夢檻〈3〉



 ♢♢♢



 うっすらと目を開けたとき、リシュは見慣れぬ部屋の寝台の上にいた。





 ぼんやりしたまま、ゆっくりと身を起こし辺りを見回すと、自分の荷物が部屋の隅に置かれてあった。




(……ここ、宿館?)





 いつ宿に着いたのか記憶がない。───ということは、眠ったままの状態で馬車からこの部屋へ運ばれ、その後も眠り続けて……今に至る、ということか。




 それにしても、まだ眠い。





 寝足りないと感じるのは馬車の中でもずっと、ラスバートからほのかに匂っていたあのマーシュリカの毒のせいだとリシュは思った。





 ───おじ様、胸裏のポケットにずっと入れたままなんだわ。





 香りを感じ続けていたせいで毒の後遺症がより強く眠りを誘発したのだろう。





 (……今、何時かしら……)





 館から宿まで馬車を走らせても二時間はかかる。





 そろそろ正午になるのだろうか。




 起きて閉じられたカーテンを開けようかと思ったが……。





 (……まあ、いいか。どうせ王宮に着くまでやることないし)




 今回のことがなければ、ダラダラと屋敷で寝て過ごすつもりだったのだ。




 リシュが小さくあくびをし、もう一度寝直そうとしたとき、部屋の扉を叩く音がした。






「はい……」





「ああ、リシュ。ようやく起きたか、入るよ」





 ラスバートがひどく安堵した声で言いながら顔を覗かせた。





「呼んでも揺すっても抱っこしても全っっ然! 起きないからさ、焦ったよ全く。今何時だと思う? もう夕刻だぞ。もうすぐ夕飯の時間だ」





「そうなの? だって眠かったんだもの」





 それに。




 おじ様が持ってる毒のせいよ、と言いかけて、やめた。





 ラスバートが携帯しているマーシュリカの毒。





 常に持ち歩いている意味は、紛失や盗難を恐れてのことかもしれない。





「どうした、気分でも悪いのか?」





 黙り込んでしまったリシュを、ラスバートは心配そうに見つめた。





「腹が減ったろ。昼飯も抜きで眠って」





 リシュは首を振った。





「お腹は空いてない。まだ眠いもの……。わたし、夕飯もいらないわ。食べるより眠りたいの」





「食事くらいしてくれよ」





「食事より睡眠が大事だって。これ、母様の遺言だからね」





 ふあぁ、と大きなあくびをし、リシュは一度は起こした身体を再び布団の中に沈めた。





「おい、リシュ」





「眠たくてとても起きてらんないわ」





「こらっ」





「おじ様……王宮に着くまで、わたしを、起こさないで……」





 快感にも似た睡魔がリシュの全身を覆う。





「おい、 飯食ってから寝ろ」





「ん……目が覚めて……気が向いたら、たぶん……食べる」




 (……いつになるか、わかんないけど)





「起きろ! こらっ、リシュ?……まったく! 困った眠り姫だな」




───眠り姫、ね。





 どくみひめ、よりも素敵な呼び名かも。





 それに、このまま目覚めなくても構わないかも……わたし。





 などと心の中で少しだけ思いながら、リシュは眠りの中へ身を委ねた。





♢♢♢



 眠りの中。




 リシュは昔の夢を見ていた。




 リサナが王宮へ呼び戻された頃の夢。





 あの頃のわたしは、母が頻繁に王宮を行き来し始め、屋敷を留守にするので寂しくて。




 そして母のことが心配だった。







───また王宮へ行くの? 帰ってきたばかりなのにっ。





「ごめんね、リシュ。でも今回はすぐ帰るわ」






「そんなこと言って、この前だって一ヶ月も向こうにいたくせに」






「ロキがね……。彼の容体がまだ安定しなくて。診ててあげなきゃいけないの。

 ……ロキにはまだ味方が少ないから」





 ……ロキ。





 リシュと二人だけで話すとき、リサナは彼の名を、その頃はまだ王子だった彼を名前で呼んでいた。




 愛称や呼び捨てのときもあった。





 でも、とても親しみを込めて。





 ロキ、と。





 あの頃はまだリサナが王宮で何をしていたのか、どんなことに関わっていたのかは知らなかったけれど。




 秘密を打ち明けられたのは、それから遠くない未来だった。






───「ごめんね……リシュ」




「母様、泣いてるの?」





 夢の情景はクルクルと流れる。



 風のように、




 河のように……巡る。






 ───ごめんね、リシュ。あなたを王家から遠ざけたかったのに。もしかしたらわたしは……。





 (泣いてるの? 母様が……?)



 母様が泣くなんて。



 これは夢……?








 そう、夢……



 きっと。







 ───でもね。覚えておいてね、リシュ。

 わたしがいつも安心して、ぐっすり眠れるのは、いつだってリシュの傍でだからね。愛してるわ」






 何百回、何千回と。



 きっとそれ以上。



 母様がくれた言葉。




 そして向けてくれた暖かな想い。



 注いでくれた愛情。




 それがあるから。



 その記憶があるから。



 わたしは母様を信じていられる。





 母様は間違っていない。




 リサナ自身も、その行いを間違ってはいないと思ったからこそ、実行したのだろう。




 禁忌を。





 (……ほんの少し、後悔はしていたかもしれないけれど)




 後悔しない人生などないのだと、リサナは言っていた。






(それならば、わたしは王宮へ行って確かめなければならない)





 この目で視て、触れて、確かめよう。





 リサナが遺したモノを。





 リサナの想いを。





 ───だから泣かないで、母様。




 次に目が覚めたときは、しっかりと前を向くわ。




 一人でも、堂々と王宮で立っていられるように。





 だから……。



 愛してる。






 これからも、永遠に。







 夢の中の情景が、意識が、ゆっくりと無に還る。






 眠りの中に支配されながら、リシュはリサナの残像に想いを込めた。





 

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