ネコミミクラスタ02 sidestory 鯖トラmelancholic

雨音、心音、歌声/輪舞曲

 右頬に痛みが走る。気がつくと、ハイは仰向けに倒れていた。

 視界に映るのは、淀んだ鈍色の空と雨。ネコミミに木霊する雨音が煩く感じられて、ハイはネコミミを閉じていた。

「おい! これでも、まだ分からないのかよ! チビ」

 煩い怒声が、閉じたネコミミにしつこく反響する。

「チビじゃない……」

 その声が煩わしくて、ハイは苛立ちに声をあげていた。ひっと、前方から息を呑む声が聞こえてくる。ハイがむくりと体を起こすと、その人物は怯えた様子で後ずさりする。

 怯えるぐらいなら、はじめから喧嘩なんて売らなければ良いのに。

 呆れた様子で、ハイは色のない三白眼を前方の人物に向けた。ハイの視界に傘を挿した少年が映り込む。薄汚い胡麻模様のネコミミがなんとも嫌らしい。その ネコミミを真似したかのように不細工な細い瞳も、ハイを不快にさせる要因の1つだった。

 ハイは目の前の同級生を見つめながら、とある友人のことを考えていた。

 背が高く、スマートな彼の体型は美しい洋猫を想わせる。筋張った長い手足に、大きいながらも繊細な指先が美しい手。その上、彼のネコミミは上品な灰色をしているのだ。絹のように滑らかな毛質をした彼のネコミミと、パサついた毛質の不細工少年のネコミミを比べることはとても愚かなことだろう。

 何よりも、ハイは彼の蒼い瞳が大好きだった。

 蒼い空と同じ色彩をした瞳は、ときおりどこかもの悲しげに伏せられている。その瞳を見ていると、ハイは無性に憂鬱な気持ちになるのだ。

 彼が、どこか遠くを見ているような気がして、寂しくなる。

 空を見上げる。鈍色の空が今にも落ちてきそうだ。ずんっとハイの気持ちも重くなる。

 いつもだったら、大好きな彼に勉強を教えるため、一緒に傘を差して下校しているはずだったのに。

 ふいっと、固まったままの少年を見つめる。びくりと彼はネコミミを震わせ、ハイを睨みつけた。

「なんだよ、またお得意のネコミミで反撃するつもりか?」

 ハイはくるくるっとネコミミを動かせてみせた。彼はびくーと体を震えさせる。ハイの特技はネコミミで人を叩くことだ。学園でもハイのネコミミは、恐怖の対象として知れ渡っている。

「試して、みる……?」

 片ネコミミを傾げ、少年に問いかける。少年はうっと言葉を詰まらせ、瞳を歪ませた。

「そういうところが生意気なんだよ! ケットシーなんかとつるむなって、言ってるだけだろ! 気持ち悪いんだよ、アイツ!!」

「ソウタが……気持ち悪い?」

 ぴくりとハイは眉毛を動かしていた。少年が放った愚かな言葉に、苛立ちを覚えてしまう。じっと、少年を三白眼で見すえる。彼は小さく悲鳴をあげ、後ずさりする。

「へぇ、俺って気持ち悪いんだ?」

 甲高い少年の声がした。少しばかり苛立ちを含んだ声音に驚いたのか、少年が後方へと慌てて振り返る。少年の後方に立つ人物を認め、ハイは瞳を見開いた。

 灰色の猫を想わせる少年がそこにはいた。友人のソウタだ。

 鈍色の傘を差したソウタは、自分を見つめる少年を睨みつけていた。普段は灰色をしているネコミミは、雨の影響なのかほんのりと蒼灰色に輝いている。そのネコミミを軽く逆立て、ソウタは少年へと詰め寄っていた。

「どこが気持ち悪いのか、教えてくれるとさ、嬉しいんだけど」

 ソウタが少年に近づくたび、彼の右ネコミミについた鈴のピアスが、苛立ったように音をたてる。鈴のピアスは、ソウタがケットシー――体内のキャットイヤーウイルスが変質し、特殊な能力を身につけた人々――であることを示すものだ。

