Seventeen Cats 鎮魂祭にて

 ハルの歌声は、鈴の音のようだ。

 聴いていると、こちらまで穏やかな心持ちになれる。

 そっとハイは眼を開け、歌声が聴こえる正面を見つめる。満開の桜が、円卓公園を薄紅色に染めていた。その桜の下に、舞台が設置されている。

 舞台の上には、真っ白なワンピースを着たハルの姿があった。ハルは眼を桜色に煌めかせ、可憐な歌声を周囲に放っている。

 今日は鎮魂祭がおこなわれる日だ。朝からハルは会場にやってきて、一生懸命リハーサルに取り組んでいる。会場にソウタの姿はない。

 ハイと一緒にいるはずのチャコの姿も。

 ハイは急に悲しくなってふよんとネコミミをたらしていた。そんな気持ちを慰めたくて、ハルの歌にネコミミを傾ける。

 歌声は、はらはらと舞い落ちる花びらに合わせ奏でられていた。

 花のように可憐で、儚く散っていく命の歌をハルはうたう。

 すっとハイの脳裏に、リズの笑顔が浮かび上がる。みんなで奏でたネコミミピアノの音が急に恋しくなって、ハイはまたネコミミをたらしていた。

 そんなハイに気がついたのか、ハルの歌声が明るい旋律を奏でる。驚いてハイはぽよんとネコミミをたちあげていた。

 その動きに合わせて、ハルが高い旋律を奏でてみせる。ハイはぽよんとネコミミをさげてみせた。ハルの歌声も、ネコミミと同じく低くなる。

 ぽよんと、ハイがネコミミをあげる。

 ハルの歌声が高くなる。

 ぽよぽよんとハイがネコミミを上下させる。

 ハルの明るい歌声がリズムカルに高低を繰り返す。

「うー! うー! ううーー!!」

 楽しくなって、ハイは嬉しさのあまり鳴いていた。その鳴声をメロディに、ハルが愛らしい子猫の曲をうたってみせる。

 小さな子猫は歌が好き。子猫は歌と一緒に可愛く鳴くのだ。

 愛らしい子猫の曲を歌いながら、ハルはハイに笑いかけていた。桜色に煌く彼女の眼を見て、ハイはぽっと頬を染めあげる。

 すっとハルがワンピースの裾を両手で持ち、お辞儀をする。ハイもつられて、ぺこりと頭をさげていた。顔をあげると、ハルが笑顔を浮かべ自分を見つめてくれている。

「うー! ハルーー!!」

 ハイは嬉しくなって、舞台へと跳ぶように駆けていく。壇上にあがると、ハルが少しだけ困ったような顔をした。

「チャコちゃんのところ、行かなくていいの?」

 ハルの言葉に、ぴたりとハイは立ち止まる。

 ――もう、チャコなんていらないっ!!

