Ten Cats 魔女の使い / 聖者の少年

 


 チャコが猫のドア窓が愛らしい扉を開けると、玲瓏なベルの音がチャコを出迎えてくれた。

 馥郁とした紅茶の香りがチャコの鼻腔に広がる。うっとりとネコミミを伏せていると、ゆったりとした時計の音が耳朶に響きてきた。

「あら、可愛らしい客さんね?」

 不意に女性の声がして、チャコは眼を見開いていた。店に左側に設けられたカウンターに、1人の女性が座っている。

 優美な黒ネコミミをぴんぴんと動かし、彼女はチャコに微笑みかけてきた。

 女性の眼は美しい深緑色をしていた。深い森を想わせるその眼から、チャコは眼が離せなくなる。

 どこかで、同じ色彩の眼を見た気がする。

 強い既視感に囚われるチャコの脳裏に、女教皇の深緑の眼が蘇ってきた。

「どうか、した?」

 女性が首を傾げ、チャコに尋ねてくる。ちりんと彼女の左ネコミミにつけられた鈴が玲瓏な音をたてた。

「いえ、何でもないです」

 チャコは首を振り、女性に愛想笑いを浮かべてみせる。

 言えるはずがない。

 女教皇さまの眼とあなたの眼が、凄く似てますなんて――。

「でも、ちょっと怒ってるのかしら? ストレス大分溜まってるみたいだけど、大丈夫?」

 フレアスカートをふわりとたなびかせ、女性は椅子から立ち上がる。彼女はチャコに歩み寄り、腰を屈めて顔を覗き込んできた。

「ほら、深く息してない。ストレスを抱えてる人の特徴よ。それに、顔の筋肉がちょっとこわばってるわ……」

「どうしてそんなこと、分かるんですか?」

「黒猫は魔女の使いだから……」

 驚くチャコに、女性は苦笑して答える。彼女のネコミミについた鈴が、りんと寂しげになった。

「ちょっとした人の仕草とか表情の違いで、その人が思ってることが何となく分かるの。それが、私の能力。そう、例えばあなたは探し物をしてない。小さな灰色の子猫とか?」

 笑みを深める女性の言葉に、チャコはどきりと心臓を高鳴らせる。

 ――何が……悲しいの?