「それとも、気持ち悪いってさ……」

 すっとソウタの眼が細められる。彼は白いアスファルトの地面を軽く蹴り、高く跳躍した。彼の持っていた傘が地面に落ちる。

 ハイは空を仰ぎ、高く舞うソウタを視線で追いかける。空中でソウタはしなやかに体を捻り、建物に吊るされた猫型の看板を足で蹴り上げた。大きな金属音が周囲に響き渡る。ソウタに蹴られた看板は、いびつな形にひしゃげ、轟音をたてながら地面に落下した。

 すとんと、ソウタは看板の後方へと着地する。それに反応するように、少年は傘を落とし、地面にへたりこんだ。

「こういうこと?」

 唖然とする少年を鋭い眼差しで見すえ、ソウタは問いかける。少年はひっと小さく悲鳴をあげた。

「ご、ごめんなさいっ!」

 悲鳴に近い声を上げ、少年は一目散に走り去っていく。ソウタは後方の道へと駆けていく彼を、寂しげな眼差しで見送っていた。雨に濡れるソウタのネコミミは、寂しげにたれさがっている。とくりと、ハイの心臓が高鳴る。

「ソウタ……」

 そんなソウタの瞳を見るのが辛くて、ハイはソウタに声をかけていた。ソウタがハイのいる方向へと体を向けてきた。

「もう、補習終わるまで待っててって、言っただろ」

 ハイに顔を向け、ソウタは微笑んでみせる。笑みを形作る彼の瞳が、寂しげにゆらめいて見えた。

「ソウタっ……」

「わっ」

 ハイは、ソウタに跳びついていた。ぐらりと傾いだ体をソウタが支えてくれる。彼のぬくもりを体全体に感じながら、ハイはソウタの背中へと手を回していた。

 寂しい人にはぎゅっとしてあげるといい。そう笑いながら教えてくれた、双子の姉の言葉を思い出す。姉のチャコもハイがしゅんとしていると、優しく抱きしめてハイを慰めてくれるのだ。

「なぐさめる……ソウタ、元気出す……」

 顔を上げ、ソウタを見つめる。ソウタは困ったように笑って、ぎゅっとハイを抱きしめ返してくれる。

「ありがとう、ハイ」

 ぽっと、頬が熱くなる。ハイは無性に恥ずかしくなって、ソウタの胸元に顔を埋めていた。

「ハイっ」

「元気……出た?」

 そっと顔をあげ、ソウタに問いかける。ソウタはふっと口元に笑みを浮かべ、ハイのネコミミを優しく撫でできた。

「うん、出たよ……。出たけど、ちょとやりすぎたかな……」

 ソウタは自分の後方へと振り返った。ハイも、ソウタが見つめる方向へと眼を向ける。雨に濡れた白いアルファルトの上に、ひしゃげた猫の看板が転がっていた。雨を弾き、鉄製の看板はぴん、ぴんと、不思議な雨音を奏でている。

「力の加減、やっぱり難しいや……」

 看板の雨音を聴いているのか、ソウタのネコミミは前方へと向けられていた。数日前、フットボール部にスカウトされた彼は、見事に部にあった全てのボールを粉々にしてしまったのだ。

 ソウタを運動部に誘おうとしていた面々は、ぴったりと彼を相手にしなくなってしまった。そんなことがあったせいか、ソウタは寂しそうにネコミミを垂らすことが多くなった気がする。