 雨の中、チャコに放った言葉が脳裏を過る。しゅんとネコミミをたらし、ハイは俯いていた。

「ボクは……チャコに会えない」

 会う資格なんてない。自分は、チャコを拒絶したのだから。

 ふわりと、ネコミミに触れるものがある。驚いて、ハイは顔をあげていた。ハルが優しくネコミミを撫でてくれている。

「私は、独りでも大丈夫だよ。だから、せめてお別れには行ってあげて」

 そっと腰をかがめ、ハルが顔を覗き込んでくる。優しいハルの笑顔を見て、ハイはふるふると頭をふっていた。

「姉ちゃん……ボクに……会いたくないと……思う……」

 ぎゅっとズボンを両手で握り締め、ハイは声をしぼりだす。ますます自分が惨めになって、ハイはしゅんとネコミミをたらしていた。

「会いたくないから、ソウタくんも来ないのかな……?」

 不安げなハルの声がする。顔をあげると、ハルが悲しげに眼を伏せていた。りんと彼女の鈴が寂しそうに音色を奏でる。

「ソウタは来るよ……」

 顔をあげ、ハイは彼女に声をかけていた。

「ハイ君……」

「だから一緒に待とう、ハル……」

 正直、ソウタが来てくれるかどうかはわからない。彼はおっきいくせにハイ以上に子供で傷つきやすい少年だ。

ふっとハイの脳裏にカルマの寂しそうな笑顔が浮かぶ。灰猫のステンドグラスを悲しげに見上げる彼を思い出して、ハイはぎゅっと唇を嚙んでいた。

ソウタは普通の子供なのだ。弱くて甘えん坊で、その甘えさえてくれる人の優しささえソウタは気づいていない。

その人はいつもソウタの側にいるのに。

逆にハイは、その優しさが恐くてチャコを遠ざけた。

でもハルにはソウタが必要だ。

ソウタだって、ハルを必要としている。

 だから――

「ソウタが来るまで……ボクが一緒にいる……」

「ハイくんっ」

 ハイはハルをぎゅっと抱きしめていた。ソウタには少し悪いことをしたと思う。でも、ハルを寂しがらせるソウタが悪いのだ。

「ソウタ、一緒に待つ……」

 顔をあげハイはハルに微笑んでみせる。ハルは驚いたように眼を見開いて、優しく微笑んでくれた。

「ありがとう……ハイくん……」

 ハルの両腕がハイの背中に回される。甘いハルの香りが鼻孔に広がって、ハイは眼を瞑っていた。

 ハルの香りは、桜の花のように可憐だ。だから、桜のように儚げな彼女を見ているとハイはときおり不安になる。

 ソウタがハルをよく抱きしめている理由がよくわかる。

 ハイとハルはソウタを待ち続けた。

 鎮魂祭が始まっても、彼は姿を現さない。

 そしてハルの姿も、いつの間にか会場から消えていたのだ。





 ふわりと桜の花びらが室内に入ってきて、チャコは顔をあげていた。椅子に座ったチャコは、自室の窓から外の風景を眺めている。

 白く急な斜面に建つ街並みの向こう側に、桜色に染まった円卓公園が見えた。13人の子供たちの桜がいっせいに花をつけ、公園を彩っているのだ。

 窓を開けていると、紅色の花びらと可憐な音楽の音色が部屋に入ってくる。

 鎮魂祭のリハーサルが公園では行われているのだろう。子供たちの透き通る歌声が聞こえてきて、チャコはネコミミを伏せていた。

 あそこでハルがソウタのために歌をうたっているに違いない。

 でも、自分はそのハルのもとへ行くことさえ出来ないのだ。

「チャコちゃん……」

 そんなチャコに声をかける人がいる。チャコは笑顔を取り繕い、後方へと顔を向けていた。深緑のドレスを翻し、チャコはその人物へと体を向けていた。

 チャコが来ているドレスはキャリコが購入してくれたものだ。

 不安げな顔をしたキャリコが、チャコを見つめている。キャリコの背後には、数個のダンボールが積まれていた。

 チャコの私物をいれたダンボールだ。今日、チャコはキャリコとともに箱庭地区01ロンドンへと旅立つことになっている。

 そのダンボールの上に灰色の猫のぬいぐるみが乗っていることに気がつき、チャコは顔を曇らせていた。

 猫のぬいぐるみはリズがハイのために作ったものだ。

 ドレスの裾をたなびかせながら、チャコは積まれたダンボールへと近づいていく。ぬいぐるみの蒼い眼がこちらを睨みつけているような気がして、チャコは足をとめた。

 リズがハイのために作った灰猫のぬいぐるみ。まるで、そのぬいぐるみに責められている気がして、チャコは眼を伏せていた。

「ハイ……」

 弱々しく声を発し、ぬいぐるみに触れる。ぬいぐるみの猫耳に触れた瞬間、チャコの視界はじんわりと涙でゆれていた。

 今日、チャコはハイを置いてロンドンへ旅立つ。ハイは具合が悪く、治療院から退院することが出来ないためだと大人たちは言っていた。

 でも、それが嘘だとチャコは知っている。チャコは、ハイに捨てられたのだから。

――もう、チャコなんていらないっ!!

