three Cats 鈴と烙印

 桜色の朝陽が、ほんのりと白い病室を照らしている。その病室のすみに置かれたベッドにリズは横たわっていた。

 白いネグリジェを纏ったリズは、静かに眼を閉じている。入口に立つチャコはそっとベッドに近づき、リズの顔を覗き込んだ。

 青白いリズの顔を見て、どきりと心音が高鳴る。ネコミミを震わせながら、チャコはリズの頬に触れた。

 冷たいリズの頬から、仄かなぬくもりが伝わってくる。チャコはほっと息を吐いて、眼をほころばせていた。

 陽光がリズの顔を明るく照らす。薔薇色に色づいたリズの頬を見て、チャコはようやく笑顔を浮かべることができた。

 倒れたとき、リズは苦しそうに荒い呼吸を吐いていた。そんな彼女が、安らかな寝息をたてている。

 具合、大丈夫になったんだ。

 チャコは笑みを深め、リズのネコミミを優しくなでた。

 ちりぃ、ちりぃ。

 チャコがネコミミをなでるたび、ネコミミの鈴がくすぐったそうに音を奏でる。 リズの口元に笑みが浮かぶ。チャコはビクッとネコミミの毛を逆立て、手を引っ込めた。

「くすぐったいよ、チャコちゃん……」

 優しい声がチャコにかけられる。そっとリズは光を宿さない眼を、チャコに向けてきた。そっとリズは、チャコの頬に手を添えてきた。

「リズ姉……」

 ぐわりと、チャコの目頭が熱くなる。チャコは眼を歪め、ぎゅっとリズの体にしがみついたいた。

「大丈夫……? 苦しくない?」

「うん、お薬が効いてるから、もう平気よ」

「でも、リズ姉……」

「チャコちゃん」

 ほのかに潤むチャコの視界に、リズの顔が映りこんだ。リズはチャコの頬を何度も撫でてくる。

 チャコを慰めるように。

 チャコは、そんなリズの優しい手を静かに両手で包み込んでいた。

「元気が、1番……」

 光のささない眼を細め、リズが魔法の言葉を囁く。

 チャコが泣きそうになると、リズはいつもこの言葉を投げかけてくれるのだ。

 りぃんと、リズの鈴が音色を奏でる。

 細いリズの両手が、優しくチャコの体を包み込んだ。

「寂しい人には、ぎゅってしてあげるといいの……。そう、サクラママとサツキママが言ってた。そうすると、どんな人でも寂しくなくなるんだって」

「それ、何回も聞いたよ」

 リズの言葉にチャコは苦笑する。リズのぬくもりが心地よくて、チャコはとろんとネコミミを下げていた。

 そっと眼をつぶり、リズの胸に顔を埋める。ネコミミを少し傾けると、リズの優しい心音がかすかに聞こえた。

 ――寂しい人には、ぎゅっとしてあげるといい。

 リズは、その言葉をかつて施設にいた『お母さん』たちから教えてもらったのだという。

 1人は、マブの広告塔として活躍していた歌手のサクラ・コノハ。

 彼女はチェンジリングを養子として迎えている。それをきっかけに、サクラはリズたちチェンジリングを我が子のように可愛がったという。

 サクラママのことは、少しだがチャコも覚えている。

 優しい笑顔と、美しい歌声が印象的な人だった。

 もう1人は、この施設で育った科学者サツキ・ハイバラだ。

 彼女はチャコたちチェンジリングの研究に携わっていた女性だという。チャコとハイの名付け親でもあるらしい。

 サツキママのことをチャコはよく覚えていない。

 でも、ハイはよく彼女のことを覚えているみたいだ。ときおりハイは、サツキママとの思い出を楽しげにチャコに話してくれるから。

 リズもよく、2人の話をしてくれる。

 チャコもサクラママにはお世話になった。

 誕生の音色をハイと弾けるのも、サクラママがピアノを教えてくれたお陰だ。

 サクラママのようになりたいという強い思いから、リズはケットシーになったという。

 でも、チャコにとってそれは――

「リズ姉は、ドゥンの泉に戻ったりしないよね?」

 チャコの声は震えていた。そっとチャコは顔を上げリズを見つめる。リズは、困ったようにネコミミの鈴を鳴らした。

「大丈夫よ、ちゃんとお薬飲んでるもの」

「でも――」

 ぐっとチャコは言葉を飲み込み、俯いてしまう。リズの笑顔を見つめることができなかったのだ。

 最近リズは、よく倒れるようになった。

 ケットシーのウイルスは変異しているため、ワクチンで作られた免疫抗体で抑えることができない。ケットシーになった人間は特殊な能力と引き換えに、ウイルスに体を侵されるようになるのだ。