「ソウタ、びしょびしょ……」

 ぎゅっとソウタの服を掴み、ハイは言葉を続ける。ソウタはハイに向き直り、ハイの顔を覗き込んできた。

「寒い。早く、帰る……」

「本当だ。ハイ、びしょびしょ」

「ソウタも、びちゃびちゃ……」

 ぎゅっと彼の萌黄色の制服を、ハイは両手で掴む。彼の胸元にネコミミを充てると、小さな心音が微かに聞こえた。

 その心音は、寂しげに聴こえる。

 ぴぃん、ぴぃん。

 寂しげな心音を助長するかのように、看板を弾く雨音がハイのネコミミに煩わしく響き渡る。その音を聞きたくなくて、ハイは押し付けていない片ネコミミを閉じていた。

 その時だ。かすかな歌声が、雨音に混じって聞こえた。

 透き通る少女の歌声。

 雨音を伴奏に奏でられる少女の歌は、まるで鈴の音のようにかすかで、可憐な音をしていた。

 歌声は、ソウタの心音をメロディに奏でられる。

まるで、彼を励ますように。

「ハル……」

 嬉しそうにソウタが呟いた。ハイは顔をあげ、ソウタを見上げる。ソウタは、蒼い眼を幸せそうに綻ばせていた。

 トクリとハイの心臓が小さく鳴る。歌声は、その音を受けて小さく奏でられる。

「あう……」

 自分の心音がメロディに使われている。ハイは驚きに、ネコミミをぴんと立てていた。

「ハル、誰の心音で歌ってるのかな?」

 不機嫌そうなソウタの声が降ってきた。彼は、眼を曇らせ雨空を見上げている。

 ソウタは、自分の以外の心音が歌のメロディになっていることがお気に召さないみたいだ。仕方がない。彼の心音は、歌を奏でる少女にとって大好きなメロディなのだから。

 ケットシーであり、かすかな物音から曲を即興で作ることができる彼女は、ソウタの心音が大のお気に入りだ。普段から、彼女はソウタの心音をもとに歌をうたっている。

 ソウタの言葉を受けて、歌声が大きくなる。

 歌は、小さな鯖トラを心配する白猫の歌。怪我をしていないかしらと心配する白猫の心情を、ハルは歌い上げる。

「大丈夫だよ、ハル!!」

 ソウタは弾んだ声をあげ、空を見上げる。よかったと、鯖トラの無事を喜ぶ白猫の心情を歌声は奏でる。

 ほっとハイは息を吐いていた。ハイの心音も、呼応するように穏やかなものになる。

 歌声も、ハイの心音と同じく穏やかなテンポを取り戻していた。

「ソウタ……」

 ハイはソウタの手を掴み、自分の胸元へと押し付ける。トクトクと、ハイの心音が静かにソウタの掌に伝わっていく。

「そっか、ハルってば……」

 その鼓動を掌で感じながらソウタは、眼を綻ばせていた。

「ハイっ!」

「あう?」

 ソウタはハイの体を両手で持ち上げる。小さなハイの体を横抱きにして腕に収めると、彼は鈍色の空を仰いだ。

「ハルっ、聴こえる?」

 空に向かってソウタは声をあげる。少女の歌声が応えるように高くなった。ソウタはその歌声を合図に、大きく跳ぶ。

「にゃう!!」

 驚きにハイは声を漏らしていた。

 ソウタがそんなハイの顔を覗き込み、優しく微笑んでみせる。

 ソウタが白い屋根へと足をつける。足音がとんっと周囲に響いて、水飛沫が彼の足元から飛び上がってきた。

 歌声が高い音を発する。

 トントン。タンタン。

 ソウタが華麗にステップを決めて、屋根の上でクルクルと回る。

 歌声は長い音を発しながら、ソウタのダンスに併せて韻を踏んでみせる。

 ポンっと、ソウタが屋根から屋根へと飛び移る。

 歌声が、そのたびに高いソプラノを奏で、韻を踏む。

 ソウタは歌声を聴くたびに、笑い声をあげていた。

 楽しそうに微笑むソウタをハイは見上げる。

 蒼く輝く彼の瞳を見て、ハイは心臓を高鳴らせていた。

 美しい輝きを秘めた彼の瞳から、眼が離せない。その瞳を見つめていると、何だかこちらまで楽しい気持ちになってくるのだ。

 ハイの心音はいつのまにか、楽しげにトクトクと音を奏でていた。

 その音に合せ、ハルが明るい調子で歌をうたう。

 ソウタのステップが、2つの音の伴奏になる。

 雨音が降る町の中で、子猫たち輪舞曲は静かに奏でられる。

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