ハイの叫び声が、脳裏から離れてくれない。独りになるとこの叫びが頭に響いて、チャコは泣きそうになってしまう。

あの日から、ハイには会っていない。容態が悪いからと、大人たちがハイに会わせてくれなかった。

けれど、チャコは内心でほっとしていた。

ハイに会わなければ、ハイがチャコを拒絶することはない。もう、いらないなんて酷い言葉を聞かなくてすむ。

 ハイから逃げられる。

 ほろりと、涙が頬を伝う。たえきれなくなって、チャコはぬいぐるみをぎゅっと抱き寄せていた。こらえようとすればするほど、涙が溢れ出てしまう。

「チャコちゃん……」

 キャリコの優しい声がチャコにかけられる。そっと背中に温もりを感じて、チャコは顔をあげていた。後ろを振り返ると、キャリコが自分を抱きしめてくれていた。

「キャリコさん……」

 体をキャリコに向け、チャコはぐちゃぐちゃになった顔を彼女に向けていた。薄い三毛のネコミミをたらし、キャリコは困ったように笑みを浮かべてみせる。

「チャコちゃんは本当に優しい子ね……。そして、とっても可哀想な子……」

「やっぱり知ってるんですか? ハイのこと……」

 眼を拭い、チャコはキャリコを見つめていた。キャリコは顔を曇らせ、チャコから顔を逸らす。

 リズもそうだった。大人たちは何かを隠していて、それはハイに関する秘密なのだ。

 その秘密からチャコを遠ざけようとして、ハイはチャコを拒絶した。

「伝えたいけど、言っちゃいけないの……」

 キャリコの口から声が漏れる。彼女は、そっとチャコの背後にある窓を眺めていた。

「でもね、この楽園を護っているのはハイくんなの。それは、伝えても大丈夫かな……。ハイくんはマブを救うために、ここに残ってくれるの。あなたを守るために、ここに残るのよ……」

 窓外で、桜のはなびらが優雅に舞っている。その花びらの背後には満開の桜を頂いた猫丘がそびえる。猫丘からは、亡き人々を痛む鎮魂歌が流れてくる。

 美しい常若島の景色が窓の外には広がっている。その風景を守るためにハイは独りで戦っているというのだ。

 何と。

 誰のために。

 でも、それはハイにとって――

「姉ちゃんっ!」

 チャコの疑問は、聴き慣れた声によって遮られる。大きく眼を見開き、チャコは後方の扉へと体を向けていた。

 ちりん。ちりん。

鈴の音がする。

 風を受けて、天井に吊るされた細長い鈴が玲瓏な音を奏でる。大聖堂でハイと奏でたカリヨンの音だ。

「ハイ……」

 そしてチャコの目の前には、本物のハイがいる。肩で息をしながら、ハイはチャコを見つめていた。

「ハルが……ハルが……」

「ハイ……」

「姉ちゃん……どうしよう……ハルが……うぅ……うぅ……」

 ハイの三白眼からぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。ハイは弱々しくネコミミをたらし、泣き始めてしまう。