 ケットシーの寿命はもって、30代前半までと言われている。ケットシーでもあったサクラママも、最近亡くなったばかりだ。

 暗い音をたてる、聖堂の石棺を思い出す。

 箱庭で暮らす住民は、亡くなるとドゥンの泉に葬られるのだ。

 亡くなった人々を忘れないために常若島の西に広がる荒野には、墓石であるケルト十字が無数に突き刺さっている。

 箱庭地区を取り囲む『壁』からの風を受け、ケルト十字の墓所は悲しげな音をたてるのだ。

 カラカラ、カラカラと。

 その音がチャコは嫌いだ。死を嘆く人々の泣き声を思い出してしまう。

 サクラママがが亡くなって悲しんでいた、リズの姿を思い出してしまう。

 とくりと、チャコの心臓が悲しげに音をたてる。

 その音をメロディに、遠くから歌声が聞こえてきた。

「サクラママの歌声……」

 ネコミミをたちあげ、チャコは顔をあげる。リズも驚いた様子で、窓外へと顔を向けていた。チャコはリズの腕を振りほどき、窓へと近づく。

 朝陽に照らされる窓を開けると、軽やかな歌声が病室いっぱいに広がった。

 驚きに、チャコの心音が跳ね上がる。

 チャコの心音に合わせ、歌声は高くなる。

 高くなって、低くなって、軽やかに響き渡って。

 まるで悲しみに沈むチャコを慰めるように、明るい歌声は島中に響き渡っていく。

 そこに、リズの歌声が加わる。

 驚いて、チャコはベッドを省みた。リズが起き上がり、楽しそうに眼に笑みを浮かべている。サクラ・コノハの歌声に合わせ、輪唱を奏でていく。

 朝陽に、歌声が溶ける。

 歌声が軽やかになるとともに、桜色だった空は蒼くなり、朝焼けの終わりを知らせてくれる。

 リズがチャコに微笑みかける。

 りぃんとリズの鈴が軽やかに鳴って、チャコは思わず笑みを零していた。

 外の歌声が小さくなっていく。

 遠方から聞こえる穏やかな波音にかき消され、やがて歌声は聴こえなくなった。

「慰めて……くれたのかな?」

 ネコミミをピコンと折って、チャコは窓外を見つめていた。

 白い陽光を映す穏やかな海が、どこまでも続いている。その先には、巨大な壁が立ち塞がっていた。

 かつて感染者たちを閉じ込めるために作られた箱庭の壁。その壁は、朝陽を反射し眩しく輝いていた。

 その壁に打ち付けられた波が、小さな海鳴りとなって病室に響き渡る。

「会ってみたいな……」

 小さなリズの声がした。ぴんとネコミミをたてて、チャコはリズに振り返る。

 リズはネコミミを窓に傾け、心地よさげに眼を閉じていた。

「会って、一緒に歌ってみたい。きっと、素敵な人に違いないから……」

 静かに眼を開け、リズはチャコに微笑んでみせる。

「リズ姉……」

「でも、無理だよね。こんな風に倒れてばっかじゃ……。それに――」

 眼を伏せ、リズは黙ってしまう。リズがネコミミを伏せると、鈴が悲しげな音色を奏でた。

 チャコはリズを見つめることしかできない。そんなチャコにリズは、寂しげな眼差しを送ってきた。

 そのときだ。病室の戸を叩く音がした。

 びくりと、ネコミミをたちあげチャコは戸へと眼を向ける。猫の形をした戸を遠慮がちに引き、ハイがちょこんと病室を覗いていた。

「ハイ……?」

「お歌、終わった?」

 ネコミミをひょこひょこ動かし、ハイはじっとチャコたちを見つめてくる。

「うん、終わったよ。ハイくん」

 リズがハイに優しく声をかける。ハイは、ガラリと戸を開け、病室に入ってきた。

 ちょこちょことチャコに歩み寄り、ハイはチャコの手を引く。

「お義母さん……姉ちゃんがいないと寂しいって……。姉ちゃんに会いたがってる」

「えっ?」

 自分をじっと見つめるハイの言葉に、チャコは眼を曇らせる。

「会いたがってる……」

 そんなチャコを責めるように、ハイは言葉を重ねてきた。




 ちょこちょこと歩くハイに手を引かれ、チャコは治療院の廊下を歩いていた。  チャコはじっと弟のゆれるネコミミを見つめることしかできない。

 思い切って立ち止まってみる。ハイは振り向くことなく、チャコの手を引っ張った。

「どうして、会いたがらないの……。ボクたちの、家族になってくれる人たちだよ……」

 ハイの声はどこか硬い。チャコはネコミミを伏せ、弟の手を振り払っていた。

「姉ちゃんっ」