 そう自分に問いかけてきた灰色のネコミミを持つ少年の姿が、脳裏に浮かぶ。

「あの、男の子みませんでしたか?」

「男の子?」

「灰色のネコミミの男の子です。私、その子にこれを渡すように町長さんから頼まれてきたんです。猫妖精の森っていう場所にいるって聞いたんだけど、道に迷っちゃって」

 そっとチャコは通学用カバンを背中から降ろし、紅茶缶を中から取り出した。女性はひゅっとネコミミをたて、紅茶缶を見つめる。

「あぁ、あの子に届け物か……」

 ふにゃりとネコミミをたらし、女性は苦笑してみせる。

「知ってるんですか?」

「知ってるもなにも、ここが猫妖精の森なんだけどな」

「えっ?」

「あなたの言う灰色のネコミミを持った男の子っていうのは――」

 刹那、天井から大きな物音がして、女性は口を閉ざした。女性は鋭く眼を細め、天井を見上げる。チャコも、驚いて頭上を仰いでいた。

 吹き抜けになっている天井の端、カウンターの上には2階の廊下が突き出たバルコニーがある。そのバルコニーの廊下を疾走する人影があった。

 それは、チャコが黒猫の看板の上で見た少年だった。少年は廊下を疾走し、突き当たりの窓へと向かっていく。

「ソウタっ!」

 女性が怒声を張り上げるがる。少年は構うことなく窓を開け、窓枠に片足をかけていた。

「まってっ!」

 チャコは叫び、駆け出していた。唖然とする女性が視界を掠めるが、チャコは構うことなくカウンターを潜り、その奥にある階段箪笥を駆け上がる。

 階段をあがりきり、チャコは廊下へとやってくる。だが、目の前に広がる光景に、チャコはしょんぼりとネコミミをたらしていた。

 廊下の突き当たりにある窓は開け放たれ、そこには誰もいない。少年は、窓の外へと逃げた後だったのだ。

「そんな……」

 チャコはふらふらと開け放たれた窓へと歩んでいく。窓枠に手をかけ外を見回しても、夕焼けに輝く海がどこまでも広がっているばかりだ。

 しゅんとチャコはネコミミを伏せ、横へと顔を向ける。

「えっ!」

 瞬間、チャコは声を発し、ネコミミを立ち上げていた。

 窓の横には、開け放たれたドアがあった。

そのドアの向こうに広がる部屋に壁画が描かれていたのだ。チャコは吸い込まれるように部屋に入り、壁画の元へとやって来ていた。

 壁画には、満開に咲き誇る桜の森が広がっていた。その森の中央に、白いワンピースに身を包んだ少女が描かれている。

 少女は銀色の眼をほんのりと桜色に染め、笑っていた。ゆるやかにうねった少女の銀髪は、頭部に生えた愛らしい白ネコミミを包み込んでいた。

 チャコは、その白いネコミミから眼を逸らすことができなかった。

「サクラママ……」

 チャコは、そっと少女のネコミミに指を這わせる。少女の白いネコミミは、うっすらと覚えているサクラママを思い出させてくれる。

 絵に描かれた少女は、聖堂のステンドグラスに描かれた白猫に面差しが似ていた。

「灰猫と、白猫……」

 じっと絵を見つめながら、チャコはこの島の物語を思い出す。

 親友と恋人であった白猫を失い、それでも生きなければいけなかった灰猫は、何を思い死んでいったのだろうか。

 逃げていった少年を想い出す。

 灰猫と同じ灰色のネコミミと、蒼い眼を持つ少年。

 ありえないと分かっていても、チャコには彼が――

「白猫みたいで可愛いでしょう、その子」

 背後から声をかけられ、チャコは我に返る。後ろを振り返ると、長い黒髪をゆらしながら、女性が部屋へと入ってくるところだった。

「あ、その、すみませんっ」

 チャコはとっさに頭をさげていた。勝手に部屋に入ってしまい、いまごろになって罪悪感を覚えたのだ。

「いいのよ、どうせあの子ハルちゃん以外には会う気ないんだもん。ほんと、なんでこんな可愛い子からも、逃げちゃうのかしら」

「ハルちゃん?」

「その壁画の絵の女の子の名前。たぶん、あなたはよく知ってると思うわ」

 チャコに微笑みかけ、女性は愛しげに壁画の少女を見つめる。女性の言葉に、チャコはとっさに壁画を振り返っていた。

「サクラママの歌声……」

 じっとチャコは、優しく微笑む少女を見つめる。

 この壁画の少女が、いつも円卓公園から聞こえてくる歌声の主なのだ。

「友達になってあげてくれないかな……」

 ぽつりと、背後の女性が言葉を発する。チャコは、女性へと振り向いていた。

「朝になるとね、この白猫の幽霊と、逃げていった灰猫の幽霊は円卓公園で歌の練習をしているの。幽霊のコンサートなんて、めったに見られるものじゃないわよ。楽しいと思うけどな」

 女性の深緑の眼が、笑顔に煌く。どうしてだかチャコは、その笑みが少し悲しげに見えたのだ。

 ときおりリズが見せる寂しげな笑顔を、思い出してしまう。

「幽霊探し、楽しそうですね」

 ふっとチャコは女性に笑みを返していた。女性は驚いたようにネコミミをぴこんと動かす、チャコは笑を深め手に持っていた紅茶缶を女性に差し出した。

「これ、幽霊に渡しておいて下さい。明日からは、歌の練習に野良猫が紛れ込んでくることも」

「分かったわ。ちゃんと伝えとく」

 女性は微笑み、紅茶缶を受け取ってくれる。ぴんとネコミミをたてて、チャコは言葉を続けた。

「それに私も、困らせたい人がいるんです」

「困らせたい人?」

「はい。幽霊の灰猫みたいに、私から逃げてばっかりの鯖トラにお仕置きしようと思って」

 ハイの寝ぼけた顔を思い出しながら、チャコは意地の悪い笑を浮かべていた。ハイは朝が大の苦手だ。それなのに、灰猫と白猫の幽霊探しのために早起きを毎日させられるとなったら、ハイはどんな気分になるだろう。

 ほくそ笑みながら、チャコは灰ネコミミの少年のことを思い出していた。ふっと眼を細めて、壁画の少女を見つめる。

 ハイは言っていた。

 チャコがサクラママの歌声に会いたいのなら、自分も彼女と会ってみたいと。その言葉に、チャコは弟の本当の気持ちが込められている気がしてしまうのだ。

 一緒にいたいと思っているのに、どうしてハイはチャコを遠ざけるような真似をするのだろうか。

「お仕置き、うまくいくといいわね」

 女性に声をかけられ、チャコは我に返る。すっとチャコは眼を細め、女性に笑ってみせた。

「絶対に、成功させます」

 女性の言葉に、チャコは凛とした声でこたえる。


 




「もう、出てきて大丈夫よ?」

 はぁっと溜息をつきながら、ミミコは黒ネコミミをへなへなとたらす。その言葉に反応するように、部屋の窓がかたりとゆれた。

 ミミコが眇めた眼を窓に向ける。ひょっこりと、窓の外に2つの灰ネコミミが見え隠れしていた。

「ソウタっ」

 ミミコは声を荒げる。灰ネコミミは観念したようにしゅんとたれさがった。窓が用心深げに開けられ、そっとソウタが部屋に顔を覗かせる。

「あの子、もういないよね……?」

「とっくに帰ったわよ、大丈夫」

 ミミコの言葉に、ソウタは不安げな眼差しを送ってみせる。

「だから、もう帰ったわよっ」

 ミミコが声を荒げる。ようやくソウタは立ち上がり、窓から部屋へと入ってきた。ソウタは蒼い眼で不満げにミミコをじぃっと見つめてくる。

「何よ?」

「俺が幽霊って、なんだよ……。あの子、このままじゃ練習に来ちゃう」

 ミミコから眼を放し、ソウタはハーフズボンを両手でぎゅっと握り締める。弟の震えるネコミミを見て、ミミコは苦笑していた。

「大丈夫、あの子なら、きっとソウタたちの気持ちをわかってくれるわ」

「友達なんて、いらない……」

「ソウタ……」

 震えるソウタの言葉に、ミミコは言葉を返すことができない。ソウタはそんなミミコの横を通り過ぎ、壁画の前へと立つ。

 桜の森の中で笑う少女を、ソウタは悲しげな眼で見つめていた。

「ハルがいればいい……。ハル以外、俺はいらないよ」

 そっと指先で少女の頬に触れ、ソウタは壁画に体を押しつける。愛しげに少女の壁画を撫でながら、ソウタは告げる。

「ハルがいれば、俺はいいんだ」

 りんと、ソウタのネコミミについた鈴が悲しげな音を奏でた。



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