 そんなハイのもとへと、チャコは静かに歩み寄っていた。

 ゆっくりと、けれども力強い足取りで。

「ハイ」

 静かにハイを呼ぶ。ハイはびくりとネコミミを震わせ、チャコを怯えるように見つめていた。

「あの……ボク……ハルがいなくなって……どうしていいか分かんなくなっちゃって……ボク、ボク……」

「ハルちゃんが鎮魂祭の会場からいなくなったの?」

 眼を細め、チャコは優しくハイに語りかけていた。ハイは驚いたように三白眼を見開き、ゆっくりと頷く。

 そっと弟の小さな体を抱きしめ、チャコは彼のネコミミに問いかけていた。

「ハイは、どうしたい?」

 ハイの体が大きく震える。その震えを抑えようと、チャコはハイを力強く抱きしめた。

「ハル……ずっと、ソウタを待ってた……。ボクたちもみんなでハルを応援しようとしてた……でも、ソウタ……ぜんぜん……来なくて……」

「まずはハルちゃん説得して、それからソウちゃんみんなで迎えに行こうかっ?」

 言葉に詰まるハイに、チャコは明るく声をかけてみせる。ハイはぎょっとネコミミをたちあげ、チャコを見つめた。

「姉ちゃん……」

「ほら、ハイ。ノロノロしてたら鎮魂祭、始まっちゃうよ」

 そっとハイの両手を握り締め、チャコは微笑んでみせた。

「やっぱりチャコちゃんは可哀想な子ね……」

 溜息とともにチャコの後方でキャリコがぼやいた。びくりとネコミミの毛を逆さて、チャコは後方へと振り返る。

「チャコちゃんは、可哀想なぐらいハイくんのお姉さんなんだもの……」

「キャリコさん……」

 片耳をたらし、キャリコは困ったような笑みを顔に浮かべていた。

「キャリコさん……」

 そんなキャリコにハイが声をかける。ハイは手早くチャコの手をほどき、とてとてとキャリコのもとへと歩み寄っていた。

「ハイっ」

「すみません……。少しでいいから……姉ちゃんと、一緒にいさせてください……」

 ぽよんとネコミミをたらし、ハイはキャリコに頭をさげる。チャコは唖然とハイを見ることしかできなかった。

「ハイくん……」

「ボク、姉ちゃんに酷いこと言いました……。いらないって姉ちゃんに言って……姉ちゃんのこと傷つけました……。でも……ボク独りじゃなんにもできない……。友達も助けられない……」

「本当、ハイくんが弟でチャコちゃんは可哀想ね……」

「キャリコさんっ」

 キャリコの心無い言葉に、チャコは声を荒らげていた。キャリコはチャコの方へと振り向き、優しく微笑んでみせる。

 キャリコは、何を考えているのだろう。

 唖然とするチャコから顔を逸らし、キャリコは言葉を続けた。

「だって、ハイくんは困ったことがあったら、お姉さんに何でも頼っちゃうんですもの。やっぱり2人は、一緒にいないとだめなのね」

「うぅ!」

 がばりとハイが顔をあげる。びんとネコミミを立ち上げたハイは、眼をまん丸にしてキャリコを見つめていた。

「キャリコ……さん」

「ごめんなさい、チャコちゃん。あなたを養子にはできない。だってあなたには、ハイくんが必要なんでしょう?」

 キャリコは颯爽とネコミミを翻し、チャコへと体を向ける。眼をまん丸にして、チャコはじぃっとキャリコを見つめていた。

「あの……それって……」

「ほら、ハイくん。お姉ちゃんに言うことがあるんじゃないの?」

「うぅ……」

 キャリコの言葉にハイが弱々しく鳴く。ハイはしょんぼりとネコミミをたらし、チャコへと振り返った。

 ぺこりと頭をさげ、ハイはチャコに告げる。

「ごめんなさい。チャコ……。ボク、チャコが必要だ……。本当は、一緒にいたい……。ボク……姉ちゃんと一緒にいたい……」

 顔をあがたハイの三白眼は、涙で濡れていた。その濡れた眼でハイはしっかりとチャコを見つめている。

 チャコはハイのもとへと駆けていた。何も言わず自分より小さな弟を抱き寄せる。

「おぅ!」

「ハイの、バカ……」

 そっとハイの顔を覗き込み、チャコは続けた。

「ずっと一緒にいたんだよ。これからだって、同じに決まってるじゃない……」

「姉ちゃん……」

 ハイが鼻をすする。小さな手でハイはぎゅっとチャコを抱きしめた。

「行こう、ハルちゃんとソウちゃんのところへ。鎮魂祭、始まっちゃうもん」

「うん」

 チャコの言葉にハイは弾んだ声をあげる。弟の顔に浮かぶ笑顔を見て、チャコも笑っていた。



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