 ハイが声を荒げる。

 振り向いたハイは、じっとチャコを見すえてきた。びくりと、チャコはネコミミを俯いてしまう。

「会わなきゃ、駄目かな?」

「あたりまえ……。それが、ボクたちの……運命だもの……」

「運命……」

 眼をゆらし、チャコはハイを見つめる。ハイは無感動な眼をじっとチャコに向けるだけだ。

 チェンジリングたちを培養できる人工子宮は、この常若島にしか存在しない。激減した人口を補うために生み出された『マブの子供たち』は、養子に出される運命にあるのだ。

 それは、チャコとハイも変わらない。

 チャコたちの『親』になるべき人たちは、チェンジリングを養子にするために、箱庭01地区ロンドンからやって来たという。長年夫婦で不妊治療をしてきたが子宝に恵まれず、養子としてチャコたちを迎えることにしたのだ。

 お義母さんになってくれる人の話によると、本当は血の繋がった子供が欲しかったらしい。それが望めないから、しかたなくチャコとハイを養子にするのだという。

 その言葉が引っかかって、チャコは養父母たちを好きになることはできない。

 それに――

「あと、ボクはお義母さんに会えないから……。よろしくってだけ、言っといて……。チビたちが生まれたばっかの兄弟たち、イジクリまわしてると思う。とめに行かなくちゃ……」

「ハイっ」

「分かってるでしょ……姉ちゃんだって……。あの人たちが欲しいのは……姉ちゃんだけだよ」

 ハイは静かにチャコに告げる。そっとハイは制服の首元に手を入れ、何かを取り出した。

 ハイの指には、銀の鈴がついた鎖のネックレスが掴まれている。鈴の形状は、リズのネコミミについた鈴と、同じ形をしていた。

 見せつけられるように鈴を眼前に突きつけられ、チャコは思わず息を呑む。

「リズ姉とも……仲良くしない方がいい……。あの人たちは……面白く思わないだろうから……」

「でも、ハイはっ」

「ボクが、もうケットシーでないとしても……あの人たちは受け入れない……。一緒にいれば……そのぐらいわかる……」

 ふっと、ハイはネコミミを寂しげにたらす。ぎゅっと鈴を握り締め、ハイはネックレスを服にしまいこんだ。

 そんなハイを見て、チャコは学園で習ったあ歴史を思い出していた。

 統治機構マブが、かつてケットシーを差別する政策を取っていたことを。

 ――ケットシーは灰猫の恩寵を受けられない、汚れた存在。

 マブが、灰猫の信仰を歪め、広めた価値観だ。

 箱庭地区を統括するマブは、旧文明時代にキャットイヤーウイルスを研究する組織として設立された。

 そんなマブにとって、ウイルスで死ぬ存在であるケットシーたちは忌まわしいモノとして映ったのだろう。マブはケットシーを隔離し、灰猫の信仰を利用してケットシーへの差別を社会に根付かせた。

 その後、ケットシーの隔離政策は取りやめられた。だが、ケットシーが汚れた存在であるという烙印は、先代の女教皇がその教えを否定するまであり続けたのだ。

 その差別意識は、未だに社会に根づいている。

「ケットシーは……恩寵を受けられない不浄の存在……。灰猫に見捨てられた、生きる価値のないもの……。それが、あの人たちの考え……。だから……」

「そんなの、おかしい!!」

 ハイの言葉を、チャコの大声が遮る。びくりと、ハイは三白眼を見開いていた。 そんなハイに、チャコは言葉を続ける。

「ハイはもうケットシーじゃない! それに、ケットシーのどこがいけないの!? リズ姉は、誰にも迷惑かけてない。ハイだって、そう。なのに、おかしいよっ! ハイはっ」

「チャコっ!!」

 ハイの怒鳴り声が、廊下に響き渡る。

 眼を歪め、ハイはチャコを睨みつける。その歪んだ眼が、かすかに涙で濡れていた。

「お願いだから……言うこときいてよ。……姉ちゃん」

 ぎゅっとハイが、チャコに抱きついてくる。ハイの体が震えている。チャコは思わず、弟の小さな体を抱きしめ返していた。

「ごめん。ハイ……」

 謝っても、ハイは応えてくれない。かわりに、かすかな泣き声がチャコのネコミミにとどく。

 ハイが泣いている。

 泣き続ける弟を、チャコは優しく抱き寄せることしかできなかった。

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