幻覚

第17話

 「考える足」プロジェクトが始まって四年目の十月。凌介は東都工科大学の構内にある銀杏いちょうの木の枝に実験台モルモットとして吊るされていた。

 この日の実験では、スプリングの強化とともに制御プログラムを修正した義足を使い、着地時の衝撃と体感を調べることになっていた。銀杏いちょうの木の枝までの高さは五メートル程であったが、そこに無人航空機ドローンを使ってロープを通し、ロープの一方の端に凌介の体を縛り、もう一方を学生が引っ張る方法で、凌介を吊るし上げていた。

 「何か原始的というか……クレーンを使うとか他に方法は無かったんですかね?」

 ロープを引っ張りながら学生の一人が隣の学生に尋ねた。

 「それ、さっき聞いたんだけどさ、建設中の校舎で作業している業者さんに頼んだらしいよ。でも、クレーンで人を吊るすのはダメって言われて協力してもらえなかったんだってさ」

 隣の学生がささやくように答えた。尋ねた学生は納得のいかない様子でやや首をひねりながらもロープを引き続けた。

 「はい、ストーップ! もうそれぐらいで結構です。早瀬さーん、苦しくはないですか?」

 上野アイがかけ声の後、凌介を見上げて尋ねた。

 「うまく縛ってあるから苦しくは無いけれど……俺って今どんな状況? かなり恥ずかしいことになっていない?」

 「大丈夫です。ギャラリーはほとんどいませんよ。今で地面から足先までの高さが一メートルぐらいです。まずはこれぐらいから始めましょう」

 「了解。落とすときは落とすと言ってね」

 「早瀬さん、それじゃ身構えてしまうから意味が無いですよ。楽にしておいてください」

 機械工学科からプロジェクトに参加している助手の内村が凌介に言った。

 「あのさ、ウッチ―って、前から思っていたけど、絶対ドエスだよね……うわあ!」

 アイの合図でロープが離され、凌介の体が地面に向かって加速を始めた。義足は、関節に装着された複数のカメラを使って瞬時に地面の方向と着地までの時間を計算し、足先の角度とスプリングの伸縮率を調整することによって衝撃を吸収することができる。この仕掛けによって、凌介は膝を曲げることなく着地した。

 「うまく行ったように見えましたけど、早瀬さん、衝撃はどうでした?」

 アイが凌介に尋ねた。

 「ほとんど感じなかった……いいね」

 「じゃ、次は三メートルでやってみよう」

 内村が指示を出すと、学生が再びロープを引き始めた。

 「三メートルって……ちょっと、いきなり高くし過ぎじゃない? マネキンでの実験ではどこまでやったんだっけ?」

 凌介が吊り上げられながら尋ねた。

 「マネキンの実験では校舎の屋上から落としても大丈夫でした。十二メートルぐらいですね。それでもさっきとかわらない衝撃のはずです」

 「それはすごいね。わかった、その言葉を信じるよ」

 「ストーップ! そこまでで結構です。じゃ、またいきなり落としますので、早瀬さん、心の準備をしておいてくださいね」

 「見えないから高くて怖いということは無いんだけど、いつ落とされるのかわからないというのはねぇ……うわあ!」

 凌介が独り言を呟いている間にロープが離され、前回と同様に義足の制御が瞬時に動作することによって、凌介は静かに着地した。

 「ほう……たしかに、君達の想定通りだ。衝撃はさっきと変わらないね」

 「よかったぁ。問題無さそうですね」

 アイが内村の方を向いて言うと、内村も満足そうに頷いた。

 「さあ、次はどうする? 屋上からつき落とすのは勘弁してくれよ。そういや、ウッチ―、逆方向の試験はしなくていいのかい?」

 「逆方向というのは、ジャンプにスプリングを使う件ですか。そっちは未検証ですね……まぁ軽くなら危険は無いと思いますので、ご要望なら、ちょっとやってみましょうか」

 内村がそう言うと、アイが義足にパソコンを接続し、制御プログラムの変更を行った。

 「これで、膝の関節の動きに合わせた方向にジャンプできるはずです。出力は抑えていますけれど、あくまで軽く跳ぶ程度にしてくださいね」

 アイが凌介に言った。

 「了解。真上に軽く跳ぶ感じだね」

 「はい。これはまだシミュレーションが……」

 アイが断りを入れようとしている途中で、凌介が垂直跳びの要領で上空に向かってジャンプした。すると、凌介の体はロープのかかった枝のはるか上方、十メートル近くまで跳び上がった後、そのまま垂直に落下し、跳んだ位置からわずかに離れた場所に着地した。

 「思った以上に滞空時間があったな。ひょっとして二メートルぐらい跳んでた?」

 凌介の質問にしばらく誰も答えられなかった。義足の衝撃吸収には問題が無いことがわかったが、ジャンプの出力制御には問題がありそうだ。とにかく早瀬さんが無事でよかった、とアイは思った。

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