言った。

 「よお、久しぶりだな。今度は逃げられねぇぜ」

 凌介は再びフィフス・ブリンク機能を使い、銃を構えた男——スフィアの写真を撮った。

 「手間かけやがって。これは返してもらうよ」

 スフィアはそう言って凌介のニューロ・アイを奪い、凌介のあごを蹴り飛ばした。凌介は激しい衝撃とともに闇の中に倒れ込み、意識を失った。

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